伊藤亜紗のレビュー一覧

  • 手の倫理

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    たしか土井善晴先生と中島岳志先生の対談の中で聞いて読もうと思ったのがきっかけ。

    「ふれる」ことの対称性や信頼から安心への変化。「ふれる」ことによるコミュニケーションの深さ、生成モードによる信頼の育みなど、視覚や聴覚によるコミュニケーションだけではどうしても信頼と安心の構築が難しいと感じるのはこの辺りが関係しているのかもしれない。

    それに人にふれるということだけではなく、道具や食材に語るようにふれることでその内面性を感じられるようになりたいと思ったりもした。

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    2022年05月14日
  • きみの体は何者か ──なぜ思い通りにならないのか?

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    最近気になる伊藤亜沙さんの著作。
    目の見えない人は世界をどう見ているのか、も伊藤さんの著作だった。
    自身のもつ吃音という現象を例に、人の体は自分の思う通りにはならないもので、その思う通りにならないところを観察して、言葉で言い表してみようと書かれている。
    YA向けだからすぐ読める。

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    2022年05月01日
  • 「利他」とは何か

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    ずっと以前から、私が求めていたものは利他だったんだなぁとわかった。
    小さい頃から「意志が弱い」ことがコンプレックスだったけど、むしろその「余白」が私には力になっていたのかもしれない。

    状況に身を置き、そこから生まれる力にほだされて、気づいたら動いてしまってきた。
    「そうやって仕事増やして、自縄自縛してる」
    これも真実だろうけど、それは「だから私はダメなんだ。バカ」ということに帰するのではない。
    そもそも、状況に流されてまとまりがつかなくなったという物語の帰結で私をマイナス評価する必要なんてないのに、そういう気持ちにさせられてしまうのはなぜなのか。
    他者から受ける評価への恐れ、かな。

    もっと

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    2022年03月29日
  • きみの体は何者か ──なぜ思い通りにならないのか?

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    〈自分の体の感覚を言葉にする〉

    『どもる体』『目の見えない人は世界をどう見ているのか』などを執筆し、本人も吃音当事者である筆者による、「吃音」を例にしながら体と世界の関わり方について記した一冊。
    そもそも「吃音」とは、しゃべろうとしたときに同じ音を連続して言ってしまったり、言葉につまったりする症状のことです。「どもり」とも言われています。

    第1章で筆者は、自分の「体」というものは「思い通りにならないもの」だと言っています。
    どんな顔になるのか、どんな運動が得意なのか、どんな障害を抱えるのかなど。化粧、美容整形、トレーニングなどで理想に近づくことは可能ですが、思ったままにすることは不可能です

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    2022年03月13日
  • 手の倫理

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    今日の世の中を覆っている合理性や生産性という価値観は違う、ふれることを通じて得られる非合理で生々しい感覚に価値を見出そうとしている。今日に必要な思想だと思った。

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    2022年02月15日
  • きみの体は何者か ──なぜ思い通りにならないのか?

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    中学生、高校生を対象にしたシリーズだが、大人が読んでも考えさせられる1冊。
    「自分の身体は思い通りにならない」ということを考える内容。前半では著者自身の経験を中心に、吃音について説明されている。同じ音を繰り返す「連発」、言葉が出てこない「難発」の状態について語りながら、そんな身体とどう付き合うのかという視点で考える。吃音についての知識が自分になかったのもあるが、「言い換え」をするという回避法があるということ、しかし、言い換えをすることで自分のアイデンティティに影響が出る、と考える人もいるということが非常に興味深かった。
    後半、最後の2章は「言葉を獲得しよう」と言い、自分の身体のままらならなさに

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    2022年01月27日
  • 手の倫理

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    人が人にさわる/ふれるときの交流、スポートや介助などさまざな関わりの場面で触覚がもたらす
    コミニュケーションや人間関係の可能性について綴られています。
    全体的に哲学的な内容ですがそもそもの「さわる」と「ふれる」、「道徳」と「倫理」の違いなど
    テーマに深入りするワードに関する説明がとてもわかりやすくより興味をそそられました。
    触覚は視覚に比べて情報を得るために要する時間が長く、繊細に扱わないと信頼関係を損なう可能性も大きい。
    それでも相手とのより深い相互理解を得るための「ふれる」ことの重要性にとても納得がいきました。
    人との関わり合いなど見つめ直したくなる一冊でした。
    内容の割に文

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    2022年01月23日
  • 手の倫理

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    ーー信頼があるところにだけ、メッセージは伝わっていくのです(p.165)

    コミュニケーション論としても、教育論としても、演劇論としても読むことができる本。
    「手」という「距離ゼロ」のメディアを通じて、私たちは「生成モード」のコミュニケーションを行なっている。当たり前のことを改めて言葉におこしてもらうことで、今、自分やその周囲の人たちに何が欠けていて、何が可能なのか、何が起きているのかを、今までとは違った視点で捉え直すことができた。
    また、ブラインドランナーの方と伴奏者の方の言葉が印象深い。

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    2022年01月20日
  • 手の倫理

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    ふれる、と、さわる、にはじまり、手を介したコミュニケーションや、未だコトバに至らない思いがダイレクトに伝わる感覚などを、様々な事例や筆者自身の体験から、丁寧に言葉を連ね、分析されています。
    そのありありとした感触や、相手に委ね、相手からも委ねられる感じが、言葉による思考、分析、コミュニケーションとはまた違ったありようを示されていて、そのようなふれ合いの持つ可能性を感じさせてくれました。

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    2021年11月16日
  • きみの体は何者か ──なぜ思い通りにならないのか?

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    今までは、心には個性があった方がいいけど、体は平均値に近い方がよいと思っていた。

    “きみの体はきみの「こうありたい」には応えてくれない” p.62

    体には、どうがんばったって平均値にはなれない部分がある。それをネガティブに捉えるのではなく、あるいは白々しい前向きな言葉で語るのではなく、自分にぴったりな表現を考えること。

    考えて考えて考え抜いた先に、豊かな「わたし」が作られる。自分が嫌いな人や、別の誰かになりたいと思っている人に、本書をおすすめしたい。


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    2021年11月09日
  • 手の倫理

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    親鸞会などのいう難度海よりも、小舟にすがる生き方のほうがいいと思っていた。つまり、道徳で安らぎを得るよりも、その場その場を悩み、オロオロする倫理がいいと改めて思わせてくれた。

    それから、する対されるの関係でなく、お互いにあるというのも、J哲学を超えて、西田幾多郎の主客不分離を思わせた。

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    2021年10月09日
  • 手の倫理

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    筆者の論考の基になるのが視覚障害者との(触覚による)コミュニケーションなのだが、そこから触覚によるコミュケーションの要素をキーワード(伝達モードと生成モード、共鳴、などなど)として抽出していく様が鮮やかで、とても面白い。

    最終章では触覚の「不埒」で扇情的な側面(触覚のその素晴らしい特性から、思ってもみない欲望や衝動が掻き立てられてしまう。セックスの翌日に入浴介助をすれば不快な重なりが生まれることもある)にも触れる。

    ただそれは決して不道徳なことではなく、普遍的な善を追求する「道徳」を相対化し、むしろ現実的な場面に即し、悩みや葛藤を伴い、そしてより創造的な、「倫理」の世界に近づいていくものだ

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    2021年08月29日
  • 目の見えない人は世界をどう見ているのか

    購入済み

    Want to repeat!

    I really loved each stories in this book. I have a father who has been blind for long time and this noted me that how "I" should see his vision and his life as if I was him. I will definitely go back to read again because I did not get many points and would love to read it again to get mor

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    2020年11月06日
  • 手の倫理

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    触覚や「手」を用いたコミュニケーションに関しての本

    「さわる」と「ふれる」の違い

    「さわる」が一方的な物理接触を表すのに対し
    「ふれる」は、触れられる方の受容が必要で、安心と信頼によるもの
    また、双方向性があり、コミュニケーションとしても成り立つ行為
    ゼロ距離の先、マイナス距離として内部の情報まで知ることができる可能性を持つ

    タイトルの「倫理」という単語の意味
    「道徳」は「こうあるべきという概念」
    「倫理」は道徳を前提にしつつも、ケースによって個別に悩み考え導き出す個人の最善手


    タッチレスの時代
    新型コロナ禍を経て、感染予防の観点から接触の忌避、またはハラスメント予防のためのタッチレ

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    2025年12月16日
  • ヴァレリー 芸術と身体の哲学

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    本書は「詩」がいかにして身体(観者)に作用するかと言う事を通じて、芸術一般についての「装置としての機能」を独自の視点で解説した文章である。

    ヴァレリーが語る「装置」とは、おそらく「詩」ないしは、芸術表現における表現が、鑑賞者にいかに作用するか、または作用させる効果を持てるか、と言う問いが主な命題であっただろう。

    いわゆる「芸術」と称される学問において、世間一般的な感覚からすると、かなり主観性が強く、尚且つ精神論やスピリチュアルを想起させるのではないだろうか。しかし、本書では「芸術」(詩作)というものがいかにして鑑賞者に作用し、「効果」を持っているのか、と言う事が名言されている。芸術における

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    2025年12月11日
  • 体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉

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    面白い。興味深い。こんな研究してるところがあるんだ!ワクワクする。そんな一冊。
    エクソスケルトンで弾き方を体験すると、その後外したあとも複雑な弾き方ができるようになっているのは、凄い。意識が体を縛っていると、体は意識以上のことができない。しかし、目的を意識しないと、体はそれを目指して動けない。そのジレンマを、エクソスケルトンをつけることによって、自分自身が意識している以上のことを体に体験させる。すごいなぁ…
    桑田選手の投球フォームを調べると毎回ブレがある。たけど、回転とか投げる方向とかの目的は的確に達成している。選手自身は全く同じフォームで投げているつもりでも、そういう事が起こる。

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    2025年12月02日
  • 目の見えない人は世界をどう見ているのか

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    目が見えないと指先の感覚が異常に鋭くて嗅覚で何でもわかっちゃう、みたいな先入観を気持ちよく訂正してくれる。ある、ない、ではなく違う2つのものがありそれをフラットに見て感じることができるのが理想だなと感じた。視覚に頼りすぎている自覚をし、電車で目を閉じて足裏の感覚に集中してみた。わくわくする本だった。

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    2025年11月30日
  • 手の倫理

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    数年前から気になっていたけど、
    リアル書店ではなかなかお目にかかれなかったこちら。
    なんといつもの工夫舎さんに
    「ありますよ」
    と、難なく言われてようやく購入。
    講談社選書メチエの本自体はじめてだ〜。

    ざっくり言うと、触覚のお話。

    普段、私たちは何かを認知する時、
    視覚に頼ることが多い。
    対象物と距離をとることにより、安全に観察することができる。
    古代から認知の方法として、最も尊ばれたのが、視覚、次に聴覚。
    嗅覚、味覚がさらにその下、触覚は1番低級な感覚として捉えられていたんだそうだ。低級かどうかはわからないけど、確かに何かを認知する時、「触る」ことが1番ハードルが高い(低級からのこの言い

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    2025年11月30日
  • 手の倫理

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    「さわる」と「ふれる」。その似て非なる言葉。ケアすることが日常の私も、よく分かる感覚。さわることは医学的であり、ふれるはケア的。同じ手が触れ合うということでも、こちらの気持ちは相手に伝わっていると感じるし、自分でも触られた、ふれられる、は大きく違うし、言われなくても体で分かってしまうもの。
    とても興味深く読んだ。ただ、最後の入浴介助の話はちょっと疑問。介助者は裸になる必要はないし、洋服を着ている、濡れないように防御している(防水エプロンをつけるなど)ことで、ケアの提供だとより認識するのでは、と思う。私の知らない入浴介助で服を脱いでする場合もあるのだろうか。ただ、触覚は本人の自覚以上に体が勝手に

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    2025年11月17日
  • 「利他」とは何か

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    「贈与」や「利他」がタイトルに含まれる本が増えていますね。

    現代に生きる私たちは、交換や利己によっぽど疲れているのでしょうか。

    ただ「贈与」や「利他」に漂う胡散臭さがあるのも事実。

    結局人間は純粋に利他的には生きられないのではないか。

    最近、私の考えていたことです。

    この本を読んで、その考えは合っていると感じるとともに、
    利他は意図せずしっかりと存在することも実感できました。

    それは自分という器を誠実に生きるということ。

    自分が全力になれることを全力でやることが、人類の歴史や系譜に奉仕することになるという作家・磯﨑憲一郎さんの言葉は、私たちの迷いを幾分和らげてくれるのではないでし

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    2025年11月13日