あらすじ
1985年、アイルランドの小さな町。寒さが厳しくなり石炭の販売に忙しいビル・ファーロングは、町が見て見ぬふりをしていた女子修道院の〝秘密″を目撃し――優しく静謐な文体で多くの読者に愛される現代アイルランド文学の旗手が贈る、史実に基づいた傑作中篇
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Posted by ブクログ
自分の近くに社会的の闇があることに気づいたとき、どのような行動をとるべきなのだろうか。
果たして自分は、正しいコトができるのだろうか。『ほんのささやかなこと』を読んでそんなことを考えた。
1985年のアイルランドの小さな町のクリスマスシーズンの数日間を描いた物語である。
石炭と木炭商人のビル・ファーロングが配送先の修道院で見窄らしい恰好で働く女性を見つけて助けを乞われることで、その社会の闇に気づき、といった話である。
アイルランドの「マグダレン洗濯所」という悲劇をモデルにした物語であり、恵まれない境遇の女性を取り上げている。
本書を読むまでは「マグダレン洗濯所」という悲劇を知らなかった。まず、このような出来事について、知れたことは、本書を読む価値であった。
著者のクレア・キーガンは良質な中編小説の作り手である。本書も頁数は120ページと短いが、一文一文が洗練されており、主人公の葛藤や心の変化が丁寧に描かれていた。本書のほかにFoster(『あずかりっ子』)という最近、映画化(「コット、はじまりの夏」)された作品もあるようなので読んでみたい。本書もキリアン・マーフィー(私の中ではノーラン版バットマンのスケアクロウ役)で実写化されたようなので一度見てみたい。
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1985年、アイルランドの小さな町
クリスマスが近い十二月の話
主人公の石炭販売店を営むビル・ファーロングには、妻と五人の娘がいる。
これまで苦労も多かったが、今は何とかささやかで平穏な日々を手に入れている。
ところが配達先の女子修道院で目にした光景をきっかけに、どうしようもなく心が動いてしまうのだ。
その光景とは修道院の附属施設の〝洗濯所〟
これはアイルランドに1996年まで実在した教会運営の母子収容施設と「マグダレン洗濯所」をモデルにしているらしい。
洗濯所は政府からの財政支援を受けてアイルランド各地で営まれていたもので、ひどい女性虐待がおこなわれていたという。
こんな恐ろしい施設が近年まで存在していたとは全く知らなかった。
本書はフィクションであるものの、アイルランドの社会的背景も描いている。
家族との平穏な暮らしを守るため、真面目に暮らしてきたビル。
しかし膨れ上がる焦燥感のような感情を抑えきれず、自分の正直な心に従い、ある大胆な行動に出る。
このラストシーンはとんでもなく素晴らしい!
この後には様々な問題が起きることは確実だが、ビルの心は晴れ晴れとしている。
短い物語でありながらとても丁寧に心の揺れ動きを描いており、静かに語られる文章がそれを際立たせていると思う。
心に残る一冊だった。
Posted by ブクログ
この淡く優しくそして決して消えることのない光を放つ小説は、低く雲が垂れ込めた空の下厳しい冬を迎えたアイルランドのスモールタウンを舞台として、四十歳の節目が近くなった男が主人公だ。
12月の第一日曜日から、クリスマスイヴまでの1か月足らずの間に、ビル・ファーロングの心が彷徨い、静かにそして大きく揺れ動いてゆく様子が綴られる。
その心模様に寄り添うように、丁寧にそして細やかに小さなディテールを積み重ねて日々の暮らしが描写されるのだが、これがとてもチャーミングなのだ。
きっとアイルランドの人々にはお馴染みなのだろう家電や食品、テレビ番組などが彩りを添え、一家がクリスマスの準備をして過ごす夕べの場面は、きらきらときらめいて、やるせなく胸を打つ。
町はイルミネーションで色づき、聖歌隊の歌声が聴こえる。五人姉妹はクリスマスケーキを焼き、サンタに向けて手紙を書く。子供たちを寝かしつけた後で、炉棚の上に置かれた手紙を夫婦はそっと開く。
ファーロングは愛する妻子と共に過ごす時間を大切に思いながらも、心が漠然とした不安と焦燥を感じて落ち着かないのを止めることができない。
心が空白になって彷徨いだす気持ちは、たしかに僕も知っている、馴染みがあるものだ。
地道に築き上げてきたキャリアと生活が、退屈で不毛な繰り返しに過ぎないという想いが不意に忍び込む。見知らぬ女の部屋に立ち寄ったときに、違う人生を生きる自分が浮かんで見える。
父親を知らぬファーロングにとっては、自らが知らぬ人生の可能性は、叶うことなくとも見ることを止められない夢のようなものだろう。
本書は修道院が経営する訓練学校 -それは強制労働と虐待が支配する「マグダレン母子収容施設」なのだ- を題材としている。
町にとって公然の秘密であり噂話のネタには取り上げても、触らぬ神に祟りなしとばかりに放置されてきた施設と向き合うことになるファーロングの決意と行動が描かれる訳だが、クライマックスはその前にある。
イヴの夕暮れに、雪が舞う町の中をショーウィンドウを覗いて回りながらファーロングの心は鬱屈から解放されて広がってゆく。
“いちばん間近にあるものが往々にしていちばん見えにくいのはなぜだろう?”
自らの父親が誰なのか、その真実は決して分からなくとも、今の自分を作ってくれたものたちを振り返り噛み締めることで、少しずつ自分の心が本当に望むことを見いだしてゆく。
ファーロングはヒロイズムに高揚している訳でも、燃え盛る正義をかざして告発している訳でもない。
例えるならそれは、凍える季節を乗り切るために暖炉にくべた石炭の一欠片だ。差し出されたぬくもりは、いつの日にか冷たい世界を溶かしてゆけるかもしれない。
ファーロングの妻であるアイリーンにも思いを馳せたい。修道院の施設に暮らす女性たちをファーロングが話題にしたとき、彼女は関わりを感情的に拒絶する。
女性であるアイリーンは、男や権威が幅を利かせる社会の中で、自分や娘たちが不安定な立場にあることを悟っている。
施設の女性たちと自分たちは、本当は塀で隔てられたそれぞれの世界に住んでいる訳ではない。女性はすべてみな、どちらに落ちるか分からない細い塀の上を歩いているのだと。
彼の決意が家族に招くであろう困難が分からないファーロングではない。
だからこそ、ラストの数行に圧倒される。
彼の心を支えているのは、妻や娘たちに寄せる揺るぎない信頼なのだから。
Posted by ブクログ
なんだろう。読み終えた時は、そこで終わるのという感じだったが、少しづつなんとも言えない気持ちになってきた。
これからが大変になるのは目に見えるだけに、とても心に刺さる小説でした
Posted by ブクログ
どの社会も抱えているような暗部とそれに向き合う人間のあり方を、言葉少なでシンプルなストーリーに凝縮させて提示している。作品としての完成度がすごい。ただ訳文に日本語としてゴツゴツしている部分が散見されやや違和感があった。(有名な訳者のものなので、原文のテイストに合わせた意図的なものかもしれないが)。
Posted by ブクログ
『ウェクスフォード県のニューロスの町では、煙突が煙を吐きだし、それが薄く流れてもわもわと長くたなびき、埠頭のあたりで霧消する時季になると、じきに雨が降り、バロー川はスタウトビールほど黒く濁って水嵩を増した。町の人びとの大半はため息をつきながらこの悪天に耐えた』―『第一章』
ふわふわと思考は漂ってゆく。初めての長期の英国出張。滞在先近くのコンビニで買うギネスのロング缶。パブで飲む泡の細かい常温の黒ビール。冷たい雨。鼻の長い二階建てバス。『汽車に乗って、あいるらんどのような田舎へ行こう』という詩の断片。牧歌的と言ってもよい雰囲気でこの一冊は始まる。
そんな風に連想に誘われる文章は、一読すると熱量の低い淡々とした言葉が並ぶだけのようにも見える。読むものの感情を意図的に揺さぶるようなところはない。そんな筆致で、オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」のような物語が紡がれていくのだろうかと思わせる文章。しかし、クレア・キーガンの描こうとしているものはそんな生半可なものではないことが徐々に明らかとなる。
本当は複数の本を同時並行で読むのは好きではないのだけれど、ポール・オースターの最後の一冊が余りに大部なものだから、そして随分順番待ちをした本が届いてしまったから、オースターを一旦脇に置いて読み始めた。行間もポイントも大きい薄手の一冊を読み切るのに時間は掛からない。小さなポイントで二段組みかつ800頁弱のオースターとの対比。しかし、読みかけの本のことを忘れてしまうくらいの衝撃が詰まっている。
それは、どんな社会にもあり、大っぴらに明かされていないだけの闇。日本の事例で例えてみれば、ハンセン病患者の隔離、優生保護法、あるいは女工哀史。幾つかの物語の流れの中、その不穏なものの存在は噂程度の話として先ず語られ、ある男の日常の営みの中じわじわと核心に近づいていく。紆余曲折がある訳では無いが、日常の中にある善と悪は単純に割り切れない程人々の生活に根を張り合って縺れている。そしてその後に続く修羅の道のことを思えば、決して予定調和でも大団円でもないが、ぐっと歯を喰いしばりながら最後の一文を読み終わる。胸の中にふつふつと沸き上がる感情の正体を自分でも図りかねなから。
Posted by ブクログ
心が震えるラスト!
今しなくて後悔する苦しみを死ぬまで味わうより、自分で正しいと思う事をして、これから降りかかる問題の方が軽い。
暗い話だろうから、読むのを敬遠してたけど、読んで良かった。
昔々の事では無くて、結構最近、1980年代の話だから驚く。
戦争も教科書に載ってた話ではなく、今現在の話になっている。
見ないフリしている問題が今現在、色々あると思う。
解決するには小さな1人の1歩からしか、変えていけない。
最初の一歩は潰されるだろうけど、きっかけを作らないと一生変わらない。
その1歩が自分か誰かか。
気になったほんのささいなことを、自分のほんのささいな行動で、世の中という大きなものを変えていけるのかもしれない。
些細なことの積み重ねが、良くも悪くもなる。
些細なことは、気づいた時、大きく問題になる前に修正すれば、大きな労力もいらない。
(個人的には、「 Clear thinking 」本の感想に繋がる)
ゆっくり自分のために時間をとり、いつも普通と思ってる些細なことを見直す時間を持とう。
人には環境と教育が大切。
追記
嵐が丘を読んで。
このラストって、嵐が丘のスタート?
この家族は幸せだったのだろうか。。。
Posted by ブクログ
世界の中に、このようなものの感じ方をする人間がいて、それを小説として世に出してくれて、極東の国で翻訳され、噛み締めることができる、という奇跡。
さらに映画化もされ、来年公開されるという。
昨年見た映画「コット、はじまりの夏」の原作者だと知って、膝を打った。いい映画だった。親からの愛を感じられない少女が過ごす一夏の叔母夫婦での思い出。机のビスケットが繋ぐ叔父との心の交流。
あの静謐な作品と確かにテイストは似ている。
予告編を見たけど、映画を見るのが今から楽しみだ。
こういう小説を読むと世界は繋がっているなと思う。アイルランドの「マグダレン洗濯所」の歴史を知ることもでき、クレア・キーガンの見つめる世界を、自分も見ることができたことに、小さな感動。
Posted by ブクログ
かつてアイルランドにあった「ふしだらな娘」の収容所に閉じ込められた少女をみた主人公が……の話。
アトウッドの「侍女の物語」とは違って、これは100%真実。
最近も、この種の施設から乳幼児数百人の遺体が見つかったらしい。
1996年まで実在していたそうで、私が最初の妊娠をした時にもあったんだと思うと恐ろしい。
自分の家族が不利益を被るとしたら、私はどう行動するだろうか……と思う。
ファーロングは、自分自身が「助けられた」ことを理解していたからこんな行動ができた。
「ウィルソンさんがいなければ、うちの母さんは十中八九、あの施設に入れられていただろう。自分がもっと昔に生まれていたら、いま助けようとしているこの子は母さんだったかもしれない。」
家の中の、クリスマスの前のちょっとした描写が心地よい。
クリスマスに読んで欲しい。
Posted by ブクログ
訳者の鴻巣友季子氏が好きなので手にとった。
1985年のアイルランドで商売をする石炭商ビルが主人公。働き者の妻と5人の娘と苦しい家計ながら「真っ当に」暮らしている。善良で物欲に囚われないビルが配達に行った修道院で逃亡を図る少女と会う事で自らの出自や取り巻く環境に改めて想いを巡らす。史実に基いた中編小説。1996年までこの修道院はカトリック教会とアイルランド政府の結託の元、女性虐待や強制労働を強いてきたらしい。 ビルのその後が気になる所、余韻を残す作品。
Posted by ブクログ
妖精や魔女の国、アイルランドのクリスマス。
カトリックの絶対支配の階級社会。
その中で誠実に生きる労働者の男性。
寒くて暗い中の仄明るいアイルランドのクリスマス。幻想的にも見えるクリスマスの様子が実態として浮かんでくる筆致がよい。
精一杯労働し、家族との生活を守る1人の男性の虐げられた女性の救済への葛藤が読んでいて苦しい。(これまで必死で守ってきたものが絶対的な権力に抗うことで失ってしまうかもしれない、これは普遍的なテーマだろう。)
キリスト教の暗部と共同体としての機能を明示しており、辺境の文学としての面白さもあった。アイルランドの空気感がよい。(イギリス児童文学への系譜を感じる。)
Posted by ブクログ
自らが過去に受けた恩恵と助けを思い返し、「最終的に、この町の不正と犠牲を見てみぬ振りをしたまま、キリスト者として生きていけないとビルは結論する。自らの良心に従わず、沈黙を通して声をあげずにいるなら、個人の幸福は成り立たないと考えたのだ。」(「訳者あとがき」P.154)「…ファーロングはあらゆる感情を圧倒する恐れを感じつつも、おれたちならやり遂げるさ、と心のどこかで愚かしくも楽観するどころか、本気で信じているのだった。」(P.137)
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1985年、不景気で閉塞感漂うアイルランドの小さな町が舞台です。政治・宗教的な背景があるものの、簡潔な文章で分かりやすく、本編が130ページほどの中編小説です。その割に奥深く、当時の時代の空気感が上手く表現されていると感じました。
当時のアイルランドには、カトリック教会が運営する母子収容施設と洗濯所があり、洗濯場では恵まれない少女や女性が監禁、労働、虐待を受けていた史実(「マグダレン洗濯所」の闇)があったようです。
主人公は、40手前の石炭商を営むビル・ファーロング。妻と5人の娘がいて、家族思いで真面目に慎ましく暮らしています。ただ、彼の母親が未婚の母で、父親を知らないという出自がありました。
ファーロングは仕事の最中に、その隠された洗濯場の真実に気付き、どうすべきか善悪の間で葛藤します。と言うのも、彼の母親は裕福な未亡人の女中で、貧困から免れ、母親と離れずに済んだ過去があるからでした。
そして自らの過去と向き合い、道徳心や価値観が揺れ動きながら、最終的には不正と犠牲に目を背けず勇気ある行動を選択します。この辺の心理描写が丁寧で、最後は清々しく余韻が残りました。
カトリック教会の権威が揺らぎ始めるも、これらの制度・施設が200年以上も存在し、最後の施設が1996年に閉鎖されたという事実に驚きます。この重いテーマ・背景の中に、タイトルの『ほんのささやかなこと』に込めた「日常の些細な行動や選択の積み重ねが、その人の人格を形成していく」という意味が、とても重く響く一冊でした。
Posted by ブクログ
1985年クリスマス間近、アイルランド南東部の町ニューロスで燃料屋を営むファーロング。
婚外子の自分を身ごもった女中の母だったが、仕えていたウィルソン夫人の計らいにより、その出自に比して最低限の困難で今の生活にたどり着くことが出来た。
決して大金持ちでも大物でもないが、この不況の中、それなりの稼ぎもあり5人の娘にも恵まれ、望む教育を与えることができ、和やかで心温まるクリスマスを迎えることができている。
ある日、燃料を届けに行った女子修道院で出会った少女達の姿に、この町の暗部に気付いてしまう。。。
訳者鴻巣さんのあとがきでは5人の娘を育てる家庭像から若草物語への言及があったが、
自分的には直近の読書履歴からどうしたって『高慢と偏見』が思い浮かぶ。
家族構成だけで物語の内容はかすりもしないのだけれど。
内容的には不穏な施設、見て見ぬふりの保身からの悪意なき悪にカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』×マーティン・エイミス『関心領域』のような印象を受けた。
平和な日常に突如おとずれた翳りにひるみながら、惑いながら、ウィルソン夫人から受け取った善良さのバトンを手放さないファーロングの心根に喝采。
アイルランドのマグダレン洗濯場という歴史的悲劇を知らなかった。
エイドリアン・マッキンティの描く北アイルランド紛争といいなかなかの闇を抱える国家。
自分的には、側転前転のロビー・キーン、闘将ロイ・キーンのプレミアリーグレジェンド達のイメージが強いアイルランドだが、全然知らないんだなと思った。
無関心は悪。きっかけをもらえたので気になる範囲でAIとお話ししてみよう。
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アイルランドでの実際にあった大規模で長期にわたる人権侵害を題材にとった中編。人間は神の名の下にいくらでも残酷になれるが、神の名の下に善意を発揮することもできる。
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1996年までアイルランドに存在していた「マグダレン洗濯所」。ここは政府からの財政支援を受け、協会が運営していた。未婚や婚外関係で妊娠した女性が無償労働を強いられ、ひどい女性虐待が行われていたという。
この物語には、この洗濯所をモデルとした施設が登場する。主人公ビルは、女子修道院に石炭を配達しにいった時にある少女と出会う。彼女がそこでずさんな扱いを受けているのを目にするのだ。
彼自身、母親は未婚で彼を産み、父親を知らない。しかし運よく母が女中をしていた屋敷で育てられ、キリスト教徒として真面目に生きて来た。
生活は決して豊かではないが、妻や娘たちに誠実なビルのセリフはいちいち心温まる。
ラストはこれから起こる波乱を予期させるものだが、希望も垣間見える。
静かな語り口ながら、感情を揺すぶられる小説だった。
Posted by ブクログ
クリスマスを目前に控えたアイルランドのお話
愛する妻と5人の娘に恵まれ、石炭や薪など燃料の販売を商いとする中年男性ファーロングが主人公
未婚の妊婦の収容施設、人身売買のような養子制度、カトリック教会と政府の癒着など、この本を読まなかったら知ることのなかった差別に驚いた
解説までしっかり読むべきだと思った
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著者の名は知らなかったが、役者の鴻巣友季子さんのお名前に見覚えがあったので手に取った。思っていた以上の良書。私が訪れたアイルランドはよく晴れた空にミモザがここにもそこにも咲溢れていたが、この小説からは薄暗い曇り空と寒風を感じる。身近な人の愛情に育てられた主人公が、自らの手で掴み取った平凡な幸せに飽き足らず、言われない苦しみを味わっている少女を救済すべく一歩踏み出す。現実にも似たようなことがかつて起こっていたと知り、憤りを覚える。特に、女性が、なぜ同性の庇護すべき存在を虐待するのか、理解に苦しむ。
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ファーロングという男性が、不遇の女性(少女)のために行動を起こすのがよかった。そこに至るまでの彼の過去、現在を丁寧に中編にまとめているのもよかった。彼が未婚の母のもとに生まれながらもウィルソン夫人たちの加護のもとに育ったこと、家族を持てたことで問題意識をフラットに、熟慮することができたのも大きいのではないかもしれない。声高に日々、活動する訳では無いが「ささやか」ではあるものの、それが誰かの心や命を守る大きな一歩だと感じた。
Posted by ブクログ
アイルランドの小さな町で日々働いて一家を養う主人公ファーロング。彼の出自以外は退屈といってもいいくらいのささやかな日常生活が淡々と語られるのだけれど、どこか落ち着かないというか不穏なものを感じさせられる。
最初はファーロング自身が抱える自分の来し方や将来への漠然とした不安なのかと思っていたが、それだけではなかったことに驚き。そして実話を元にしていることにまた驚き。
ラスト、決然と一歩踏み出したファーロングの姿に勇気づけられた。
Posted by ブクログ
「知ること」の大切さ。
こんな話を聞いたことがある。
関心のない国や土地については、地名は知っていても、地図で書いたり場所を指し示したりすることができない。つまり、自分の世界ではその土地がなかったことになっている。
これは見事に自分に当てはまっていて、知っているつもりでいたこと恥ずかしく、また恐ろしくも感じた。関心がないということは、無視しているのと同じことなのだと。
この本は、訳者・鴻巣友季子さんのX投稿で知った。
1985年のアイルランド話。それは1996年まで続いていた。中世の出来事でない。
だからこそ驚いた。
この知らなかったことを知る驚きは、
韓国の映画「タクシー運転手」でも体験した。
隣の国でこんなことが起きていたなんて。
知ることには偶然といものがある。
たまたま手に取った本との出会いで知ることは、今後も大切にしていきたい。
そして、知ったらもう無視などできない。
Posted by ブクログ
著者はアイルランドの代表的な現代作家さんらしい。
舞台はアイルランドのとある都市、1985年のクリスマス。
ファーロングは父を知らぬ私生児として育ったものの、今は燃料店を切り盛りし、
妻と五人の娘に恵まれている。
ところが、クリスマスの直前、女子修道会に付属する施設で
その実態を目の当たりにしてしまい・・・
自らの生い立ちと重ねつつ、葛藤する・・・
アイルランドには、1996年まで各地に「マグダレン洗濯所」という
施設があった。
母子収容所を併設し、政府の財政援助を受けながら運営されていたものの
実態は女性への虐待と労働力の搾取・・・名ばかりの職業訓練所だったとか。
ファーロングは、その実態を垣間見てしまったのだ。
読んでいて、ずっとわけのわからない不安につきまとわれ、
先に進めなかった。
この先、きっと良くないことが起きる、平凡な日々が喪われる・・・と。
ムダがない文章なのに五感を刺激されるような文章。
惹かれるのに、この不安は何なんだろう・・・?
ラストを読んだ瞬間、ああ、自分が年をとったからなんだと、納得する。
平凡な穏やかさを私は絶対に手放したくないんだな、と。
いつの間にか、小説の中で保身に走ろうとする自分に愕然とした。
Posted by ブクログ
「青い野を歩く」の著者の新刊と聞き、楽しみに購入。あとがきに〝ブッカー賞候補史上もっとも小さな本の一つ〟と書かれている通り、読み始めたら薄い上に字も大きい。ただ最後数ページはまさに圧巻。
堅実で慎ましやかながら、幸せな家族との暮らしの中で、世の中の影に気づいた時、私たちはどうすべきだろう?
この本に書かれた影、〝マグダレン洗濯所〟のような場所は、世界に、日本にもまだあるかもしれない中、主人公の周りの人々のように、自分はなっていないだろうか。
Posted by ブクログ
1985年、アイルランドの小さな町。
クリスマスが迫り、寒さが厳しくなるなか、
石炭と木材の商人であるビル・ファーロングは
ある日、石炭の配達のために女子修道院を訪れる。
そこでファーロングは「ここから出してほしい」と願う娘たちに出くわす。
修道院には未婚で妊娠した娘たちが送り込まれているという噂が立っていた。
隠された町の秘密に触れ、決断を迫られたファーロングは
己の過去と向き合い始める。
そんなあらすじ。この物語を読むまで存在すら知らなかった。
1996年まで存在したマグダレン洗濯所。
婚外交渉により身ごもった女性ばかりでなく、
堕落する可能性があると恣意的に判断された女性、
身寄りのない少女も収容され、食事のみのほとんど無報酬で、
軍隊や施設等から集められた洗濯物の洗濯作業を強いられていたという。
洗濯奉仕作業は罪を洗い流すと意義づけられていたが、
女性らは産まれる子供について
永久的にその権利を放棄する旨を宣誓書にサインをさせられ、
アメリカへ養子縁組と称して有償で里子に出されていて、
これらは実際には教会の金儲けが目的であったとみられている。
女性らは過酷な労働の中で亡くなっていき、
死ぬと人目に立たぬよう施設の敷地内に埋められたという。
そんな収容所とも呼べるべき負の歴史を題材にした作品。
見て見ぬふりという、誰しも経験のある行為。
それは罪なのだろうか。だが問われているような気がした。
最悪の未来。それを自分は回避できてるのだろうか。
起きかねなかったが、起きずに済んだこと。
そのために自分が支払った代償。善意という悪意。
全てを問われているような気がしてならなかった。
Posted by ブクログ
“「女の子のなにがいけないのでしょう?」ファーロングはつづけた。「わたしの母もかつては女児でした。お言葉ではありますが、院長もそれに当てはまるでしょう。人間の半分に当てはまります」”(p.85)