あらすじ
1985年、アイルランドの小さな町。寒さが厳しくなり石炭の販売に忙しいビル・ファーロングは、町が見て見ぬふりをしていた女子修道院の〝秘密″を目撃し――優しく静謐な文体で多くの読者に愛される現代アイルランド文学の旗手が贈る、史実に基づいた傑作中篇
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Posted by ブクログ
心が震えるラスト!
今しなくて後悔する苦しみを死ぬまで味わうより、自分で正しいと思う事をして、これから降りかかる問題の方が軽い。
暗い話だろうから、読むのを敬遠してたけど、読んで良かった。
昔々の事では無くて、結構最近、1980年代の話だから驚く。
戦争も教科書に載ってた話ではなく、今現在の話になっている。
見ないフリしている問題が今現在、色々あると思う。
解決するには小さな1人の1歩からしか、変えていけない。
最初の一歩は潰されるだろうけど、きっかけを作らないと一生変わらない。
その1歩が自分か誰かか。
気になったほんのささいなことを、自分のほんのささいな行動で、世の中という大きなものを変えていけるのかもしれない。
些細なことの積み重ねが、良くも悪くもなる。
些細なことは、気づいた時、大きく問題になる前に修正すれば、大きな労力もいらない。
(個人的には、「 Clear thinking 」本の感想に繋がる)
ゆっくり自分のために時間をとり、いつも普通と思ってる些細なことを見直す時間を持とう。
人には環境と教育が大切。
追記
嵐が丘を読んで。
このラストって、嵐が丘のスタート?
この家族は幸せだったのだろうか。。。
Posted by ブクログ
ファーロングは真っ当な普通の人だ。妻と娘たちを愛し、妻を尊敬し、借金をせず、よく働き、親切にされれば感謝し、可哀想なものを見れば心を痛めて手を伸ばす。彼の行動には、屈折した人物のような心理的説明がほとんど要らない。こんな「ちゃんとした人」を主人公とした小説を読むことは久しぶりだ。
街の人々が噂として知りながら目を背けていた修道院の洗濯場について、ファーロングはその実態を見てしまう。一度知った後も以前と同じ顔で生活することができず、最後にはセァラを連れ出す。それが善い行為であることは疑えない。誰かが「これはおかしい」と認識して動かなければ、現実に存在した洗濯場もなくならなかっただろう。ファーロングは立派だと思う。同時に、このことを手放しで「偉い、素晴らしい」と称賛するには、あまりに危ういと感じる。
セァラを救うために彼が賭けたのは、自分の生活だけではない。アイリーンと娘たちの生活まで、相談なく危険にさらしている。私がアイリーンなら、少女を追い返せとは言えなくても、夫には断じてこんなことをしてほしくないと思うだろう。
セァラと歩くファーロングは、自分の最良の部分が輝き出したような、これまでにない幸福感を味わう。信じていることと実際の行動が一致し、善きものと同化したような高揚だろう。代償を払うと覚悟しているが、その請求は家族にも届く。小説は、彼が最も美しく、まだ現実の代金を一円も払っていない瞬間で終わる。
ファーロングは、たまたま知り、できないとは言い切れず、自分で選んでしまった人であり、それが立派だと思う以上に気の毒だ。他人事にする能力を持たない人には、世界が勝手に仕事を割り当ててくる。善良さは美徳だが、ときにその人へだけ高い代償を支払わせる。
評価は4.5。静かな希望の物語というより、善い人が善いままでいることに伴う危険を描いた小説として読んだ。
余談。訳者後書きで『クリスマス・キャロル』に準えられることもある、と紹介されているが、読みながらそれを感じた。ファーロングは3度修道女会を訪れる。クリスマスキャロルのように整然と過去・現在・未来とはなっていないが、これまでの噂の真相を知り、現在の苦痛を見て、娘の未来を案じるところは重なる。3度目に訪れた後、町の人から奇異な目で見られるところも重なる。幼い彼に『クリスマス・キャロル』を与えたのがウィルソン夫人なのも重要だと思う。彼女はファーロングに実際の庇護を与え、そのうえ、他人の不幸を想像するための物語まで与えた。ファーロングは大人になって、かつて受け取った二つをセァラへ渡し直す。そう考えると、あの本は単なる伏線ではなく、ウィルソン夫人の行為が彼の内部で長年かけて言葉になり、ついに行動へ戻るための装置なのだろう。
『クリスマス・キャロル』に似ていると感じるものの、スクルージは富を配って共同体へ再統合されるが、ファーロングは善を行うことで共同体から排除されかねない。奇跡の後に幸福が保証されない、厳しい『クリスマス・キャロル』である。
Posted by ブクログ
SL 2026.4.15-2026.4.16
1985年のアイルランド、クリスマスの時季の中篇。カトリック修道院での信じられないほどの人権侵害。しかも政府はそれを容認。
アイルランドに実在のマグダレン洗濯所をモデルにしているとのこと。
こんな非人間的なことが1996年まで現実として行われていたのかと驚くと同時に、大きな権力の前には倫理などどうにでもなってしまうんだという諦観もある。それは21世紀の今でも人知れず世界のどこかにはあるのではないかと。
Posted by ブクログ
自らが過去に受けた恩恵と助けを思い返し、「最終的に、この町の不正と犠牲を見てみぬ振りをしたまま、キリスト者として生きていけないとビルは結論する。自らの良心に従わず、沈黙を通して声をあげずにいるなら、個人の幸福は成り立たないと考えたのだ。」(「訳者あとがき」P.154)「…ファーロングはあらゆる感情を圧倒する恐れを感じつつも、おれたちならやり遂げるさ、と心のどこかで愚かしくも楽観するどころか、本気で信じているのだった。」(P.137)