吉田篤弘のレビュー一覧
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インク3部作の第3部
-紹介文-
この世界は
喜びと悲しみを繰り返しながら
回りつづけている。
もう、泣かないで。
師匠のベルダさんが
愛用していた万年筆のインク、
〈六番目のブルー〉を探し求めて
ジャン叔父さんと旅をつづけてきた
14歳のオリオ。
インクの秘密を解く鍵が
奇妙な唄にあるとわかるが、
なかなか見つからない。
そんなとき、
迷えるオリオを導いたのは
世にも稀な
「本当の真っ赤な林檎」だった――。
吉田篤弘さんの世界…
「六番目のブルー」と言う青いインクを探す旅。
なんだけど、
なんか、世界はモノクロな感じ…。
ブルーと真っ赤なリンゴだけが鮮明に浮かび上がる。
うまく感想を出せない…
六番目のブルーってだけで、もう惹かれてしまう。
とにかく、とても、好きな、世界。
相変わらず
なんだろう…月の上にある街の話みたいに感じた…空気感が薄いと言うか、ぼんやりしてて…
叔父さんのセリフ
引用
「誰もが道順に従って、ひとつの道だけを進んで行ったら、他の道はどうなっちまう?
俺は他の道ばかり歩いてきたから、よく分かる。本当に面白いものは他の道にあるんだ。
そういうもんだよ。どうしてなのかは知らん。でも、俺は知ってる。人生ってのは道順を見きわめることじゃないんだ。道順とは別のところに自分の道を見つけることだ。な?
じゃないと、道順に選ばれなかった道が浮かばれんだろう」
171ページ
「時間は残酷なものだよな」
叔父さんが急に声を上げた。それも、かなりしっかりした声で。
「すべてを、こっちからあっちへ連れ去ってしまうんだから。残酷だよ。ホントに何もかもすべてだ。逃れるヤツはひとりもいない。時間と一緒に俺たちはみんなあっちへ近づいていく。だけどなー
叔父さんはそこで深呼吸をひとつした。
「だけど、時間は俺たちの悲しみをやわらげてくれたりする。時間の野郎はさ、俺たちの大事なものをことごとく奪いとっていきやがるが、俺たちの悲しみや辛い気持ちや苦しみも連れて行きやがる。うまいこと出来てるよ。大事なものを奪われたことはたしかに悲しい。間違いなく悲しいよ。だけど、悲しみには終わりが必要なんだ」
この叔父さんのセリフだけ、現実感があった。
とにかく、すごく、こころが、静かに、なった
人の中に残って生きる…
繋がる…
3部作にハマりそう。世の中の3部作がすごく気になるようになりました。
また、戻ってきたい世界でした -
Posted by ブクログ
ドアの向こうに進むには鍵が必要。
鍵を開けて進む人、鍵が見つからない人
鍵を持っているのにドアを開けない人、
自分はどのタイプだろう。
読後、余韻に浸りながらずっと考えていた。
今年、一番の本かもしれない。
26年前の無料雑誌の小さなコラムに載っていた女性デュオ「ソラシド」。ジョージ・ハリソン好き、ダブルベースを弾いていたという自分との共通点から、どんな音楽を奏でていたのか気になりネットで検索するも、ヒットしない。26年前の彼女たちの音楽を、どうしても聴きたいという思いが強くなり、妹と「がらくた屋」の店主と三人で「ソラシド」の痕跡を探し始める。
1986年と26年後の現在を行き来する物語。
1986年は異母兄妹の妹が生まれた年。
またひとり、好きな作家に、
めぐり逢ってしまった。
最初は時系列、複数の登場人物が入り乱れるので、頭が混乱してしまうが、いろんな方向を向いていたベクトルが、そのうち同じ方向に向かっていく。もう、前にしか進まない。本を読む手が止まらなかった。80年代の音楽も場所も人物も物も空気さえも、粗くて掠れててノイズがあった。今考えるとあり得ない時代、でもどこか愛おしい。
くれぐれも Don't disturb. -
Posted by ブクログ
うん…
好きだなぁ…
それしか出てこん。
好きな作家の言葉、頭の中と同調しようとする行為
が
読書の醍醐味のひとつだと思った。
ひとつ5,6ページのエッセイ集。ページごとの文字数も少ないので、サクサクと読める。
著者の想像力の羽が自然と伸びていく様がいい。
小説でも出てきたフレーズが垣間見れるのもいい。夜のカバンとか。
引用
カバンの中には闇があるのだ。
カバンの中は基本的に、静かで、ほの暗くて、ひんやりとしている。つまり、自分が考える「夜」の条件をすべて充たしている。
そう思うと、なんだか愉快になってくる。
電車に乗ってごらんなさい。乗客のほとんどがカバンを持っていて、そのいちいちに「夜」が仕舞われている。
街を歩けば、あちらにもこちらにもカバンを手にしたり背負ったりしている人がいて、そのすべてに「夜」が宿されている。
持ち運びのできる「夜」というのは、いかにも未来的なものであろうと思ったのだが、じつのところ、何百年も前から誰もが手軽に持ち運んでいるのだった。
カバンの中に夜が仕舞われている…
カバンから物を出す時に、静かな夜から物を出すんだって想像すると、何ともいえない気持ちになる。
薄明るい夜のカバンもあると思うけど…
それもいい
特に最後の2つが、特に、良い余韻を感じた。
「旅先で読む本」
引用
自分の経験からすると、旅先で読んだ本は、ときに香ばしい山椒のようである。決して大きな変化をもたらすわけではないけれど、ピリリとした印象的な影響をその後の人生に与えうる。どうしてなのか、理由はいくつも考えられるが、おそらく、自分が日常の外へ出ていることが大きい。本はいつもどおりの本なのだが、自分が外へ出ていることで、一冊の本のその佇まいからして、いつもと違って見える。
仮に、その本が何度目かの再読であったとしても、それまで、さして感じ入ることのなかった文章が、いちいち抜き書きをしてしまうほどになる。なにより、いつもより、ずっとゆっくり読んでいることに気づく。
本も、時にいろんな場所で読むのがいいよなぁ
と思った。
家での読書と、喫茶店、旅先での読書…
確かに違う
作家の役割として、新しい感じ方の提示
があると思う。
吉田篤弘さんは
確実に
幸福感を伴う、温かく「新しい」視点を感じさせてくれる作家さんです
うん
コーヒー飲もうっと -
Posted by ブクログ
ネタバレ【あらすじ】
失われた“六番目のブルー”を探して旅に出たオリオが出会ったのは“5番目のブルー”と“六番目のブルー”を作った青年カナタ。
でも、そのカナタにもどうして“六番目のブルー”を作ることが出来たのかが分からないため、“六番目のブルー”を作ることは出来ないと言われてしまう。
探し物が見つからないまま、旅を終えることになると思った矢先、“六番目のブルー”にあって“五番目のブルー”になかったものの答えが判明する。
※以下の感想にはネタバレが含まれます。ご注意ください※
【感想】
「インク三部作」がついに完結です。
失われたインクを探す少年の旅が終わりました。
“六番目のブルー”は“五番目のブルー”に涙の成分が加わってできたものでした。
人の悲しみによって作られるのが“六番目のブルー”なら、自分は“五番目のブルー”でいい。それがオリオの選んだ答え。
長い旅の中で、オリオは大事な人の死を受け入れることは、その人を失うことではないのだと気付かされます。
その人の持っていたものを引き継いで、その人の思いと自分の思いがひとつになることで、継承されていくのだ、と。
そして、新たに始まるのは「自分を探す旅」です。少年の旅はまだまだ続いていく。
希望のあるラストシーンが、せつなくて、優しくて。
読み終わってからしばらくの間、放心状態になりました。
吉田さんの作品を評するとき、私はいつも“大人のための童話”と表現しますが、このシリーズも間違いなくそんな世界観の中で繰り広げられています。
就寝前の静かな時間に読むのにぴったりな作品です。 -
Posted by ブクログ
『流星シネマ』から引き続き、吉田篤弘さんの世界がまた広がった。
ガケ上にある建物の屋根裏部屋に住む、元オーボエ奏者で、食いしん坊のサユリ。土曜日よりも日曜が好き。人との関わりを避け、頭の中のチェリーと過ごす日々。チェリーの言葉に叱咤激励されつつ、ガケ下の町に住む人々との交流が広がっていく。
鯨オーケストラ、暗渠、定食屋〈あおい〉、鯨、流星新聞、川の流れ、ピアノ、チョコレート工場、あおい橋・・・
繋がっていくものを表す表現がいつも通り心地よく感じた。素敵な表現が多いなかで、今回は〈体の中のいちばん静かなところに「全休符の箱」がある。〉という表現が一番好きになった。
どうしてなのかわからないが、吉田さんの文章は、いつも心を穏やかにしてくれる不思議な力がある。未読の作品がまだまだたくさんあるので楽しみだ。
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「くつろいでお聞きください。静かな声でお届けします。」と始まり、ラジオで曽我哲生が語ってくれているような感じがした。うまく言い表せないけれど、吉田篤弘さんの小説を読むと心が落ち着く。
17歳のときにモデルになった絵から、新しい人との繋がりができ、いくつかの奇跡を感じさせてくれた。「時間は消えるものではなく、すべての時間は自分の中で積み重なっていく」という言葉や、「人と別れるのは自分で決められるけれど、誰かと出会うのは自分で決められない。だから、人生は面白い。」など、なるほどと思う言葉にもたくさん出会えた。
そして、キッチンあおいの土曜日のハンバーガーとロールキャベツは、とても美味しそうだし、美術館の白い鯨の絵とチョコレート工場の鯨の模型も、迫力ありそう。今の私はこの物語の中に入り込みたいくらいの心境。 -
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角川のオンライン小説で読んだもの。
ダウンロードしたファイルはPDFで、kujira.01~kujira.18まであった。
もともと美術館と、音楽を聴くことが大好きなので、この作品にはとても沢山の想いが溢れた。
「やはり、美術館から遠ざかってはいけない。」
「こうした時間を過ごすことは繰り返される日常の中に組み込まれているからこそ意味がある。」
「こうした時間を求める思いにもっと潤いを与えるべきなのだ。」
ここ数年のコロナ禍で、先日久しぶりに美術館を訪れた際に思った事が代弁されているようで、ひどく共感した。
「僕」の父が憧れていたベニー・グッドマンはKing of Swingと称されていた程の人。
ジャズを聴かれない方でも名前くらいはご存知かもしれない。
「Sing,Sing,Sing」を聴けば、ああこの曲!と、お分かりになるかもしれない。
彼は他にもご機嫌なSwing Jazzを沢山残しているので、ご興味がありましたら是非!
そして「僕」が所属するモノクローム・オーケストラのステージで演奏する「Bye Bye Blackbird」。
私が所持しているCDはマイルスのものと、キース・ジャレットが演奏するもの。
ペギー・リーが歌う「Bye Bye Blackbird」もいいし、ジョー・コッカーが歌うそれはソウルフルで格好いい。
こちらも興味のある方は是非聞いて頂けたらと思う。
私事だが、うちの父も音楽を好み、特にJazzが好きでよく聴いていた。
だから私や弟が物心ついた時にはもう、家にはClassicやJazzがレコードから流れていた。
幼い頃は魅力が分からなかったけれど、今では姉弟共にJazzが好きだ。
集まればJazzに限らず音楽談義に花が咲く。
ある日実家に帰ったら、演奏家のスタジオか!ってくらいに巨大なスピーカーが設置されていて絶句した事もあったっけ。
真空管アンプで鳴らす為、30分くらい温めてからでないとレコードを鳴らせないという… 笑
懐かしい思い出だ。
今はもう、プレイリストをシェアすれば離れていても大切な人と同じ音が楽しめる時代。
でもレコードにはレコードの、特別な良さがある。
アンプをしっかり温めてから鳴らすのも然り。
そっと針を落とし、パチパチというノイズの先に始まる1音目…。
レコードからは、触れられそうなほど温かな生の音がする。
そしてA面が幕を閉じ、うやうやしく盤を裏返すと始まるB面。
(話が逸れたので戻します)
さて。
「僕」がラジオのオープニング曲として選んだトッド・ラングレンの「Be Nice to Me」。
曲中の僕は周りの全てにとても疲れきっていて、
"横になって見ているだけで幸せだよ
本なんて放り投げてしまおう
もうこれで大丈夫
だから優しくしてくれないか?"
と歌う。
この曲が収められたアルバムジャケットは衝撃的だけれど、とても良いアルバムだ。
「Be Nice to Me」はハッピーな曲ではないのだけど、聴けばきっと、弱った貴方に静かに寄り添ってくれると思う。
真夜中、この曲で幕を開ける「僕」のラジオ番組も、そのような番組なのだろうな。
聞いてみたいものだ。
「僕」は川が海へと繋がる河口の町に暮らしている。
そして飼っていた犬のベニーが死んでしまった日、その日は川が増水していて、少年が流されるという事件が起きた。
そう、これは『流星シネマ』の太郎君たちに起きた事件。
けれど「僕」はその事件について詳しくは知らず、少年が助け出された丁度その頃にベニーが息絶えた事こそが、「僕」の目の前に起きた事実だった。
命が終わりを迎える時、ベニーは大きなため息をついて、口から魂が抜け出たように思えたという。
ため息と魂は『つむじ風食堂の夜』『天使も怪物も眠る夜』でも触れられていた。
「僕」の内側から話しかけてくる「ベニー」は、『屋根裏のチェリー』のチェリーのようでもある。
また、「自分はいま人生の旅のどのあたりを通過しているのか」というのも、
吉田作品で語られる共通テーマの1つだ。
そして毎回物語に匂いと味をもたらす、多くの読者が共通のイメージを持つであろう食べ物たち。
今回の美味しいは、ハンバーガー。
そしてロールキャベツ、ササミカツ定食、土曜日のハンバーガーも再び登場する。
前2作品を読んでいる方は、自分自身の思い出の中のロールキャベツやササミカツやハンバーガーと、前2作品の中で味わったそれらの思い出とを、二重構造で懐かしむことになる。
面白い仕掛けだ。
食べ物だけでなく、暗渠や映画館などで二重のセンチメンタルを味わっている方もいらっしゃるだろう。
漠然と吉田さんの作品に惹かれ続けて、複数の作品を読むと、その中で何度も目にする共通のキーワード。
川、暗渠、オーケストラ、鯨、怪物、似ている二人、ため息と魂、風、映画館、人生という旅における現在地…。
全て挙げられないほど沢山のそれらの意味を、私はしっかり受け取れているだろうか。
特に、いつも衝撃的に現れる鯨。
もっとしっかり受け止めたくて、また吉田さんの作品が読みたくなってしまう。
本作中で、『「あるもの」は「あるもの」自身を見られない』という表現をしているが、
その文章を読んだ時、クラフトエヴィング商會の『ないもの、あります』が浮かんで、
裏返しとも思えるそれらの表現に、私はまたう~ん…と考え込んでしまう。
掴めそうで、未だ掴みきれない吉田さんからのメッセージ。
それでも『鯨オーケストラ』には、これまで私が読んだ吉田さんの作品の中で(本作も含めてたった7つだけど)、
掴みたい何かが一番ハッキリと書かれていた。
それを最初に感じたのは、「僕」と「太郎君」が初めて出会う編集室のシーンだった。
『鯨オーケストラ』のストーリーは不思議なえにしを結びつけながら展開してゆく。
17歳の「僕」を描いてくれた多々さんは行方知れずとなってしまったけれど、
その絵に惚れ込んで詳細を知りたいと願う女性が居た。
その女性は絵に惚れ込んだあまり、暫く美術館で働いていたと聞かされる。
読者としてはここで『流星シネマ』『屋根裏のチェリー』のミユキさんに違いないと確信する。
因みに『流星シネマ』の太郎君が暮らすがけ下の町名も、ここで判明する。
あの人のアレ、この人のコレ、それら一つ一つが繋がってゆく。
失われた人や物事が、また別の場所、別の形となって甦る。
そしてサユリさんはハッキリと言う。
"ここで「ラ」の音を鳴らしたい"と。
「ラ」は、始まりの「ラ」だ。
始まりの「ラ」はメタファーのようで、アキヤマくんにそっくりの僕(=曽我くん)が現れたことはミユキさんにとっても何かが動き出す始まりの「ラ」であったし、
受け手である僕にとっても、物事が動き出す。
ファイルkujira.07のラストに『それはまるで、なかなか解けなかったクロスワードパズルの答えであるかのように快く響いた。』とあり、
この感覚は、『屋根裏のチェリー』『流星シネマ』を読んでいる読者であれば追体験できるように思う。
読者たちにとっても『鯨オーケストラ』という作品が、クロスワードパズルの答えのように響くからだ。
「多々さん」の語る積み重なったカードの話は素敵。
「多々さん」や『流星シネマ』の「カナさん」の言葉は、何かの啓示のように、私達読者にも響いてくる。
さて。
"鯨オーケストラ"はサユリさんが始めるのだとばかり思って読み進めていたが、
思わぬところに繋がってゆく。
そして川の上流、崖の上の話は『屋根裏のチェリー』で明かされる。
皆、繋がっている。
始まったものには終わりがあるが、終わりは終演ではなく、次の始まりへと続いてゆくものだ。
蛇足。
「もしかして、君が"過去"なのかーーー」
その言葉を読んだとき、物語の内容とは関係ないけれど、東京事変の『今』という曲を思い出した。
この曲は"過去目線"で歌われていて、白々と眩しく広がっている"未来"を恥ずかしそうに見つめている。
その"過去"が"未来"と劇的に出会う瞬間。
そう、それが"今"だ。
私たちは二人で1つ、全てが揃ったわ、あぁなんて儚いの、そんな歌だ。
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Posted by ブクログ
半年前に読んだ「流星シネマ」の続編。
前作の最後にチラと出てきたオーボエ奏者・サユリさんを中心に語られるお話。
しんみりと確かな文章で綴られたお話にはたくさん感じるところがあった。
団長がいなくなり練習場所もなくなって、〈鯨オーケストラ〉は自然解消になった状況の中、寄る辺なくガケの上にある古いアパートの屋根裏に引きこもっているサユリさん。
その孤独な心情や切なさや淋しさや不器用な生き方が、自分の分身というか心の中のツッコミ役・チェリーとの会話も交えながらゆっくりじっくり描かれる。
サユリさんに付かず離れず、自由に現れては消えて、サユリさんの心に刺さる、チェリーの存在が自然でとても良い感じ。
チェリーとの会話でサユリさんの心の中の蓋が溶かされて、心の底にある人とのつながることや一緒に活動することへの渇望が少しずつ表に現れだす。
過去にとらわれながら『未練が過去にではなく未来に向けて自分を動かすきっかけになる』と開き直って、一歩踏み出した時のチェリーのゆくえに、その泣き笑いの感情が心に沁みた。
サユリさんとまた出会うことになる太郎君。それにミユキさんにゴー君、バジ君に丹後さん…、前作でお馴染みの人がまた顔を揃える。
前作での太郎君のサユリさんへのインタビューをハブにして2つの話を行き来するような作りは、前作を思い出しながら本作にも前作にも新しい視点が加わるような感じで面白く読めた。
太郎くんの詩やミユキさんの美術館でのエピソードには、ゴー君も含めて彼らの心の中に出来た空洞の存在を改めて思わせて切なく、サユリさんにとっての伯母さんや幼い頃の友人の記憶ともつながり、大切な人に『もういちど会いたい』というそれぞれの心の重さが知れたのだった。
チェリーはcherryではなくcher-ee。
「チム・チム・チェリー」の哀愁を帯びたメロディが、この作品のトーンに似つかわしく、ずっと頭の中で鳴っていた。