三浦綾子のレビュー一覧
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人間はいかに生きるべきか。クリスチャンである三浦綾子さんの小説は、様々なかたちでそれを問うてくる。
主人公の佐川淳一は、亡き父の友人である谷野井陶吉の厚意で、医学部を志すため東京から札幌に移り住んだ。陶吉は札幌の病院の院長で、淳一は谷野井家に下宿しながら勉学に励んでいたが、誰もが羨む裕福な一家と思われた谷野井家に、世間には明かしてはならない闇があることを知っていく。
曲者ぞろいの谷野井家。院長であり病院の隣にある薬局の薬剤師である陶吉、その妻の式子、薬局に勤める若い女性であるテル子。
陶吉の息子で病院の医師である浜雄、その妻の那千子、娘の初美と景子。
そして家政婦の余里子。
すべての関係性 -
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榎本保郎の話。
保郎の父は、生まれたこの子に対し、尼僧に名付けを依頼した。保とは、請けあう、引き受けるという意味で、男らしく何もかも引き受ける人間になってほしいと思い、これに決めたそうだ。
保郎の家は駅の真前にあり、切符などや雑貨を扱っていたが、貧しく、父母ともに日中は野良仕事だ。ろくに面倒もみれなく、近くにいた名付け親の真浄尼が実の母よりも保郎と過ごした。真浄尼は保郎を膝に抱えて般若心経をあげるといった生活だった。三歳になる頃には般若心経を誦じてたという。
保郎は中学生になった。保郎の通う中学では、蛸釣りという上級生が下級生をいじめる風習があったが、これを保郎は根絶するよう自分に誓いをたて、 -
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榎本保郎の話。
保郎の父は、生まれたこの子に対し、尼僧に名付けを依頼した。保とは、請けあう、引き受けるという意味で、男らしく何もかも引き受ける人間になってほしいと思い、これに決めたそうだ。
保郎の家は駅の真前にあり、切符などや雑貨を扱っていたが、貧しく、父母ともに日中は野良仕事だ。ろくに面倒もみれなく、近くにいた名付け親の真浄尼が実の母よりも保郎と過ごした。真浄尼は保郎を膝に抱えて般若心経をあげるといった生活だった。三歳になる頃には般若心経を誦じてたという。
保郎は中学生になった。保郎の通う中学では、蛸釣りという上級生が下級生をいじめる風習があったが、これを保郎は根絶するよう自分に誓いをたて、 -
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ネタバレ主人公の北森竜太は治安維持法違反容疑で半年以上もだらだら勾留がつづいたあげく、教職の辞職届を出さざるを得なくなって釈放。その大量の教師を逮捕した事件は特高に忖度して新聞にも報道されず、どこに就職しても特高の尾行がつづきスパイ呼ばわりされ居心地が悪くなる。恩師の坂部久哉教師は衰弱の挙句亡くなってしまう。失意の中、招集通知がとどいたときも教職を失ったので幹部扱いからひらの兵隊となり、理不尽な暴行を受けて片耳の聴力も失う。満州で盲腸になり、親しくしてくれた近堂一等兵との別れ、山田曹長との終戦直後にソ連や中国の連中を避けながら決死の逃避行の中で、朝鮮人の抗日派につかまる。その抗日派につかまって殺される
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ネタバレ質屋の息子として特に不自由なく旭川で暮らしていた主人公の竜太が小学校のときに担任で出会った、愛に溢れ貧富とわず平等に生徒に接し救おうとする理想の坂部久哉教師、そして、クラスメイトの貧乏な芳子。
神楽岡への楽しい思い出になった遠足をおこない、さびしい卒業式を経た竜太は坂部教師にあこがれて、同じく小学校教師になるために師範学校に通う。時代は日中戦争が終わる気配を見せず、治安維持法ができて日本の言論は教育界でも窮屈になっていく。三浦綾子らしい相変わらず狭い世界で、幼馴染がそのまま好きあっていく。竜太は窮屈な中でも、自由と個性を伸ばす創意工夫ある授業をつくりだしていく。そんな中、綴り方の勉強会に参加 -
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ネタバレどういう帰結になるかなと思っていたら、こういう終わり方か〜、、なんとも言えないな。本当はすっきりハッピーエンドで終わって欲しかったけど、つくづく辛い身の上の陽子、、、
「続・氷点」は、人への「赦し」や「裁き」について考えさせられるものだった。たまに聖書から引用や牧師さんの言葉が出てきて、なるほど聖書を読んだり教会に通ったりするとこういうことが分かるんだなと思った。
「人のことを責めたり裁いたりしていいのは、罪のない人間だけ」というようなことや、「人は皆自分のことが正しいと思っていて、考えが違う人間のことは見下している」など、なるほど確かに、私も人のことをどうこう言える資格はないなと思ったり。
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ネタバレどういう帰結になるかなと思っていたら、こういう終わり方か〜、、なんとも言えないな。本当はすっきりハッピーエンドで終わって欲しかったけど、つくづく辛い身の上の陽子、、、
「続・氷点」は、人への「赦し」や「裁き」について考えさせられるものだった。たまに聖書から引用や牧師さんの言葉が出てきて、なるほど聖書を読んだり教会に通ったりするとこういうことが分かるんだなと思った。
「人のことを責めたり裁いたりしていいのは、罪のない人間だけ」というようなことや、「人は皆自分のことが正しいと思っていて、考えが違う人間のことは見下している」など、なるほど確かに、私も人のことをどうこう言える資格はないなと思ったり。