伊藤亜紗のレビュー一覧

  • 手の倫理

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    視覚によるコミュニケーション、言語によるコミュニケーションよりも、もしかしたら、さわるとかふれる、接触面のコミュニケーションの方が相手を理解できる場合もある。信頼や愛がなければ成り立たないコミュニケーションだから

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    2021年12月10日
  • きみの体は何者か ──なぜ思い通りにならないのか?

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    私の体には数年前からいくつかの障害があり、体の扱いにくさについては日常的に考えることが他の人より少し多めだと思う。そういったこともあり、伊藤亜沙さんの活動は気になっていて、著書も読みたいと思いながら積読が多くなかなか読めずにいました。今回出た本は児童向けで隙間に読めそうなこともあって最初の一冊として手に取りました。

    内容としては、体は思い通りにならないものだということ、その上でどう向き合うかについて吃音の例をもってやさしく説明したものです。かなり読みやすい。
    そこそこ知っているかもと思っていた「吃音」について、初めて知る内容が多くふむふむと読み進めました。知ってると思い込んでいたなぁ。当事者

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    2021年11月10日
  • きみの体は何者か ──なぜ思い通りにならないのか?

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    伊藤亜紗さんは注目している書き手で、ずっと読みたいと思っていながら機会を逸していたのだが、ちくまQブックスで出たので、これならすぐ読めると思い読んでみた。
    ほんとにすぐ読めた。
    タイトルと今までの著作から、思い通りにならない体について書かれた本だろうと思ったのだが、それは外れてはいないが当たったというほどでもないというか…。
    このQブックスのシリーズは、プリマ―新書では難しい層(主に中学生)をターゲットにし、読みやすくわかりやすく文字数も少なくなっているので、それが書き手には制限となっている部分はあると思う。
    思うこととは違う体の動き全般を語るには文字数が足りないので、著者が当事者である吃音に

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    2021年10月31日
  • とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡

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    やっぱり池上さん好き!(何度もライブ講演会で生トーク堪能)
    【わきまえるな】【丸く削るな】良い言葉◎

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    2021年10月01日
  • ひび割れた日常――人類学・文学・美学から考える

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    人類学者・小説家・美学者によるリレーエッセイ。コロナウィルスをきっかけとして、人間と自然の関係を考える。オンライン授業の広がりで、仕事を持った社会人学生が、必須科目を受講しやすくなったという話を聞いたことがある。視点が違うとマイナスもプラスに転じる。振り返ってみると、コロナウィルス感染の蔓延に脅威は感じても、ウィルスそのものに怒りはない。結局、苛立つ原因は人間側の言動に対してだなと改めて思う。

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    2021年09月23日
  • とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡

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    リベラルアーツを取り上げた初めての大学が理系の雄、東工大。私の時代にこの3人の教養を分けてほしかった。

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    2021年09月09日
  • ひび割れた日常――人類学・文学・美学から考える

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    人類学、文学、美学それぞの観点が交錯するリレーエッセイ。
    「三人寄れば文殊の~」というが、同じ災厄を経験した世界中の人々から、コロナと共存する智恵はきっと出てくるはず。

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    2021年08月31日
  • とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡

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    教養って何なんだろう?自分の根っこを太くするって言ってもどうしたらいいのだろう?このような疑問に対して、ある程度はこの本を読んでイメージできたが、やはり難しい。
    すべてを疑う、クリティカルシンキング、とがるなど、理解はできても実行するとなると難しいと思う。それを少しでも意識しながら生活することが大切なのだろうか。本書にも述べられているように、特に今のコロナ禍においては、多くの情報が錯綜し、メディアの報道すら一部分しか見えていないかもしれない。自らも正確な情報をとりにいき、かつそれをも疑い、それらの知識をまとめて考え運用し、ベストな選択、行動をする。今の状況は、平時に比べると本書に述べられている

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    2021年08月27日
  • とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡

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    東工大の「リベラルアーツ教育」を構想した面々、池上彰ら実施にあたった人々の問題意識の高邁さや努力は素晴らしいと感じる。東工大については、今野浩のエッセイにもたびたび触れられていたが、理系学生に人文知の薫陶を与えようという意識が非常に高く、般教の教授連も大物が就くらしい。とはいえ、そもそも「リベラルアーツ」は高等教育の場で身につくというものであろうか?。
    本書の中でも何度か出てくるように、試験、試験で能率を追求する知的訓練で鍛えられた「優秀な学生」は、「教養」の涵養にも効率を重視する。人文知の世界の「基本書」は、どれも数をこなせるようなものではない。しかし多くの学生は、いわばよくできた「知のカタ

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    2021年08月16日
  • 手の倫理

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    「さわる」=伝達的コミュニケーション(一方的)
    「ふれる」=生成的コミュニケーション(双方向的)
    ※細かく言えば「ふれる」を超えた「さわる」もあり、一概に一軸上にある2項ではない。

    手(触覚)は不道徳な存在でありながら、だからこそ倫理的でありうる(不可抗力的に生成的コミュニケーションを意識させる)という話。手でのコミュニケーションを「接触のデザイン」と捉えているのもおもしろかった。
    接触の間、Aの一部でもBの一部でもなく、その間に生まれ更新され続ける独立しない何かがある、この生成的コミュニケーションの話は『かたちは思考する』に通ずるところがある。

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    2021年07月09日
  • 目の見えない人は世界をどう見ているのか

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    新たな視点に気づかされます

    2020年中学入試では栄光学園、中大附、東京都市大附で出題、高校入試では東京学大附で出題された。
    先日、目の見えない人に道を聞かれて、説明にとても苦慮したことがあって読んでみた。
    実は足の裏から多くの情報を得ているとか、美術館で絵画鑑賞するとか、驚きの世界であった。
    大切なのは、見えている人が強い、見えない人は弱いという無意識の上下関係を作らないこと。
    「見えないことが障害ではなく、見えないことで何かができなくなる、そのことが障害である」という言葉が胸に突き刺さる。
    障害者が引け目を感じない世の中であってほしい。

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    2020年12月14日
  • 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか

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    スポーツは、目の見えない人にとっては、安全な場所。という感覚に驚いた。

    ルールがあるからこそ、自由に出来る。それは、フィールドやコートといった仕切られた空間も同様。

    ルールがあるから自由、安全という感覚は、一般的な社会においても、示唆を与える。

    とにかく、特殊な状況を理解することは、物事を理解する上で、様々な気付きを与えてくれる。

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    2020年06月11日
  • 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか

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    前著「目の見えない人は世界をどう見ているのか」の一流アスリート編。興味深い世界が開かれていく。視覚障害に対して、かわいそうではない、平等な地平がスポーツを通して見えてくる。

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    2017年12月07日
  • 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか

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    リオデジャネイロでのパラリンピックが盛り上がりは2020年に向けて障がい者スポーツへの関心のギアを一段階上げると思います。NHKの放送もソチの時は教育テレビの福祉番組が中心にあったように覚えていますが今回は総合テレビでスポーツとしての中継が存在感を増していました。本書も社会福祉的な論点ではなく身体論としての切り口が新鮮でした。手に取ったのは以前にたまたまお話を伺った5人制サッカーの日本代表の落合啓士選手がインタビューに答えているのを見つけたからなのですが、その際、見えている時代にサッカーを見てからその後ブラインドサッカーに入る選手より、初めからの選手の方が可能性が高いかもしれない、と言われてい

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    2016年09月22日
  • 「利他」とは何か

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    利他に関する論考集。
    第一章の伊藤亜紗氏は、合理的利他主義や効果的利他主義といった利他についてのトレンドを概観し、その根底には利他の効果の数値化があること、数値化により漏れてしまったり失われてしまったりすることがあると説く。利他の効果を数値化することは、自らの利他的行為が相手に与える影響を規定することに繋がり、押しつけや他者の支配に繋がる。そうではなく、予測不可能性を受け入れること。予想外の他者の反応によって、自らの方が変わること。これを「うつわ的利他」と表現しているが、相手を享けることのできる利他が、良き利他ではないかと述べている。

    第二章では、中島岳志氏が、贈与論から利他を考察している。

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    2025年12月16日
  • 目の見えない人は世界をどう見ているのか

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    ケア文脈で手に取った本。自分自身、片目生活をしていますが、盲目の世界はやはり別世界だと感じた。ただそれを悲観的に論じるのではなく、ポジティブに障害に目を向けられる良書だと思う。また見える人も盲目であるという表現は納得。我々は目に頼って、見えてないことがたくさんあると思う。

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    2025年11月24日
  • 目の見えない人は世界をどう見ているのか

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    自分と違う他者、特に目の見えない人の存在や感じ方、世界の見え方を、「実感」として感じたい

    この本書の目論見が興味深く感じた。
    他書でも同様の視点があるとは思うが、身体性に根差した「実感」したいというところが、ストーリーやエピソード中心で内容が進む本書の特徴に感じて、楽しく読めた。

    私はこれまで他書で、人権概念に根差す、社会モデル、インクルーシブといった理想/概念を触れてきたたが、本書でユーモアとして描かれる、健常者向けにデザインされた社会を障害を前提に、面白がるという視点は、所謂の理想とは違うアプローチで「痛快」に感じた。そして、それは「痛」くて「快」いというのは、言いえて妙。

    また、い

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    2025年10月13日
  • 感性でよむ西洋美術

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    タイトルとは逆で「理性で西洋美術をよむ」をしていた自分、つまりキャプションや絵画のモチーフとなった宗教や神話、歴史を下調べしたうえで答え合わせをするように鑑賞することが好きだった自分に足りない部分が補えると思って読んでみた。
    結局やっぱり西洋絵画史をある程度知ってたほうが面白いのでは?と思ったけど、自分が苦手なジャンルである抽象絵画の”感じ方”はある程度学べて良かった。
    個人的には「感じて、考えて、答え合わせする」の順番で見るのがしっくりきそう。
    こんな授業学生時代に受けたかったです。

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    2025年09月06日
  • 目の見えない人は世界をどう見ているのか

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    見えていない方は立体的に捉えたり感覚が重視されたりなど、見えている自分はいかに目からの情報に頼りきっているのだろうか。

    何かお手伝いできることはないか?と動くのはある意味見えてる立場の傲慢さかも知れない。

    また、障害者雇用を取る会社は多くあるだろうが、自分の知る範囲では視覚障害の方を採用という話は聞かなかったりする。(あるなら、それで問題ないのだが)

    この本をきっかけに、視点視座を変えながら、あらたな学びや気付きが得られればと思う。

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    2025年05月03日
  • ひび割れた日常――人類学・文学・美学から考える

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    ネタバレ

    コロナ禍の社会の中にいる3名の視座、リレーエッセイ

    日常という状態とは?
    ウイルスと生活するとは?
    自然の営みとは?

    コロナ禍を捉え直す試みは、全体から見つめ直す作業になる
    僕らはどのように変わるのか、変わっていくのか

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    2025年04月26日