ユヴァル・ノア・ハラリのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
上巻では、大規模な人間社会をまとめ、管理するテクノロジーとして、神話と官僚制のことが取り上げられた。
下巻は、AIの登場によりそれがどのように変容するかが論じられる。
歴史上の強力な独裁者も、その管理には抜け穴はできた。
管理するコスト、技術にも限界があったからだ。
ところが、コンピュータは24時間365日稼働することができ、こうした限界を突破できる。
また、AI間で人間には理解できない形の新たな「神話」を形成してしまう可能性もある。
そういえば、先週AIだけがメンバーになれるSNS「Moltbook」が話題になった。
そこには独自言語や独自宗教を作ろうとする動きがあるという。
もはやこの本で書かれた懸念のあれこれは、すでに現実になっていると思った方がよいのだと感じる。
上巻にもあった民主社会と独裁社会の比較もあった。
民主社会では秘密とされる情報も比較少なく、自己修正メカニズムを働かせてきた経験もある。
情報テクノロジーの発達により、かつては政治的話し合いに参加できなかった人々の参入が可能になった。
しかし、そのために情報テクノロジーが介入し、フェイクが蔓延するようになり、分断が広がるという皮肉な状況が起きている。
にもかかわらず、人間はその原因を自ら突き止めることはできていない(著者は単にSNSだけが原因とは考えていない)。
では情報テクノロジーにより管理が効率的になった独裁社会は安泰かというと、そうでもないらしい。
「アラインメント問題」、人間が定めた「最終目的」に叶わない判断をAIが行う可能性があるからだ。
つまり、AIが権力を握ってしまう可能性があるとのこと。
最終の11章では、AIが情報帝国主義を生むことや、グローバルな分断を生む可能性について議論していた。
著者の提言としては、楽観的態度はもちろん、過度に悲観的になることにも批判的だ。
AIの可謬性を認め、強力な自己修正メカニズムを持つ制度、機関を作り、AIをコントロールする道を見つけることをと述べ、本書を締めくくっている。
もはや自分すら巻き込まれているわけだが、どこか自分事として認識できないくらい大きな問題で…。
ただ、ChatGptやGeminiにお相手をしてもらって喜んでいる場合ではないらしい。 -
Posted by ブクログ
「情報の人類史」。
「情報技術の人類史」ではない。
本書での「情報」とは何か。
人々が「真実」を表していると思うそれを共有することで、人々を結び付けるもの、とまとめらるだろうか。
この結びつきが、タイトルでもある「ネクサス」。
この意味での「情報」を扱うテクノロジーの一つが「物語」。
これは何となくイメージしやすい。
神話がある社会を結束させることを思えば。
負の事例も含め、大小規模のいろんな例が思い浮かぶ。
面白いのは、この技術の中に、真実の探求という方向性と、社会秩序の維持(のために真実追究に制限をかける)のせめぎあいが生まれてくるということ。
しかし、共同体を維持するには、現実的な問題として税を徴収してサービスを提供することも必要になる。
例えばルールを共有・浸透させたり、財物の流れを記録したりする技術も必要で、そのための「官僚制」を発達させることになる。
ただ、ここでの「官僚制」には、古代王朝や近現代の政府だけではなく、宗教組織なども含まれる。
こうして、「物語」を補う、情報を扱うテクノロジーが生まれてくる。
本書後半は誤情報とそれを修正するメカニズムが取り上げられる。
この辺りは、たぶん下巻でコンピュータ・ネットワークが作り出すつながりを分析するにあたっての対比的モデルを作る作業なのかなあ、と思われる。
修正メカニズムがうまく働かなかった一つのモデルとして提示されるのが宗教。
宗教は人間を誤りを犯すものとして捉える一方で宗教が無可謬なものとされる。
規範として「聖典」が作られるのだが、写本づくりから誤りを排除することも難しい。
また、完全な写本ができたとしても解釈の違いが広がっていくのはどうしようもない。
安息日にエレベーターのボタンを押していいかという問題で、宗派により解釈が異なるなどというすごい話まで紹介されていた。
こういう事例をどうやって探してきたのかと本当に感心してしまう。
この議論の中で興味深かったのは、印刷術に対する評価。
一般に印刷術は、中世的な教会の権威を打ち破るのに力を与えた技術とされる。
しかし本書によれば、印刷術はある一人の常軌を逸した宗教裁判官が出した魔女狩りを激烈に主張する文書(クラーマー『魔女への鉄槌』)の忠実なコピーを社会に流通させ、魔女狩りをヨーロッパ全体に広げる結果となった。
残酷な事実だ。
自己修正メカニズムを内部化している例として挙げられているのは、近代科学。
ただこれもスターリン政権下のソ連科学アカデミーのように、真実の追究よりイデオロギーを優先することも現に起きている。
賢い人たちでさえ、こんな風なのだ。
なかなか人類の世の中はうまくいかないようにできているらしい。
本書の最後は、民主制と独裁制・全体主義の社会での情報の流れ方の違いとそれを支える技術についての考察。
民主制=分散型の情報ネットワークと独裁制=中央集中型の情報ネットワークという図式にまとまりそう。
そして前者は人間の可謬性を認めるために、自己修正メカニズムを持っている(が、強権的な指導者が出て、自己修正メカニズムを無効化していくことは起こりうる)。
民主制であれ、独裁制であれ、大規模化していくのに大きな役割を果たしたのはマスメディア。
たしかに、民主制の社会では情報の流れがマスメディアにより複数化し、調整や修正することにつながる。
一方、全体主義社会では情報の流れを中央に集中させるために、チェック機能は働かない。
しかし、著者は技術決定論を退け、マスメディアが全体主義の政体にも寄与することをきっちり指摘している。
そして、一見、全体主義的なネットワークが機能不全になり、民主制のネットワークが勝利したと思われているが、AIの登場によってまた新たな局面が出てくるということが示唆され、上巻が終わる。
何か読むのが怖いような気がしてきたが…
*このレビューを間違えて下巻の方に登録してしまいました。上巻の方にアップし直して、下巻の方は一度削除します。(2026.2.8追記) -
Posted by ブクログ
ネタバレ本作を読むにあたって前2作を改めて読み直したので、彼の作品を通しで5冊読んだことになる。
ホモ・サピエンスが覇権を握った理由の一つに虚構を信じる認知革命の影響があると言われるが、故にフェイクと真実を切り分けるのも苦手だったりする。
本作は、これまでの歴史を踏まえながら我々の思い込みを暴き、今をどう生きるか?を考えさせる一冊だ。
相対的にキリスト教文化圏にシンパシーを感じる反面、そのキリスト教の歴史を知る人はこの国には少ない。イスラム教やユダヤ教も同様に、変な思い込みが陰謀論を生み、フェイクニュースに騙される。
科学が暴いた真実によれば、人間の意識や心なんて崇高なものはなく、単なる電気アルゴリズムなのだそうだ。つまりは、バイオテクノロジーとIT革命によって人間の意識や心も完全にアルゴリズムと薬で支配できてしまいかねない…というのは暴論ではない。目の前を流れる大量の情報を捌くことばかりに意識を向けるのではなく、真実を観察して自分を持ち続けること、考える力を持ち続けることへの警鐘を鳴らしている。 -
Posted by ブクログ
(上巻のレビューから続く)
下巻のポイントは概ね以下である。
◆近代に入るまで、人間は、全能の神或いは自然の永遠の摂理により、何らかの宇宙の構想の中で役割を与えられている、即ち、(力を制限されるのと引き換えに)人生に意味を与えられていると信じていた。しかし、現代においては、人間はどんなドラマの役割も与えられておらず、人生に意味はないことが明らかになり、代わりに制限のない力を持つようになった。いわば「人間は力と引き換えに意味を放棄することに同意する」という「現代の契約」を結んだ。また、この契約では、何らかの宇宙の構想を基盤とせずに人生の意味を見つけた場合、契約違反にはならず、人間は、人間の知識(=経験×感性)こそが宇宙に意味を与えるとする「人間至上主義」を生み出した。人間至上主義は、個人・自由を重視する自由主義と、社会主義と、進化論的人間至上主義(ナチス等)に分かれ、宗教戦争が起こったが、勝ち残ったのは自由主義である。
◆自由主義者が個人の自由を重視するのは、人間には自由意志があると信じているためだが、21世紀の科学は、人間には自由な意志も個人の意志もない(生化学的なアルゴリズムに過ぎない)と主張する。
◆今日までは、高度な「知能」と発達した「意識」は密接に結びついていたが、今では、意識を持たないアルゴリズムがパターン認識で人間の意識を凌ぐようになっている(チェスの試合や自動車の運転や病気の診断など)。また、知能と意識を区別した場合、知能の方が圧倒的に重要と考えられている。非有機的なアルゴリズムが有機的なアルゴリズム(=人間)を凌駕した結果起こるのは、①人間が価値を失う、②人間は集団としては依然貴重ではあるが、個人としての権威は失い、代わりに外部アルゴリズムに管理される、③一部の人間は(生物工学により)アップグレードされて超人となりシステムをも支配するが、アップグレードされない大多数はアルゴリズムと超人に支配される劣等カーストになる、ということであり、自由主義のイデオロギーは崩壊する。
◆現在シリコンバレーでは、テクノロジーがすべてである新宗教が生まれつつある。一つは「テクノ人間至上主義」で、生物化学で人間の心をアップグレードしようとするものだが、それは即ち、人間の意志を制御したりデザインしたりすることであり、人間の意志と経験が意味の源泉であると考える人間至上主義とは相容れない。
◆もう一つは「データ教」で、森羅万象がデータの流れからできており、全ての価値がデータ処理にどれだけ寄与するかで決まるとする、データ至上主義に基づく。データ至上主義の視点に立つと、人類という種全体が単一のデータ処理システムであり、「すべてのモノのインターネット」を創造するための単なる道具に過ぎない。データ至上主義者によれば、個人の経験は共有されなければ無価値で、経験を記録し、アッロードし、シェアすれば、(自分の中に意味を見出さずとも)アルゴリズムがその意味を見出して、私たちにどうすればいいかを教えてくれる。20~30年後には、データ至上主義が世界観を人間中心からデータ中心に変えることで、人間を主役から外すかもしれず、そのとき、データ至上主義は「アルゴリズムに耳を傾けよ!」と命令するだろう。現在のアルゴリズムの多くは人間が書いているが、成長したアルゴリズムが支配者になったとき、人間は誰もそれを理解できない。人間からアルゴリズムへといったん権限が移ってしまえば、不死・幸福・神性という人間至上主義のプロジェクトは意味を失い、それに留まらず、人間至上主義のもとで他の動物が辿ってきた運命と同じ運命を、人間は辿ることになるだろう
◆現在、データ至上主義は科学の全学問領域に広まりつつあり、それが統一された科学的パラダイムとなれば、仮に欠陥があったとしても、抗することは難しい。しかし、テクノロジーは決定論的ではないし、未来を予測することはできない。今我々が注目しなくてはならないのは、①生き物はアルゴリズムに過ぎないのか?生命はデータ処理に過ぎないのか? ②知能と意識はどちらが価値があるのか? ③意識は持たないものの高度な知能を持つアルゴリズムが、私たちよりも私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか? の3点である。
私は、行き過ぎた資本主義と科学万能主義に問題意識を持ち、科学に関しては、特に生命工学でバイオエンハンスメント(生命科学的手法による機能強化)の今後の行方に強い関心を持っている。そうした意味で、「ホモ・デウス」という書名からの想像も含め、テクノ人間至上主義の内容については、(そうなることを望んではいないものの)概ね予想できるものではあった。(無論、そこに至る歴史的な背景の分析については、目から鱗の内容が随所にあったが)
一方、データ至上主義に関してはかなりショッキングな内容だった。しかし、本書が書かれてから既に10年が経つが、その間のIoTやAIなどのデジタルテクノロジーの驚くべき進歩や(10年前には、生成AIは一般には登場していなかった)、世界中のあらゆる人々が、できるだけ早く、できるだけ多く、SNSで情報発信をすることに没頭している、「個人の経験は共有されなければ無価値」というデータ至上主義の原理そのものに基づく行動様式への変容を見ると、あながち想像上のシナリオとは言えないのかもしれない。
著者が最後に書いている、人類に希望を与える3つの問い(特に前の2つ)については、この10年間で最先端の研究において何が判明してきているのか、残念ながら私にはわからないが、今後も注目して行かねばならない。人間が人間であるために。。。
(2025年12月了) -
Posted by ブクログ
ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、1976年イスラエル生まれの歴史学者。オックスフォード大学で博士号を取得(中世史・軍事史を専攻)し、現在はエルサレムのヘブライ大学歴史学部教授。代表作の『サピエンス全史』(2011年ヘブライ語版、2014年英語版、2016年日本語版、それぞれ刊行)は世界的ベストセラーとなり、60以上の言語に翻訳され、累計販売部数は2,500万部を超えている。ダボス会議など国際舞台でも講演を行う。
本書は、人類の誕生から文明発展までの歴史を俯瞰的に描いた『サピエンス全史』に続き、科学技術とAIの進歩を背景に、人類が向かう未来とそれに対する警鐘について書かれたもので、2015年ヘブライ語版、2016年英語版、2018年日本語版(2022年文庫版)が出版された。
私は、暫く前に『サピエンス全史』を読んだ後、本書については文庫化後すぐに入手していたものの積読状態で、今般ようやく通読した。
上巻のポイントは概ね以下である。
◆人間は、誕生からこれまで、「飢饉」と「疫病」と「戦争」という3つの脅威と戦ってきたが、21世紀に入った今、それらの脅威は完全に解決されたわけではないものの、対処可能な問題に変わった。
◆人間は次に「不死」と「幸福」と「神性」を目標とする、即ち、ホモ・サピエンスをホモ・デウスにアップグレードすることを目指すだろう。そのために取り得る道は、生物工学、サイボーグ工学、非有機的な生き物を生み出す工学のいずれかである。そうした世界を恐れる人は、だれかにブレーキを踏んで欲しいというが、そもそも誰もブレーキがどこにあるのかを知らないし、仮に踏めたとしても、経済(無限の成長を前提とした資本主義経済)も社会も崩壊するだろう。
◆人間は、狩猟採集民だったときはアニミズムの信奉者(人間と自然を隔てるような溝はないと考える)だったが、農業革命により、人間は特別であるという信念が生まれ、有神論の宗教もその副産物だった。さらに、近代の科学革命において、人間は神を黙らせ、人間至上主義(という宗教)を誕生させた。
◆人間は、自らが特別である理由として、魂と心(感覚や情動)を持っていると考えてきたが、現代科学は、人間は他の動物と同じく魂を持たないし、他の動物は人間と同じく心を持つ(感覚や情動とは生化学的なアルゴリズムに過ぎない)ことを明らかにした。
◆一方で、人間は認知革命により、共同主観的な意味(人間に共通の想像の中にしか存在しないもの)のウェブを作ることができるようになり、それが人間を地球の支配者にした。しかし、想像の中にしか存在しないもの(物語)はあくまでも虚構であり、道具に過ぎないにもかかわらず、現代では虚構が現実を支配しつつあり、その傾向はさらに強まるだろう。
◆宗教とは、人間の法・規範・価値観に超人間的な正当性を与える網羅的な物語のことである。科学と宗教は対立するものと考えがちだが、実際には、科学において研究・発見されたものを、人間がどう使うかの指針を与えるのは宗教の役割である。つまり、現代においては、人間至上主義という宗教の教義を実行するために科学が利用されている。
(下巻のレビューに続く)
(2025年12月了) -
Posted by ブクログ
漠然と農業革命について、文明の起源みたいな捉え方をしていたので、今につづく支配と統治の一種病的とでもいえそうな関係、つまり、神話や宗教が物的限界を見誤らせつづけ、そればかりか偏見やトートロジーの跋扈を許し(説明のつかない都合のよさは神由来のものとなる、それはたぶん支配の構造に結びつくのだろう)、本当に必要な手当てを妨げさえしそうな状況を作り出していることについて、危うく見誤るかも知れなかった。
さすがに現代社会では都合よく、神が降り立つこともないわけだが、それでも、過去そのように形成されてきた社会だということなのだろうか。いまだに国家や民族のようなものに幽霊の影のようにはりついて克服できない。
少なくとも好んで目隠しを自らかけたがる。
本を読んでいてそんなことを思う。
さて、この本漫画のシリーズは続くのだろうか。
原本を読んでみようか。