伊藤亜紗のレビュー一覧
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匿名
購入済み視野が広がった作品
学校の感想文の課題がきっかけで読みました。
わかりやすく噛み砕いて伝えてくれて、シンプルな言葉だからこそ心に刺さる内容でした。
出会えて良かったと思える、そんな作品です。 -
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ネタバレおもしろかった~。とってもエキサイティングだった。
これまでの読書経験のなかで「吃音」について書かれた本に出会ったのは今回が初めて。もちろん吃音の人物が出てくる小説や物語はいくつも読んだことがあるけれど(本文中に出てくる三島由紀夫の『金閣寺』とかね)、吃音そのものを取り上げた本、しかも筆者自身が吃音で、その自身の体験を語った本というのはなかなか衝撃的だった。
一言で言うなら、それはまさに「他者との出会い」。こんな世界が現実にあるのだという発見。
自分の周りに異世界を発見することは、自分の世界を広げたり、自身を反省する鏡になったりするから、冒頭に感想を示したように、非常にエキサイティングな冒 -
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伊藤亜紗さん著『感性でよむ西洋美術』のレビューです。
モザイク画・ルネサンスから抽象画まで、西洋美術について広く扱われています。
ルネサンスの功罪、バロックの特徴、モダニズムの重要性、キュビスムの新しさ、抽象画の存在意義などを、絵どうしの比較を通じてざっくりと学べます。
およそ100ページあまりで1〜2時間あれば読めてしまうにも関わらず学びは多く、絵もカラーで極力大きめに載せてあり、非常におすすめです。
これが800円で買えていいの!?という気持ちになります。
類書と違うのは、タイトルにあるように見たときの感性を大事にしている点です。
美術館に行くと絵の横にある解説文にまず目がいってしまい -
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ネタバレようやく読めた伊藤亜沙さんの著書。
1900年あたりの詩人であるポール・ヴァレリーの詩感をまとめてくれている本。人間の感覚論・身体論のような生理学みたいなところから芸術を定義して、詩学へと発展する過程がわかりやすくまとめられ、身体-芸術を繋げる1つの考え方が書かれている。
芸術を考えるスタンスとして、意味的なところからスタートせず、人間の知覚から立ち上げるところがかなり好み。
詩(芸術)とは、身体機能の散文的な繋がりに違和をきたすことによって、各部位に備わる機能を開放し、その機能自体を知覚させる。そして、その知覚により、"真の行為"を読者に促すものだと僕は受け取った。
僕は -
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倫理は原則として一般化されたことがらを対象とするのではなく、個別の文脈の中で極めて現実的な態度としてのジレンマ、悩み、迷いとともに生じるものであり、明確な答えがない不安定さと隣り合わせである。しかしこのような不確かな時代だからこそ、倫理的である姿勢は重要なのであり、またそうであることで創造的な議論ができるのであるから、私たちが倫理について考えることは極めて重要なことだろう。
本書では、多様な意見があるときに、「多様性」という言葉をもって相対主義的な不干渉の姿勢を示すことの無責任さを、まさしく倫理の観点から指摘している点が印象深かった。つまりどれほど多様でも、私たちはなおも考え続け、語り続けなけ -
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『感性でよむ西洋美術』
とあるが、この本を読んだからといって、すぐに作品が伝えたいメッセージを読み取れるようになるわけではない。
ただ、この本では古代から続く美術史を概説するとともに、各時代の作品の特徴を社会的背景をもとに読み解いていくもので、学生時代まったく世界史に興味がない人間でも、明日から美術館に行きたくなる本だった。
第1章の冒頭、美術史は「神々の時代」→「キリスト教の時代」→「人間の時代」と変遷していった旨の話があるが、果たしてピカソの様な抽象画が人間の時代の芸術なのか、もはや人間でも解釈できないような時代に来ているのではないかと思った。
しかし、読み進めていくうちに、この本の締め -
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体が動くとき、脳がその命令を出し、力の入れ方や動き方をコントロールしている。――大筋ではそうなのだけど、実際に身体に起きていることを細かく見ると、事はそう単純ではない。頭で指の先まで考えてコントロールしているわけではないし、どころか、頭で理解できている動きと実際の体の動きが全然違っているなんてこともある。
本書は、身体運動の技能獲得にまつわる不思議さと、それに関連したテクノロジーを、著者(自身も研究者)が様々な研究者と対談した内容をまとめたもの。「頭が体をコントロールする」という常識から、「体が頭を置いていく」という考えに誘うものとなっている。
もっとも印象的だったのは、プロローグとエピローグ -
Posted by ブクログ
1章が最も分かりづらいという珍しい本だった。
全体:テクノロジー、主にAI技術を用いて、ヒトが何か出来るようになることの方法、意味、段階を考察する。テクノロジーを、ひいては、自分の感覚を自分に取り戻す、研ぎ澄ますことに通じている。
1章:ピアニストの手を自動で動かす機械。
頭でイメージを掴む前に、カラダを先に動かし、感覚を掴む。動きを可視化する。
2章:桑田のピッチングフォーム解析。
毎回リリースポイントはブレブレ。意識とは違う動きをしていたカラダ。土地勘があるように、揺らいだ動きに対応出来る、カラダの動作の暗黙知が鍛えられている。
カラダは、アタマの意識よりも、多くを知ることが出来る。 -
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何かが「できる」ようになるには、頭で理解できるより先に身体が理解している。さまざまな動きの試行錯誤から偶然に正しい動きができて、そこでようやく意識は「あ、こうするのか」ってなる。この発見をいかに早くできるかが鍵となっていると。誰かに教えてもらうことは、この気づきに早く近づくための方法。
この本ではテクノロジーを使って、この習得時間をいかに短時間にできるか、いろいろなアイデアが出てきて面白い。
個人的に特に気になったことは、脳の可塑性には自由度があるから習得できるけれど、間違った習得をした場合、それをキャンセルさせることが難しいこと。つまり一度ついてしまった悪い癖をを正しい動きに戻すには相当努 -
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倫理と道徳を区別して、倫理とは一般の存在しない、個人が線引きを行うことで作られる、ある種の創造性を含んだものであることが提示される。「多様性」のような、ビッグワードやスローガン的なものに吸収されていく、あわいのある存在を見落とさないようにしたいと考えようになったのは、本書の指摘が大きかったかもと思う。
具体的な状況と普遍的な価値のあいだを行き来することで、倫理的な行為を深化させることや、他者性についても言及があり、一章だけでもパンチライン多数。ってかまえがきの時点でめっちゃおもしろい。
ふれるという行為の相互性、また介入性が、いかにさわるという一方向的なものと異なるか。
伊藤さんは利他という -
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そうそうたる顔ぶれがそれぞれに「利他」について説いているんだけど、何となく見えてくるものがある。特に、伊藤亜紗と中島岳志の利他論に学ぶところが大きい。すなわち……。
利他とは、人のためになることのようなとらえ方が一般的だと思うけど、それを意識的にするのは「利他」ではない。何らかの気持ちのメカニズムが働くにせよ、本人的には説明がつかないうちに、自分のためでなく動いてしまうことが利他なのだ。
一生懸命に利他的なよき人物であろうなどと努めてしまうが、そんなことを考えているうちはまだまだということだろう。考えてみれば、利己的な言動だってわざとそうしているのではなく、自然とそうしてしまうからこそ利己的な -
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とても面白い読書体験だった!!
工学、テクノロジーは機械や技術という側面から見ると「近未来的」「すごい」「難しい」と、自分ごとの延長として捉えにくいのだが、誰もが共通して持っている「肉体」というレンズを通して見るととても身近なものに思えてくる。
障害や様々な面から日々人間の肉体について研究されている伊藤亜沙さんにしか書けなかった本だと思うし、伊藤さんが研究の過程で繋がりができた方々の研究を1冊の本としてテーマに沿ってまとめてくれているから事例紹介としても、読みものとしてもとても面白かった。
これこそ理系と文系の理想的な融合を実現している事例だと思う。
これから私たちはどこへ行くのか。
肉体 -
Posted by ブクログ
(今のところ)今年一番面白かった一冊。
体がある技能を習得するとき、何が起こっているか。
技術がそれにどう関与できるか。
美学者である著者が、五人の工学系の研究者の試みを通して体の持つ可能性を探索する。
最新の技術を、伊藤さんのナビゲートでその研究室に行って見学するような気分で読める。
最初に登場する古屋普一さんの「エクソスケルトン」。
一見ピアニスト養成ギプス。
つけると、勝手に指が動き、弾ける人はこう体を使っていると疑似体験できる装置。
テレビで少しこの話を聞いた気がする。
学習者が誤った体の使い方をして弾けなくならないようにという意図で作られたものらしい。
つけた人は「あっ、こうなの