坂口安吾のレビュー一覧
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●最後
人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。
●キーワード?
堕落、戦争、天皇、闇屋、美しいものを美しいままで終わらせたいという心情の傾向は残っている、天皇制に就ても極めて日本的な政治的作品を見る、運命に従順な人間の姿は奇妙に美しい
●あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。
●偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。
●規約を制定してみても人間の転落は防ぎ得ず、よしんば処女を刺し殺してその純潔を保たしめることに成功しても、堕落の平凡な跫音、ただ打ちよせる波のようなその当然な跫音に気づくとき、人為の卑小さ、人為によって保ち得た処女の純潔の卑小さなどは泡沫の如き虚しい幻像にすぎないことを見出さずにいられない。
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坂口安吾が初めて書いた推理小説で、雑誌連載された作品。連載時には読者への挑戦として真犯人当て懸賞金が掛けられたという(ちなみに正解者は4名で、安吾が自腹で支払ったそうだ)。
歌川家という資産家の一族がいる。1年前に当主の多門の妻、梶子が亡くなり、その法事を行うことになる。
多門とは旧知であり、その息子の一馬とも友人である作家の「私」(矢代)は、一馬に頼まれて、歌川家で一夏を過ごすことになる。「私」の妻・京子は、一馬の異母妹である加代子と旧友であったため、病気の彼女の無聊を慰めてやってほしいというのだ。
一方、一馬は妙な手紙を受け取っていた。
お梶さまは誰に殺されたか。
すべては一周忌に終わるであろう。
憎しみも呪いも悲しみも怒りも。
「私」は、妻と共に、元弟子で今は探偵をしている巨勢も伴って歌川家を訪れることにする。
だが、その夏、歌川家にやってきたのは彼らだけではなかった。
ぞろぞろと大勢がやってくる。口々に一馬に手紙で招かれたというが、当の一馬はそんなものは出していないという。
大勢がひしめき合う田舎の豪邸で、ついに第一の殺人が起こる・・・。
安吾はなかなかの探偵小説好きだったようで、好きが高じて自分でも書いてみようと思い立ったようだ。どうせなら本格推理=パズラーで、かつ誰にも真相が当てられないものを、と意気込んで生まれた作品。
とにかく登場人物が多くて面食らう。そしてその人間関係が異常に入り組んでいる。「私」の妻の京子は多門の元・妾だし、一馬の妻あやかは招かれざる客の土居光一と以前同棲していた。一馬が気にしている異母妹の加代子は実は一馬を慕っている。
作家・芸術家が多いのも特徴で、仏文学者の妻は女流作家、劇作家の妻は女優、他に流行作家に詩人に画家といった具合。で、それぞれが乱倫というか、結婚していても浮気相手がいたりとややこしい。あいびきはあるわ、派手な喧嘩は起こるわ、激しい。
20人を超える主要登場人物のうち、何と8人が殺される。
途中からは警察も介入してくるのだが、殺人は続く。いや、いい加減止めろよ、と思うのだが、犯人はなかなか尻尾をつかませない。
最後の最後に、探偵・巨勢が、犯人の残した「心理の足跡」を手掛かりに、真相を語り始める・・・。
いや、なるほど。そうきたか。
実のところ、この舞台設定そのものが本作の鍵だったともいえる。
ガチャガチャした雰囲気に飲まれて何となく読んでいると、真犯人の不自然な行動をつい見落としてしまうのである。
真相、そしてその陰の動機は意外にシンプルなものなのだ。
でもこれ、当てた読者は偉いと思うなぁ・・・。
現行の角川文庫には、昭和49年の高木彬光の解説と2006年の法月綸太郎の解説がつく。
高木の処女作「刺青殺人事件」は、第2回探偵作家クラブ賞で安吾の本作に敗れたのだそうである。そんなこんなの安吾との因縁話がなかなかおもしろい。
乱倫もどうかとは思うが、不美人とかセムシとか不適切な表現が多い点は時代を感じさせる。いや、時代だけの話でもないのかもしれないが。
安吾、今ならどんな作品を書くのかな。現代は安吾にはいささか窮屈かもしれない。 -
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ネタバレ本屋さんに置いてある小冊子「カドフェス2021」に掲載されていた本。著名な作家である著者がミステリーを書いていたことに興味がわいて手に取ってみる。
人里離れた山奥の邸宅に、性格の変わった文化人の男女が集まり、次々と殺人事件が起きていく。本作が発表された時代なのか、登場人物の歪んだ性格の描写のためか、今では差別用語の連発に驚く。
「木の枝は森に隠せ」の言葉のように、犯人たちは目的の殺人を達成する前にカモフラージュとなるように犯罪に手を染めていく。殺人の動機や実際にとった犯罪行動に突っ込みどころがあるかも知れないが、探偵役の巨勢博士が犯人を炙り出す最後の独白で、犯人同士の大喧嘩に違和感を感じ疑問を膨らませた点はなるほどと合点した。
第2回探偵作家クラブ賞受賞作。昭和22年9月から翌8月まで雑誌「日本小説」に連載。 -
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(あらすじ)
作家の矢代寸兵は親友の詩人・歌川一馬の招待で山奥の豪邸で一夏過ごす事になる。一馬の実家は酒造業を営む大地主で大富豪。一馬の父・多門はやり手なだけに女関係も派手で、矢代の妻・京子も何を隠そうかつて多門の愛人だった。
そこに招かれたのは作家、劇作家、画家、女優など個性豊か、というよりクセの強い面々。おまけに一馬の妹・珠緒はその中の2,3人を手玉に取るし、一馬の元妻の秋子や現在の妻・あやかの元同棲相手の土居など複雑な人間関係が絡んでいる。
そんな中、次々と殺人が起こる。
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昭和22年が物語の舞台。古いけど江戸川乱歩や横溝正史のようなおどろおどろしさはなく、松本清張のようにシビアでもない。けど面白い。ユーモラスでもある。
矢代夫妻と一馬を除いたら高感度の低い癖ありの面々、大人のくせに面と向かって悪態をつきあう(笑)殺人事件そのものよりも、このアクの強いキャラクター達が話を面白くしているんだろうな。
連続殺人事件なのになぜタイトルが『不連続殺人事件』なのか?探偵の巨勢が述べてるけど…それはちょっと納得出来ない。 -
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ネタバレ『日本文化私観』
秀吉の駄々っ子精神の部分がいまいち理解できなかった。三十三間堂の太閤塀を実際に見ていないからということもあるだろうが、自分にはそれも金閣銀閣と同じように金持ちの道楽的なものと区別がつかない。両者ともにそれそのものに意味などなく、他者に対して威厳を示したいだけの俗物だったのではないかと思った。
文化を形成するのはあくまで人間だという考え方はとても的を得ていると思う。自分に置き換えると、確かに人から見られるのは過去に生み出した作品や過去の行動であるかもしれないが、「自分」というものはその作品ではなくてこの私自身であるということに改めて気付かされた。
日本文化私観は日本の西洋化を「猿真似だ」と揶揄する人に対しての直接的な批判だと感じた。西洋化することは決して日本の誇りを失ったわけでもなければ西洋に盲目に心酔してるわけでもなく、ただ生活にとって必要なためであり、そこには必ず美が生まれると考えているように感じる。現代においてあらゆる面でコモディティ化が進み、模倣品に溢れているように感じられるがそこに美が感じられないのは「必要」から生まれた模倣ではないからだろう。技術が発展し、その物自体では差がつけられず、デザインなどで差を生むようになった現代においてもう一度「機能美」というようなものに焦点を当ててみると面白いかもしれない。
『青春論』
彼にとって青春は人生そのものであり、現実の奇蹟を起こすために小説を書いていると言っているように私は思った。常に奇蹟を追い求めることは気づくたびに落胆することの表と裏だと述べられているが、この言葉はとても印象深かった。いままで私は奇蹟というものを自分の外に見ていたが、現実の奇蹟として自分で山を掘って金を出すということをしてこなかったと感じた。人生の救いを自分以外に求め、自らの闘争心を失くしてしまったらそれこそ生きてる意味を感じられなくなると思う。私も宮本武蔵のように人生半ばで闘争心を失うという「区切り」をもって青春時代を語るのではなく、できることなら死ぬときまで前進し続けるような人間でありたい。
『堕落論』『続堕落論』
自分もどこかで他人に救いを求めてたのかもしれない。もっと真っ当に落ちて欲望の赴くまま、自分の力で生きようと感じた。
衝撃的だったのは戦中の日本人の姿がイメージしていたものと異なっていたことだ。空襲の最中、妙な落ち付きと決別し難い愛情を持っていて、そんな状況を楽しんでいた人もいたということが、全く異なる世界に生きていながらスリルが楽しくなるようないまの感覚と似たようなものを感じて、戦中の日本人もまたただの人間だということを実感した。
そして、耐え凌ぐことが美徳とされている文化への批判はとても共感した。必要は発明の母なりという言葉通り、我慢というものは停滞であり、思考の放棄であると私も考えた。例えば怒られている時にその場を耐え凌ぐために無心で謝罪の言葉を言うのは簡単だが、自己を内省しその意味を理解することこそ人間として成長すると思う。私も自分に甘えて我慢することなく自分の欲求と向き合い、そのたびに考え、成長したいと思う。
尾崎咢堂の世界連邦論というものが作中で触れられていたが、日本人という枠組みを捨てて世界人として区別なく生きるべきだという考えがもしかすると現代においてもっと共感できるのではないかと思い、読んでみたいと思った。 -
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すらよみ!と謳っている現代語訳シリーズだが、いやいや、結構なオバさんにも難解でスラスラ読めません。
「堕落論」「続堕落論」「日本文化私観」「FARCEに就いて」「風博士」が現代語で収録されている。
終戦半年で書かれた「堕落論」は、世に大きな反響を与え、それまで長い低迷期にあった坂口安吾が、再び脚光を浴びることになる再出世作だそうだ。
戦時中の価値観、押し付けられた日常が、敗戦とともに180度変わってしまった。
両手を上げて大歓迎と言いたいところだが、突然与えられた自由、天皇は人だったという事実に戸惑う人は多かったのではないだろうか。
そんな民衆に、安吾は鋭い言葉で戦争の虚しい美しさについて自論を展開している。
幸運にもその時代を知らない自分が、理解する事は難しいように思われる。
「堕落論」に比べ、「日本文化私観」はまだ霞のような物を掴めるような気がする。
また「風博士」は前章の「FARCEに就いて」を受けてのものだが、FARCE(ファルス)というものを初めて知った。あまり日の当たらない分野だったようだが、昨年中井貴一らによって「風博士」のオマージュ作品が舞台で上演されたようだ。
解説を読んで、はじめて入り口に立てたくらいの作品だった。2020.5.18 -
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ネタバレ(趣旨)
1. 人間は堕落する。そんな人間を戦闘にかりたてる為に、武人は武士道をあみだし、軍人政治家は天皇を担ぎ出した。
2. 敗戦後、天皇の絶対性は廃止され象徴化に変わり、武士道は滅びた。町に目をやれば、未亡人は新たな出逢いに胸を膨らませ、特攻隊の勇士は闇屋に転じている。
3. このように人間が堕落したのは戦争に負けたからではない。人間だから堕落したのだ。
4. しかし人間は困難には脆弱なため、堕落し切るには弱すぎる。弱いから統率を図るため結局また武士道や天皇を担ぎ出そうとするだろう。
5. 人間が本当の自身を発見するためには堕落し切ることが必要だ。これが自身を救うことにつながる。天皇の絶対性及び武士道の復活、また政治による救いなどは愚かである。
(個人的な意見)
1. 人間は堕落するものである。そんな自分を律するのは、自身の持つ強い心である。
2. とはいえ、人間は常に強い心を持てるわけではない。
3. そこで大事なのは自身を励まし応援してくれる友の存在である。落ち込んでいるとき、友の信頼に応えようとするこで自分を奮い立たせる勇気が湧き、自分を律し前進することができるはずだ。