鴻巣友季子のレビュー一覧
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ラムジー一家とその仲間たちと、一緒に濃密な時間を過ごしている感じで読んだ。
第二部では、一家のうち3人が亡くなり、荒廃した空き家の様子が描かれている。特に家を切り盛りしていたこの小説の中心人物であるラムジー夫人を失うことは、読んでいる私にも辛かった。
第三部では、第一部から10年後、家は改修され、残された人達がかつての生活を回想しながら、新たな人生を送っていることがわかる。絵描きのリリーが、自分の描く絵に迷いがあったのに、最後に自分のヴィジョンを発見する所が良かった。
灯台へと目指す舟で、父と子3人でサンドイッチを食べるシーンも良かった。
「灯台」とは残された家族の再生の象徴なのかもしれない。
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静かな物語です。
けれど静かな中に、作者の強い思いが伝わってきます。ほんの少し前まで実際にあった「マグダレン洗濯所」をモデルにして、その非人道的な活動、実態を皆んなに知ってもらおうと小説のかたちで書かれたもの。
カトリック教会とアイルランド政府が、手を結んで進めてきた社会の暗部に対し、主人公は自分たちの今の生活が、子供たちの将来も含めて厳しいものになるのをわかっていても、一人のキリスト教徒として見過ごせなかった。
そのあたりの苦悩がよく伝わってきました。
この作品に目を止めて、翻訳してくださった鴻巣さんに感謝します。
ささやかな小説ですが、たくさんのものが詰まった本でした。良かったです。 -
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あるキリスト教系団体の村で起きた大量レイプ事件。最年少の被害者は3歳の少女。それは「悪魔の仕業」「作り話」とされたが、実は身内の8人の男による犯行だった。彼らを保釈させようと村の男たちが外出する2日間。女たちは子どもを守るために未来を選ばねばならない。何もしないか、闘うか、村を出ていくか。文字の読めない女たちの会議(ウーマン・トーキング)が始まる。
2005年から2009年にボリビアで起きた実際の事件を元に描かれている。彼等はメノナイトという集団で暮らしており、自らの規律で生活できる土地を求めて放浪していた。ボリビアは熟練の農夫たちとして彼等を受け入れ、教育や福祉、自治体、紛争解決、財産所有の面で自治権を認めた。
ところがある晩、女性たちが悪魔に襲われるという事件が起こる。目が覚めたら女性たちが傷つけられており、割れるような頭痛と倦怠感に悩まされていた。普通に考えたら「薬を盛られて乱暴された」という解にたどり着く。ところが監視カメラなどないので証拠がない。誠意あるボリビア人が夜景に立ったが、なかなか捕まらない。やっと2,009年に犯人が捕まった。男性や少年の被害者もいたようだ。
本作では女性たちが語っているが、実際は事件について語られることはほとんどない。忌まわしい出来事として、罪が裁かれたのだから忘れてしまうのが一番だ、とばかりに、被害者へのカウンセリングも碌に行われていない。常に被害者だけがトラウマと心身に受けた傷に苦しみ、加害者たちはいずれ忘れてしまう。殺人事件が起こった場合を除いて、ボリビア政府は彼らに犯罪の報告を義務付けていらず、いわば一種の自治国家のような扱いになっている。
女性たちは教育からも排除されている。また「罪びとたちを許さなければあなたは天国にいられない」という誤った教義をも押し付けられている。これほど窮屈な世界が、現実に存在しているのである。本作の女性たちの時に過激な発言は、フィクションだから許されている。
2018年に出版され、NEW YORK TIMESブックレビュー誌の年間最優秀書籍に選ばれた。女優でもあるサラ・ポーリーにより映画化され、アカデミー脚色賞受賞。 -
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『ほんのささやかなこと』に続き、この著書を読んだ。全編を通じて語りすぎず、かと言ってそこはかとなくメタファーやが散りばめられていて、想像の翼を広げることができる。きつい労働、厳しい自然に黙々と生活する大人たち。そんな中で「手をかけられなかった」女の子が、悲しみの中に生きる夫婦に預かられ、自分に手をかけることの始まり知ってゆく。それは完璧な愛でもなく、むしろ不器用な、行ったり来たりの揺れる愛だ。それゆえにこの夏が、彼女の不思議な気持ちへの気づきに繋がり、人間味ある情緒の芽生えになったと分かる。読後は何やら暖かい気持ちが、自分の中に滲み出てくる。果たして彼女は今後どうなるのか、わからない、そして私たち読者もわからない生活に戻ってゆく。それが人生なのかもしれない。
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鴻巣友季子さんの深掘りが、とてもおもしろかったです。さすが、翻訳家さん。マーガレット・ミッチェルもびっくり!
“ヘェ〜”と思ったところ多数。(以下、本書より)
・スカーレットとメラニーのダブルヒロイン論。
・スカーレットの容姿、スカーレットの実家〈タラ〉の外観が、原作と映画は違う。
・作者は、本作品を結末から冒頭に向かって書いた。
・アシュリとメラニー、レットとスカーレット、2組のカップルの夫婦生活にも言及。(4人の複雑な心理、行動の考察がスゴイ)
・本質は「恋愛小説」ではない。土地をめぐる「不動産小説」、米国の南北分断の根本を浮き彫りにす「戦争小説」、女性同士の複雑な友愛関係を描く「シスターフッド小説」。
・南部の人の目から、南部を批判した小説。
※原作も読みたいところですが、私はまだ読んでない本たくさんあるので、とりあえず『風と共に去りぬ』は、映画と本書で満足しました。 -
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翻訳家の鴻巣友季子さんによる海外小説のブックガイド。いっとき、何も意識せず読みたい本を選んでいたら鴻巣さんの翻訳が続いていたことがあり、それまで翻訳家の方を意識したことがなかったが以来気になっていた方。
読んだことのある作品もまだ知らぬ作品もあり、ページを進める時のドキドキした気持ちや、人間の悍ましさに直面した時のような恐ろしい気持ちが一気に呼び起こされた。海外文学への憧れがぎっしり詰まっていて、自分が何故こうも海外の小説に惹かれてしまうのかもよく分かった。同時に、翻訳家の偉大さを改めて知る。
このあと、紹介されていた『灯台へ』、『ねじの回転』、『若草物語』を読んだ。『ジェイン・エア』、『一九八四年』も買ってあり読むのが楽しみ。 -
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ケルティッククリスマスというコンサートに行き、アイルランド関連本として会場で販売されていて、売り子さんがイチオシだったので手に取って読んだ本。ただ、ただ良かった。贅沢な暮らしをしているわけではないが、愛する妻と娘たち、重労働だがやりがいのある仕事をする主人公に、ふと、こことは違うが地続きの、裏の世界が見えてくる。それは自分の生い立ちにも関わる世界だった。そこに一歩を踏み出すことは、幸福な自分の足元が崩れてしまうかもしれない危うさを含んでいる。。。クリスマスのこの時期に読んで本当に良かった。ディケンズの『クリスマス・キャロル』を彷彿とさせる、新しいクリスマスの物語。日本語訳の素晴らしさは言うまでもない。引き続きこの著者の作品を読んでみたい。映画化される予定もあるそうで、それも楽しみだ。
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まずタイトルにそそられた。子供の頃、エニドブライトンのおちゃめな双子やはりきりダレルを読み、美味しいに違いない未知の食べ物を頬張る少女たちの描写にワクワクした私。赤毛のアンを読んで、素敵に違いない未知の生地のお洋服の描写にうっとりした私。あの頃読んだ外国の本は、よくわからないけど素敵そうなもので溢れていた。その感覚を思い起こさせるようなタイトル。ギンガムチェックと塩漬けライム…!
どうやら同じような子供時代を過ごしていたらしい著者は、翻訳家で文学評論家。本書では彼女が子供の頃や若い時分から読んできた外国文学の解説が載っていて、外国文学への良い入り口になると思う。堅苦しくなく親しみが持てる語り口で、あしながおじさんから若草物語からレベッカからアッシャー家の崩壊からハックルベリー・フィンの冒険からクララとおひさままから…とにかく様々な外国の物語の楽しみ方を魅せてくれる。
さすが文芸評論家、時代背景や、文学史上の作品の意義の解説もあり、読むうえでの新しい視点も紹介してくれる。また、翻訳家ならではの、原文の解説や翻訳の工夫についてを垣間見られるのも目新しい。著者ならではだと思う。女性だからか、女流作家たちの取り上げ方も結構好きな感じだった。
なんだかんだ、有名どころだけど読んだことがない作品というのもいくつもあり、大分大人になってしまったけどやっぱり読んでおこうかな、と思ういくつものタイトルとの再会もあった。
各章の冒頭にある3行ばかりの簡単な作者プロフィールでその作者の生きた年月を読んでは、こんなに短い生涯でこの時代にこの作品を残したんだ…どんな人生だったんだろう、という読み方もした。
読みやすいのに幾重のも楽しみ方ができて、かなり好きな本だった。 -
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ネタバレクレア・キーガン2冊目。
映画「コット、はじまりの夏」の原作。映画は観てないけど。
ほんのささやかなこと、がとても良かったのでこちらも購入。
アイルランドの子沢山な農家の女の子、わたしがお母さんが赤ちゃんを産んで安定する前までに親戚のおばさん/おじさんに預けられて
愛情を受け、ケアされて成長するお話。
とても切なくて、悲しくて、泣きながら読んだ。
おばさん/おじさんは、子沢山で貧乏な…農家で育ったわたしをケアしてくれる。街に出て綺麗なお洋服を買い、言葉遣いを教え、体を綺麗に洗ってお風呂に入れて。
中盤、おばさん/おじさんには実は子どもがいて、不慮の事故で亡くなってしまったことがわかる。わたしは幼児(7歳くらいなのかな?)、服のサイズからするときっとその子どもの方が少し大きいのかな。
お父さんは、子どもや家族をケアしていないように見える。この作品においては。わたしを預ける時も、むかえにくるよ、など安心させる言葉は言わない。お母さんはきっと、子どものお世話でいっぱいいっぱいなんだろう。
アイルランドでは1980年まで(!?)避妊具やピルが非合法で、中絶も禁じられていたらしい。子どもが労働力として見込まれるということもあり、農家…第一次産業では多産は珍しくなかったらしい。
つまり、お父さんやお母さんは怠惰や愛情不足でわたしのケアをしていないのではない。それが、辛い。社会構造が理由。
そう思うと、ケアしてくれる側のおばさん、おじさんの発言がやや無神経にも思える。お母さん、お父さんは〜をしてくれなかったの?とかね。
物語の中盤で、わたしはおじさんと手を繋いで散歩をし、そのとたんに一度もお父ちゃんに手を繋いでもらったことがないと気がつく。
この感じをを思い出さなくていいように、手を離してくれないかなと、わたしは思う。
この子は家に帰って、日常を過ごしながら、どんな思いでいるんだろうなぁ?と考えてしまった。
おじさん、おばさんによるケアで精神が成長した、心が豊かになったのは確かだろうけど。
待っているのは現実で、続いていくのも現実。
一度得たものをまた得られない(かもしれない)ことで、辛くならないかな。わたしの両親に対して、叶わないwillを抱いて、小石を飲み込むような気持ちになったりしないのかな。そうだといいな。
おばさん、おじさんは?
喪失を抱え続けて生きていくのは、どんな気持ちなんだろう。
淡々とした文章で、かつ描写しすぎないからこそ、想像する余地がある。
近々、再読すると思う。
読みながら、フェアポート・コンヴェンションが1969年にリリースしたアルバム「Unhalfbricking」を聴いていたら
物語の終わりに合わせて、「時の流れを誰が知る?」が流れた。とても良い組み合わせ。
フェアポートはアイルランドじゃなくイギリスのフォークロックだけどね、、、
And I am not alone while my love is near me
I know it will be so until it's time to go
そしてわたしは、愛する人がそばにいれば孤独じゃない
時が来るまではそれが続くことを知っている
この歌詞がぴったりで、なんというか…さらにグッときた。
あとは、サニーデイ・サービスの海岸行き。良い読書体験でした。