はじめは「つかみどころのない本だな」と思いながら一編、二編、と読んでいたが、だんだんとゆるい繋がりが見えてきたり、通底する基調音のようなものが聞こえてきたりして、読み終わる頃には「不思議と印象深い本だったな」に感想が変わっていた。
短編の中のある人物が、ひところ映画館のレイトショーに通う日々を過
...続きを読むごすのだが、「夜の時間くらいは現実の時間よりも自分の腹時計に従って行動したい」という思いから、映画の上映時間に関係なく見たい時に入って出たい時に出るという通い方をしていた。そのためか、その時代に何年も毎晩欠かさず見た映画はまるで夢の断片のように、ストーリーをなさない他人の人生として自分の中に刻まれている、というような語りがあった。
この本を読んだ体験がまさに、私にとっては「夢の断片のように刻まれている」だ。あとがきには吉田篤弘さんが「始まりの天使」という言葉を使って、「この短編集では起承転結の起承くらいまでしか書いていない」というようなことを書いている。結末をはっきりさせないという小説手法自体は別に珍しいものでもないし、ひとつひとつのお話を切り離して「特にこれが私の人生を変えるほどの衝撃が」ということはなかったが、全体を通して、なんとも忘れ難い夢の旅だったと感じる。すごいな。
以下、備忘メモ。
・紙カツと黒ソース→食べたい第一位。
・目薬と棒パン→「すべてのひとを笑顔にできるのは旨いものだけだ」。
・さくらと海苔巻き→食べたい第三位。「誰かより速く走りたいとおもわない」。
・油揚げと架空旅行→読書は旅。毎日同じものを食べる。
・明日、世界が終わるとしたら→そんなに美味しいビフテキなら背中に手を当てられて誘われたい。
・マリオ・コーヒー年代記→司書で自転車乗りでオーケストラ。
・毛玉姫→黒光りするソース焼きそばは食べたい第二位。
・夜間押ボタン式信号機→子羊のロースト、食べてみたい。
・〈十時軒〉のアリス→「三十年を消した」。
・いつか、宙返りするまで→亀は時間の重さ。モモ?
・シュロの休息→名探偵って現実にいないもんね。
・最終回の彼女→〈女優洗浄機〉の発明。
・あとがき 天使の声が聴こえてくるラジオ→天使は「おや?」と思うと舞い降りて見守り、変化の兆しを見ると去っていく。