伊藤亜紗のレビュー一覧
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夢中になって一気に読める、というタイプの本ではなかった。読むのが少し大変なところもあった。でも、とてもinterestingな本だった。
自分が持っていない視点、自分に欠落しているものを照らしてくれるような本だったと思う。もちろん、もともと自分にない視点なのだから、読んだからといってすぐに分かるようになるわけではない。それでも、「ここにも希望がありますよ」「そんなに単純に考えなくてもいいですよ」と言ってもらっているような気がした。
できないことや、思い通りにならないことを、単純に不幸や失敗として捉えなくてもいい。その中にも、自分がまだ知らない生き方や、人との関わり方、世界の見え方があるのかもしれない。
この先を生きていくときに、何かの中に光を見出すきっかけをくれるような本だった。
この本に出会えてよかった。伊藤亜紗さんが見ている世界を、もう少し読んでみたいと思う。 -
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知っている言葉でどんどん遠くに運ばれていくわくわくする読書体験だった!のに読んだ直後に感想書かなかったせいで感動したディテールの多くを忘れてしまった…「さわる」と「ふれる」の違い、前者は主体と客体との間に相互作用の発生しないもの後者は発生するものと位置付け特に後者を倫理的(一般解を求める道徳とは異なり、個別具体的な事例にひとつずつアドリブでよく対応しようとする姿勢)なものと評する序盤のくだりから目が開かれる心地だったけど、聞きながら本当にどきどきしたのは 週末医療の現場で、高度に倫理的な「ふれる」はやがて「さわる」に変わっていく 「ふれる」は客体とと主体とをコミュニケーション可能な存在どうしと前提して達成されるが、相手の身体の中に異質さ・他者性・分かり合えなさ(たとえばそれは死という形でやってくる)を見つけるときひとは相手の身体を「さわる」ことしかできない つまり「さわる」は劣位「ふれる」は優位という話ではけしてなく、「さわる」の中に「ふれる」があり「ふれる」の中に「さわる」があるのだ というくだり
伴走の話も面白かった これでよく知ったおかげでこの間光が丘公園で「視覚障害者」「伴走者」のゼッケンをつけたふたりをすぐ見つけられた 伴走した方がひとりより早く良く走れることがある、という事実がなんてことない奇跡のようで希望のようでぐっとくる 少しやってみたいなと聞きながら思ったけどまずひとりできちんとしたペースで走れない限り無理だ(なんの象徴なんだか)
他にも触覚は不埒なものである 簡単にすり替わってしまうものである だから介護士が夜の寝床で恋人のシャツのボタンを外そうとしたとき手は違う記憶を想起する みたいな話も面白かったし、19歳で全盲になった女性が「安全」より「信頼」を選ぶ戦略を取り道ゆく人たちの助けを積極的に取り入れた話、砂連尾理さんの即興ダンスの棒が実現させた「距離マイナス」の触れ合いの話とかも面白かった 他にもおもしろい!と膝を打ったところがたくさんあったはずだけど…またオーディブルで聞き返したい -
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"p29 視覚を遮れば見えない人の体験をできるわけではない。欠如という概念ではなく、視覚がなくともバランスを取るというイメージ。欠如という概念ではない
p37 なんでも助ければいいということではない。福祉をしすぎるとよそよそしい感じになってショックになる
p66 見えない人はものを三次元で見る。見える人は二次元でものを見る。絵を書くときに大体見える人は二次元で書いてしまう
p68 見えない人でも色の概念を理解している。でも色が混ざる感覚は理解できないらしい
p73 見えない人に死角はない。すべてが表であり裏である。ツボの工作をするときも見えない人は内側に細工を施したそう。見える人はそんなことはしない
p87 ぶつかりかけている見えない人を見ても止めない。あえてぶつかりに行って把握することもある
p88 点字はむずい。もし読めたとしても、書く場合は裏側から点を打つため、逆にして考えないといけない。
p92 触って把握することをネガティブと捉える見えない人もいるため、触れるようにしてあげようとするのはすれ違いが起きてしまう
p107 見えない人は卓に6人以上いて話すと聞き分けるのが困難になる
p127 見えない人が電車が揺れても耐えられるのは、用意しているから。
p157 見えない人でも美術鑑賞するソーシャルビューがある。見える人が絵の説明とどう感じるかを話す。見えている人でも誤った解釈をするため、別に見えなくてもいいんだというのがきっかけ
☆障害者というのは足が不自由だから、というのではなく足が不自由で就きたい職につけないだったり、好きだった旅行に行けないことに対して使うべきである" -
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エロス的感性、うっとりする、surrender、感服する、逸脱する。
規範と知覚とクリシェに覆われた値付けがされる資本主義において、それに対抗し得る、大きな価値観である。障害の有無、ちゃんとすること、なども全て再認識、規範、などなどに依る。
すごくいい本。情報による知性の働きでしかなかなか物事をとらえてこなかった。物事の解体は、歴史の参照によってしかなかなかしてこなかった。でも、まっさらに見る、事は大事。
美術鑑賞において、注釈を読む事ではなく、絵を見ること。心がけたい。
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感じる対象と感じる感性の違い。
他者の身体。どう感じてどう対処するか。
黒人男性に身構える、差別は反対する、とか。
4美学は、下位の認識能力を扱うこと。
9ライプニッツの認識の分類樹形図
16明晰で判明な認識を必要とするのは例外的なケース
18意識できるレベルにまで達していない。微小表象ビュリダンのロバの否定。なんらかの傾きはあるはず。
45感性は、自分の信念と矛盾するようなことを続けてしまう。
57感じ方を法律で律することはできない。→でも嫌いなことをやめられる、ことはあるよね。
57権利ではなく魅力で
骨形成不全症のキムウォニョン
権利を発明したとこりで差別を禁止しても、魅力に不平等がある。
美の基準から逸脱している、その身体に凝縮された人間的な魅力によって人を惹きつけるような社会をつくることをキムは望む
〇〇すべき(差別を禁止すべき)、ではなく、一緒にいたいという欲望によって魅力によって受け入れられたい。
60ソウルの集会、障害者収容施設の廃止を主張して地面を這うアピール。前を這っていた脳性麻痺の友人の体を観察し、見惚れ、笑いそうになる。足首とふくらはぎが筋肉として目に飛び込んでくる。発見。身体は体現する媒体。
62感性の逸脱。私は彼の体に力と美しさを感じていた。理性ではなく感性という本音で受け入れられる。
78人種概念は、他者化すべき相手と自分達との違いを人為的に輪郭づけるためのコンセプト
95醜ろう法。見苦しい人を外に出さない
114黒人は他者の目で自分を見る 美の基準から逸脱された方法で
118アフリコブラ
126アプリコブラの黒人の美学1美意識、何を美しいと感じるのか2生き方、自分の身体や生活が美しいものときて価値付けられる3主体性自らを価値づける側に立つ
134規範的感性は社会的安定をもたらす一方で、歴史的に形成されたバイアスを強化する。さびつきは、歴史的に作られたものであると自覚することで防げる
135この絵ならではの特質。なにかの魅力にうっとりする。
175スタイルとは人の振る舞いないし人の振る舞いによって生み出された人工物におけるパターンの再製である。
187ディボティーの概念。欠損へのフェティシズム
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目の見えない人に出会ったら、自然と「大丈夫かな」「手を貸した方がいいかな」と思ってしまう。実はそれって「いらぬお節介!」だったのかも?
目の見えない人の見ている世界を「空間」「感覚」「運動」「言葉」「ユーモア」から解説。
想像するには限界がある世界を、とにかくわかりやすく説明してもらえて目からウロコでした。
見える私たちも実はいろいろな器官を使っているらしい。でも視覚による情報はとにかく強烈。そうなると視覚に頼りがちになり、だからこそ見えない事に対する不便さも強く感じるんでしょうね。
見えない人たちは視覚にとらわれず、あらゆる器官を使って軽やかに生活している。
見える人よりむしろ視野は広く、なんなら「死角」もないから、かなりダイナミックな世界を見ているようです。
夜停電したって平気だし…「目明きとは不便なものよ」うー、確かに!
特に「ユーモア」の章はグッときました。これは視覚だけでなく、あらゆる不自由さをヒラリとかわしていく術ですよね。
目が見える見えないに関わらず、困っていたら助ける・助けてもらう。お互い過剰に気を使わず、補い合って仲良くできたら…。読んでよかったです。 -
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フィールドワークを徹底的に行うことを通じて、身体をめぐる思考を深く豊かに展開してきた伊藤亜紗の最新作。
期待を裏切らない快著だ。
さまざまな不自由を抱えるインタビュイーの経験の特異性と、彼らの自分の経験への向き合い方の魅力、そして言語化の力に加えて、やはり著者の共感力と分析力の卓越性によって、非常に興味深く読ませる。
特にALSの新井英夫氏と、PAPA症候群という難病(医者の私も知らなかった稀少な病)の今井美佳氏の話には、心打たれた。
全篇を読み終え、あらためてこの本が「体の居場所をつくる」と銘打たれていることに、深い感銘を受ける。
ふだん私たちが自分の体に面と向き合って格闘しなくて済むということ、そもそも自らの体を意識せずに活動できる(自分の体が当たり前に自分の居場所になっている)ということが、どれだけ奇跡的に幸福なことなのかを、あらためて知らされた。
それにしても、ここに登場する人々の、なんと魅力に溢れていることが。
生きている、ということを、あらためて慈しみたくなる本。 -
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「見えない」は欠如ではなく、もう一つの豊かな世界の形。
介護の現場に関わってきましたが、本書を読んで、
自分がどれほど「健常者の尺度」で相手を推し量っていたかに気づかされ、
ハッとしました。
「目が見えない」という状態を、光を失った不自由な状態と捉えるのではなく、
視覚以外の感覚を研ぎ澄ませた、全く別の「体の使い方の流儀」として描き出す著者の視点。
そこには、同情ではない、他者への真の敬意が流れています。
特に印象的なのは、見えない人が空間を「点」や「線」ではなく、
独自の感覚で立体的に捉えているというエピソードです。
私たちはつい「助けてあげなければ」という一方的な思いに駆られがちですが、
彼らの体の内側にある論理を知ることで、
真の意味での「寄り添い」とは何かを考えさせられます。
専門職としてのスキルの前に、
まず「人間としての想像力」を豊かにしてくれる一冊です。
ケアに携わる人はもちろん、自分とは異なる世界を生きる他者を、
より深く、温かく理解したいと願うすべての人におすすめしたい名著です。