鴻巣友季子のレビュー一覧
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なぜ、物語の批評を共感で語るのか。
それは、現代が趣味や志向を肯定しつづけてくれるサービスに触れつづけ確証バイアスを肥大させている時代だからだという。
その著者の分析に大いに賛同し、行く末を思って怖くなった。
いま、読書離れといわれる時代で、物語もよりわかりやすい(共感性をえやすい)ものが売れる時代になってきているように感じる。
他者性が複雑に織りなされた物語は、結局何が言いたいのかわからないとバッサリ切られる時代だ。
そういう人は、AIが要約した文章で事足りるから、とますます本から遠ざかっていく。
本書を読んで感じるのは、文章に織り込まれる人称や、過去形、現在形、二葉亭四迷の「完了形た」の創出やなど、センテンスを紡ぐときに意図的に、繊細に選ばれるこうした文字を、AIが組むことなんて不可能だろうということだ。
文字が発明される前から、物語はずっと人のそばにあった。それはこれからも亡くなりはしないだろうけれど、AIによって形を変えるだろうことは想像できる。
そして、物語がもつ「感情に強く訴える力」を書き手が意識しつづけなければならないと思う。2025年7月の週刊新潮の差別的表現を含むコラム掲載は、それを改めて私たちに突き付けてきた。 -
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大変面白く読んだ。日本文学がこんなに世界で活躍するとは…隔世の感あり。旅行先としても大人気だし…わたしが子どものころは考えられなかった。時代は変わりますね。
2025年6月時点のイギリスの翻訳文学トップ50のうち23作が日本語作品だった(p33)とは驚き。
川上未映子のインタビューでの発言が興味深い。
「川上は村上の賞賛を得ていただけではなく、2017年には村上に対してその創作や世界観に深く切り込んだロングインタビューを4回に分けて行っている(日本では『みみずくは黄昏に飛びたつ』として新潮社より刊行)。おこでの大作家に対する鋭い質問とやりとりが、英訳書の発売前にアメリカで人気のウェブ文芸誌「リテラリー・ハブ」に掲載され(2020年4月。サム・ベット、デビット・ボイド共訳)、これもまた注目された。」
その引用の中で、特に気になった箇所(↓)。
「つまり、(村上の小説には)性的な役割を果たすためだけに存在する女性の登場人物がとても多いということなんです」と彼女は延べ、村上作品の中で女性が男性主人公のために”犠牲”になる頻度の高さを嘆いた。こう指摘された村上はやや面食らった様子で、「ぼくは個人主義的な人物には興味がないんだ。男性であれ、女性であれね」と応じた。しかしこれは政権交代の兆しでもあった。」
「おそらく日本の全国紙では読めないような記事だろう。」と鴻巣さんは書かれているが、確かに!
村上春樹のビジネス手腕についても書かれていた。すごいなあ。
『ねじまき鳥』は三部作だけど、英語版は2部作になっているのだそう。村上も承認。知らなかった。加藤典洋いわく、「僕が理解している『ねじまき鳥クロニクル』と、これを読んで英語で理解している『ねじまき鳥クロニクル』とは、そもそも同じ作品なのかどうか、わからない、ということが起こっています。ことによれば、この作品は日本語で書かれたと言いながら、将来、国際的な場所でThe Wind-Up Bird Chronicleが話題となり、問題になる場合、そこでの正典は英語テクストであって、これを英語で読んでいない日本人研究者だけが逆に蚊帳の外に置かれるなどという辞退すら、生じかねない趨勢なのです」。
何と!!
その他いろいろ面白いことがてんこ盛りだったのだけど、書ききれないのでこのへんで。 -
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アイルランドの昔の話だろうと読み始めたら、舞台は1985年代でわずかまだ41年前の事だった。読後、本書では”グッド・シェパード教会”となっている"マグダレン洗濯場”を調べてみた。”マグダレン洗濯場”とはどこかで見聞きした記憶がある。映画だっただろうか?
"マグダレン洗濯場”は政府とカトリック教会が後援していて、恵まれない少女や女性が事実上監禁され、働かされ、虐待を受けた施設だったとある。200年以上も存在し、閉鎖されたのは1996年!アイルランドの闇を思わずにいられなかった。
ここまで書いたレビューを止めて、もう一度本作を最初から読みなおした。訳が堅く感じられて(久々の外国物だったからかもしれない)何ヶ所かで引っ掛かり躓き、最後まで引きずってしまい確実に理解できていないと考えたから。
やはり再読して正解だった! 今では素晴らしい作品に出会えたと心から思える。原題は『Small Things Like These』で邦題は「ほんのささやかなこと」。タイトルのほんのささやかなこととは正反対の意味合いがあるのではないかと推測する。主人公のファーロングは「非嫡出子」だったが、母親が働いていたウィルソン夫人の元で母親と共に育った。ファーロングが最後に選択し取った行動は自分の信条と良心に従ったまでと云うものの、ささやかどころじゃない。街を牛耳っている大きな権力に背を向けたのだから。彼がセァラを連れて我が家のドアを開けた途端に嵐が吹き荒れるだろう。でも、ファーロングが必ずやり遂げるのは確かなこと。
ファ-ロングの心境が語られている部分を抜粋した。
『互いに助け合わずに生きてどうする? そこにある現実に勇気を奮って立ち向かうことをせずに長いこと、何十年も、下手したら一生過ごしたうえで鏡の中の自分と向き合う事なんておれにできるのか?』
『最悪のことが起きるのはこれからだ、わかってる。すぐ隣で待ち受けている厄介な世界の気配をすでに感じるが、最悪の未来はもう後ろに置いてきた。起きかねなかったが、起きずに済んだことーもしそれを見過ごしていたら、死ぬまで悔いを抱えて生きることになったはずだ。これから出会う苦しみがなんであれ、それはいま横を歩いているこの娘がすでに味わってきた苦しみ、これから乗り越えるだろう苦しみからは、おそらくほど遠い・・・・』
一方、周囲の市井の人々が彼に耳打ちする言葉を足蹴にはできない。敵は近くに置け、悪い犬と共にあれ、良い犬は噛まない(味方より敵を近くに置いて見張る)。うまくやっていきたいなら、目をつむるべきこともあるはずよ。見過ぎ世過ぎ・・・など。
大方の人々はこのように従いつつがない暮らしを手に入れている。出自が重なるファーロングは見過ごせなかったのだろうが・・・。
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アイルランドの小さな町。主人公のファーロングは妻のアイリーンと結婚し石炭の販売業を営んだ娘5人を育てていた。クリスマスが迫り、寒さが厳しくなるなか、石炭と木材の商人であるビル・ファーロングは最も忙しい時期を迎えていた。ある日、石炭の配達のために女子修道院を訪れたファーロングは、「ここから出してほしい」と願う娘たちに出くわす。修道院には、未婚で妊娠した娘たちが送り込まれているという噂が立っていたが―隠された町の秘密に触れ、決断を迫られたファーロングは、己の過去と向き合い始める。 -
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7歳くらいだという女の子の視点で書かれているので、その子の理解が追いついていないために状況がよくわからないところもあり、女の子の不安や戸惑いが伝わってくる。たぶん、これまで彼女はあまり親に甘えられるような環境で育ってこなかったのだろう。でも、ひと夏の間、女の子を預かることになった親戚の夫婦は、彼女をちゃんとケアが必要な子どもとして接し、子どもらしくいられるようにする。訳者あとがきに、ケアの精神が自尊心を育み、他愛につながるとあった。女の子は、その家での生活がずっと続くものではないとはじめからわかっていて諦めているようなところもあったけれど、短い間でも育まれて彼女の中に残るものがあったと思いたい。
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読みたいリストに入れていたら、どうやら映画が上映中のようで、慌てて読みました。地方のため、小劇場で一週間限定でしか上映されないので、「これは観ておきたい!」という映画は即決しないと見られなくなるのです、、
中編の静かな佇まいの一冊。内容も、無駄がなく、控えめで、多くを語らないという感じ。なので、よくわからないところも正直あって、滑りだしは今ひとつだったのですが、次第に引き込まれていきました。
一般市民で、普通のささやかながら大切な生活を送っている主人公。巨大な権力には手も足も出せないのが世の常。主人公ファーロングは、偶然、権力に虐げられている人を目にしてしまう。一旦知ってしまったら、もう元の自分には戻れない。ファーロングはどうするのか?彼の心の葛藤が、読者の心に染み入ってくるように、地に足がついた言葉で描かれています。
少しは世の中良くなるだろうか、と期待してはどんどん悪い方に行っているように感じて、言いようのない不安に駆られるこの数年。
そんな情けなく路頭に迷っている心持ちに、少し光を当ててもらったような読後でした。
偽善でもなく、小手先の解決策でもなく、一人の人間が、その人間らしい良心からできるほんのささやかなこと。その一つひとつこそが、人々の目を覚ますのだ、という力強いメッセージを受け取った。いやー、読み終わった後に良さがジュワーとくる一冊だった。
映画版の「決断する時」も観たくなった。予告で主人公のキリアン・マーフィーの眼を見たとき、この人なら信じられる!と直感的に思えた。
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クレア・キーガンは「Walk the blue fields」と「Foster」は原書で読んでいて、読むのはこれが3作目ですが、これまで読んだ3作品の全てが本当に素晴らしい。
丁寧な日常の描写の中にふと差し込まれる違和感と、主人公が自らの生い立ちを振り返って、後悔をしないための選択をするまで、彼の感情の流れを読みながら一緒に追体験できるような臨場感のある描写がすごく良かった。
この先、彼には多くの困難が待っているはずだけど、それでもなお、その選択は「後悔しないための決断」というよりも、彼が彼である以上そうするしかなかったもののように感じられた。
しかし、この出来事が1980年代だというのはなかなかに衝撃的
そして、さらに昔にとてつもなく大きな決断をしたであろうウィルソン夫人が特に印象深い -
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犬の眼差し
文が強く鋭い。主人公である50代男の現実的な視線をよく表現している。南アフリカは社会面でも自然面でも日本と違う土地だが、見える風景に対する毒づき方にはいちいち共感した。彼は西欧文学に通じる大学教授。西欧白人社会の偽善にうんざりしていて、口からは皮肉しか出てこない。その南アフリカは、ケープタウンから少し郊外に行くだけで、そうした偽善の裏側にある野生的で危険で不条理な社会がある。彼は学内のセクハラで訴えられ、追われるように娘の住む郊外に行くが、娘を食い物にして消化しようとしているその不条理な社会にも憎しみの目を向ける。鋭い社会批判小説だが、その視点は白人社会にも黒人社会にも置かれず、犬の眼差しのようだと感じた。 -
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衝撃。18世紀から1996年に施設が閉鎖されるまでこんな非人道的なことが国家規模で暗黙の了解でまかり通っていたなんて。2013年にようやく政府が公式謝罪したなんて。しかもこんな重大なことを記録に残すフィクションやノンフィクションがほぼ存在しないなんて。並行して読んでいるアトウッドの小説の世界とも完全にダブり、映画も現在上映中のようだからぜひみておこうと思う。犠牲になった女性たちの鎮魂のためにも。
ある平凡で幸せな一家の穏やかで誠実な父親の勇気と正義が風穴を開けるがその後この一家はどうなるのか。彼自身の母親も未婚だったが雇い主である気概のある女主人のおかげで彼女は悪の施設に行かされることもなく母子一緒にそこそこ平穏な幼少時代を過ごせたのも彼に行動を起こさせた要因ではあるだろうが、教会と政府が結託した悪に対して一庶民として行動を起こせるか…権力に屈せず長いものに巻かれず、自身の良心だけに従って正しい道をいくことができるか…
厳格なカトリック、冬の厳しい寒さ、貧しさ、紛争などのアイルランドの閉塞感の中、心浮き立つようなクリスマスのお祝いや素朴で真面目な住民の日常が読みやすい文章で丁寧に描かれる。そんな平凡で一見幸せな街に暮らす人々が、昔から当たり前のように存在する残酷極まりない修道院やそこに囚われる女性たちの悲劇の実態を見て見ぬふりをせざるを得ない心情もまた慮るに難くない。
大きめな文字で静謐なタッチで綴られる中編小説で一日で読み終えられるほどの本当にささやかな告発だけど、読む者の胸に突きつける切先は鋭い。 -
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早くも、2026年の小説のベスト候補となる小説に出会ってしまった。
日本語に不自然なところが多く、英語版と並行して読んだが、伝統的なアイルランド小説の流れを汲むと思しい散文的というか、1人称に限りなく近い3人称で思索の流れを中心に読者が主人公の思考に没入して類推していくことを強いるような文体で、翻訳が難しいところもあったのかと思った。
内容は、強い衝撃を受けた『ドイツ亭』を思い出さずにはいられない。社会的な事象を、一人の人間のあり方として具体化して示すことで胸がしめつけられるような思いを抱かせる。ラストも救うでもなく絶望させるでもなく、読者をただ複雑な現実に放り出す。ウイスキーをぐいっと飲まずにはいられないような読後感である。
原題は "Small Things Like These"。彼女の他の作品も読みたい。すぐにでも読みたいが、できるだけ原文で味わいつつ、その夜にじっくりとグラスを傾ける時間を確保して読みたい。 -
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漫画などのサブカルチャーの枠を超え、現代の日本小説が英米で「正統な文芸作品」として確固たる評価を獲得している現在地を解き明かす一冊。
特筆すべきは、その人気の理由を歴史的・社会的背景と接続させた分析の鋭さ。9.11以降の不安やブレグジット等に揺れる社会の閉塞感。そこに、日本の女性作家たちが描く多様な価値観や、猫・ヒーリングをテーマとした中編小説が、現代人の精神的渇望を満たすものとして合致しているという見事な構造的理解。
また、このムーブメントの裏にある「翻訳者」の存在への着目。文化的文脈や解釈を深く理解し、言語の壁を越えて共感を再構築する彼らの媒介なしに、いまの熱狂は語れないという確信。
過熱するあまり、特定のテーマが新たなステレオタイプと化しつつあるという指摘も趣深い。単なる異国情緒(ジャポニズム)の消費を脱却し、世界的な社会不安と共鳴する文学へと変貌を遂げた日本小説の底力を俯瞰できる、解像度の高い読書体験。 -
Posted by ブクログ
「海外文学の名作を読み解く」と始まり手にとった。小難しいジャンルだから考察本のようにかいつばみ、まぁ知ったと気になろうと思った。が、読んでびっくりする内容。
現代は全ての積み重なった本の上に立っているのに、当たり前に受け入れその足元を見ていなかったと思うような衝撃。
どれもが、これまでの人間の姿であり、自分であり、未来を示唆していた。
この著者が女性の翻訳者であるからより女性の自立を戦う姿を読み解く場面が多く、
これを新時代の女性のアイデンティティ=フェミニズムとも言える。
現代の私達はまだ一人で立つ事を受け入れられている途中であると感じているけれど、それでもこの海外文学の名作から読み解くに、なんて素晴らしい女性達のおかげで今の私達がやっと一人でいられる世界になったんだと握手をしたい。
もちろん物語なので、実際の話ではないけれどこうしたアイデンティティを書き示された後にここまで新しい時代に邁進できているのだと感じる。
また未来のディストピアとして「1984年」などから読み解くのは現代の社会の全てをまさかこの時代と同じような仕組みになっているのではないかと思う気づきがある。
文字を読み、読書をかさね、芸術を知る事は
思想の範囲を拡げる事。
これを制限されてあるいは短絡的にする幼稚化は、民を操れる支配方法のパンとサーカスのような手法、
現代のタイパとコスパ、AIと重なる。
便利というだけでチャットGPTに頼りそれを真に受ける、もしくは難しい事も要約させ理解した気でいる。お金や技術を費やす時間を設けずにものの数分で描きたい絵や映像を作成させる。またショート動画など短い映像をループさせ思考をぼんやりさせる。時間がないからと3倍速で映像を見るなど
これは完全に人間の脳の中を完全に衰退させている。
この「1984年」の世界と、現代は全くの一致ともいえる。恐ろしいくらい。
この著者は、ただ単に文章を文字通り訳しているのではなく内容を理解し咀嚼し繫げる聡明さも合わせもつ女性で、
この1ページから最終ページまでの段階は
タイトルのギンガムチェックと塩漬けライムの意味を説明する所からジャブを打ち、だんだんとここまでついてこれるか?理解できるか?とパンチをだんだん多く打って5章の頃には対戦ばりのパンチラインで挑んでくるので
ぜひ、最後まで読み切って欲しい。
私も受けて立って読み切れた先にある、
『私は「わからない」は一生の宝だと思っています。』
の一言が完全にノックアウトだった、ここまで書かれては敵わない。
この中から読みたい名作で特筆すべきは
「侍女の物語」からの「誓願」
「最後のひと葉」
ぜひ読んで私なりの読み解き方をしたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ読みはじめてすぐ、アイルランド版赤毛のアンみたいなお話なのかなと思った。全然違った。
「水が染み出すマットレス」のあたりで、キンセラ夫妻が大好きになっていて、そのあとはずっと、
主人公や夫妻に傷ついてほしくなくて、幸せになって欲しいという期待と不安でドキドキしていた。
主人公はおじさんとおばさんと一緒に過ごして、愛されて、手をかけられる経験をして、二人を好きになって、二人の喪失と哀しみの片鱗に触れる。かと言って、両親や兄妹と離れたいわけでもないし、まだ幼い彼女には自分の居場所を自分で決めることはできない。
最後のシーンの大泣きには、二人から離れる(自分自身の)寂しさだけじゃなくて、自分がいなくなった後の二人の悲しみまでこもっている(あなたが悲しいと私も悲しい、的な)ようで。
たぶん彼女は、この夏に二人と出会って大切にされて初めてそういう感情を知ったのかな、と思うと本当に胸が苦しくなった。
役者あとがきを読んで、この物語は意図的に、背景や出来事を描写しすぎないよう配慮して作られたお話だと知った。
主人公の名前さえも出てこない。描かれていない事柄は読み手側がそれぞれに想像しながら読む。そうすることで自然と自分の経験や感情が呼び起こされるから、より一層心が揺さぶられるのかな、と思う。
削ぎ落とされた文章を訳すのはとても難儀だったと思う。素晴らしい翻訳をありがとうございました。
映画化されているようなので、それも観てみたくなった。
「いう必要のないことだと覚えておけばいい。だいたいひとってのは、口を閉じておく完璧な機会を逃して多くのものを失うものなんだ」