あなたには異性の『幼馴染』がいるでしょうか?
人と人との繋がり、それは私たちが生きていく中では欠かせないものです。そんな繋がりの起点のひとつは友達になることだと思います。私たちは人生のステージを上がっていく中に新たな友達を見つけていきます。しかし、なんと言っても幼き日々に関係を築いた友達との関係性は特別なものだと思います。
そう、『幼馴染』です。家が近かった、幼稚園や保育園で一緒に遊んだ、そんな起点の先に結びついた関係性は特別なものがあると思います。そして、幼き日々に起点を持つ関係性は異性の間を飛び越えてもいくものです。兄弟姉妹に通ずるような関係性もそこには生まれていくのだと思います。
さてここに、『幼稚園の頃に友達になってからずっと一緒にいて、中一の半ばからはいちおう付き合っている』という一組の高校生を描く物語があります。その関係性の強さに少し引いてもしまうこの作品。そんな関係性の先に深い思いを見るこの作品。そしてそれは、『優海を鍛える計画は、なにがなんでも遂行しないといけない』と密かに思う一人の女子高生の深い愛のかたちを見る物語です。
『深い深い海の底から、青い青い闇の中をゆっくりと浮かび上がってきた透明な泡が、光をはらんだ海面に触れてぱちんと弾けた』という中に『はっと目が覚め』たのは主人公の日下凪沙(くさか なぎさ)。『しばらく布団の上に横たわったまま』でいた凪沙は『頭がはっきりしてきて、”すべて”を思い出し』ます。『布団から出』ると、『壁かけカレンダーの前まで移動』し、『赤いマジック』で”その日”に『大きな星印をつけ』た凪沙は、『これが、私の「運命の日」だ』、『私には、この日までに、どうしてもやらなくてはいけないことがある』と思います。『なにもかも捧げたって、少しも惜しくなんかない。だって、私はそれだけのものを与えてもらったのだから』と思う凪沙は、『胸の中に芽生えた密やかな決意は誰にも知られないように、”いつもどおりの一日”を送るのだ』と覚悟を決めます。
場面は変わり、『おばあちゃん、行ってくるねー』と『門を出て扉を閉め、振り向』いたなぎさは、『母親に連れられてやって来た五歳の頃から、高校一年生になった今まで、ずっとおばあちゃんとふたりで住んでいる家』を改めて見つめます。そんな時、『なーぎさーっ!』と『バカみたいに明るい声が飛んでき』ました。『凪沙、おっはよー!』と『背後からぎゅうっと抱きつ』いてきたのは『幼馴染の優海(ユウ)』。『俺の愛の熱さを思い知れー、あはは』と『楽しそうに笑う彼は』凪沙が『どんなに迷惑そうな顔をして見せても、いつもどこ吹く風』です。『幼稚園の頃に友達になってからずっと一緒』という二人は『中一の半ばからはいちおう付き合ってい』ます。『いい彼氏なんだけれど、私のことを好きすぎて時々すごく面倒くさいのが玉に瑕』という優海。そんな『優海の腕をほどいて、自転車のハンドルに手をかけた』凪沙はさっと自転車を走らせます。『私たちが住んでいる鳥浦町は、小さな港町だ』という漁村の中を走る先に、『ここに住む漁師たちの船出の安全や人々の生活を守ってくれるありがたい神様の力が宿った石』という『龍神様の石』へとお参りにきた二人。『神様なんていないことはわかりきっているはずなのに』と今まで思ってきた凪沙は、『手を合わせて、龍神様の石に向かって深く頭を下げ』ました。そして、再び自転車を走らせ二人が通う『水津高校』へと向かう二人。やがて学校に着くと、『同じクラスの黒田龍くんが微笑みながら軽く手を振ってい』ます。『優海、今日英語の長文読解の宿題提出日だけど、持ってきたか?』と訊く黒田に『あったりめーだろ!』と返す優海。そんな優海に『宿題あったこと忘れてたじゃん。昨日電話で私が言わなかったら、また先生に怒られてたでしょ』と叱る凪沙は、『…優海のことよろしくね、黒田くん』と『ぽつりと言』います。それに『どうしたの日下さん、改まって』と返す黒田。『これからはいちいち宿題のこととか確認してあげないから、自分でちゃんと提出期限把握しなよ?』と優海に言う凪沙に『えっ、凪沙、冷たい!』と『口をとがらせながら言う優海』。そんな優海を見て『…だって、いつまでも私が優海の面倒見られるとは限らないじゃん…』と呟く凪沙ですが、『ちょうどその時、後ろから声をかけられて優海の注意はそちらに向いたので、たぶん私の言葉は耳に入らなかっただろう』と思う凪沙。『優海を鍛える計画は、なにがなんでも遂行しないといけないのだ』と思い、『よし、やるぞ、と』『自分に気合いを入れ』る凪沙。『幼馴染になってから十年、そのうち三年は恋人同士』という凪沙と優海。そんな二人の関係性を思う中に、『時間はたくさんあるようで、でもあっという間に過ぎ去ってしまうから、急がないといけない』と思いを秘める凪沙。そんな凪沙の深い思いを感じる物語が描かれていきます。
“優等生でしっかり者だけど天の邪鬼な凪沙と、おバカだけど素直で凪沙のことが大好きな優海は、幼馴染で恋人同士。お互いを理解し合い、強い絆で結ばれているふたりだけれど、ある日を境に、凪沙は優海への態度を一変させる。甘えを許さず、厳しく優海を鍛える日々。そこには悲しすぎる秘密が隠されていた ー”と内容紹介にうたわれるこの作品。”第一子が誕生”、”出産後初めて執筆した作品になります”と〈あとがき〉で報告される作者の汐見夏衛さん。そんな汐見さんは”我が子が大きくなった時に読んでほしいものというイメージ”が”作品づくり”に加わったとおっしゃいます。
そんなこの作品は、翌年に発表された「明日の世界が君に優しくありますように」に繋がる作品でもあります。作品の舞台と登場人物に極めて濃い繋がりを持つ両作は、二冊でワンセットと捉えて良いくらいに深く結びついているのです。しかし、そのことは全く異なる書名からは推測できませんし、内容紹介にも一切触れられていません。それもあって私は、「明日の世界が…」→ 「海に願いを…」の順で読んでしまいました。「明日の世界が…」のレビューにも触れたとおり、まさしく”やっちまった”というのが正直なところです。そんな私は同作の〈あとがき〉で汐見さんが書いてくださった言葉に従いこの作品をすぐに手にしました。
“前作を読んでくださった方には是非そのつながりを感じながら読んでいただけましたら、そして本作を先に読んでくださった方もよろしければ前作を手にとってみて、優海と凪沙の物語に込めた私の精一杯の願いと祈りを感じていただけましたら幸いです”。
この汐見さんの言葉からも両作が並々ならぬ結びつきを持った作品であることが分かります。順番を間違えて読んだ私ですが、そこには汐見さんが作品を超えて込められた登場人物たちへの優しい眼差しを感じる読書の時間がありました。「明日の世界が…」を先に読んだ身には、「海に願いを…」の結末はある意味わかってしまっています。しかし、そこには「明日の世界が…」だけでは予想だにできなかった物語が展開します。「明日の世界が…」には登場することのないこの作品の主人公の凪沙という一人の女子高生の崇高な思いを感じる「海の願いを…」の物語は、また違う読み味を提供してくれます。とは言え、これから読まれる方には、やはり、順番どおりに、「海に願いを…」→ 「明日の世界が…」と読み進んでいただいた方が良いと思います。
さて、そんなこの作品を読むに当たって外せないのが『海』の描写です。「明日の世界が…」のレビューでもこの点は取り上げましたが、作品の舞台が『海』を身近に見る『鳥浦』である以上、この作品においても『海』が重要な位置を占めるのは必然だと思います。
『窓の向こうには、真っ青な海が広がっている。私たちが育った町を包み込む大きな大きな海。いつだって私たちの近くにあった、日常の一部。たくさんの命を生み育んだ優しい海、そしてたくさんの命を奪った恐ろしい海』。
作品冒頭、『運命の日』に『大きな星印』を付けた凪沙がカーテンを開けた先に見る景色を描写したのがこの表現です。『私たちの近くにあった、日常の一部』という『海』。美しい『海』が『窓の向こう』に広がっている光景が思い浮かびますが、一方でそこに何かを暗示するかのように『たくさんの命を奪った恐ろしい海』という記述が暗い影を落としています。
『春のぼんやり霞んだ空を映すおぼろげな海、秋の透明な空気に映える海、冬の荒く厳しい海。どれも美しいけれど、私はやっぱり夏の海がいちばん好きだ』。
『海』の四季を単的に言い表していくこの表現。物語が後半に差し掛かり、凪沙がある重要な決断をした場面で登場する表現です。四季それぞれに印象的な姿を見せてくれた『海』を振り返っていく凪沙。とても印象的な場面です。
『一日の命を終えようとしている太陽は、最後にありったけの力を振り絞るかのようにまばゆく輝いている。まるでこの世界のすべてを燃やしつくしてしまいそうなほどの鮮烈な光。それを受けて、海も空も雲も砂も、なにもかもが、目も眩むような鮮やかなオレンジ色に染まっていた』。
夕陽を描く表現の登場です。『海』と『太陽』となると『夕陽』の描写は欠かせませんが、そのダイナミックな光景は物語に大きな起伏を生んでいきます。「明日の世界が…」でも夕陽の光景がやはり用いられていますが、この作品の描写の方がよりダイナミックに伝わって来るように思いました。
以上のように、この作品では『海』の描写が作品全般に渡って登場します。そこには、その描写を持って凪沙の心情が上手く落とし込まれていきます。物語を”絵”として読者の前に浮かび上がらせ、それによって強い説得力で物語を描いていかれる汐見さんの上手さを感じる素晴らしい表現だと思いました。
そんな物語は、『幼馴染になってから十年、そのうち三年は恋人同士』という凪沙と優海の二人の関係性が主軸になって展開していきます。冒頭から優海の凪沙への思いの強さに引いてしまう読者も数多いるのではないかと思われるくらいに、これでもかと凪沙にベタベタしていく優海の姿が続きます。流石にそれはないだろうと思われるくらいに場所関係なく、凪沙にくっつく優海に対して、お母さん的立ち位置から優海に接していく凪沙の姿は痛々しさを幾分軽減してはくれるものの読者によっては、やってられないと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、この優海のキャラクターの理由もやがて明らかになっていきます。一方で、どこまでも気になるのは何かを秘めていると思わせる凪沙の胸の内です。
『これが、私の「運命の日」だ』、『私には、この日までに、どうしてもやらなくてはいけないことがある』
そんな風に冒頭で何かを匂わせる様が描かれていく凪沙は、
『私に与えられた時間をすべて使って、なんとしてでもやりとおしてみせる』。
…と何かを決意している様が描かれていきます。凪沙の全ての行動は、この決意の下にあるものです。一方で、そんな凪沙の思いを知る由もない優海は極めて能天気に凪沙に接していきます。その二人のあまりに極端な対比は次第に優海の能天気さに対するイライラよりも凪沙の秘めた思いの強さが優っていきます。
『どうして神様はこんなに残酷なんだろう。優海はもうたくさんのものを失ったのに、どうしてさらに失わなくてはいけないんだろう』。
そんな風に優海のことをどこまでも思う凪沙は、
『女の子なんて星の数ほどいるのに、なんで優海の特別になったのが私なんだろう。なんで優海は、私を選んでしまったんだろう』。
そんな思いに囚われていきます。そして、
『「運命の日」はもう、すぐそこにまで迫っていた』。
結末へと向けて物語は大きく動き出します。まさかの真実が明らかになる瞬間。そんな中に凪沙の優海への思いと優海の凪沙への思いが交錯もしていきます。そして迎えるまさかの、そして運命の結末。
上記したとおり、私はこの作品の続編となる「明日の世界が…」を先に読みましたので、この作品の結末に続く未来を知っていることになります。そこには、続編を先に読んだからこそ、優海のその後の姿に思いを馳せる瞬間がありました。もしかすると、「明日の世界が…」→ 「海に願いを…」の順もあり得るかもしれない、そんなことも思いながら本を置きました。
『「運命の日」までの間、私は私にできるすべてのことを、ありったけの力を注いで、私に与えられた時間をすべて使って、なんとしてでもやりとおしてみせる』。
胸の奥に秘めた思いの先に、一日一日をひたむきに生きていく主人公の凪沙。そこには、作品に隠されたまさかの物語が描かれていました。優海の能天気な姿に少し呆れるこの作品。その一方で何か秘密を抱える凪沙のひたむきな思いに気持ちが囚われてもいくこの作品。
この作品を読まれたかたは、「明日の世界が…」を是非続けてお読みいただきたい、そこにこの作品は真の結末を迎えます!そうお伝えしたい、そんな作品でした。