伊藤亜紗のレビュー一覧

  • 手の倫理

    Posted by ブクログ

    他者へのかかわりについて深く考えさせられた。とても分かりやすく触覚を色んな点から考察していて、触覚の素晴らしさも感じた。

    0
    2022年03月30日
  • とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡

    Posted by ブクログ

    東工大ではここ10年くらいをかけ、「リベラルアーツ」の名のもと、理工系の学生たちに文系的な知を体得してもらう取り組みをしている。本書はその取り組みを中心的に推進してきた池上、上田、伊藤3氏によるもの。各氏の論稿と鼎談を収載している。
    自分も含め、文系の人々は理系からっきしって人けっこういるけど、社会に生きたり本読んだりしながら生きている以上、いくら苦手意識をもっていたとしても理系の人のほうが文系分野を取り込みやすいだろう。そして理系の人が文系の素養(リベラルアーツ)を手にすればよりよい世のなかがつくりやすいような気がする。たとえば、科学技術を純粋に探究しているうちに核兵器ができちゃうようなことがあるとして、リベラルアーツや人間の根幹に関する知があれば、倫理的にすべきでないことを止めるなり逡巡するなりといったことができるのではないだろうか。
    著者3氏を中心とした東工大での取り組みの様子(特に上田氏執筆の章)は非常に読みごたえがあった。リベラルアーツという新たな方向性(実は東工大のそもそものお家芸だったのだけど)に向かうにあたり、周囲の反対や非難を受けながらも一歩ずつ進めていった軌跡は、いわばリベラルアーツ的な知をもって、東工大にリベラルアーツを植えつけた実践例ともいえるのではないだろうか。
    とはいえ、やっぱり「いい大学」だからできたんだろうなとも思う。学生集めや経営に必死な大学では、とてもこんな時間と余裕をかけた取り組みはできないだろうな。
    ついでにちょっと批判めいたことを書くと、リベラルアーツの取り組みは「とがったリーダー」を輩出するためのようだけど、リーダーってとがっているほうがいいんだろうかとまず思う。もちろん、とがったリーダーが必要な場もあるだろうけど、そうじゃないタイプのリーダーが最適な場もあると思うから。
    さらにいえば、リベラルアーツがリーダー育成と結びつけられているのもちょっと疑問。東工大という「いい大学」の自負として、歯車になる人でなくリーダーになる人を育てるんだっていう意識(エリート意識的なもの)が見え隠れする……と思ってしまうのはひがみだろうか。リベラルアーツが生きるための知だとすれば、それはリーダであろうとなかろうと身に着けるべきことなのでは。

    0
    2022年02月26日
  • ヴァレリー 芸術と身体の哲学

    Posted by ブクログ

    自分が所有している機能以上の機能を引き出し知覚する行為としての詩に対しての考察はとても興味深かった。ヴァレリーの詩やテクストを全く読んでいない状態で読んだが十分に楽しめた。

    0
    2022年01月02日
  • きみの体は何者か ──なぜ思い通りにならないのか?

    Posted by ブクログ

    私の体には数年前からいくつかの障害があり、体の扱いにくさについては日常的に考えることが他の人より少し多めだと思う。そういったこともあり、伊藤亜沙さんの活動は気になっていて、著書も読みたいと思いながら積読が多くなかなか読めずにいました。今回出た本は児童向けで隙間に読めそうなこともあって最初の一冊として手に取りました。

    内容としては、体は思い通りにならないものだということ、その上でどう向き合うかについて吃音の例をもってやさしく説明したものです。かなり読みやすい。
    そこそこ知っているかもと思っていた「吃音」について、初めて知る内容が多くふむふむと読み進めました。知ってると思い込んでいたなぁ。当事者じゃないと症状に目が行きがちだけど、当事者の方々がどんなことを経験しているか、どんなことを思うか知れたのが良かった。こういう内容が自分の想像力の材料になると思う。
    その上で自分の体と対峙する大切さを説いていて、すとんと腹落ちしやすいなぁと。自意識過剰な若い頃に感情的に納得できるかは難しいところですが、若い時に理解していると生きやすくなるだろうなと思います。
    自分の体への解像度を上げるためにメタファーで表現しようというのも面白い提案。わたしの障害はなんと表現するとピタッとあてはまるか考え中です。

    0
    2021年11月10日
  • きみの体は何者か ──なぜ思い通りにならないのか?

    Posted by ブクログ

    伊藤亜紗さんは注目している書き手で、ずっと読みたいと思っていながら機会を逸していたのだが、ちくまQブックスで出たので、これならすぐ読めると思い読んでみた。
    ほんとにすぐ読めた。
    タイトルと今までの著作から、思い通りにならない体について書かれた本だろうと思ったのだが、それは外れてはいないが当たったというほどでもないというか…。
    このQブックスのシリーズは、プリマ―新書では難しい層(主に中学生)をターゲットにし、読みやすくわかりやすく文字数も少なくなっているので、それが書き手には制限となっている部分はあると思う。
    思うこととは違う体の動き全般を語るには文字数が足りないので、著者が当事者である吃音に絞られて書いてある。そこがタイトルから私がイメージした内容には足りない感じがしてしまった。
    読んでないので恐縮ですが『どもる体』を中学生向けにリライトした感じなのではないだろうか。
    この本でも吃音について教えられることは多かったのだが、もっと詳しく知りたいと思った。
    しかし初めて知ったことも多かった。
    例えば連発について「てててててがみ」と言う時、吃音でないひとは「て」が言いにくいんだな、と考えるが、「て」は出ているから問題ない、「て」から「が」に行く行き方がわからないのだ、「てんぷら」なら言えたりする(P39)というところなどなるほど、そうだったのか、と。

    思うようにはならない体を受け入れようというメッセージも良かったが、メタファーは中学生にはわかりにくいかな、と思ったし、わかったとしても「可能な限りきみの実感に忠実」な「しっくりくるメタファーをさがす」(p85)のは、難しいと思う。相当な言語的センスが必要。まあ、書いてある「果汁たっぷりのゼリーのふたを汁がこぼれないようにそうっとあける」というのを使わせてもらってもいいんだろうけど、それは自分の実感に忠実ではないと思う人もいるかもしれないしなあ。

    でも、吃音の人の実感や、そのしくみを中学生にわかりやすく書いた本は少ないから、これはこれで良いと思う。大人は『どもる体』を読む方がいいかもしれない。

    0
    2021年10月31日
  • ポストコロナの生命哲学

    Posted by ブクログ

    最近推しの学者さん、伊藤亜紗さんと福岡伸一さんの組み合わせに、読まなきゃと刺激を受ける。
    藤原辰史さんからは『ナウシカ考』につながる話題があって、あー、買って良かったなと、満足。

    全体を統括しているのは、ロゴス(言葉・理性)とピュシス(自然)というキーワードだ。

    そもそも、ウイルスも、人間のピュシスとしての生に深く関わる存在である。
    だから、ウイルスを根絶させる、戦って人間が勝つという言葉に違和感を覚えるということだった。
    そこで、ロゴスとしての社会は、人の生き方をコントロールするために手を伸ばす。
    行動に制限をかけ、相互に監視を強め、それを善いこととして一方的に価値づけてしまう。
    アフターコロナの世界では、そうした大きなシステムに対して疑いの目を持つことの必要性を説く。

    けれど、私たちは、安全で清浄な社会に、随分と深く浸ってきたのではないだろうかと思う。
    危険で汚いものは、悪と見なしていることと、同じ意味でもある。
    そのことが、システムとサービスによって、さらに徹底され、維持されて欲しいと願っている。
    これは結局、『ナウシカ』の墓所と変わらない。
    私たちは、ナウシカと共に墓所を破壊出来るか?

    三人の視点は、これかこれ!と整然と分けられるものではなく、ぐちゃぐちゃと入り混じった混沌に向けられている。
    伊藤亜紗の「さわる」と「ふれる」の違いも、藤原辰史の「もれる」の生命との結びつきも、考えてみると、とても面白く魅力的だ。

    科学への比重から哲学へ。
    分析しても見えなかったものを、直観する。
    先日読んだ『科学と哲学』ともピタリと符合して、良かった。

    0
    2021年10月31日
  • とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡

    Posted by ブクログ

    やっぱり池上さん好き!(何度もライブ講演会で生トーク堪能)
    【わきまえるな】【丸く削るな】良い言葉◎

    0
    2021年10月01日
  • ひび割れた日常――人類学・文学・美学から考える

    Posted by ブクログ

    人類学者・小説家・美学者によるリレーエッセイ。コロナウィルスをきっかけとして、人間と自然の関係を考える。オンライン授業の広がりで、仕事を持った社会人学生が、必須科目を受講しやすくなったという話を聞いたことがある。視点が違うとマイナスもプラスに転じる。振り返ってみると、コロナウィルス感染の蔓延に脅威は感じても、ウィルスそのものに怒りはない。結局、苛立つ原因は人間側の言動に対してだなと改めて思う。

    0
    2021年09月23日
  • とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡

    Posted by ブクログ

    リベラルアーツを取り上げた初めての大学が理系の雄、東工大。私の時代にこの3人の教養を分けてほしかった。

    0
    2021年09月09日
  • ひび割れた日常――人類学・文学・美学から考える

    Posted by ブクログ

    人類学、文学、美学それぞの観点が交錯するリレーエッセイ。
    「三人寄れば文殊の~」というが、同じ災厄を経験した世界中の人々から、コロナと共存する智恵はきっと出てくるはず。

    0
    2021年08月31日
  • とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡

    Posted by ブクログ

    教養って何なんだろう?自分の根っこを太くするって言ってもどうしたらいいのだろう?このような疑問に対して、ある程度はこの本を読んでイメージできたが、やはり難しい。
    すべてを疑う、クリティカルシンキング、とがるなど、理解はできても実行するとなると難しいと思う。それを少しでも意識しながら生活することが大切なのだろうか。本書にも述べられているように、特に今のコロナ禍においては、多くの情報が錯綜し、メディアの報道すら一部分しか見えていないかもしれない。自らも正確な情報をとりにいき、かつそれをも疑い、それらの知識をまとめて考え運用し、ベストな選択、行動をする。今の状況は、平時に比べると本書に述べられていることを意識しやすい世の中なのではないだろうか。

    0
    2021年08月27日
  • とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡

    Posted by ブクログ

    東工大の「リベラルアーツ教育」を構想した面々、池上彰ら実施にあたった人々の問題意識の高邁さや努力は素晴らしいと感じる。東工大については、今野浩のエッセイにもたびたび触れられていたが、理系学生に人文知の薫陶を与えようという意識が非常に高く、般教の教授連も大物が就くらしい。とはいえ、そもそも「リベラルアーツ」は高等教育の場で身につくというものであろうか?。
    本書の中でも何度か出てくるように、試験、試験で能率を追求する知的訓練で鍛えられた「優秀な学生」は、「教養」の涵養にも効率を重視する。人文知の世界の「基本書」は、どれも数をこなせるようなものではない。しかし多くの学生は、いわばよくできた「知のカタログ」欲しさに、基本書の梗概あるいは「書評」的なものを、次から次とこなすだけで、「教養」を手に入れた、と満足するだけのような気がする。
    高等教育で教養を教育できる、というのは、リベラルな教員が抱く幻想ではないか。特に、東工大のような理系畑では、専門で自分の地歩(学士号でもよいが)を築くためだけにでも、文系の5倍の時間を要求されているはずだ。現代の理系学生は、寺田寅彦とは異なる時代に生きている。驚異的に膨れ上がった科学技術体系を自分なりにモデル化して脳の回路に埋め込む必要があるのだ。教養なるものに無際限に時間を費やす余裕はないであろう。
    もちろん、小学校などで、啓発スキルに優れた良い教師に巡り合った経験がある一握りの優れた学生は、世界全般について広い興味を持ち続け、多忙な専門の学習の間にも、自身の根と幹を、太く、広くする営為を、自身でコツコツと積み重ねているだろう。結局は個人の幼少時からの心がけと積み重ねである。大学生になってから教養、教養と言っても、雑多な知識を脳のどこかに書き込むにすぎない。既に遅いのではないだろうか。

    1
    2021年08月16日
  • 目の見えない人は世界をどう見ているのか

    ネタバレ 購入済み

    新たな視点に気づかされます

    2020年中学入試では栄光学園、中大附、東京都市大附で出題、高校入試では東京学大附で出題された。
    先日、目の見えない人に道を聞かれて、説明にとても苦慮したことがあって読んでみた。
    実は足の裏から多くの情報を得ているとか、美術館で絵画鑑賞するとか、驚きの世界であった。
    大切なのは、見えている人が強い、見えない人は弱いという無意識の上下関係を作らないこと。
    「見えないことが障害ではなく、見えないことで何かができなくなる、そのことが障害である」という言葉が胸に突き刺さる。
    障害者が引け目を感じない世の中であってほしい。

    0
    2020年12月14日
  • 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか

    Posted by ブクログ

    スポーツは、目の見えない人にとっては、安全な場所。という感覚に驚いた。

    ルールがあるからこそ、自由に出来る。それは、フィールドやコートといった仕切られた空間も同様。

    ルールがあるから自由、安全という感覚は、一般的な社会においても、示唆を与える。

    とにかく、特殊な状況を理解することは、物事を理解する上で、様々な気付きを与えてくれる。

    0
    2020年06月11日
  • 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか

    Posted by ブクログ

    前著「目の見えない人は世界をどう見ているのか」の一流アスリート編。興味深い世界が開かれていく。視覚障害に対して、かわいそうではない、平等な地平がスポーツを通して見えてくる。

    0
    2017年12月07日
  • 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか

    Posted by ブクログ

    リオデジャネイロでのパラリンピックが盛り上がりは2020年に向けて障がい者スポーツへの関心のギアを一段階上げると思います。NHKの放送もソチの時は教育テレビの福祉番組が中心にあったように覚えていますが今回は総合テレビでスポーツとしての中継が存在感を増していました。本書も社会福祉的な論点ではなく身体論としての切り口が新鮮でした。手に取ったのは以前にたまたまお話を伺った5人制サッカーの日本代表の落合啓士選手がインタビューに答えているのを見つけたからなのですが、その際、見えている時代にサッカーを見てからその後ブラインドサッカーに入る選手より、初めからの選手の方が可能性が高いかもしれない、と言われていたのを思い出しました。失ったものを取り戻す、のではなく、持っているものを強める。身体論としての障がい者スポーツが時代に投げかけるメッセージは大きいと思います。

    0
    2016年09月22日
  • 目の見えない人は世界をどう見ているのか

    Posted by ブクログ

    目の見えない人、つまり視覚に頼らない生活を送っている方々の生活実態を通して、いかに人間があるひとつの見方に縛られているかを示した一冊。
    議論の射程は幅広く、身体論を深めようとヴィトゲンシュタインまで絡めた論説が続くと思いきや、フロイトのユーモア論を持ち出して、
    現代社会の障害者の方々への見方に対する問題提起が始まる。
    今までにない視点をたくさんもらって学びになったという感想に加え、伊藤さんのいろんな立場の方々への強い愛を感じた、読んでて気持ちよい本。

    0
    2026年06月25日
  • 目の見えない人は世界をどう見ているのか

    Posted by ブクログ

    目が見えない人は、健常者と比べて〇〇ができない人、支援をしなければならない人ではない。目が見えないからこそ、できることや、感じられることがあるのだなと思った。

    0
    2026年10月31日
  • ポストコロナの生命哲学

    Posted by ブクログ

    コロナ禍に書かれた本
    ロックダウンとか、自宅待機とか、オンラインミーティングとか、そうだったよなと思い出したり。

    福岡伸一さんの話は面白くて、他の本も読んでみたいと思ったら、なんと著作が130冊以上あるみたい。びっくり。


    以下メモ
    ・スペイン風邪もコロナも、結局ウイルスについて分かっても分からなくて個、私たちができることは同じ。
    疫病に接触することは避ける、かかったときは安静にする。
    むしろウイルスが見えることで、ウイルスがただの「悪」になる。

    ・ウイルスは生物の遺伝子の一部がたまたま外に飛び出した断片。もともとは私たちの一部だった
    ウイルスがもたらす症状は、ウイルスの攻撃ではなく、ウイルスと身体との相互作用


    ・ロゴスによって「この集団は汚れている」という観念が固定され、差別が広がるというのは、世界史の中で繰り返されるパターンです。 クレンジングは人類が取り憑かれる非常に大きな欲望であり、特に二〇世紀にはエスニック・クレンジング(民族浄化)という言葉に見られるように、「無駄」 「邪魔」とされるものを一斉に消してしまおうという意図に基づいた虐殺が頻繁に起こったわけです。

    ・私などが「ナウシカ」を解釈するのは難しいところもあるのですが、 コロナの世界において注目すべき一つの大きなキーワードは「きれい過ぎる世界」だと思っています。
    私たちは、人間の不浄な部分に蓋をしがちで、ずっときれいなまま、若いままでいたい、常に成長していたい、といった欲望にずっと心を奪われてきたと思います。今回、新型コロナウイルスの感染拡大の中で私たちが見つけ出そうとしているのは、そんなきれい過ぎる人間観を見直すということではないでしょうか。 不浄の世界で生きようとするナウシカの姿は、私たちは汚れを抱えていかないと生きていけない、というメッセージではないか

    ・人間は上水道を口につなげ、下水道をお尻につなげているようなもの。
    清浄と不浄が共存している


    ・私自身は「利他」という言葉に対して、「大事だということは分かるけれど、何かしっくりこない」と抵抗感を持っていました。 利他は本当にいいものなのかという疑いが私の中にはあって、だからこそ研究したいと思ったんです。
    実態がよく分からないのに、 特に理由もなくいいとされているものがありますよね。たとえば今、「ダイバーシティ」と盛んに言われていますが、実は「ダイバーシティ」に障害者を障害者という位置に固定する役割を担ってしまっている面もあるんです。

    ・目が見えない人を助ける
    でも、見えない人はサポートしてもらう側という役に固定されてしまう。
    コントロールしないこと。
    利他は何かをしてあげることと思われがちだけど、受け取る人がいて利他が成立する

    0
    2026年10月27日
  • 目の見えない人は世界をどう見ているのか

    Posted by ブクログ

    見えない人が認識している世界についてもう少し詳しく知りたいと思った。特に先天的に全盲の人は見える人とは全く違う感覚を持っていると思うので。
    印象に残ったこと
    •点字の習得は子供の頃から習っていないと難しい
    •全盲の子供が図工の時、粘土で壺の内側に装飾を施した
    •太陽の塔の裏に顔があり、内部にも何かある。
    •見えない人が理解する色の概念。しかし混色だけは感覚的に理解できない。

    0
    2026年09月22日