伊藤亜紗のレビュー一覧
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自分の体に何かしらの不具合を抱えている11人の話。摂食障害、ALS、PEM…色々な人達が登場するけれど、驚いたのは伊藤亜紗さんのインタビューの切り込み方が思いの外、ストレートだったところ。気になったとしても、なんとなく触れにくい事を率直に聞いていて、逆に相手も話しやすくなるのかもと思った。
自分の体でありながら、自由にならない体。この不自由さを様々な工夫や気持ちの持ちようで、なんとかしている。皆さん、明るさが感じられるところもあったりして、ただただすごいなと思ってしまった。
自分で自分の体の居場所をつくる。健康であることに感謝しつつ、不具合があるところも折り合いをつけて付き合っていく。状況に関 -
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全盲の人と言えば、まず私は「目の見えない白鳥さんとアートを見に行く」の白鳥さんを思い浮かべるので、この本にも登場されて、前掲の本を読んだ時の衝撃を思い出した。
そしてこの本でも数々の驚きがあった。
大岡山、富士山、月などは目の見えない人の方が本当の状態を認識されていて、えーっとなった。
「見えない人には死角がない」というのも、すごいこと教えてもらったという感じ。
点字の認識も変わった。
筆者の「障害者」に対する考え方は、すぐには100%納得できないものもあり、自分で改めて考えたい。
「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」はぜひ行ってみたい。
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昔、バイオフィードバックについて知った時、
これはすごいと思った。
肩こりする人が肩こりしにくい姿勢を学習できたり、
骨盤底筋を鍛えて尿漏れしなくなったり、
下腹に適度に力を入れてぽっこりしなくなったり、
いろいろ出来るんじゃないかと思ったのに。
主にリハビリに使われているらしくて、
一般の人が気軽に使える技術になってないのは
どうして?
ちえっ。
と思っていたら、それ以上の技術がわんさと出ていてたまげた。
上手に出来る自分のお手本があると、
上達が早いらしい。
私でも早く走れる様になったり、
ドッジボールで早い球投げられる様になったり、
踊れたり、内股が直ったりする?
ウィスパーボイスを -
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ネタバレ耳で見て目できき鼻でものくうて口で嗅がねば神は判らず
出口おにさぶろう
対話についての読書会に、オンラインで参加した。知らないおじさんが熊谷晋一郎と伊藤あさの話をしていた。恥ずかしながら読んでなかったので即購入したのがこの本。
障害については大学でもすこし学び、自分なりにある程度理解しているつもり。たが、まだまだだなと感じた。障害者が障害者なりに人生楽しんでいるのは知ってたけど、その一歩先に進んで、そのユーモアセンスにも注目している。
見えないからこそできる美術鑑賞。見えない人の空間認識。見えることで帰って現実が制限されているように、感じた。
もし、自分が見えなくなっても、前向きに笑いに変 -
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触覚や「手」を用いたコミュニケーションに関しての本
「さわる」と「ふれる」の違い
「さわる」が一方的な物理接触を表すのに対し
「ふれる」は、触れられる方の受容が必要で、安心と信頼によるもの
また、双方向性があり、コミュニケーションとしても成り立つ行為
ゼロ距離の先、マイナス距離として内部の情報まで知ることができる可能性を持つ
タイトルの「倫理」という単語の意味
「道徳」は「こうあるべきという概念」
「倫理」は道徳を前提にしつつも、ケースによって個別に悩み考え導き出す個人の最善手
タッチレスの時代
新型コロナ禍を経て、感染予防の観点から接触の忌避、またはハラスメント予防のためのタッチレ -
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本書は「詩」がいかにして身体(観者)に作用するかと言う事を通じて、芸術一般についての「装置としての機能」を独自の視点で解説した文章である。
ヴァレリーが語る「装置」とは、おそらく「詩」ないしは、芸術表現における表現が、鑑賞者にいかに作用するか、または作用させる効果を持てるか、と言う問いが主な命題であっただろう。
いわゆる「芸術」と称される学問において、世間一般的な感覚からすると、かなり主観性が強く、尚且つ精神論やスピリチュアルを想起させるのではないだろうか。しかし、本書では「芸術」(詩作)というものがいかにして鑑賞者に作用し、「効果」を持っているのか、と言う事が名言されている。芸術における -
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面白い。興味深い。こんな研究してるところがあるんだ!ワクワクする。そんな一冊。
エクソスケルトンで弾き方を体験すると、その後外したあとも複雑な弾き方ができるようになっているのは、凄い。意識が体を縛っていると、体は意識以上のことができない。しかし、目的を意識しないと、体はそれを目指して動けない。そのジレンマを、エクソスケルトンをつけることによって、自分自身が意識している以上のことを体に体験させる。すごいなぁ…
桑田選手の投球フォームを調べると毎回ブレがある。たけど、回転とか投げる方向とかの目的は的確に達成している。選手自身は全く同じフォームで投げているつもりでも、そういう事が起こる。 -
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数年前から気になっていたけど、
リアル書店ではなかなかお目にかかれなかったこちら。
なんといつもの工夫舎さんに
「ありますよ」
と、難なく言われてようやく購入。
講談社選書メチエの本自体はじめてだ〜。
ざっくり言うと、触覚のお話。
普段、私たちは何かを認知する時、
視覚に頼ることが多い。
対象物と距離をとることにより、安全に観察することができる。
古代から認知の方法として、最も尊ばれたのが、視覚、次に聴覚。
嗅覚、味覚がさらにその下、触覚は1番低級な感覚として捉えられていたんだそうだ。低級かどうかはわからないけど、確かに何かを認知する時、「触る」ことが1番ハードルが高い(低級からのこの言い -
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「さわる」と「ふれる」。その似て非なる言葉。ケアすることが日常の私も、よく分かる感覚。さわることは医学的であり、ふれるはケア的。同じ手が触れ合うということでも、こちらの気持ちは相手に伝わっていると感じるし、自分でも触られた、ふれられる、は大きく違うし、言われなくても体で分かってしまうもの。
とても興味深く読んだ。ただ、最後の入浴介助の話はちょっと疑問。介助者は裸になる必要はないし、洋服を着ている、濡れないように防御している(防水エプロンをつけるなど)ことで、ケアの提供だとより認識するのでは、と思う。私の知らない入浴介助で服を脱いでする場合もあるのだろうか。ただ、触覚は本人の自覚以上に体が勝手に -
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「贈与」や「利他」がタイトルに含まれる本が増えていますね。
現代に生きる私たちは、交換や利己によっぽど疲れているのでしょうか。
ただ「贈与」や「利他」に漂う胡散臭さがあるのも事実。
結局人間は純粋に利他的には生きられないのではないか。
最近、私の考えていたことです。
この本を読んで、その考えは合っていると感じるとともに、
利他は意図せずしっかりと存在することも実感できました。
それは自分という器を誠実に生きるということ。
自分が全力になれることを全力でやることが、人類の歴史や系譜に奉仕することになるという作家・磯﨑憲一郎さんの言葉は、私たちの迷いを幾分和らげてくれるのではないでし -
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「利他」に偽善的なものを感じつつも、必要なものだよなあという気持ちもあり、興味のあるテーマなので読んでみた。
正直3章以降は難しすぎたのだけれど、伊藤亜沙さん、中島岳志さんの文章に、何度も視野を広げてもらった。以下、特に印象的だった部分のメモ。
伊藤亜沙さんの文章では、効果的利他主義という考え方を知った。徹底的な「評価と比較」をして行う利他だ。
例えば、他者のために働きたいと考える若者が、限られた給料のNPOに就職したりせずに、ウォール街でお金を稼いで寄付する方を選ぶというような考え方となる。
利他の原理を「共感」にしないのが目的らしい。共感によって行う利他では、ふだん出会うことのない遠い国 -
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ネタバレこれも脳の多様性なんだろうなーと思いながら、
目の見えない人に焦点を当てるすることで、そのおもしろさをあらためて感じました。
本書はとても読みやすく、空間、感覚、運動、言葉、ユーモアの5テーマから、著者が5人の今は目の見えない方々とのやり取りなどを通して気づきを受けた言動などを組み合わせ、見えない人が世界をどのように見ているかを、考えていく作品になっています。
とくに現代社会のさまざまな事柄が、視覚に偏重気味であることにも気づかされ、だからこそ、目が見えない場合を想像したり、目の見えない人の脳や身体のつくりを学ぶことは、普段の当たり前の世界を相対化させるための触媒になるのですね。
言葉 -
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見るために使われる脳の機能を、他の情報を得るために使われる。「何を使おうができれば良いじゃないか」という筆者の言葉が好き。
筆者自身は視覚障害者ではなく、彼らの堂々とした言動に毎回驚かされるという。
個人的に面白かったのは、電車が急ブレーキしたときに視覚障害者はしっかりと軸がぶれずに立っている話。細かな振動も足の裏や音で敏感に反応しているから、事前にある程度予測ができるそう。
これは動物にも似たところがあるのでは?
よく留守番しているペットが、飼い主が家に近づくだけで(まだドア付近にではないのに)敏感に反応する。これも地面に近いからこそ、さらに「見える」世界があるんだろうなぁ。ロマンだ。 -
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「できない→できる」のためには未知のやり方で体を動かす→意識が正しいやり方を体に指示する→しかし未知なので意識は正しくイメージできない→体はそれを実行できない
と言うジレンマを超えるジャンプ。これを可能にしているのが、体の「ユルさ」。体は、意識を超えて「ゆく」のです。
これがこの本の趣旨。この実践方法として色んな具体的な例、研究者を紹介している。
例えば、元ジャイアンツピッチャーの桑田のピッチングフォーム、バーチャルしっぽを振る実験、など医療に応用したり、アスリートや演奏家の技術向上に使ったり、新たな科学技術のヒントになったり、面白い実験ばかりだ。とても書ききれない。
読んでいて、ひと