あなたは、こんな気持ちになった過去があるでしょうか?
『家も学校も嫌だ。どうしてみんな放っておいてくれないの。どうして話しかけてくるの。私のことは透明人間だと思って放置しておいて…。お願いだから、放っといてよ』。
10代の青春はかけがえのないものです。しかし、それは過ぎ去ってから思うもの。現在進行形でそんな時代を生きる身には多感な故の悩み苦しみはつきものです。家族やクラスメイト、身近な存在を鬱陶しく感じる日々…。
『私は、できるだけ誰にも迷惑も面倒もかけないように、空気のようにひっそりと存在していたいのだ』。
そんな思いが極まっていく日々の中には、人と人との繋がりというものが厄介に映ることもあるのだと思います。しかし、この世に生を受けた私たちは、その命の続く限り毎日を生きて行かねばなりません。『たくさんの苦しいことや、つらいことを経験する』こともあるでしょう。しかし、『きっと人生とはそういうものなのだ』と割り切るまでには乗り越えなければならない事ごともあるのだと思います。
さてここに、中学時代に『不登校』となり、実家から離れて祖父母の下で暮らす一人の女子高生を描く物語があります。『まるで海に包まれているみたい』という美しい景色が描かれていくこの作品。そんな『海』が物語を巧みに演出してもいくこの作品。そしてそれは、そんな『海』を背景に人の優しさに触れることの意味を感じる物語です。
『…なーんもない』、『ほんとになんもないな』と、『「鳥浦(とりうら)」と書かれた駅名板を見上げて、ふうっと深いため息を吐き出』したのは主人公の白瀬真波(しらせ まなみ)。『私、これから、どうなるんだろう』と一人『駅舎を出た』真波は『お父さんから鳥浦の高校をすすめられたとき、ここまで寂れた町だとちゃんと覚えていれば、絶対に承諾なんてしなかったのに』と思いつつ『左は見渡す限りの海、右は果てしなく続く山』という目の前の風景を見渡します。『この四月から高校生になった』真波は、『「N市の通信制高校に通うか、祖父母の家からT市の高校に通うか」の二択をお父さんから迫られて』『「居場所のない実家にずっといるよりはましだろう」と考えた末の、消去法の選択』で『家族のもとを離れて母方の祖父母が住む町に引っ越し、そこから近くの学校に通うことにな』りました。さらに『わけあって一ヶ月遅れて、ゴールデンウィークに入った今日から鳥浦に住む』とやってきた真波は連休明けのことを思い『気が重くな』ります。『体のいい厄介払いのようなものだ。それは、私が中学で問題を起こしたから』と思う真波。そんな時、『ー シラセマナミ?』と『突然うしろから声』をかけられ振り向くとそこには『自転車にまたがっ』た『同い年くらいの男の子』の姿がありました。『”白瀬真波”じゃないの?』、『俺は、美山漣(みやま れん)』と語る男の子は『荷物』と言うと『旅行鞄を奪い』『自転車の荷台に』載せると歩き出します。『あの…誰ですか』と『渋々あとを追いかけながら』訊く真波に『お前のじいちゃんばあちゃんに頼まれたんだよ』と経緯を説明する漣。『細くてまっすぐな眉、切れ長の瞳。すっと通った鼻筋…』と漣のことを見る真波は『なにもかもまっすぐ』、『まっすぐなのも、苦手だ。私はひねくれていると自覚しているから』と思います。『ちょっと買い物したいんだけど…』と訊く真波に『山田商店…七時までだから…』と説明する漣に『二十四時間営業じゃないってこと?…異次元のような町…』と思う真波。そんな時、『幽霊だー』と聞こえてきた子供の声に振り向く真波に『あっちに砂浜があるんだけど、夜になると幽霊が出るって言われてる…このあたりの子どもたちは、鬼ごっこのときに追いかける役を「鬼」じゃなくて「幽霊」って呼んでる』と話す漣。そして、『着いたぞ』と漣が指差す先に『小ぢんまりとした古い木造の家屋』がありました。『ただいまー』と入っていく漣に続いて玄関を入ると『まあちゃん?』と『年配女性』に声をかけられます。『よく来たねえ。待ってたんだよ』と迎えてくれたのは祖母でした。『…えと、これからお世話になります。よろしくお願いします』と『まずは挨拶が肝心、と自分を激励して、できる限りきちんと頭を下げ』る真波。そこに『本当に、よく来てくれたねえ』と祖父も現れます。『ふたりとも本当に私のことを待ってくれていたみたい』と『一瞬ほだされかけ』た真波ですが、『優しい表情を浮かべてはいるけれど、きっと、面倒な大荷物を押しつけられてしまったと思っているに違いない…』と思い直し『緩みかけた気持ちを意識的に引きしめ』ます。『真波の部屋は、一階の客間の隣でいいんだよな?』と漣が真波と呼び捨てるのに腹を立てる真波ですが、『二階に上がってから戻る。着替えたいから』と続ける漣の言葉に『耳を疑』います。『漣くんは、うちの二階に下宿しとるんよ』、『じいちゃんの昔なじみのね、ご友人の息子さん』、『こっちの高校に通うことになったけどひとり暮らしさせるのは心配って聞いた』のでうちで預かることにしたという説明を聞いて驚く真波。『高校も同じとこやしね。分からんことがあったら漣くんに訊けば安心やからね、よかったねえ』と続ける祖母の言葉に真波は『うつむいて唇を噛』みます。そして、『居間で少しゆっくりしてから』『あてがわれた部屋に入ろうとしたとき』、『お前ってさあ、なんなの』と漣に『険しい表情で腕組みをしながら言』われた真波。『さっきのじいちゃんたちに対する態度だよ』と続ける漣に『…別に普通だし。私はもともとこういう人間なの。生まれつきなんだから仕方ないでしょ』と返す真波。祖父母と暮らしながら高校生活をスタートした真波、ささくれた感情を剥き出しに生きてきた真波が、人の優しさに触れていく先の物語が描かれていきます。
“あることがきっかけで家族も友達も信じられず、高校進学を機に祖父母の家に引っ越してきた真波。けれど、祖父母や同級生・漣の優しさにも苛立ち、なにもかもうまくいかない…”とはじまる内容紹介に汐見夏衛さんに期待するど真ん中の”青春物語”が描かれていることが匂わされるこの作品。海辺に一人座る女子高生の姿が印象的な表紙がすでに雰囲気感を作り出してもいます。
そうです。この作品を読むに当たって外せないのは『海』を背景にした町の美しい景色が印象的に描かれていくところです。まずは、この点から見てみましょう。『海に突き出した半島の先端にある』という『鳥浦』の景色です。
『どれほどの距離かも分からないくらい遠くに浮かんでいる大型船らしい影以外なにもなく、ただ果てしなく広い。まるで海に包まれているみたいだ、と思った。広い広い海に抱かれたちっぽけな町の片隅に、私はいるのだ』。
作品冒頭『…なーんもない』と『鳥浦』の駅に降り立って周囲を見渡し、迎えに来てくれた漣と歩き出した先に真波が見る光景の描写です。何かしら問題を抱えマイナス感情の中に生きる真波ですが、そんな彼女の心をも振り向かせていく『海』の大いなる力を感じます。
『目の前には、果てしなく広がる濃紺の夜の海。その上に、同じように果てしなく広がる群青の夜空。そして美しい黄色の月と銀色の星。今日は満月だった。街灯や灯台の明かりよりもずっとずっと強い光が海面に降り注ぎ、さざ波が煌めいている』。
詩的に描かれていく夜の『海』の描写です。『夜になると幽霊の出る砂浜』と噂される場所へ一人出かけた真波が、作品の中で大きな起点となる三島優海(みしま ゆう=ユウ)と初めて出会った場面をこんな風に描写します。とても美しい描写の先に大切な出会いを強く印象付けていきます。
『色鮮やかに燃え上がる空と海。その境界線に、炎の塊のように濃いオレンジの大きな夕陽が、じりじりと沈んでいく』。
『海』というと欠かせないのが『夕陽』が沈む光景だと思います。物語の中で一つの大きな事象が決着するとても重要な場面に登場するのがこの場面です。昼の『海』、夜の『海』も素敵ですが、やはり『夕陽』が沈む『海』の景色はインパクト絶大です。汐見さんはこのように物語の展開の中に上手く『海』の描写を入れていかれます。そこに浮かび上がる”絵”にこだわった描写はこの作品の何よりもの魅力だと思いました。
次に汐見さんの作品の中でのこの作品の位置付けについて触れておきたいと思います。実は、私、”やっちまいました”(涙)。この作品の〈あとがき〉で汐見さんはこんなことを書いていらっしゃいます。
“二〇一八年夏刊行の『海に願いを 風に祈りを そして君に誓いを』(スターツ出版文庫)と同じ港町を舞台に、その十年後の世界を描いています”
えっ!ええっ!ええーっ!この作品って続編だったの!という衝撃的な記述に愕然とした私です。辻村深月さん「ツナグ」でも同じことをやってしまったのですが、まさか全く違う書名の作品間に読む順番があるとは思いませんでした。しかも書名からはその繋がりは全くわかりませんし、内容紹介にも一切触れられていません。これではわかるはずがありません!ただ、汐見さんは〈あとがき〉にこんな風に続けてくださいます。
“前作を読んでくださった方には是非そのつながりを感じながら読んでいただけましたら、そして本作を先に読んでくださった方もよろしければ前作を手にとってみて、優海と凪沙の物語に込めた私の精一杯の願いと祈りを感じていただけましたら幸いです”。
私のように続編から読んでしまった人間にも優しい心遣いを見せてくださる汐見さん。記憶が鮮明なうちに読みますとも!絶対に読みますとも!こんな感動的な作品の前に来る作品がどのような世界を描いているのか、そして続編から先に読んでしまった人間が先に来る物語を読んでそこにどのような感想を抱くのか…こちらは「海に願いを 風に祈りを そして君に誓いを」のレビューに是非ご期待ください(笑)兎にも角にも、読んでしまったという事実は消せませんからね(涙)。
さて、そんなこの作品は、”あることがきっかけで”中学時代に『不登校』になってしまった主人公の白瀬真波が、父親の提案を受け、『鳥浦』にある祖父母の家に暮らしながら、高校に通い出した先の物語が描かれていきます。
『私は、家族の誰からも必要とされていない』
そんな思いの中に自分の殻に閉じこもる真波は、通い始めた高校の中でも後ろ向きな姿を見せます。
『学校なんて、どこも一緒だ。中学も高校も同じ。たまたま同い年というだけで、なんの必然性も脈絡もなくひとつの教室に詰め込まれた、家庭環境も容姿も性格も趣味嗜好もなにもかも異なる何十人もの人間が、その場限りの関係を結び、表面上だけ”上手くやっているふり”をする場所』。
なんとも辛辣な見方だと思います。自らの日常の中心となる高校をこんな風に冷めた目で見てしまう先に高校生活が楽しいはずがありません。そもそも行く意味がないとさえ思います。そして、そんな姿勢をとり続ける真波の心を解きほぐすべくさまざまに声かけをしてくれるのが漣です。何かしら訳あって真波の祖父母の家の二階に下宿している漣。真波は漣のことをこんな風に見ています。
『挨拶がしっかりできて、ちゃんと敬語が使えて、礼儀正しく丁寧な応答ができる”いい子”。きっと成績も生活態度もよくて、人の嫌がる仕事を進んで引き受けたりもしている』。
そんな漣の姿を思えば思うほどに『なにからなにまで私とは正反対な漣に対して、黒くてどろどろした濁流ような感情が胸の奥底で渦巻くのを止めようがない』と思う真波。そんな真波は、『夜になると幽霊が出るって言われてる』砂浜で自らの人生を変えていく起点となる運命の出会いを果たします。喫茶店を営むという10歳年上のユウとの出会いです。
『なんとか耐えられたのは、初登校の日以来、毎晩夕食のあとに家を抜け出して、この砂浜でユウさんと会っているからだ。昼の間をなんとか我慢すれば、ユウさんと会って話せる。そう考えるだけで、かなり気が楽になった』。
ユウとはどのような人物なのか?『もう恋はしない』と話すユウの『深い決意』を意味深く感じる真波。ユウと会ってさまざまに会話する中にやがて真波の心に変化が生じていきます。
『変わりたい。少しずつでも、ちゃんと変わっていきたい。心を解放して、もっと自分の気持ちをちゃんと口にして、そうしたらきっと相手の思いをちゃんと受け取れるようになるから』。
一方で物語はダイナミックに動き出します。『いい子』と思っていた漣の過去に隠された謎。そして、ユウの過去に隠された謎。物語は予想外な展開を見せます。そして、そこに描かれるのは『海』を舞台にしたことの意味を感じさせるまさかの物語です。隠された真実に出会う先に溢れる涙。人の優しさというものをこれでもかと感じる幸せな涙。そこには、「明日の世界が君に優しくありますように」という書名に違わぬ人の心の機微を繊細に描く物語の姿がありました。
『どうして世界は、こんなにも、悲しいことで溢れているんだろう。どうして神様は、こんなにも、苦しみばかり与えるんだろう』。
“あることがきっかけで家族も友達も信じられ”なくなった先に自暴自棄な日々を送ってきた主人公の真波。そんな物語には、そんな真波の心が『海』を象徴的に描く物語の中でときほぐされていく様が描かれていました。美しく描かれていく『海』の描写に魅せられるこの作品。そんな描写に重なるように人の心の優しさを見るこの作品。
この世に生きることの大切さを、人と人の繋がりの中に教えてくれる素晴らしい作品でした。