吉田篤弘さんの作品を読むのはまだ3作目なのだけど、
いつも始めの1行が素晴らしい。
「この世界は、いつでも冬に向かっている。」
グッと引き込まれて、まだどのような内容かも分からない私を、ストンとその世界に着地させてくれる。
クラフトエヴィング商會としての装幀も、吉田さんのイラストも可愛らしくて、創造力が掻き立てられる。
それに読み始めて直ぐ、他の作品に繋がる欠片を見つけた。
「それからはスープのことばかり…」の街や空気感…。
「天使も怪物も…」の未来予測、鯨、作家、眠り…。
そしてどちらにもあった映画上映シーン。
きっと吉田さんの中には別の世界が存在していて、そこはどこか懐かしく、ちょっぴり私達の住む現実とは違っているけれど、
魅力的な人々が毎日を営み暮らしている。
彼らの暮らす世界は、遠いようで実はすぐ傍なのかもしれない。
吉田さんは…というより「太郎君」は、世界はいつでも冬に向かっており、我々一人一人もまた冬に向かいつづけていると言う。
いま、自分が四つの季節のどのあたりまで来ているかは分からないけれど、神様がそのように世界をつくったからと。
唐突だが、私は暗渠という言葉をNHKのブラタモリで知った。
かつては川だったが、今は水面が見えないように蓋をされた水路だ。
本作では暗渠が最も重要なキーワードだ。
暗渠がイメージ出来れば、『「むかし」や「かつて」はそう簡単には消滅しない』で、『「いま」と隣り合わせ』で『息づいている』との作者のメッセージをしっかり受け取ることができる。
暗渠がまだ川だった頃、迷い込んできた鯨がいたと椋本さんが話し始める。
人々の生活区域に鯨が入り込むエピソードは「天使も怪物も…」でも語られた。
鯨オーケストラも「天使も怪物も…」のエピソードと響き合う。
2023年2月28日に角川から吉田さんの単行本「鯨オーケストラ」も発刊されるらしい。
そうやって象徴的な何かを作品の共通事項としながら、世界観と時間軸が少しずつずれたストーリーを、吉田さんは紡ぎ続けているのかな。
切り取り方、時間軸、キャストを変えながら、吉田さんは変わらぬメッセージを私達に送り続けてくれている。
全ての吉田作品が音叉のように響きあっているように感じて、不思議な思いだ。
吉田さんが作品に散りばめている欠片は、まだまだ沢山ある。
吉田さんお馴染みの懐かしい街並みや欠片達に導かれ、私もその世界に入り込んでゆく。
それがとても心地いい。
鯨塚の云われも、流星新聞の由来も、コウモリ傘が降ってきた日に帰ってくるミユキさんも、其々のエピソードが素敵で、
それらも吉田篤弘ファンとしてうっとりするところ。
それから、他の吉田作品みられるスープやパンのように、
私達がその言葉を聞いたときに思い浮かべる、共通の温かさや匂いやホッとする美味しさを、
小説の中に上手に織り込むのも魅力のひとつ。
今回はオキナワステーキでありバイカルカレーであった。
同様に吉田さんは天気や季節が持つ、私達の共通のイメージを取り込むのも巧みだ。
2章で初めて語り手である太郎君のフルネームも明かされる。
2章以降も吉田さんの作り出す不思議で素敵なエピソードが続くけれど、紹介し出すとキリがない。
うっかり落としてしまったメアリーの「ア」、「ひろげたシーツが風に飛ばされないよう、要所要所に置かれた、重しのようなものだった」というアルフレッドの「ア」など。
太郎君の思いとして『自分の手で土の中から「おとぎ話」のかけらを見つけ出すのは、骨そのものが見つかるだけでなく、より深い奥行きをもった神話に指先で触れる思いだった』との文章があるのだけど、
これって、素敵なエピソードをご自身の中から見つけ出した時の、吉田さんご本人の感覚なのではないかと思った。
そしてアルフレッドの言葉として、
「小さなかけらを拾い集めて、大きな輪郭を見つけ出すこと」
カナさんの台詞として、
「だって、たいていのものはかけらなのよ。分かりにくいだけでね、すべてが何かの一部なの」
と続く。
小説1つ分の心地良さは、読み終えても暫く私の中に留まってくれる。
その余韻が去ったあと、また新たな1冊を手にしたくなってしまうのだ。