鴻巣友季子のレビュー一覧
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津村記久子さんの『やりなおし世界文学』で知った本。
作家さんでさえ、どう説明していいか、と戸惑う本。
なのに、救済感、美しさが感じられる。
それは読んでみなくては、と思い手にする。
たしかに、何と言っていいかが難しい作品だった。
でも、最初の一ページから引き込まれてしまう。
スコットランドの小島にある、ラムジー家の別荘の、夏のある一日が描かれる。
ラムジー家の幼い息子、ジェイムズが「影や光の射す一瞬」を結晶化していつまでもとっておけるように、その一日が克明に描かれる。
最初透明な語り手が状況を語り始めた…と思った次の瞬間に、ラムジー夫人の内言となり、その直後には彼女が注意を向けた人物、例えば夫、ダンズリー、バンクス、そしてリリー・ブリスコウといった人物の内面に移っていく。
これで読者として混乱しないのかといえば、意外としない(というか、たいして事件が起こるわけでないのであまり困らないのかもしれない)。
それよりも、次第に浮かび上がってくるラムジー夫人、ラムジー、ブリスコウらの人柄、人生に興味が掻き立てられる。
特に魅力的だと思ったのがリリー。
画家として生涯独身を貫き、自らの表現を追究しようとしている。
大変な美女ではあるが、一世代前の価値観で一直線に行動するラムジー夫人とは相いれなさそうなのに、なぜかリリーは夫人を慕い続ける。
自分が持っていないものを持っているからなのか。
十年の後、夫人も世を去り、夫妻の八人の子のうちの二人が早世してしまった後の大きな喪失感を味わいながら、人がそこにたしかにいることで、世界がどれだけ充足していたかを見出だしていく。
そのリリーの姿は、せつなくて美しかった。 -
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お母ちゃんに又子どもが出来た。少女は赤ちゃんが生まれるまで、親戚の家にあずけられることになる。大家族の中で育った少女には、子どものいない夫婦の暮らしは、自然に囲まれて贅沢ではないけれど豊かな暮らしだった。
夫婦にとっては、特別な事は何もしていない日常なのだろうが、ゆとりのない両親の元での暮らしている少女にとっては、新鮮な暮らし方だった。
そして、夫婦は男の子を事故で亡くしていた事がわかっていく。短い夏の日々は、弟の誕生とともに静かに幕を閉じる。
読み終わって、こんなに胸が熱くなるストーリーを久しぶりに読んだ。映画化されていることも知らなかった。映画も見てみたい。 -
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2000年頃の「村上春樹独り勝ち」のあたりまでが自分が一番熱心に新しい本を読んでいた時期で、その後はライフステージの変化によりそこまで読まなくなってしまっていたので、英語圏の読者は翻訳嫌い、の認識で止まっていた。最新の日本文学翻訳事情がそんなことになっているとは!未読の作家がたくさん紹介されていたので、これから読んでみたいリストがまた増えた。
ここ最近は春樹作品に対するフェミニズム的な視点での批評をYouTubeなどで目にすることがあるけど、恥ずかしながら川上未映子さんのインタビューは存在を知らなかったので、「みみずくは黄昏に飛び立つ」ぜひ読んでみたい。
彼が大手出版社経由ではなく自身で翻訳者やエージェントを探してルートを開拓していったというビジネス手腕について書かれていたのも面白かった、やはり先駆者春樹は偉大だな。
村田沙耶香、柚木麻子その他の日本でも人気の作家の小説が英米でどのように受容されているかについても興味深く読んだ。フェミニズムって付いた途端に日本では売り上げが減りそう。自分の中にもフェミニズムという言葉に対して若干の偏見があることに気付かされた。少し前の世代の日本の女性作家の作品、有吉佐和子(恍惚の人、華岡青洲の妻)、円地文子(女坂)、宮尾登美子の一連の女性主人公の小説なんかをかつては自分ごとに近いものとして読んできたけど、あれらの作品ももし翻訳されたらフェミニズム小説として受け取られるのではないかな?
「おわりに」に書かれた源氏物語が近代小説の原型という論にも深く納得。
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ネタバレスカーレットとメラニー。対称的な二人の女性の強さが強烈に描かれた巻だった。
スカーレットは食えない、という強烈な負の経験から、金を稼ぐことに執着し始める。「・・・もう二度とひもじい思いはしない。〈タラ〉の皆も飢えさせはしない。-ものを盗み、人を殺めることになろうと-神に誓って、もう決してひもじい思いはしない。」何というすさまじい意志か。彼女はどんなことをしても、家族を食わせていく決心をする。この誓いの後の彼女の行動はすさまじい。家に侵入してきたヤンキーを撃ち殺し、死体を隠して金品を奪う。金を援助してもらうために、バトラーを誘惑する。企てが失敗するや否や、ターゲットを妹の婚約者に変更し、まんまと結婚までこじつける。このなりふり構ない強かさ。彼女の強さをだいぶわかってきた。
一方、メラニーも不可解なほどの強さを見せる。スカーレットがヤンキーを撃ち殺したとみるや、彼女を誇りに思い、てきぱきと死体の処理をしはじめる。ヤンキーの残党がタラに火をつけたとき、家に残って火を消そうとしていたスカーレットを単身救助する。外見上の彼女の弱弱しさといいざという時の強さ。この差が不可解なほど大きい。彼女のこの芯の強さはいったい何なのだろうか。だんだん彼女が恐ろしくなってきた。 -
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なんて染み入る小説だろうと思って本を閉じようとした矢先に、マグダレン洗濯所の事件が紹介され、実話を元にしていたことに度肝を抜かれた。
マーガレット学院と訓練学校とが壁一枚を隔てて立っていることが、名付けができないけれど社会の上でのもしくは人のある側面での二項対立的な事象が、実際は紙一重であるということをシンボライズしているように思われた。
キリアンマーフィー主演のこの映画も観たいし、クレアキーガンの他の本も読みたい。また偶然にも、この本の前に読んだヴァージニアウルフの「灯台へ」の訳者も鴻巣友季子ですっかりファンになりました。この方の他の訳書も読みたい。 -
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ネタバレスカーレットの青春時代の終わり。わがままなお嬢様ではもういられない。戦争により自分を守ってくれる者たちがみんないなくなり、自分の肩に家族の命運が重くのしかかってきた。母が亡くなり、アシュリも生死不明、父はショックで呆け、レットも戦場に行ってしまった。
かつて自分に求愛してきた男たちもみんないなくなった。アシュリから頼まれた義妹メラニーとその子供、息子のウェイド、父と妹たち。スカーレットはその小さな肩にこれだけの人の命運を背負うことになった。
なんて気丈で強い娘だろうか。迫りくる戦火に恐れおののきながらも決して逃げずに、妻のメラニーを頼むというアシュリからの約束を守り抜いた。憎んでいたはずのメラニーを守り、出産まで助け、彼女とその赤子を必死にタラまで連れて帰ってくる。この強さは、義理堅さはどこから来るのか。彼女の体に流れるアイルランド人の血、そしてアシュリとの約束(呪縛)によるものなのだろうか。
第2巻のクライマックス、アトランタからタラへの脱出のシーケンスは本当に圧巻だった。彼女が感じた恐怖、絶望、焦燥が自分も感じているかのように胸に迫り、思わず息をするのも忘れ、苦しくなった。このシーンの描写、翻訳が素晴らしい。 -
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長編小説を読み始める直前の、あの期待のこもった緊張感が好きだ。これから数か月、この本が描く世界とともに生活していくのだと思うと、まるで長い旅に出る前夜の眠れない気の高ぶりに似たわくわく感が胸を満たす。
登場人物の来歴、信条、性格、容姿などが細かく描写されている作品はすべからく名作である——これが私の持論だが、本作はその条件を完璧に満たしていた。そして『風と共に去りぬ』第1巻を読み終えた今、やはりそれは間違っていなかったと確信した。
主人公のスカーレット・ハラは、笑ってしまうほどわがままで高慢ちきだ。最初は「大丈夫か、この子は」と呆れながら読んでいたのだが、物語が進むにつれてその印象は一変する。
彼女のわがままさは、決してブレることのない一本の太い芯に基づいている。だからこそ、次第に強烈な魅力として映り始める。特に第1巻の終盤、未亡人となった彼女が世間の冷たい目を跳ね返し、バトラー船長からのダンスの誘いを引き受けるシーンの爽快感たるや。「あっぱれ」と膝を打ちたくなる名場面であった。
本作を通して当時のアメリカの情勢を知るのも面白い。「ヤンキー」という言葉が、アメリカ人全体ではなく「北部人」を指す言葉だったとは恥ずかしながら知らなかった。
一方で、疑問に思う点もあった。「自由の国」というイメージに反して、当時の南部社会には息が詰まるほどの強固なジェンダーステレオタイプが存在していたことだ。女性は自然体など論外で、か弱く、男性に守られるべき「淑女」であることが絶対に求められた。
歴史の浅い新興国であり、既存の社会規範に不服な人々が移り住んでできたはずのアメリカ(南部)で、なぜこれほど人間を縛るステレオタイプが形成されたのか。
これは、南部独特の事情によるものではないか。広大な綿花農園と奴隷制の上に成り立つ南部白人社会は、ヨーロッパの「貴族社会や騎士道精神」への強烈な憧れを抱いていたのではないか。自分たちの社会規範の正当性を示し、奴隷制という階層秩序を維持するためには、「強い男性と守られる女性」という明確な役割分担が必要不可欠だったのだろうと思われる。あくまで自分の想像なので、このことについて調べてみたい。
スカーレットが壊していく南部の「淑女規範」だが、その完成形として描かれるのがメラニー・ハミルトンである。
最初は大人しく、弱弱しい印象を受けるメラニーだが、彼女はスカーレットとは全く異なるベクトルで芯の強い女性であった。それが最もよく表れているのが、戦争のために自身の「結婚指輪」を寄付するシーンだ。
スカーレットが愛してもいない亡夫の指輪を「鬱陶しいから」と処分したのに対し、メラニーは最愛の夫アシュリとの大切な絆である指輪を、迷うことなく即座に差し出した。他者への無償の愛と絶対的な信頼。そこから生まれる彼女の自己犠牲と決断力は、ときに刃物のような強さを発揮する。
人間の偽善を見破る天才であるバトラー船長(レット)が、古い南部の気取りを嫌いながらもメラニーにだけは最初から深い敬意を払っていたのは、彼がメラニーの行動に一切の「嘘」がないことを見抜いていたからだろう。
エゴイズムと野性的な生命力で突き進むスカーレット。 無私の精神と高潔な信念で周りを包み込むメラニー。真逆の強さを持ったこの2人が、これから南北戦争という巨大な時代の渦の中でどう生き抜いていくのか。第2巻を読むのが楽しみだ。 -
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村上春樹や川上未映子だけでなく、猫や喫茶店が出てくる癒し系も英米で翻訳されて読まれているということに驚いた。また、日本文学についてだけでなく翻訳文学全体のことも書かれていて、9.11以後のアメリカは言葉の通じない外国との関わりを重要視するようになったから翻訳文学が読まれるようになってきたのではないかとか、ハン・ガンの国際ブッカー賞で共同受賞した訳者が賞金を使って翻訳出版社を立ち上げたとか、作品の良し悪しとは別の大きな流れがあるようで興味深かった。「言語を翻訳しあうことで文学・文化は互いに耕され、その巨大な循環が実りをもたらしている」というのに納得し、世界の文学を読めるようにしてくれている著者をはじめとする翻訳家のみなさんにあらためて感謝の気持ちが湧いてきた。
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今まで読んできた小説とは一線を画す技巧を凝らす作品である。物語展開で作品に引き込まれるのでなく、小説の表現方法で心つかまれる体験は初めてかもしれない。
たった二日間の出来事を登場人物たちの内省を中心に物語を組み立てる手腕はさることながら、ある人の心理描写がいつの間にか他の人の思考に置き換わり、溶け合う。さながら、長尺一本撮りの映画を観ているよう。しかし、読者が触れるのは登場人物たちの発話や表情ではなく、内なる独白なのである。この奇妙な感覚は本作との出会いに感謝せざるを得ない。
各主要人物たちは総じて魅力的だが、個人的なベストはラムジー。なんといっても女々しい。「同情を強いてくる飽くなき欲望」を体現しながら間近で深いため息をつく姿は、現代の友達いないプライドだけ熟成されたおじさんを想起させる。
その凝り固まった自尊心が寂しい、の一言を他人に告げることを不可能にする。そんな自分を顧みることなく、不当に扱われているという認識から不機嫌になる。うーん、他人事ではないなと身をつまされる。
世俗と芸術という主軸をベースに読み進めるのもよいし、私のように卓越した技巧に着目する読み方もできる。どの登場人物に一番共感するかも読者それぞれで異なるだろう。
しかしどの人物も悩み苦しみ、一時は救われたように見えても、再び同じ孤独や不安に立ち返ってしまう。そのような人生のままならなさが何度となく描かれる。そのやるせなさや寄る辺のない不安を肯定してくれるやさしさが、本書に通底する魅力なのかもしれない。