伊藤亜紗のレビュー一覧
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「はじめに」からグイグイ引き込まれる内容だ
バーチャルリアリティを使ってけん玉の技をトレーニングする
球の動く速度はかなり遅い
このトレーニングにより、96.4%が技を習得したという
(TVでもこういうの見たぞ!ご高齢の方のリハビリだ
負荷をかけたトレーニングをさせたいが、故障してしまう可能性も高い
よって編み出された方法とは…
負荷の少ない器具を使うのだが、バーチャルでは実際より負荷の高い器具を使っているという設定にし、
そのバーチャル映像を見ながらリハビリトレーニングするのだ
これにより身体を痛めることはなくなり、かつ効果があったという)
「自分の体を完全にコントロールでき -
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伊藤亜紗さんの「見えないスポーツ図鑑」は期待外れだったが、本書は面白かった。
楽器演奏やスポーツ技術の習得に苦労した経験のある人や、今苦労している人には新鮮な視点が得られるだろう。
桑田真澄の投球フォームのデータには驚いた。
30球ほど「同じフォームで」投げて貰ったところ、大学や社会人の投手よりズレが大きかったのだ。
桑田の制球力には定評があり、コントロールのブレは少ないのに、これはどういうことだ。
フォームのばらつきがコントロールの誤差を生んでいるのではない。
誤差を含んだフォームからの調整力がコントロールの良さを生んでいるのだ。
実践の投球では、マウンドの傾斜や土の硬さ、風の強さや向き -
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けんだま練習のAIのことをちらっと聞いて、興味を持った。
身体ができないことを、科学技術の力でできるようになるとはどういうことだろう?
できるようになるというのが、「自分の輪郭の書き換え」ということであって、他者と比較してディスられるものではないという意見に共感。
桑田のピッチングフォームのことから、状況が変わる中で常に結果が同じくなるように合わせるというのは、なるほどと思った。
身体を全く同じように動かしたところで、環境が違うとどうにもならないだろうから。
それまでの自分じゃないところに誘う役割として、「暗示をかける」みたいにテクノロジーを使うということなんだ。
テクノロジーを外した後 -
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中3生の模試の国語で、伊藤亜紗さんの『「うつわ」的利他』の一部が題材として出題されていて、興味をもったので読んでみました。
「利他」は「偽善」「自己満足」「押しつけ」と紙一重で、特にネットではそんな言葉で全く関係のない赤の他人から揶揄されたり非難されたりする可能性もあって、最近はうっかり親切な行動もとれないような雰囲気があったりもします。だいたい、「偽善」「自己満足」「押しつけ」をすり抜ける「利他」ってどんなものなんだろう。そんな思いがありました。
伊藤亜紗さんの章は読みやすく分かりやすかったですが、いちばん面白く興味深く読めたのは中島岳志さんの『利他はどこからやってくるのか』でした。志賀直哉 -
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触覚を通じたコミュニケーションは「距離ゼロ」ではなく、相手の内面にふれる「距離マイナス」なのだという考え方。
今までそこまで考えてしてたわけじゃないけど、コロナ禍で「握手」が気軽なものではなくなったことで変わる人間関係もあるのかなーとか思ったりもした。
一方的な「さわる」と相互的な「ふれる」
ただ発信するだけの「伝達モード」とやり取りを重ねる「生成モードのコミュニケーション」
後者を正解とするのが「道徳的」な態度なのだろうけど、必ずしも一方的な発信が悪ではないのが現実。
今はどちらの態度でふれれば、あるいはさわれば良いのか考えるのが倫理というもの。 -
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社会構成主義的な言語によって意味が社会的に構成されているという考えには、なるほどと共感するところが多いのだが、素朴な疑問として、身体性とか、倫理性とか、スピリチュアリティとかをどう考えるのかというのは、もやもやする。
まあ、「そういうものは社会的構成だ」的な説明もあったりするのだが、普通に考えてそうとも言い切れないないだろうと思う。
哲学ではなくて、人と現実的に関係しあうなかでは、そのあたりはなしにはできない。
この本は、基本、哲学なのだが、そういうリアリティとの関係を身近な体験を踏まえながら、少しづつ手探りで前に進めていく感じがよい。
いろいろな話しがでたところで、明確な答えに辿り着 -
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東工大ではここ10年くらいをかけ、「リベラルアーツ」の名のもと、理工系の学生たちに文系的な知を体得してもらう取り組みをしている。本書はその取り組みを中心的に推進してきた池上、上田、伊藤3氏によるもの。各氏の論稿と鼎談を収載している。
自分も含め、文系の人々は理系からっきしって人けっこういるけど、社会に生きたり本読んだりしながら生きている以上、いくら苦手意識をもっていたとしても理系の人のほうが文系分野を取り込みやすいだろう。そして理系の人が文系の素養(リベラルアーツ)を手にすればよりよい世のなかがつくりやすいような気がする。たとえば、科学技術を純粋に探究しているうちに核兵器ができちゃうようなこと