鴻巣友季子のレビュー一覧
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主人公の男はアイルランドの地で、メイドの私生児として生まれ、女主人の厚意により奉公先で育てられた。十分な教育を受け、社会に出た男はまじめに働くこと、誠意を持ち他人と接することを信条に、燃料店を営み家族を持つに至る。本書ではその男の働きぶりや心の持ちようが描かれ、ささやかなことを積み上げる大切さが伝わってくる。その様子はクリスマスイブに従業員たちと訪れた食堂の女主人にかけられた言葉に良くあらわされている 『あんたはわたしと同じで一生懸命働いて、その場所にたどりついた。…』
主人公の男は燃料の配達時に修道教会が運営する洗濯所の過酷な労働状況を目にする。町の人々はうっすらと何が行われているか気づいているが、誰もアクションを起こさないでいたが、主人公の男は違った。逡巡の末、告発の一歩を踏み出したのだ。ささやかなことを積み上げてきた男の行動倫理から発生したものだが、男が積み上げてきたすべてを失う恐れもあるのに。前出の食堂の女主人の言葉は、彼の行動をいさめる言葉でもあったのだ。
アイルランドでは修道協会が母子収容施設と洗濯所を運営し、そこでは非人道的な扱い、労働を強いることがあったようだ。本書のモデルは1996年に閉鎖されたアイルランドのマグダレン洗濯所だが、アイルランドには複数個所存在し、その存在を知らしめることと同時に、まじめに働く、誠意を持ち隣人と接する、男女で格差を設けない等国を越えた普遍性が描かれている。その普遍的でささやかなことがらは60歳を越えた日本の男性読者である僕の心を打ち、うなづき、涙しながらページを読み進めさせたのだった。 -
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家族には絶対的な存在で逆らうことが許されない哲学者ラムジー氏、偉大な家長として頼られ崇められ、時には反発される。海の向こうに見える灯台へいこうという息子のジェイムスに、にべもなく「明日は晴れないだろう」という。美しくしっかりもので周囲からあがめられる8人の子持ちの理想的な母親ラムジー夫人、独身女性には結婚しなければいけないと解き、身近に集う若い男と女を結びつけようとする。
独身の女性画家リリー・ブリスコウやウィリアム・バンクス、チャールズ・タンズリー、オーガスタス・カーマイケルなどもラムジー家のスカイ島の別荘に一緒に滞在している。
第一部では、そんなラムジー家の別荘に集う人々の一日が描かれる。
第二、第三部は、10年後の別荘の一日。ラムジー夫人も美しかった娘のプルーも息子のアンドルーも亡くなっているが、ラムジー夫人は美しく理想の女性としていまだにあがめるリリーは、独身で、ラムジー夫人が画策したウィリアムバンクスとは結婚していない。ラムジー氏は10年前に果たされなかった灯台行きを決行する。反発するが逆らえず同行する16歳になった息子のジェイムスと娘のキャム。
われわれが周囲の景色やまわりの人々を見た時に、相手の機嫌を推察したり、時には高圧な態度に反発したり、でも敬愛すべき人であると思い直したり、そこから派生して過去の行動や会話も連想したり、まわりの景色に思いを寄せたりといった心象風が続く。 -
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この物語は、アイルランドの恥部ともいえる歴史を下地にして綴られている。
舞台の地は、アイルランドの西南に位置する小さな町ニューロス。
主人公のビル・ファーロングの母は、資産家の未亡人ウィルソン婦人の屋敷で女中として働いていた。
その母親は16歳の時に、父親不明でファーロングを身ごもった。
子がなかったウィルソン婦人は産後も引き続き母親を雇い続け、赤子のファーロングを可愛がった。
そんなある日、母親が事故で亡くなるのだが、ウィルソン婦人は12歳に成長していたファーロングに教育を与え、結婚する時にはそこそこの大金を祝い金として渡してくれた。
ファーロングは石炭や薪を商う燃料屋を起業し、アイリーンと結婚することになる。
その後に5人の娘にも恵まれて、幸せな家庭を築いていた。
ある日、ファーロングは修道女会に注文の石炭を運びに訪れる。
石炭を収納小屋に納めようと扉を開けると、そこにセァラという名の少女を発見する。
セァラは全身が真っ黒に汚れ、一晩小屋に閉じ込められていたと訴える。
しかも彼女は女の子を産んだのだが、修道女達に取り上げられ会うことも叶えられないという。
セァラを不憫に思いながらもファーロングは修道女会に彼女を引き渡すのだが、その時の修道院長の言葉と態度が冷徹で威圧的に感じた。
その日の夜、セァラと出会った一部始終を妻のアイリーンに話し、何か自分にできることがあるのではと考えていると伝える。
するとアイリーンは、「うまくやっていきたいなら、目をつむるべきこともあるはずよ」と世の正論を述べた。
しかしファーロングは、セァラの現状に向き合わなかったことを後悔し、一人の人間として「ささやかなこと」であっても行動しようと決意する物語だ。 -
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こどもの時に憧れた海外の丁寧なくらし(摘んだベリーでジャムを作ったり、ハーブを摘んだり、動物のお世話をしたり)の描写と
主人公の感じている無力感や寂しさなどがないまぜになって
寂しいのにカラリというしている不思議な読後感がありした
現代の私たちの感覚で主人公のおかれた状況をみると、「この親はありえん!」と断罪したくなりますが、舞台となったアイルランドでは1980年代までカトリックの影響力がとても強く、避妊も中絶も困難なこと、農家では労働力として多子が望まれていたことなど今とは異なる背景があります
個人的には、優しい人も正しい人も心が豊かでない人も悪意がある人も、いろんな人がいるんだ、と主人公が知る瞬間が個人的に一番印象的でした。
人によってものすごく大きな違いがある、ということに気付いたけれど、それを良いも悪いとも決めずに「事実」として受け入れる。成長とも諦めとも言える。
気に入ったフレーズたち
P47 その日その日の卵料理と、マーマレードを塗ったトーストを食べる。
P53 おじさんはそれ以上なにしない。ただそこに突っ立って、自分の言葉が残した船跡にとらわれている。
P78 「なにも言わなくていい」と、おじさんは言う。「言う必要のないことだと覚えておけばいい。だいたいひとってのは、口を閉じておく完璧な機械を逃して多くのものを失うものなんだ」
P105 今はなしているのは実のお母ちゃんだけど、わたしはもうちゃんと成長して、いろんなことがわかっていたから、あそこで起きたことは言わなくていいことだってわかっている。「なにも言わないでいる」完璧な機械だった。 -
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ネタバレネタバレ全開の感想につきご注意です。
おもしろかったし、人生で読んでおいて良かったな〜と感じる小説だった。2回目読んだら1回目より面白かったという人もいる。
なんか演劇とかミュージカルぽかったな。美しい自然と荒廃した館の情景とか映画版のレ・ミゼラブルみたいな感じだったらすごく自分が好きそう。
登場人物たちみんな、語り手含めて激情型だったり、結構畜生な発言とかあって、モラル薄いのが結構笑ってしまった。
恋愛小説だと思って気軽に読むと結構重めの復讐劇、愛憎劇で心にずっしりとくる。
重い話なのだけれど、会話や行動がどこかコミカルなところもあってそのバランスと抑揚が絶妙だった。
小説に共感を求めて読んでいるわけではないけれど、あまりにも誰にも共感できなさ過ぎて面白かった。
ヒースクリフ本当に嫌な奴すぎるんだけど、彼にあまり共感できないのって彼が周りからされた酷い仕打ちや彼の心情が詳細には描かれていないからなんだろうなと思った。そこを描くと誰しもが彼に同情しすぎて、彼の悲劇の物語になってしまうことで、物語の全体像が別のものになったり、霞むのかなと想像。
1代目キャサリンはしっかりヒースクリフのことを愛していたと思うが、結婚にはこだわっておらず、対照的にヒースクリフは結婚にも拘っていたため、心のすれ違いがあった気がする。
このすれ違いが起きるのはやはり生まれ育った環境や身分の差なのだと思う。持たざる者は持っている者に対して不安や劣等感が付きまとうため、社会的な形式や保証が整っていないと安心できないというのがあったのではないかな、と感じた。
最終的には2代目キャサリンとヘアトンに未来を感じる描かれ方がされており、1代目キャサリンとヒースクリフを彷彿とさせた。
異なっているのは彼らを取り巻く環境で、彼らの邪魔をする障壁が無いこと、復讐の連鎖が終わった世界にいること。それにより明るい未来が想像できる。なんやかんやハッピーエンドと言えるようなラストだったのだと思う。
ラストシーンはこれまでの荒々しい雰囲気が嘘だったかのように静かで穏やかだった。
解説にもあったが、ネリーという家政婦の語りで物語が暴かれていく構成も面白かった。
淡々と事実が語られていくわけではなく、語り手の主観や行動が混ざるのが面白い。語り手でありながらしっかり物語を構成する重要な人物となっていたと思う。 -
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本屋の棚に割と目立つように展示していたので、購入。
登場人物が考えていることが長々と綴られていく。いつの間にか、その叙述が別の人間の考えになっていたりする。その点については、あれ、と感じるが、読みづらくは感じない。
ただ、何かが起こるというより、登場人物の頭の中の考えをずっと読まさせていくのは、すごく疲れた。ページが進まない。前半はほんの半日の話なのに、だいぶ時間が掛かってしまった。
登場人物たちについて説明的な記述がある訳ではないので、哲学者ラムジー、美貌のラムジー夫人、その子供たち、夫妻の別荘に集う独身主義の画家リリー・ブリスコウ、学者、詩人達の人となりが判ってくるまで、ずいぶん時間が掛かってしまった。
ラムジー夫人はリリーに結婚を薦めるが、彼女にはその気なし。だけど、リリーは夫人を慕っている。また、夫妻の間の心理合戦がテレパシー会話のように語られる。
後半は10年後。夫人や子供にのなかには亡くなったものもいる。リリーの頭の中に夫人への愛慕、その不在が語られる。ジェームスは父親ラムジーを憎む気持ちがあるが、父がそれにまったく気づいていないような有様。
解説にジョイスの「ユリシーズ」との比較があった。
確かに凄い作品だと思うが、同じような本を喜んで読むかと云われたら、微妙な処だ。 -
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求めているのに誰ひとり幸せそうではなくて、最後まで報われないのかもしれないと思った。
小説の大半は家政婦の語りで進んでいきますが、その家政婦の話していることは実は本当はすべてが嘘なんじゃないかと疑う気持ちも出てきたり、本当は破滅を望んでいるんじゃないのかと思ってしまったり、誰よりも優しく感じたり、でも嘘をついたり欺いたり。進むごとに不安が増していきました。
カズオ・イシグロさんの「信用できない語り手」と似た雰囲気を感じます。
人物に関しては、二つの邸に住む家族と使用人、医者以外は登場しないのにこんなに入り乱れて複雑な小説ってあまりないように感じます。構成が面白い!
解説を読むとさらに。 -
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冒頭に「アイルランド母子収容施設で苦難を経験した人々へ捧げる」という献辞と、全国民に自由と平等を謳う「アイルランド共和国宣言」が引用されている。
この部分で「こんな宣言しておいて、実態はこんなことをやっていたではないか」という問題提起小説で、登場人物にはきっと不幸が訪れるんだろうなあ、と気持ちを引き締めながら読み始める。
時代は1980年代のクリスマス前の数日間で、主人公はアイルランドの南東部のニューロス町で石炭と木材を商う中年男ウィリアム(ビル)・ファーロング。ファーロングは自分の父を、というより当時16歳だった母を妊娠させた男を知らない。町では母のような女はふしだらな女と見られるが、母を雇っていたウィルソン夫人の慈悲のおかげで、彼は教育設けられ、今は妻アイリーンと5人の娘に恵まれて慎ましくも幸福な生活を送っている。
ファーロングは父を知らない寂しさを持ち続け、学校で虐められはしたが、金銭的には恵まれ、本人も真面目に学び真面目に働いて、今では独立して店を持ち、妻のアイリーンと五人の娘と共に慎ましく、神様の教えを守り暮らしている。
当時の町はひどい不況に陥っていた。今のファーロングの願い、生きる目標は娘たちを自分や母のような苦境に立たせないこと。そのために町で唯一の私立校であり、絶対的な権力を持つカトリック教会が運営する「聖マーガレット学院」に娘を通わせるのだ。
読んでいても本当に仲の良い、互いに支え合う家族。アイリーンは夫の生い立ちや努力を知ってはいるけれど「あなたは本当の苦労を知らない」とも思っている。そして財布の紐も彼女が握り、ちょっと見通しが甘い夫に呆れたり・笑
そして欧米の小さな町が舞台の物語で感じるのが、生活にキリスト教の教え、教会の教えが染み渡っていること。一家はミサを欠かさず、アイリーンと娘たちは共にクリスマスの料理を作り、ファーロングとアイリーンはサンタへの手紙から出せる範囲でのプレゼントを話し合う。ファーロングが娘たちに対して「何よりも誇りを感じる」ことが、お店の人などにちゃんと膝を折ってお礼を言う様子、っていうので、この娘たちは慎ましくても両親をみてまっすぐ育っているなあと。
ニューロスの町の中心にあるのはカトリックの聖マーガレット教会と、修道院。修道院長はニューロスの有力者と繋がっている。
…欧米の物語を読んで「どれだけの力が協会にあるのだろう」と思うことはあるが、この小説では教会の力が庶民ファーロングに対してなんとも重圧感があります。
しかし修道院にはもう一つの施設、未婚の妊婦を閉じ込める母子収容施設があるという噂がある。だがこの生活を守りたいファーロングはあまり気にしない、というか気にしないようにしていた。
しかし彼は石炭を修道院に運んだときに、ボロ着の若い修道女に「おじさん、私を川まで連れてってよ。溺れちゃいたいんだよ」と言われる。
これが噂の施設に収容された娘か?
そして数日後、修道院の石炭小屋にまた別のボロ着で裸足の娘を見つける。どうやら垂れ流し…のようでいかにも不潔で悲惨な様子だ。(おそらく知的も若干遅れてる)娘は「あの人達はわたしの赤ちゃんをどうしたんだろう、お乳をあげないといけないのに」と言う。
ファーロングは娘を修道院に連れて行く。一瞬警戒されるが修道院長に迎え入れられる。ここで威圧的で、本人たちは善きことと思っていて、この町では絶対に怒らせてないけない修道院長に、庶民ファーロングがついつい本音を漏らす。
修道院長は女性でありながら「あなたのところは息子がいなくて残念ですね」とか「あなたは外国人を雇って国に入れて良いと思っているのですか」という白人男性至上主義的な事をいう。ファーロングは「母も、あなた(修道院長)も女性です」とか「イエスだって外国人ですよ」などと言う。退出時にはさっきの娘に「何かあったら言いなさい」とも声を掛ける。
この噂はどうやらあっという間に広がったらしい。町の人達から「娘たちのこともあるのだから、修道院とはやり合うな」と警告される。
…この「母子収容施設(マグダレン洗濯所)」は実際にアイルランドで数か所あって1996年まで運営されていた。当時は慈善団体として政府からも補助金が出され、厳格なカトリックの教の元に経営されていたのだが、何千人もの乳幼児・母親が命を落とし、政府が公式に謝罪したのは2013年とかなり最近のことだ。時代劇とか中世が舞台の文学読んでいると出てくる「尼寺に行け!」の尼寺であり、一家の中で外に出せない娘を閉じ込める修道院やらお寺やらがありますが、まさにそれだ。
数日後、なんとなく心配になったファーロングは石炭小屋に行く。またまたこの前の娘がボロ着でいた。ファーロングは自分の家に連れて帰る。すれ違う町の人たちは非難の目で彼を見て、だが誰も娘のことは触れない。
クリスマスの日。ファーロングは自分の母を救ってくれた人に、今度は自分がならなければいけないと思った。クリスマスの日に、自分がキリスト教徒としてやらなければならない「ほんのささやかなこと」をしたのだ。
これからどうなるのかはわからない。町の人々から警告されている通りになってしまう可能性が高い。だが彼は自分たちなら乗り越えられると信じた。ただの楽観でも、愚かでもなく、自分の人生の積み重ねたもの全てで、自分のしたことを、それを乗り越えることを信じた。
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小説としては、一人の人間が決意するまでの育ち方とか今の生活とか気持ちとかを丁寧に書いていって、その「時」に自然に繋がる。ファーロングの「ささやかなこと」の積み重ねがこの世を良くしていくのだろう。
しかし現実的にはこのあとどうなるのよ(-_-;) 文句なしに素晴らしい、と言い切れないのは、では自分だったら何の準備もなくできるか?自分の家族が家族に被害が及ぶ「正しいこと」をしたら家族と一緒に立ち向かえるか?とういう疑問に答えられないので、自分がこの小説を称賛する資格がない気がするの。