齋藤孝のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
人の能力はそれほど違わない。差が出るのは段取りのいい人と悪い人がいるだけだ、という最初の一行で、これは我が子に読ませたいと思い購入。今からでも遅くないと思ったのです。読んでくうちに、子供については、何か相談されたら、「あのね、物事は段どりが大事なんだよ」と言うにとどめ、まずは自分の仕事に応用すべきと悟りました。・・最近どうも波にのらないのです。
思えば、勉強、家事、仕事、すべて段どりで決まるのかも。段どりとは、物事を進める上での「枠づくり」と言えそうです。その枠も可変可能な遊びの部分も作っておくのがミソ。
メモ p138 *3の力~「書くための段取り」の章にあるのですが、たいていの商品は3 -
Posted by ブクログ
”声に出して読みたい日本語”で有名な明治大学教授、齋藤先生の本。速読のテクニックというよりは読書術に近い内容。
本を読んだときの理解力は3段階に分かれるとのこと。Cは読んでもすぐ忘れてしまう。Bは一応内容の理解ができる、要約力のあるレベル。Aは新たな価値を付与してオリジナルのアイデアや提案、見方が出せる力。なるほど、本を読んだらここまで目指したいものですね。
私はここ数年ブログで書評などを書いてます。元々は読んだ本を整理しておきたい、といった動機だったのですが、書き始めてみるとこれがおもしろい。よく理解した本はあれこれ書きたいのですが、理解度が足りない本はなかなか書けない。そしてあれこれ書い -
Posted by ブクログ
論語はとっつきにくい、というイメージがあった。高校時代は漢文が苦手で、理解したいと思いつつも卒業後は全く触れる事はなかった。そんな印象が論語にはあった。
ここ数年、中国歴史小説をよく読むようになって孔子の生き方に少し興味を持った。一昨年は孫子の中国テレビシリーズにはまったが、そこで孔子はほんの少し登場する。
ある意味、誤解を恐れずに言うと論語は宗教のようだ。儒教そのものが古代中国の宗教ではないだろうか。西洋の宗教のように、あるいは仏教のように生き方について論じている。
「人の己を知らざる事を患えず、人の知らざる事を患う。」相手が自分を分かってくれない事を憂うより、自分が相手を理解していない事を -
Posted by ブクログ
ネタバレタイトルで「片づける」が強調されてるので、書類の整理法や仕事のスピードアップの仕方などにもっと触れられていると思いましたが、違いました。
どちらかというと、伝えることを簡潔に述べる方法や、体を短時間でメンテナンスする方法など、仕事の質を改善するためにできる事が、「1分」をキーワードに展開されている感じです。
内容は悪くないと思うので、評価が低い原因は、タイトルから予感させる内容と中身にずれがあるせいでは・・。
「片づける」というワードが冠されている本の中で
「机の上をきれいにするのではなく、きれいな机を探す」というテクニックが書かれているはなかなかないですよ(笑)。
確かに喫茶店などで -
-
Posted by ブクログ
なぜ学ばなければなければならないのかというのは、問題設定としてはあまりよろしくない。にも関わらず、あえてこの問いを発さなければならないような時代になってしまったというのは悲しむべきだろう。これは、学校でなんでもかんでも教えようとしすぎていることと無縁ではない。子供たちはお腹いっぱいになって自ら問うという最も重要な資質を削がれている。昔は、黙っていれば誰も教えくれなかった。だから、大金をはたいてでも師に教えを請う、金持ちが多かったのだ。あらゆる享楽を体験した彼らは、女遊びよりも学問のほうが楽しいということに気づいたのだ。よく学ぶというのは、よく生きるということと密接に関係している。なにも机上の
-
-
Posted by ブクログ
ネタバレ日本人の押しの弱さを弱点とするのではなく、売りとしてやっていこう、という主旨。
体力も弱いし、胃腸も弱いし、酒にも弱い、争うのが嫌いだし、実際やっても負けちゃったし。
その度に逃げて(譲って、移って)を繰り返したら、アフリカから極東の島国までやってきてしまった、日本人の祖先たち。
つまり世界一押しに弱いから日本に来てしまったのである。
YES、NOをはっきり言わず、弱者は助け、強者の前ではオロオロとする。
よく言われる日本人像だが、これはこれでよいのではないだろうかと本書は言う。
一神教が重んじる「理」よりも、人の「情」に重きを置いてしまう日本人の考え方は、イスラム教VSキリスト教めいた世界