吉田篤弘のレビュー一覧
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表紙イラストを見て、思わず昔の日立のTV CM「この木なんの木 気になる木ぃ〜♪」を思い出しました。そう、古いです。70年代です。ハワイのモンキーポッドでしたっけ? 当時、こんなに見事に枝を広げた姿の木があるんだ、と驚き憧れました。
本書は、中公文庫創刊50周年記念企画・刊行とのことで、21の掌編が収められています。装幀と表紙の夜のオレンジの木が美しい!
前述の"日立の木"は明るい陽射しのもとで爽やかでしたが、本作の"オレンジの木"は夜で、ひっそりと物語を宿すオレンジの実に相応しいです。
本作の根っこにオレンジの木があり、最初と途中、そして最後に連作のように登場し、他の物語の上に枝を広げているようです。
誰かが物語の種を蒔き、争いにも負けず、時間を超えて忘れ去られた場所や人に届く…。何気ないものに焦点を当て、優しく包み込むように物語を綴るいつもの吉田さんのスタンスは、やはり読み手に安息を与えてくれます。
今回も吉田篤弘さんの世界観を楽しみましたが、一つだけ、「犬がことのほかチョコレート・ドーナツを好む」話があり違和感が…。吉田さ〜ん、ワンコにチョコはダメですよぅ!中毒症状を引き起こしますよぅ! "チョコレート色のドーナツ"としておきましょう笑。 -
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「ひとり芝居」という話が良かった。
カノンが、
「世界は私を嫌っている。不公平にできている」
と、嘆いていると、
「そういうときはね」
「お湯をわかすの」
「いい?そしてゆっくりコーヒーでも淹れて飲みなさい」
と姉のアドバイス。
カノンは気づく
「何を急いでいたのでしょう?」
「うまくいっていなかったのは、何もかもを性急に粗雑にこなしていたから」
このほか、気持ちが弱っている時に優しく投げかけてくれる姉の言葉が良かった。
「月とコーヒー デミタス」は「月とコーヒー」の2作目。
「月とコーヒー」の3作目も書き始めているそうなので楽しみです。
あと、「中庭のオレンジ」も「月とコーヒー」と同じスタイルで書いたそうなので、読みたいと思います。
「月とコーヒー」は、どの話も15ページ程で、そのあたりになると突然話が終わります。
ところが、読み進めていると続きの話が出てきたり、以前の話に出てきた人が同じ場面を別の視点から見ていたり。
一つの話はきちんと終わっていないのだけれど、またどこかで物語が続いているという短編集になっている。
だから、最初から順番に読まないといけない。
そして実はいつまでも終わりのない物語となっている。
本書では、最後の「三日月とコーヒー」というタイトルが気になっていました。
この「三日月とコーヒー」に、いきなりカノンが出てきて、「ひとり芝居」の18年後の話でした。
三作目の「月とコーヒー」に続きの物語が出てくるのでしょうか?
早くて1年後くらいでしょうから、その時には前の話を忘れていそうです。 -
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六年前に逝ってしまった恋人。
正式に婚姻はしていなかった。
自分(多江)の他にもうひとり女が居ると思っていたからだった。
だけど彼亡き後も続けてきたお店をたたむことになり、友人やラジオからの言葉もきっかけになり、その女に会いに行くことにした。
「さくらと海苔巻き」より
ラジオからの声は不思議だ。
こちら側は見えていないし、そもそも万人に向けて話しているというのに、ひょいと自分に寄り添ってくれることがある。
ハッとさせられたり、共感したり、背中を押してくれたり、思わず笑みがこぼれたり。
そんな小さなお話が、美味しい食べ物と共に12話収められている。
紙カツ、海苔巻き、きつねうどん、ビフテキ、お茶漬け…。
いつもながら吉田さんの作品に登場する食べ物は美味しそうだ。
それぞれのお話の登場人物が少しずつ重なっているのも、いつも通り。
(チラチラ登場する黒いソースは、みんなカジワラ印の黒ソースなのかな…)
好きだったお話は、
「紙カツと黒ソース」
「さくらと海苔巻き」
「明日、世界が終わるとしたら」
好きだったフレーズは、
「紙カツとマカロニサラダと赤だしと御飯とおひたし」
「光かがやくようにつるりとしたうどん」
「〈ハシモト〉の四文字を夜の中に守っていた」
「銀色の宇宙船が部屋の一角に置かれた感じ」
「百年に一度の流星群より、三十年の時間を消してみせたアリスの生姜焼き定食に神秘を感じた」
「そんなものより、女は黙ってハンバーグだ」
「役割を終えたものには自然と美しさと物語が宿る」
「夜おそくの静かな台所に、冷えた白飯にお茶を注ぐ音が湯気と一緒にひろがった」
でも欲を言えば、もっともーっとラジオからの声と深く関わって欲しかったかな~。(特に後半)
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三部作『流星シネマ』『屋根裏のチェリー』『鯨オーケストラ』の最後。
書き出しは 「人は皆、未来に旅をする」
前2作に登場していなかった曽我哲生が主役。
『屋根裏のチェリー』より、さらに先の様子が描かれる。
『流星シネマ』『屋根裏のチェリー』での出来事がいくつも曽我と密接に結びついていた。
太郎の幼なじみであるミユキが惹かれた絵のモデルが曽我だった。
この事実を知った曽我は〈定食屋あおい〉でミユキと出会うことになり、サユリの作るハンバーガーも口にする。
そして、店に貼ってあったクラリネット奏者募集のチラシを目にする。
曽我はジャズ演奏のクラリネット奏者でもあった。
曽我の絵を描いた画家の女性とは長年音信不通だったが、あだなが〈鯨〉という音楽家と結婚していた。
それを聞いたサユリは、かつての「鯨オーケストラ」の指揮者だった「鯨さん」かも知れないと会いに行く。
その音楽家は、7人の子どもに楽器演奏を教えていて、子供たちの楽団の名前は〈鯨オーケストラ〉だった。
サユリが復活させようとしている「鯨オーケストラ」は、復活ではなく新しい楽団としての姿が見えてきたところで物語は終わる。
この三部作は、一冊の本にしたらタイトルは『鯨オーケストラ』がふさわしそうだ。
だが『屋根裏のチェリー』で終わっていても成り立つし、さらに続編があってもいいような物語だと思う。 -
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三部作『流星シネマ』『屋根裏のチェリー』『鯨オーケストラ』の第二部。
書き出しは 「そして、冬はある日、何の予告もなしに終わってしまう」
『流星シネマ』の書き出しは「この世界は、いつでも冬に向かっている」だったので、なにか寂し気な予感がした。
岡小百合こと「サユリ」目線の物語で「チェリー」はサユリの中のもう一人の自分。
つまり、チェリーはサユリの頭の中にいて、控え目な現在のサユリの行動を後押しする心の声のようだ。
『流星シネマ』でのいくつかの出来事がサユリ目線でも語られるが、『流星シネマ』より未来に物語は進む。
鯨の復活に取り組む人物と並行して、鯨オーケストラの復活に取り組むのがサユリ。
両方の復活の後押しをするのが太郎。
かつての鯨オーケストラのメンバーが集まり始める。
ミユキが定食屋あおいの開店に向け、サユリを店員として準備を整える。
ミユキは次作『鯨オーケストラ』の主人公である曽我との接点として、重要な役割を果たすことになる。
「鯨オーケストラ」はまだ復活していないが、確実に前に進みつつある。 -
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三部作『流星シネマ』『屋根裏のチェリー』『鯨オーケストラ』の第一部が『流星シネマ』
全部で900ページ程になるが、この順番に一気に読んだ。
『流星シネマ』は、太郎の目線で語られる。
本作品は、書き出しの文に興味を惹かれる人が多いので、3作品共に記すことにする。
本作品の書き出しは 「この世界は、いつでも冬に向かっている」 だ。
都会の端の鯨塚がある町で暮らす人々の物語で、章ごとに異なる登場人物に焦点が当たる。
かつて町に存在していた「鯨オーケストラ」と、かつて存在していた川に「迷い込んだ鯨」の復活に歩み出すまでの話。
鯨オーケストラでオーボエ奏者だった岡小百合さんは、次作『屋根裏のチェリー』の主役サユリだが、最後の方に少し登場するだけでどんな人かよく分からない。
物語の舞台が整って、これから「鯨オーケストラ」はどうなるのか?というところで『流星シネマ』は終わる。
本書の登場人物は、続編の『屋根裏のチェリー』『鯨オーケストラ』にも登場するので、覚えているうちに続編を読むのがいい。 -
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幻のインク〈六番目のブルー〉探しの旅も最終巻を迎えました。「インク三部作」の第3巻です。
〈五番目のブルー〉 + 「?」 = 〈六番目のブルー〉
という方程式を解くには、〈五番…〉を移項して
「?」 = 〈六番目のブルー〉 − 〈五番目のブルー〉
あはっ、懐しい中1数学!
でも、物語は決して数学で割り切れるほど簡単なものではありませんよね。巡り巡ってやっと辿り着いた〈六番目のブルー〉の謎は、きれい過ぎるくらいに収束します。世界の不思議な巡り合わせ、つながりが心地よく感じられ、オリオにとってインク探し以上の意味がある旅になったと思います。
「喪失」は正しい時間の流れの象徴で、でも、それと全く関係なく世界は回り続けます。亡くなった人や失くなった物に想いを寄せ、忘れないことが「引き継ぐ」ということなんですね。
終着駅が始発駅に変わり、オリオはこれから、オリオという一人の人間を模索する新たな旅に出るのでしょう。美しく尊い、悲しさのかたまりの「青」を胸に秘めながら…
吉田篤弘さんの、優しさあふれる世界観を堪能できた全3巻でした。 -
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オリオは、ギタリストのジャン叔父さんと共に幻のインク〈六番目のブルー〉探しの旅を続けます。第1巻の終末で、インクの秘密が、ある奇妙な「唄」に隠されているということが明かされ、第2巻の物語が新たな展開を見せます。
偶然の導きが道しるべとなり、行く先々で風変わりな人と出会い、交流を重ねていきます。インクと唄の謎に少しずつ近づいていく興味・関心と、逆にどこまでもほのぼのとした感覚は、大人にも心地よく刺さります。
万物は流転する…それでも世界は回っている…喪失から再生へ…。"いつのまにか"に抗いたくて、時間を止めたいのか、戻したいのか、後半少し幻想の度合いが増した? どこまで不思議な人たちと交流が続くのかな?
ただ、人と関わる経験を積むほど、オリオのものの考え方が行きつ戻りつも、変化と成長が感じられるのが好ましいです。
誰しもがもつ孤独や哀しみ、そして悩みや迷いなどを、ゆる〜く癒してくれるような言葉が、ふと目に飛び込んできます。その押し付けがましくないところがいいし、しっくりくる感じです。
オリオとジャン叔父さんの旅は、どこに帰着するのでしょうか? 最終巻に続きます。 -
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岸本佐知子さんの編んだ書き下ろしアンソロジー、タイトルに惹かれてまず読んだ津島佑子の短編「ニューヨーク、ニューヨーク」が素晴らしかった。読みながら、読み終わってから、幾つものことを思った。
「ニューヨークのことなら、なんでもわたしに聞いて。それがトヨ子の口癖だった、という」冒頭のセンテンスを読んで、わたしも数年前の夏に数冊の本を読むことで行ったことのない「ニューヨークのことはもう分かった」と嘯いたことを思い出す。そこには彼女がニューヨークを思うのと同じように個人的で特別な理由があったのだけど。
その後に元夫と息子がこの世にいない彼女について語り合うことで明らかになり“発見”される、今まで知り得なかった「彼女の孤独や哀しみやささやかな矜持や希望」あきらめ、恨み、失望は、編者あとがきで岸本さんが書いているように「私たちみんなが心の奥に抱えているもの」なのだと思えた。少なくとも、わたしは同じようなものを抱えていた。改めてそれらを見つめることになる。さらにその語り合い、解釈を通して「なにか肝心なものが欠けた存在」では、と思いはじめる元夫、名無しの“男”の人生に自分を省みて、思い出し落ち込み、わたしも「少し涙ぐむ」。
そして、もういない人を語りあうこと、あるいは不在になったときに語られることについても考える。別の方向からの印象を聞き、ぶつかり合いすり合わされることで、新しい印象が浮かび上がる。それは勿論“正解”ではないのだけど、新たな、あなた、わたしが描き出される。何処までいっても憶測でしかないそれを、真実とその人自体だと思い込む、そうせざる得ないことは、実はとても恐ろしいことなのではと思い至る。しかし、人も含めた世界はそうやってしか捉えることが出来ないのなら、それは真摯に語られるべきだ。この小説のように。そんなことを少しこじつけて思う。とても素晴らしかったけれど、予想していなかった怖い思いもした短編小説だった。太宰治の娘だということはさっき知った。「電気馬」も読んでみたい。