伊藤亜紗のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
〈自分の体の感覚を言葉にする〉
『どもる体』『目の見えない人は世界をどう見ているのか』などを執筆し、本人も吃音当事者である筆者による、「吃音」を例にしながら体と世界の関わり方について記した一冊。
そもそも「吃音」とは、しゃべろうとしたときに同じ音を連続して言ってしまったり、言葉につまったりする症状のことです。「どもり」とも言われています。
第1章で筆者は、自分の「体」というものは「思い通りにならないもの」だと言っています。
どんな顔になるのか、どんな運動が得意なのか、どんな障害を抱えるのかなど。化粧、美容整形、トレーニングなどで理想に近づくことは可能ですが、思ったままにすることは不可能です。
けれど「思い通りにならないこと」が「思っても見なかったこと」を連れてくると筆者は言っています。では、どのような「思ってもみないこと」を連れてくるのか。筆者は吃音の経験と研究を通じて学んだことを教えてくれます。
第2章から第5章までは主に吃音に関する解説です。
筆者はそもそも「しゃべれるほうが変」だと言っています。
声帯から出てくる音をなめらかな喉や舌、口の動きで新たな音に変えて、その後に続く音との連続を想定しながらスムーズな音の運びにして言葉にしていくことは、当たり前ではあるけれど簡単なことではないと言っています。
吃音の人はそれらの口周辺の体の動きにエラーが起き、体と心が連動しなくなり、それらをなんとかしながら言葉にしている。つまり、その試行錯誤の結果が吃音の症状として出ているのだそうです。
本書の中では吃音の以下の症状を紹介しています。
「ててててててがみ」のように最初の音を続けて言ってしまう「連発」
「連発」を隠そうとして、体が石のように固まってしまって言葉が出なくなる「難発」
「難発」を対処しようとして、ある言葉がつまりそうになったら、その言葉を似た意味の言葉に換える「言い換え」
吃音の症状でイメージしやすい、最初の音を繰り返す「連発」が、実は体がリラックスした状態で起こると答えている人が多いと筆者は紹介しています。つまり、体が先行してしまっている、言い換えれば体が開放されている状態で起こっているということです。それを隠そうとして「難発」が起こり、「難発」をごまかそうとして「言い換え」が起こるということでした。
私は「連発」の原因が体の緊張によるものだと思っていたため、その解説には驚きました。また前の症状をなんとかしようとして、「体」が次の症状を生み出していると知り、「体」の影響の大きさを知りました。
「言い換え」に関しては、吃音が治ったようにも思われるためにその症状を受け入れている人がいるそうです。一方で「言い換え」によって言葉のニュアンスが変わってしまい、自分の本意が伝わらないことで自分を偽っていると感じ、「言い換え」をしないようにして、あえて再び「どもり」が起こるように選んだ人もいるとのことでした。
私は、自分の体の状態を把握し、どのような体の状態が自分らしいか、つまり「体のアイデンティティ」を選択するということを知りました。
第6章では、それらの具体例を通じて「メタファー(隠喩)を味方につけよう」とまとめています。
吃音の症状がどうしてメタファーの話に?と思うかもしれませんが、筆者は、メタファーを獲得することで現実を見る見方をつくりだし、人々のふるまい方を変えると言っています。
それまでの章で、吃音の症状を説明するためにパソコンでのキーボード入力のメタファーを紹介していました。また、筆者が三島由紀夫の『金閣寺』での吃音の説明で使われているメタファーを引用して、吃音患者の方が「難発」をどのように捉えているのか紹介していました。まさに自分の言葉で体の感覚を語ることで、読者の「吃音」に対する現実の見方を変えていたのです。
また、体の反応をメタファーにして周りの人に伝えることで、知識ではなく「体」の感覚で相手に理解してもらうことができる可能性を示していました。
本書を読むと、まず吃音について理解を深めることができます。
そして、自分の体を見つめ、感覚を言葉にしたり相手に伝えたりすることで、体が発している力を信頼することができるということを学べます。
この「ちくまQブックス」シリーズに共通することですが、イラストが豊富、かつ二色刷りのため、読みやすいです。章ごとに区切られ、一冊あたりのページ数も少ないため、気軽に読めます。
自分の体って何なの?と思っている人にオススメの一冊です。 -
Posted by ブクログ
中学生、高校生を対象にしたシリーズだが、大人が読んでも考えさせられる1冊。
「自分の身体は思い通りにならない」ということを考える内容。前半では著者自身の経験を中心に、吃音について説明されている。同じ音を繰り返す「連発」、言葉が出てこない「難発」の状態について語りながら、そんな身体とどう付き合うのかという視点で考える。吃音についての知識が自分になかったのもあるが、「言い換え」をするという回避法があるということ、しかし、言い換えをすることで自分のアイデンティティに影響が出る、と考える人もいるということが非常に興味深かった。
後半、最後の2章は「言葉を獲得しよう」と言い、自分の身体のままらならなさについて、メタファーで表現することで他者とつながることができると述べている。三島由紀夫の『金閣寺』を例にとりながら、自分がしっくりくるメタファーを見つけることへと話が展開していくのはとてもおもしろく、納得感もあった。 -
Posted by ブクログ
人が人にさわる/ふれるときの交流、スポートや介助などさまざな関わりの場面で触覚がもたらす
コミニュケーションや人間関係の可能性について綴られています。
全体的に哲学的な内容ですがそもそもの「さわる」と「ふれる」、「道徳」と「倫理」の違いなど
テーマに深入りするワードに関する説明がとてもわかりやすくより興味をそそられました。
触覚は視覚に比べて情報を得るために要する時間が長く、繊細に扱わないと信頼関係を損なう可能性も大きい。
それでも相手とのより深い相互理解を得るための「ふれる」ことの重要性にとても納得がいきました。
人との関わり合いなど見つめ直したくなる一冊でした。
内容の割に文体が丁寧でわかりやすいので興味がある方にはとてもおすすめできます。 -
購入済み
Want to repeat!
I really loved each stories in this book. I have a father who has been blind for long time and this noted me that how "I" should see his vision and his life as if I was him. I will definitely go back to read again because I did not get many points and would love to read it again to get more understanding! and I am glad that I could read this book on online because since I am not living in Japan right now, I was looking for a digital one for this book, and I eventually find this site!!
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Posted by ブクログ
新書。アメリカに行く途中のバスと飛行機の中で読み始めた。俺の興味の領域にある聾者の話にも似た今回は視覚障害者について書かれた本。もう20年も会っていないが俺には生まれつきの視覚障害者のはとこがいて、小さな頃一緒に遊んだのを思い出す。
全体的に読みやすく、わかりやすい例や過去の学者の考えなども引用しつつ書かれている。この本通してのテーマが、「情報」ではなくて「意味」が大切なのではないかというもの。俺自身も情報には惑わされず、情報のみ摂取するような事を避けていた。なるほど意味かあ、と自分の考えを言語化されたようで好印象を持つ。そしてこの考え方は今後の人生のテーマになるかもしれない。
この本の中では我々は視覚を持っているが上に情報が多く、視覚障害者はそうでないため物事の意味を常に捉えようとしている(のではないか)、というような考えが披露される。ふむふむなるほど、と思いつつも、果たして本当にそうだろうか?と批判的な視点も持ちつつ読み進める。
章は空間、感覚、運動、言葉、ユーモア、と言う流れで続いていく。まず最初の空間について。筆者は大岡山で晴眼者はここが坂だとかそういう地形は気にしないが視覚障害者にとってはここは山の斜面だということに驚く。が、俺はそれに驚く。そうだろうか?俺自身は常に地形を意識しているし、ブラタモリファンのような人ならみんなそうだろう。このあたりからこの本は面白そうだけど、結構主語がデカかったり著者の思い込み、もしくは晴眼者のサンプルが自分のみのケースも含まれるんだなと感じた。
ただ、この空間の章に出てくるエピソードで大変印象に残るものがある。それは斜視が原因で立体視が出来なかった人物が48歳にして立体視を会得したというエピソード。これにより今まで個別に細部しか見ていなかったのだけど、全体を眺め一瞬で把握するようなことが出来るようになったと(これは我々が意識せずにしていることである)。面白いのはここからで、この変化はこの人物の情報の処理の仕方にも影響を与えたと。これまでは論文を読むときなども部分の積み重ねの結果全体を把握していたのだが、今ではまず全体像を一気に把握して細部との関係を検討する、というようなことが出来るようになったと。ここで急に自分の話になってしまうのだが、俺は子供の頃から地図や道を覚えるのがとても得意で(方角の概念を知って以来いつも北がどっちかわからないと気持ち悪い)、今でも行きの車の助手席に乗っていれば帰り道の運転はナビなしでできたり、初めて通る道で、あ、この道このまま行くとあそこに繋がるでしょ?と言うのがよく分かる。要するに、俺は割と空間を三次元的に俯瞰的に捉えるのが得意かな、と言う事で、それがもしかしたら俺自身の物事の考え方に繋がってるのかも?という気づきがあった。確かに情報の処理でも全体像からそれぞれの概念がどんな位置関係にあるのかを考えるような傾向にあるように思える。このテーマは非常に興味があるので関連する分野の本を読んでみたいと思った。
さて、全体的にはたいへん興味深い本ですべての章について述べるには時間がかかるので割愛するが、最後のユーモアの章で視覚障害者などが自分の障害をユーモアに用いるという話で、これは強がりかもしれない、あるいはフロイトを引いてこれは自己防衛のための視点の移動であるかもしれない、だが、とそのポジティブさを説く。俺はここで完全には同意ができず、そこには諦めという視点が抜け落ちていないかい?と思って読んだ。
全体的には読みやすく面白く、情報と意味というテーマもすごく共感した面白い一冊だったけど、書き手の癖がやや強いな、と言っておこう。これだけの感想を書いたのを見てもらってもわかる通り、多くのものを感じ取れた本。 -
Posted by ブクログ
面白かった。
「なんとなく素敵」「感じが悪い」
言葉にしづらい身体感覚や感性は、
100%個人的なものではなく
社会的、規範的なものであるということが強調される。
肥満に対する否定的な感覚は
アフリカ系アメリカ人への差別意識が関係しているという話も興味深い。
やっかいで曖昧でうつろいやすい「感性」
「成立の歴史を知る事は、感じ方を変えるための第一歩となる」と語られるように、歴史を知ることで当たり前を疑い、別の捉え方への可能性を開いていく。
その姿勢は、美醜の感性だけでなく
自分の中の「当たり前」全般にも応用できるはず。
あなたの『良い感じ』もわたしの『微妙』も
社会の中で作られてきたものかもしれませんね
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Posted by ブクログ
面白かったけど少し難しい。規範的感性の他者化、差別化、そしてその理性的な規範から逸脱する感性の話など面白かった。また、黒人が、自分を否定する眼差しを内面化してしまい、その結果主体形成を難しくしているという話など興味深かった。そしてそれをブラックアーツムーブメントで、黒人の美学として同胞をエンパワメントし、主体形成の一助となる話は、なにか現代日本でも活かせる考え方ではないかと思う。ある属性から、他者からの眼差しで抑圧されていると感じている人々の解放を目指すような動きは、いろいろとありえるだろうと思う。(安易な代入は、差別構造を矮小化する危険もあるだろうことにも留意する必要があると思う)
スタイル、対象との出会いによって既存の感性から逸脱した、内から湧き上がる新たな感覚との出会いをpregnant(妊娠する、孕む)と表現するのも面白かった。
正直、まだ理解できていない、ピンときていない部分も多分にあるので、何回か読み直す必要がありそう。でも面白かった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレお盆休みに読書をじっくりしたい、と思い本屋で30分ほど悩み手に取った1冊。
人間の感性に興味があり、特に身体の美意識というテーマに興味深さを感じ買って早速読み切った。
新書に読み慣れていないので所々学術的な記述や表現は頭に入りづらく苦戦したが、面白かったところがいくつかありあたらしい考え方や観点を発見できたので読めてよかった。
・身体的な特徴を持つ人々が見世物として晒されていた場所に足繁く通っていた人間の多くは、上流階級の人間よりもそこに虐げられ差別も味わっていたような移民や下流労働者であった事実。ただ身体の特徴で笑いものにする、というよりはその見世物として晒された人間を見て自分は見世物とは違う、自分はちゃんと「人間」なのだ。と自分のアイデンティティや価値認知を消化するために利用していた。
・昔はふくよかな女性が理想像であったことは中世の絵画を見ても感じ取れるが、その感性の裏には女性蔑視も含まれていたこと。当時「知的な存在である男性は食欲のような感覚的な欲望に身を任せるべきではない」とういう規範があり、ジェンダーによって美の基準が分かれていたこと。
美意識はただ説明し難い感覚だけによるものではなく、
複雑な社会的背景や状況によって形成される考え方や物の見方なのだな、と感じた。
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Posted by ブクログ
「できる」という当たり前の感覚を、テクノロジーと身体の関係から見直していく内容で、読んでいるうちに自分の体の捉え方が少し揺らぐ感覚がありました。
ピアノやスポーツ、リハビリといった具体例が多く、難しそうな話でも意外とすっと入ってきます。
努力や意識よりも先に体が学んでしまう感覚の話は、普段何気なく使っている「できる」という言葉の曖昧さに気づかされました。
ただ、語り口は平易でも内容はかなり思考寄りなので、すぐに役立つ実用性を求めると少し違うかもしれません。
それでも、読み終えたあとに“体を使って生きている”という当たり前のことを改めて意識させられる一冊でした。