あらすじ
「いいですとも。あした、晴れるようならね」スコットランドの小島の別荘で、哲学者ラムジー氏の妻は末息子に約束した。少年はあの夢の塔に行けると胸を躍らせる。そして十年の時が過ぎ、第一次大戦を経て一家は母と子二人を失い、再び別荘に集うのだった――。二日間のできごとを綴ることによって愛の力を描き出し、文学史を永遠に塗り替え、女性作家の地歩をも確立したイギリス文学の傑作。(解説・津村記久子)
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Posted by ブクログ
小説の技法?が斬新すぎて少しだけ難解に感じた。
たった2日間の出来事に細かすぎる情景描写、心理描写、人間関係が詰め込まれていた。
たいてい小説を読むと、ここが印象に残った!っていうシーンがあるんだけど、本作品にはそういうのがなくて作品全体を通じてぼんやりと印象深く、なんとなく古臭く、自分の子供時代をふわっと思い出すような、なんとも言えない読後感があった。
小説の翻訳本っていのも初めてだったし、これからも少しずつ色んな作品を手に取って、その良さに触れられるといいな〜
Posted by ブクログ
ジョイスやプルーストと並び称されるモダニズム作家の珠玉の名作。
第1部と10年後の第3部はラムジー家の夏の別荘でのそれぞれの1日。それを結ぶ第2部は10年という2つの時間を家人が不在の中で語られる個人的な出来事や第一次大戦を交えた短いエピソードの中で深い悲しみとともに濃密に結びつける。
主人公一家とその知人たちの移り変わる心模様を木々や風、海や芝などと時間の流れに合わせて淡々としながらも豊かに表現された言葉の数々に心が揺り動かされ、いつのまにか心の片隅にじんわりと残る不思議な作品。
舞台となったスカイ島のスコッチウイスキー、タリスカーとともに愉しんだ一冊。
Posted by ブクログ
本当に凄い、人生ベストブックの一つ
なんで凄いのかは言語化するのが難しいけど、結局自分は個人的・私的・内省的な作品が好きなんだなと
あと「瞬間を永遠にする」という芸術観がめちゃ刺さる
まだ何回も読み返すだろうな
Posted by ブクログ
衝撃。初めは一体なにを見せられているんだと思ったが、一挙手一投足への正確な心の機微の描写が癖になり、皆で食事をする場面なんかはなんて面白いんだ!
ひとつの出来事に対する意識の流れはどこか納得感があり(自分もぼんやりとこんな流れで意識が進むことがあるなあと思う場面が多々ある)、それが各々の人物で精度を落とすことなく描かれており、一体どれだけの時間や思考を費やしたのだろうと感嘆する。
本書の趣旨とは違うだろうが、人はたとえ家族だろうと、最愛の人だろうと、完全にわかりあうことはできないのだなと改めて思った。
Posted by ブクログ
初V・ウルフ。流石に文学史に燦然と輝く名作。思考や会話の視点が次々と入れ替わり、境界や主体をあえて曖昧にしつつ心理の描写はあくまでも細かく淡々と進む。登場人物たちはお互いのことをあれこれと考えながら話し行動しているが、わかり合えているのかというとそんなことはなくて、それでも人間関係は続いていくし、そんなものなんだろうとも思う。話の筋自体がめちゃくちゃ面白いという類の話ではないし、細かい心理描写に共感できるものが多いわけでもなかったのだけど、この先本を読み続けていっていよいよ死ぬなってなったら読み返したくなるのはこういう小説なのかもなと思った。
Posted by ブクログ
一言で言うと、圧巻の構成力と心理描写!
三部構成のうち、一部と三部はたった数時間の出来事と人間関係がめちゃくちゃ丁寧、詳細、重厚に書かれている。対して二部は、一部と三部の間にある10年の時間をつなぐ部分だけど、家主のいない家の荒廃にフォーカスし、「○○が死んだ」など衝撃の事実は非常にさらっとあっさりと述べられていく。紙の本で読むと、一部と三部の長さ(分厚さ)、二部の短さ(薄さ)に驚かされる。実際の時間の長さと、文章量が逆転しているのである。
裏主人公とも言えるリリーが、絵の構図をどう描くか悩む姿は、この物語そのものをどう捉えるか、家族の歴史をどう切り取るべきか、という作者と読者の疑問の反映だと思う。友人として家族を客観的に見つめているリリーが、画家としての視点から最後の語りを任されているという点でも、この物語の構成の巧みさがわかる。
それにしても、男性が女性に対して「憐れみ」を求めてくるというのは、古今東西変わらないんだな…
悩んでいるのはあなただけじゃないわよ、とウルフに元気づけられた気がする。
ウルフが友達だったら、とても心強いなと思う。
Posted by ブクログ
文字を目で追うことでしか感じ取れない作品。登場人物ではない全知の超越的な存在が、全てを記録しているかのようだった。それでいて、心情と動作が、川のせせらぎがいかにして織りなされているかがわかるほど緻密な解像度で流れていくので、その心情と動作が生み出されることに共感しながら読むことができる。
Posted by ブクログ
イギリスの1920年代の"現代小説"。タイトルは知っていたけど、今回文庫化したのを機に初めて手を伸ばせた作品。充実の読後感。何の話を読まさせられてるの?という気持ちから、だんだん小説の全貌が分かるにつれ、心にくるものがあった。読み終わったあと、もう一度最初から読み直したくなる。生きている間の一日一日、人との関係性はすべて一期一会の奇跡の邂逅。人は決して理解し合えないけど愛に満ちている。そういう気持ちになる。
今まで読んだことがないような文体。最初はしばらく読みづらい。セリフも思考もカギ括弧なしで入り交じっている。たまに、誰かと誰かの思考の継ぎ目すらなく、読み進めていたらいつの間にか違う登場人物の思考だったこともある。それが不思議と面白い。考えてみたら、我々だって日常的に、何かを誰かに話しながら全然別のことを頭の中で考えていたりする。誰かと接しながら、思考はどこかへ漂っていたりする。それがそのまま文体に表れてる。
さらに面白いのは、登場人物それぞれの思考はすれ違いが多いこと。きっと普段から人は、相手について大いに誤解しながら会話を続け関係性を続けているのだろうな。
物語は3章からなる。
1章目「窓」は、8人の子供を持つ夫婦とその友人たちが、スコットランド沖にあるスカイ島に休暇に来ており、翌日晴れたら灯台に行こうと話し、夕飯を共にするシーンである。100-200ページほどが費やされるが、それ以外に事は起きない。午後〜夜にかけての間の、それぞれの登場人物の心の内の描写がほとんどである。そしてことごとく互いについての理解や思考はすれ違っていることが読者にはわかる。女主人であるラムジー夫人が印象的。
2章目「時はゆく」はとても短い。フラッシュバックのように、パッ、パッ、と、ロンドンに戻ったラムジー家のメンバーのその後が示唆される。時代は世界大戦をくぐりぬける。
3章目「灯台へ」は、10年後、再びスカイ島の別荘に、ラムジー家のメンバーと友人が集まっている。この10年の間に、家族の何人かは亡くなっている。喪失感がぬぐえない中、一行は、もう一度灯台を目指す。この章では、10年前もゲストであったオールドミスの絵描きのリリーの思考が大半を占める。
3章の中でリリーは、亡き人、過ぎた日を思い出しながら、この場所全てにいかに恋していたかという思考にふける。「愛には一千もの形がある。この世の中には、物事のなかからある要素を選び出して、それらを一つに並べ、そこに現実とは違う完成度を与える」ことがあるもので、「そうした思い出に人はいつまでも思いを巡らせ、そこに愛は戯れる」と気づく。
本当はどうだったかなんて、相手が生きていてもわからないもので、ましてやその人が死んでしまったらわかることなんて永遠にない、それでも、(本当のところはどうであれ)あの人はこうだったと思い出すことは愛である。それでいいのだ。生きている人でも亡き人でも、知ろうとすること、思い出し想いを巡らせることが、愛なのだ。
そういう小説だった。諸行無常であるが、想い馳せる限り愛はずっとそこにある。そして生きている人の人生やあり方や考えは様々あっていい。
Posted by ブクログ
文学史に燦然と輝く、モダニズム文学の傑作。
本当に読んでよかった。
第一部では、主にラムジー夫人の視点から、孤島の別荘を取り巻く人間模様と夫人の思考(意識の流れ)をひたすらに描写し続ける。描かれるのはたった1日なのに、情景と思考の記述が膨大で、この時点で文字どおり「実写化不可能」な作品だと思い知らされる。
1920年代に書かれた作品にも関わらず、男性像と女性像に対して赤裸々な描写が見られ、フェミニズム文学としても記念碑的作品だと言える。
読み始めてしばらくは面白さが全然わからなかったものの、チャプター17の全員での会食から突然面白くなった。ここで描かれる人物像がとても丁寧で、「どこかが残念な奴」ばかりが描かれる。それでいて、どいつもこいつも内心では他人を見下している。最悪な会食を、上品なユーモアとともに描くチャプターで、本作の中でもとても印象に残った。個人的には、バンクスの考えが自分自身にいちばん近かった。
第一部全体を通じて、美しい景色の中に、ラムジー夫人のこどもたちへの愛情と幸福感が伝わってきた。
第二部は、鳥肌が立つほど素晴らしい文章だった。第一次世界大戦の激動の時代に一家が翻弄され、かつての別荘が荒廃している様を描く。10年の月日の間に別荘が朽ち果てていく様子を淡々と描くことで、ラムジー夫人死後の、一家暗い気持ちを完璧に描写している。登場人物の語りがなく、情景描写のみでここまでの寂寥感を表現できたのは奇跡と言っていいのでは。本当に素晴らしい名文だった。「そろそろ小説に飽きたし、「文学」を感じたい」といった変わり者には、真っ先にお勧めしたい。
第三部では、10年後に一家が再び別荘に集まり、灯台へ向かう様子を描く。ジェイムズとキャムの父親(ラムジー)に負けまいとする不屈の精神がユーモラスに描かれる。それと同時に、今は亡きラムジー夫人を忘れることができずに葛藤し続けるリリーが描かれる。リリーが自問自答する下記のシーンに、本作のメッセージが集約されていると感じた。
「往々にして人は年とともにこんな疑問に迫られる。大いなる天啓はいまだ降りきたらず。いや、大いなる天啓なんてものは決して降りないのかもしれない。その代わりにあるのは、暗闇のなかで不意に灯されたマッチの炎のような、日々のささやかな奇跡と光明だ。」
(単行本p.208)
日々のささやかな奇跡と光明を、暗闇の中のマッチに喩える最高の文章だ。
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ウルフ初かも。いや初じゃないかも?
二部の、寂寥たる屋敷の描写が本当に素晴らしくて、大人になって良かったなと思った。
解説読んでへえ~となったけど、それはそれ。小説は理由で読むものじゃないもんね!
Posted by ブクログ
結構長くてまじめな感想を書いていたのに誤操作で消えてしまい、心が折れて放置してしまった……
改行は少ないわ主語は分かりにくいわ、読みやすさとは程遠い文体だし続きが気になるタイプの作品でもないのだが、鋭い人間観察眼があり、精細に描写された登場人物像は現代にも通じるところがあって、面白かった(と思う)
Posted by ブクログ
最初、小説だからと追うべきストーリーを探して読んでいるうちは意味がわからなかったけれど、読み方が違うのか❗️と納得してから、一気に読み進んだ。
人の心の中は、こんなにも散らかっていて、面白い。
ある意味、すごくリアルだなと思った。
Posted by ブクログ
文学史を塗り替えた記念碑的作品という触れ込みだが、私には少々合わず。わずか二日のできごとを語り手の視点を目まぐるしく変えながら意識を流体のように繋ぐ表現手法は確かに素晴らしいと思うが、物語の全体像がいまいち掴めない。とはいえ、たしかに冒頭の「その影や光の射す一瞬を結晶のようにして」やP118の言い回しは著者の圧倒的な表現力を感じさせる。また、「窓」「時はゆく」「灯台」への変遷は、わずか二日のできごとにも関わらず、時の移ろいの儚さを巧みに描き出す。テンポや表現を楽しむような英国文学とはやや相性がよろしくなかった。
Posted by ブクログ
意識の流れ文学というジャンルがあることを知らず読み始めたので20ページくらいまでは全然内容が入ってこず、挫折しそうになった。あまりにも難しくてネットで調べて、予備知識を入れてから読み始めるとかなり読みやすくなった。
語り手の内面描写(心情、回想、幻想)がグラデーションのように滑らかに描かれ、あえて語り手が判然としない文章がはさまったり、いつのまにか語り手が変わっていたり、斬新な比喩が出てきたり、集中して読まないと話がわからなくなってくるが、集中して読んでいるとどんどん話に引き込まれて、読むのがやめられなくなる。
普段、自分の思考の流れを意識したことはないが、何かを考えているときに他に意識がそれて思考が逸れていったり…というのを文章にした感じ。
解説にもあったが、登場人物たちの心情が悉く噛み合っていないのがとてもリアル。
人生のたった2日間を切り取っただけでも莫大な思考の流れがあり、人と人の気持ちが噛み合うことはないとしても、家族や大切な人を大事に思うことや、一緒に過ごした時間を幸せと思うことは時が経っても視点が変わっても普遍だということが、この作品の伝えたいことなのかなと思った。
Posted by ブクログ
文体が面白かった。最初に語っていた人物が話しかけると、その後は話しかけられた人から見た文体になっていて、また何かをきっかけにある人へと変わる。その繰り返しなのだが、私にはとても読みやすくて楽しかった。もっと難しい小説だと思っていたが、その文体が楽しくて一気に読んだ。内容を語れるわけはないが、なんというか好きな世界観だった。心地良い小説。
Posted by ブクログ
文体に最初なれず、投げ出そうかとも思いましたが、読むうちにどっぷりハマってしまいました。そうそう。人を見る、人に見られるってこうだよねっていうこと。結局自然の一部である人間ってアイデンティティというよりもこう行き来する存在なのだという考え方もあるのねと。
Posted by ブクログ
複数の翻訳を読むことでいろいろな解釈が読み手の中で重なり〜と訳者あとがきにもあったことだし、岩波版も読んでみようかな
掴みきれなかった、で終わらすのはもったいないような気がするんですよね
Posted by ブクログ
とにかく夢想と回想がたくさん描写され、一人の人間が様々な思いを巡らしているかと思っていたら、いつのまにか別の人物へと視点が変わりその人の心に入り込んでいるのだが、訳文がとても読み易くて「今、誰が語っているんだっけ?」と見失うことはなかった。読むのに時間かかちゃったけど。
一人の人間には多くの感情や考えが入り混じっており、そんな多くを抱えた複雑な人間同士がコミュニケーションするのだから、そう易々とうまくいくわけがない。こうしてほしい、褒めて欲しい、あの人と仲良くしてほしい等、様々な思惑があり、誰かの言葉や態度が憎くて許せなくて長年恨むようなこともある。あの人のあそこが許せないにおける“あの人”とは、現在目の前のあの人か。それともかつてのあの人か。はたまたあの人を纏った何かか。
一瞬の想いは幻のようで儚いもの。しかしその一瞬があるときふと呼び覚まされて心に焼き付き永遠となる。背景に溶け込むかのように離れていく想いと、魂の礎となる想い。いろんな想いの中をたゆたいながら、灯台の光へと目指すように自分というものを得る。
Posted by ブクログ
最初は退屈な物語かも、と思った。
登場人物がお互いに心に思ってることをひたすらモノローグで繋いでいって、一向に何か起きる気配がないから。
悪人も完璧な人もいない。
美しい母親と、ちょっとエキセントリックなお父さん。尊敬もされてるけど面倒くさい。
子供たち、書生、家庭教師。
登場人物同士の愛憎入り混じる感情、自己愛と愛。
モノローグでお互いの気持ちをふわふわと漂っているうちに、いつの間にか登場人物とともに歳をとって、彼らをお屋敷の物陰から覗いている、そんな感じ。
三部の美しさ、悲哀はちょっと筆舌に尽くしがたい。
あと、めちゃくちゃ共感したフレーズ。
「どうやら本というのはひとりでに増殖するものらしい」
Posted by ブクログ
ヴァージニアウルフの本を一度読んでみたいと思い、9月に新訳で文庫化されたこともあり購入。前知識なく読んだので、正直、第一部は読むのがすごくしんどかった。あまりにもしんどかったので一体、どういう本なのか調べたら、「意識の流れ」という手法であることが分かり、そこから文体の流れに思考を任せるつもりで読み進めると不思議と読みやすくなった。最後はキャムやリリーの意識の中にいるような不思議な気持ちになり、爽快な気持ちで読み終えた。訳者あと書きもとても興味深かった。
Posted by ブクログ
人間への観察力・洞察力がすごい。
あまりステレオタイプな見方をするのも良くないと思うが、同じ女として、ラムジー夫人の心情の揺れ動きや様々なことに気がついて細かく世話を焼く振る舞いもよくわかると思ったし、ラムジー氏の描写には権威ある立場の男性ってこんな感じだよなと思わず頷いてしまった。
Posted by ブクログ
家族でも結局、一人一人の人間なのだから
分かりあうってことは、ごく珍しいかもしれない。
この本は第三者から見た景色や語り手から見た景色が進む話ではない。
出てくる登場人物たちが、お互いにどう思っているか、どんな感情を持っているかが延々と書いてある。
誰かのたった一言に対して、過去の記憶や複雑な感情が数ページにわたって書かれていたり、何も起こらない静かな情景の中で、人との孤独や繋がりが繊細に描かれている。
セリフだって無いようなもので、
読んでいて本でしか表現できないとは
こういうことかと思った。
映画ではどうしても台詞や行動で表現する必要があるから、ここまで深く、複雑な感情を伝えるのは難しいと思う。
読書生活の中で、まだまだいろんな体験ができるなと思った。
Posted by ブクログ
新潮文庫の名作新訳コレクションStar Classics シリーズで読んだ。
第1次世界大戦を挟んだ10年間の年月の推移を、2日間の出来事を描写することであらわしている。戦前の屋敷内は人があふれ、主人公ラムジー家の隆盛が書かれる。一家だけでなく、関係する老若男女が屋敷に集い、主にラムジー夫人の目線で各々の関係を描いている。
戦後の1日は、空き家状態にあった屋敷を清掃管理する描写から始まり、ラムジー夫人が亡くなり、社交の場としての機能を失った屋敷が書かれる。10年前に屋敷に集っていた画家の女性が主な語り手となり、10年前の記憶と現在の描写を対比し変化を実感させている。
幼かったラムジーの子息は、10年たってもまだ青年期で父親の気持ちを察するにはまだ早く、父子の邂逅には至らず、消化不良な感じも残る。現代小説に慣れた当方には、少し刺激が足りない感じで、抑揚なく小説が閉じていった印象だ。
Posted by ブクログ
大家族と客人が住む別荘では、気持ちのすれ違いがほとんど。でもなんとかなっている。会話のやり取りや心情の読み取りが難しい。解説が役立った。2025.4.13
Posted by ブクログ
難しい。
同じ場に居合わせても、人それぞれ思っている事は違う。
何を思ってるのかも、想像と違うかもしれない。わからない。
人に気をつかって、迷惑がられるかもしれないなら、自分の好きなように、自分の気持ちが良いように生きよう。
正解は無いと思う。
訳者あとがきを丁寧に読んだら理解が深まりそうだが、読後、疲れて、その余力は無かった。
またいつかあとがきをゆっくり読もうと思う。
キラキラ輝くリゾート地セントアイブスを暗いスカイ島に置き換え。
モリスの壁紙から心明るくなる壁紙に変える。
家族の愛の形。本人はそれが愛と思って接している。相手にとっては愛とは思えなくても。
ウルフは、人は何のために生きるのか。を考え続けている気がする。
答えは無いし、考えなくていい。
今、ここを生きればいい。
作者が自殺をしたことを念頭に読んでいった。
虐待されていた事は初めて知った。
この小説では、愛が存在しているものとして描かれているが、現実の世界では愛が存在していたのかはわからない。ウルフは愛を見つけられなかったのかもしれない。
Posted by ブクログ
文学史上の傑作として名高い、ヴァージニア・ウルフの代表作。今回新潮文庫より鴻巣友季子による新訳版が刊行されたことを機に読んでみたが、個人的にはこの小説を読みこなす能力を持ち合わせておらず、ハッキリいってよくわからなかった。なにが難しいかといえばなによりもまず、ストーリイらしいストーリイがないことである。表題にもなっている「燈台」をめざすところが物語のクライマックスであるとは思うが、そこに至るまでにわかりやすい起承転結もない。普段読み慣れているような小説の構造とかけ離れていることとも相俟って、余計に読みづらかったのだと思う。登場人物も多く、ラムジーには8人も子供がいるが、「意識の流れ」という手法を用いて書かれているため、多くの登場人物のあいだをいつのまにか視点が移動してゆく。テクニックとしては素晴らしいのかもしれないが、たんにリーダビリティだけを考えるならば、この表現方法もまた本作を読みづらいものとしている。しかも登場人物個個人の描写についても、なんといつのまにか「ナレ死」する人物がいるなど、十分に描き切れているとは思えなかった。その人物にかんする理解が不十分なまま視点が移動してしまい、まるで食物を消化しきれていない状態の胃の中につぎつぎとあらたに食物が摂取されてゆくような感覚を味わった。帯には「小説にはこんなことができるんだ。」とあり、まさにこういう技法もあるのだということを知れたことは学びになったが、わたしにとってはおもしろい読書体験とはいえなかった。
Posted by ブクログ
読み進めるのが難しい本だった。
場面転換が少ないなかで登場人物が多く、人と人の心理描写がいつの間にか移り変わる。で、その心理描写もやたらとレトリカル。