あなたは、高校時代にこんな思いに囚われたことはなかったでしょうか?
『どうしてみんな、何年も先の未来をちゃんと思い描けるのだろう』。
『受験勉強は三年になってからじゃ遅いんだよ』、そんな先生の言葉とともに思い出す高校時代。まだ一年生にも関わらず『進路希望調査』を提出させるのは、今から思えば早い時期から将来への意識づけの意味があったのだろうと振り返ることはできます。しかし、そうは言っても『将来の夢や目標というのはとてつもなく遠くにあって、そうそう簡単に見つかるものでは』ありません。
そんな中には上記したような漠然とした思いが湧き上がるのは仕方がないこととも言えます。しかし、『そうやって結論を先延ばしにしてるうちに、いつの間にか受験生になって、目標がないから勉強に身も入らなくて…』と先生が心配してくれる気持ちもわかります。とは言え、先生も親身に考えてくれていると思えば思うほどに焦る気持ちだけが募ってもいきます。今の私からすれば、それも含めて懐かしい青春時代ですが、当事者である高校生にとってはどんな時代であっても辛く苦しい日々なのだと思います。
さてここに、『夢も希望もない、自分のそういうところが、すごいコンプレックス』と語る一人の女子高生が主人公となる物語があります。前作で失恋に打ちひしがれた少女に視点を移すこの作品。そんな彼女の前に現れた『天使のような男の子』との出会いの先を描くこの作品。そしてそれは、前作の結末に気持ちが収まらない読者の必読書とも言える、前作とワンセットな物語です。
『失礼します、広瀬です』と、『進路指導室』へと入り、『剣道部の顧問をしている数学の先生』という小林先生に『そこ、座れ』と言われたのは主人公の広瀬遥(ひろせ はるか)。『で、この前の面談から一ヶ月経ったけど、どうだ、ちゃんと考えてきたか。なにかやりたいこと見つかったか』と言う小林先生に『…すみません、まだ…』と答える遥。『どうするんだ、もうすぐ二年生だぞ…お前の成績だと、早いとこ補習も受けないと…』と続く『先生の言葉が、右耳から左耳へと素通りしていく気がする』と思う遥は、『どうしてみんな、何年も先の未来をちゃんと思い描けるのだろう』と思います。そして、『また来週あたり呼ぶから、次こそちゃんとやりたいこと見つけてこいよ』と言われ『部屋を後にした遥は『将来の夢はなんですか。やりたいことを見つけて、進路を決めましょう』とずっと言われ続け『みんな当然のようにできていること』が『私はどうしてもうまくできない』と思い、『考えれば考えるほど重苦しい気分にな』ります。『鈍い足取りで教室に戻ると』、『面談おつかれー、遥』と『香奈と菜々美が出迎えてくれ』ます。『待っててくれたの?』、『もちろん』と会話する三人。『高校に入っていちばん最初にできた友達』である香奈と菜々美、『そのあとしばらくして、もうひとりの私の幼馴染が加わって、それからずっと四人で行動してきた。…今は少し、微妙な状態になっているけれど』と思う遥。そして、『ジュース買いに行こー』と、香奈に誘われ『自販機に向か』った三人ですが、『大きなスポーツバッグを肩にかけた』背中を見つけた遥は『彼方くんだ、と心の中でつぶや』きます。やがて『羽鳥彼方がいる』と気づいた菜々美に、『…遠子もいるじゃん』と『香奈が低くつぶや』きます。『遠子は、私の幼いころからの親友』、『彼方くんは、私の好きな人』、『ふたりは、二ヶ月前から付き合っている』と思う遥は、『…あ。私、忘れ物』とその場を去ろうとしますが『遥が気をつかう必要なんてないでしょ』と言う香奈は『遠子ー、ラブラブだね』と声をかけます。それに『気まずそうに顔を歪めて、うつむいてしまった』遠子。そんな中、『彼方くんに、あれ、渡したの?』、『今日の調理実習で、マフィン作ったんだよね』と声をかける遥に『今から、渡すね。ありがとう、遥』と答える遠子。『そっか、がんばりなよー』と『遠子に微笑みかけて』その場を後にした遥に『遥ったら、なんで協力とかしちゃってるわけ?』、『ほんと、人が好すぎだよ』と言う香奈と菜々美。そんな二人に『ごめん、用事思い出した。先に帰るね』と学校を後にした遥は『私が彼を諦められさえすれば、すべてはうまくいくのだ。どうしてよりにもよって、遠子と同じ人を好きになってしまったんだろう』と思います。そして、自宅の最寄り駅へと降り立った遥は『「桜の広場」と呼ばれる場所』、『小さな公園ほどの広さの砂地』へと向かいます。ここであれば『誰にも顔を見られたしない』、『私だけの秘密の場所』と思う中、『古くて大きい』『桜の根もとに腰を下ろし』ます。『苦しい。なにが自分をこんなにも苦しめているのかわからない。でも、苦しい』と思い詰める中、『こらえきれない嗚咽と、止めどない涙が』『溢れ出して』きます。そして、『わああ、と声を上げて』泣きはじめた遥は、『ただひたすらに泣』きます。そんな時、『嗚咽と泣き声の合間に、なにか、かすかな音が聞こえてき』ました。驚きながら『耳を澄ませて』『これは、歌だ』と気づいた遥は『不思議な感覚に全身を包まれ』る中に『いつの間にか』涙が止まります。ゆっくりと顔を上げた遥、というタイミングで『ぱきっと枝の鳴る音がして』『男の子が降ってき』ました。『第一印象は、「天使みたい」、だった』という『陽射しの中で金色に透き通って見える、柔らかそうに緩く波打った髪』の男の子を見て『なんて綺麗なんだろう』と思う遥は、『その瞳からぽろりとこぼれ落ちた、ひと粒の透明な涙の雫』に気づきます。『どうして、泣いているの?』と訊く遥が、『…そっか。私も泣いてるもんね』、『人のこと言えないよね』と笑うと、『彼も、ふっ、と息を吐』きます。『はじめまして。私は広瀬遥っていいます』と挨拶すると、『唐突に地面に座り込』んだ彼は小石で地面に何かを書きます。『遥』という字の確認をする彼に『あなたは?あなたの名前は?』と訊く遥に『天音』と字を書く彼。『あまね、って読むの?』と『訊ねると』、彼は『小さくうなず』きます。『天から降ってくる音、かな。素敵な名前だね。あなたにとても似合ってる』と言う遥は、『…ねえ、もう一度、歌ってくれる?』と言うも『小さく首を振』る天音は『ひらひらと』『手を振って』広場を去って行きました。そんな『彼の消えたあとの気配をたどるように、いつまでも彼が去っていったほうを見つめ』る遥。そんな天音との運命の出会いの先に、遥の人生が再び動き出す物語が描かれていきます。
“一見悩みもなく、毎日を楽しんでいるように見える遥。けれど実は、恋も、友情も、親との関係も、なにもかもうまくいかない。息苦しくもがいていたとき、不思議な男の子・天音に出会う。なぜか声が出ない天音と、放課後たわいない話をすることがいつしか遥の救いになっていた。遥は天音を思ってある行動を起こすけれど、彼を深く傷つけてしまい…”と内容紹介にうたわれるこの作品。”言葉にならない傷を抱えて、それでも君は生きる希望をくれた”と記される本の帯の言葉に惹かれてもいきます。
そんなこの作品は同じく本の帯に記された”シリーズ累計33万部突破”という記載が示す通り、汐見夏衛さんのシリーズ作品の一つであり、これはその第3作目となります。まずはシリーズの全容を見ておきましょう。
● 「夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく」シリーズについて
① 「夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく」(2017年6月1日刊): “マスクに依存しなければ生きていけない、弱くて醜い自分”と自らのことを思う主人公が自然な笑顔を取り戻していく姿を描く物語
② 「だから私は、明日のきみを描く」(2018年1月25日刊): クラスで孤立しそうになっていたところを助けてくれた幼馴染。しかし、そんな彼女と同じ人を好きになってしまった主人公の苦悩を描く物語
③ 「まだ見ぬ春も、君のとなりで笑っていたい」(2019年2月25日刊): “恋も、友情も、親との関係もなにもかもうまくいかない”という中に、”天使みたい”という第一印象の男の子と出会った主人公の物語
作品の巻末に記された汐見さんの〈あとがき〉によると、②と③は①のスピンオフという位置付けになるようです。しかし、3冊を読んだ私の印象としては、②と③が続編もの、①はこの同じ作品世界を描いた別物の作品、このような印象を受けます。ここで言いたいのは、②と③を読むのに必ずしも①を読む必要はないものの、②と③は必ずこの順番でワンセットで読むのが正解、ということになります。②のレビューで、私は”読後すぐにでも次に続く続編を読まなければ気が収まらなくもなる”と記しました。それは、②において、幼馴染の二人が同じ一人の男子を好きになってしまい、そのことに思い悩む一方の側の遠子が主人公となり、結果として彼女が彼と付き合うことになった一方で、もう一方の遥が失恋してしまうという結末を迎えたからです。このような設定は他の作品でもあるとは思いますが、②の特徴は、そんな失恋を経験する側に回った遥をどこまでも”いい人”として描き切っているところです。これは、そんな物語を読む読者にはたまりません。主人公にどっぷり感情移入できる物語ではありましたが、遥のあまりの不憫さに他のことに手をつけられない気分に陥った私は、②のレビューを書き終えると間髪入れずにこの③を読みはじめました。この作品は、②で失恋側に回った遥視点で展開していきます。まずは改めて彼女たち三人と、この作品で新たに登場する男子生徒をご紹介しておきましょう。
● この作品の中心人物となる四人の高校生
・広瀬遥: 主人公、帰宅部。
→ 『得意なことも趣味もなくて、将来の夢もなくて、ただぼんやり毎日を過ごしているだけ』と自身を思う遥
・望月遠子: 遥の小学校時代からの幼馴染、美術部。
→ 『控え目で大人しいから、地味だとか暗いとか言われてしまいがちだけれど、本当は彼女は』『優しくてとても可愛らしい、そしてとても魅力的な女の子』と思う遥
・羽鳥彼方: 陸上部で棒高跳びの選手
→ 『いつもさわやかで大人っぽくて余裕があって』と思う遥
→ 『ひと目惚れだった。最初に出会ったときに助けてもらって、それからずっと、遠くから見つめていた。憧れだった』と思う遥
・芹澤天音: 県内トップクラスの進学校の生徒
→ 『第一印象は、「天使みたい」』、『雪のように白く、陶器のようになめらかな肌。陽射しの中で金色に透き通って見える、柔らかそうに緩く波打った髪。光を受けて煌めく、淡い色の瞳』と思う遥
この四人が物語を引っ張っていく役割を果たしますが、②と異なり羽鳥彼方はすっかり脇役に引っ込んでしまっています。一方で、②で失恋を経験した遥が主人公となるこの作品を思う時、読者がこの作品に期待することは、次の二点に集約されると思います。
・遥の失恋問題を決着させること
・遥が未来に向かって歩きはじめること
そうです。私はこの二つの展開を期待してこの作品を手にしました。そして、読者の気持ちをよくわかっていらっしゃる作者の汐見夏衛さんはそんな読者の期待を裏切ることなく、それでいて、決して安直なストーリーにはしない絶妙な物語を展開してくださいます。
まずは、失恋問題です。前作でまさかの失恋を経験した遥ですが、そう簡単に落ち込んだ気持ちが癒えるはずがありません。このあたりの尾を引く感情の描き方は極めて巧みだと思いますが、一方ですべてを理解している遥の心持ちもしっかりと描き出します。絵を描きつつ、グラウンドで棒高跳びの練習をする彼方に目をやる美術室の遠子の姿を見る遥はこんなことを思います。
『ひたむきに跳び続ける彼方くんと、飽きることなく絵を描き続ける遠子。
明るくて社交的な彼と、大人しくて控え目な彼女は正反対に見えるけれど、実は根っこの部分はとても似ている』。
『彼方くんもなんであんな地味なの選んだかな』と言う香奈の言葉にある通り、遥と彼方がお似合いという印象を周囲の友達は抱いていました。しかし、遥本人は気持ちを落ち着かせる中、その本当のところに気づいていることがわかります。
『だから遠子は彼方くんのことを好きになったし、彼は彼女を選んだのだ。
ふたりには、これからもずっと、うまくいってほしい。きっとうまくいく』。
なんとも大人な心持ちで二人を見る視点を持てていることがわかります。しかし、気持ちというものは理屈で割り切れるものでは決してありません。
『私はまだ、彼方くんのことを諦めることができていない…私のほうが遠子より先に彼のことを好きになったのに、と思ってしまう醜い自分が、心のどこかに確かにいるのだ』。
そんな複雑な思いを抱える遥。物語ではそんな遥の思いを身近で感じ取るからこそ、遥本人に代わって遠子につらく当たる香奈と菜々美の姿が描かれてもいきます。このあたりの展開は読んでいてとても複雑な思いを読者に感じさせてもいきます。
一方で、そんな物語は、遥に数々の試練を与えます。
『最近の自分が、おかしなくらい不安定だというのは自覚している。恋は叶わないし、家族との関係でも友達との関係でもストレスを抱えているし、将来のこともまったく決められなくて足元がふわふわしている』。
まさしく、高校生の青春を描く物語ならではの鬱屈とした雰囲気感の中に描き出される遥の姿は、②で遠子の目を通して読者に見えていた
“明るくて、いつもにこにこしていて、優しくて、誰にでも平等に接する”
そんな印象が別物にも見えてきます。特に『どうしてみんな、何年も先の未来をちゃんと思い描けるのだろう』という将来への思いが描かれる側面は②では見られなかったものであり、”ザ・恋愛物語”の要素が優っていた②に比して、この作品では”ザ・青春物語”の様相を強く見せていくのが強く印象に残ります。
『ただ、とにかく苦しくてつらくて、こらえきれない嗚咽と、止めどない涙が、身体の奥底からどうしようもなく溢れ出してくるのだ』。
そんな思いに苦しむ遥の前に一人の男の子が現れます。それこそが上記リストの四番目に記した芹澤天音です。『桜の広場』という場所で、『桜の根もとに腰を下ろして』一人『声を上げて』泣く遥は、『かすかな音』を聞きます。それが『慎ましく、密やかに、空間を満たす優しい優しい歌声』だと気づいた遥。そんな時のことでした。
『頭上に広がる桜の枝の向こうから降り注ぐ、冬の初めの柔らかくて淡い光に目を細める。と同時に、ぱきっと枝の鳴る音がして、私の目の前に、男の子が降ってきた。「わ…っ」』
悲嘆に暮れる遥の前に突然現れたのは『天使みたい』な男の子でした。『なんて綺麗なんだろう』と『呆然と彼を見つめ』る遥。物語はそんな起点の先に、男の子=芹澤天音と放課後の時間を一緒に過ごすようになる遥の姿を描いていきます。しかし、そんな天音も何か問題を抱えていることが匂わされます。
『天音くんはきっと声が出せないわけではないのだと思う。なにか他の理由があって、彼は言葉を話さないのだ』。
そうです。遥の『言葉にはちゃんと反応してくれるから、耳が聞こえないわけではな』く、何かしらの理由で言葉を発しない天音。遥は、そんな天音と『筆談』によって心を交わしていきます。そして、そんな遥の中に確かな変化の時が訪れます。
『家にいても学校にいても、少しも落ち着けず息をつけない私にとって、天音と過ごす穏やかな時間は、なくてはならないとても大切なものになっていった』。
そんな中で遥は、失恋の相手である彼方と、天音のことをこんな風に比べます。
『彼方くんへの思いは、勢いよく燃え上がる真っ赤な炎のような感じ。
天音への思いは、静かに湧き上がる澄んだ泉のような、音もなく降り積もる真っ白な雪のような感じ。しんしんと降りしきり、気がついたら積もっている雪。優しくて柔らかくて綺麗な雪』。
そんな思いに至った遥はやがて天音に隠された事ごとにも目を向けていきます。そして、香奈や菜々美、そして遠子といった大切な友達への思い、さらには、家族との関係性、彼女の未来を見据える目にも確かな変化が訪れます。そんな物語が描く結末、そこには、前作と本作のすべてを総括するような人の優しさに感じ入る、印象深い物語が描かれていました。
『言葉にされない思いは、外からはまったく見えないものなんだ。だから、伝えたいことはちゃんと言わなきゃいけないんだ』。
人と人との繋がりの中で大切なことに気づいていく主人公の遥。前作と密接な繋がりをもつこの作品には前作で失恋を経験した遥のその先に続く日々が描かれていました。遠子視点の前作から遥視点に切り替わっただけでこんなにも見えるものが違うのかと驚くこの作品。香奈や菜々美の視点でもこの物語世界を違う角度で見てみたくもなるこの作品。
人が少しずつ再生していく過程を、繊細な筆致で描き出していく汐見夏衛さん。そんな汐見さんの描く”青春物語”の魅力を改めて感じさせてくれた素晴らしい作品でした。