鴻巣友季子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレネタバレ全開の感想につきご注意です。
おもしろかったし、人生で読んでおいて良かったな〜と感じる小説だった。2回目読んだら1回目より面白かったという人もいる。
なんか演劇とかミュージカルぽかったな。美しい自然と荒廃した館の情景とか映画版のレ・ミゼラブルみたいな感じだったらすごく自分が好きそう。
登場人物たちみんな、語り手含めて激情型だったり、結構畜生な発言とかあって、モラル薄いのが結構笑ってしまった。
恋愛小説だと思って気軽に読むと結構重めの復讐劇、愛憎劇で心にずっしりとくる。
重い話なのだけれど、会話や行動がどこかコミカルなところもあってそのバランスと抑揚が絶妙だった。
小説に共感を求めて読んでいるわけではないけれど、あまりにも誰にも共感できなさ過ぎて面白かった。
ヒースクリフ本当に嫌な奴すぎるんだけど、彼にあまり共感できないのって彼が周りからされた酷い仕打ちや彼の心情が詳細には描かれていないからなんだろうなと思った。そこを描くと誰しもが彼に同情しすぎて、彼の悲劇の物語になってしまうことで、物語の全体像が別のものになったり、霞むのかなと想像。
1代目キャサリンはしっかりヒースクリフのことを愛していたと思うが、結婚にはこだわっておらず、対照的にヒースクリフは結婚にも拘っていたため、心のすれ違いがあった気がする。
このすれ違いが起きるのはやはり生まれ育った環境や身分の差なのだと思う。持たざる者は持っている者に対して不安や劣等感が付きまとうため、社会的な形式や保証が整っていないと安心できないというのがあったのではないかな、と感じた。
最終的には2代目キャサリンとヘアトンに未来を感じる描かれ方がされており、1代目キャサリンとヒースクリフを彷彿とさせた。
異なっているのは彼らを取り巻く環境で、彼らの邪魔をする障壁が無いこと、復讐の連鎖が終わった世界にいること。それにより明るい未来が想像できる。なんやかんやハッピーエンドと言えるようなラストだったのだと思う。
ラストシーンはこれまでの荒々しい雰囲気が嘘だったかのように静かで穏やかだった。
解説にもあったが、ネリーという家政婦の語りで物語が暴かれていく構成も面白かった。
淡々と事実が語られていくわけではなく、語り手の主観や行動が混ざるのが面白い。語り手でありながらしっかり物語を構成する重要な人物となっていたと思う。 -
Posted by ブクログ
本屋の棚に割と目立つように展示していたので、購入。
登場人物が考えていることが長々と綴られていく。いつの間にか、その叙述が別の人間の考えになっていたりする。その点については、あれ、と感じるが、読みづらくは感じない。
ただ、何かが起こるというより、登場人物の頭の中の考えをずっと読まさせていくのは、すごく疲れた。ページが進まない。前半はほんの半日の話なのに、だいぶ時間が掛かってしまった。
登場人物たちについて説明的な記述がある訳ではないので、哲学者ラムジー、美貌のラムジー夫人、その子供たち、夫妻の別荘に集う独身主義の画家リリー・ブリスコウ、学者、詩人達の人となりが判ってくるまで、ずいぶん時間が掛かってしまった。
ラムジー夫人はリリーに結婚を薦めるが、彼女にはその気なし。だけど、リリーは夫人を慕っている。また、夫妻の間の心理合戦がテレパシー会話のように語られる。
後半は10年後。夫人や子供にのなかには亡くなったものもいる。リリーの頭の中に夫人への愛慕、その不在が語られる。ジェームスは父親ラムジーを憎む気持ちがあるが、父がそれにまったく気づいていないような有様。
解説にジョイスの「ユリシーズ」との比較があった。
確かに凄い作品だと思うが、同じような本を喜んで読むかと云われたら、微妙な処だ。 -
Posted by ブクログ
求めているのに誰ひとり幸せそうではなくて、最後まで報われないのかもしれないと思った。
小説の大半は家政婦の語りで進んでいきますが、その家政婦の話していることは実は本当はすべてが嘘なんじゃないかと疑う気持ちも出てきたり、本当は破滅を望んでいるんじゃないのかと思ってしまったり、誰よりも優しく感じたり、でも嘘をついたり欺いたり。進むごとに不安が増していきました。
カズオ・イシグロさんの「信用できない語り手」と似た雰囲気を感じます。
人物に関しては、二つの邸に住む家族と使用人、医者以外は登場しないのにこんなに入り乱れて複雑な小説ってあまりないように感じます。構成が面白い!
解説を読むとさらに。 -
Posted by ブクログ
冒頭に「アイルランド母子収容施設で苦難を経験した人々へ捧げる」という献辞と、全国民に自由と平等を謳う「アイルランド共和国宣言」が引用されている。
この部分で「こんな宣言しておいて、実態はこんなことをやっていたではないか」という問題提起小説で、登場人物にはきっと不幸が訪れるんだろうなあ、と気持ちを引き締めながら読み始める。
時代は1980年代のクリスマス前の数日間で、主人公はアイルランドの南東部のニューロス町で石炭と木材を商う中年男ウィリアム(ビル)・ファーロング。ファーロングは自分の父を、というより当時16歳だった母を妊娠させた男を知らない。町では母のような女はふしだらな女と見られるが、母を雇っていたウィルソン夫人の慈悲のおかげで、彼は教育設けられ、今は妻アイリーンと5人の娘に恵まれて慎ましくも幸福な生活を送っている。
ファーロングは父を知らない寂しさを持ち続け、学校で虐められはしたが、金銭的には恵まれ、本人も真面目に学び真面目に働いて、今では独立して店を持ち、妻のアイリーンと五人の娘と共に慎ましく、神様の教えを守り暮らしている。
当時の町はひどい不況に陥っていた。今のファーロングの願い、生きる目標は娘たちを自分や母のような苦境に立たせないこと。そのために町で唯一の私立校であり、絶対的な権力を持つカトリック教会が運営する「聖マーガレット学院」に娘を通わせるのだ。
読んでいても本当に仲の良い、互いに支え合う家族。アイリーンは夫の生い立ちや努力を知ってはいるけれど「あなたは本当の苦労を知らない」とも思っている。そして財布の紐も彼女が握り、ちょっと見通しが甘い夫に呆れたり・笑
そして欧米の小さな町が舞台の物語で感じるのが、生活にキリスト教の教え、教会の教えが染み渡っていること。一家はミサを欠かさず、アイリーンと娘たちは共にクリスマスの料理を作り、ファーロングとアイリーンはサンタへの手紙から出せる範囲でのプレゼントを話し合う。ファーロングが娘たちに対して「何よりも誇りを感じる」ことが、お店の人などにちゃんと膝を折ってお礼を言う様子、っていうので、この娘たちは慎ましくても両親をみてまっすぐ育っているなあと。
ニューロスの町の中心にあるのはカトリックの聖マーガレット教会と、修道院。修道院長はニューロスの有力者と繋がっている。
…欧米の物語を読んで「どれだけの力が協会にあるのだろう」と思うことはあるが、この小説では教会の力が庶民ファーロングに対してなんとも重圧感があります。
しかし修道院にはもう一つの施設、未婚の妊婦を閉じ込める母子収容施設があるという噂がある。だがこの生活を守りたいファーロングはあまり気にしない、というか気にしないようにしていた。
しかし彼は石炭を修道院に運んだときに、ボロ着の若い修道女に「おじさん、私を川まで連れてってよ。溺れちゃいたいんだよ」と言われる。
これが噂の施設に収容された娘か?
そして数日後、修道院の石炭小屋にまた別のボロ着で裸足の娘を見つける。どうやら垂れ流し…のようでいかにも不潔で悲惨な様子だ。(おそらく知的も若干遅れてる)娘は「あの人達はわたしの赤ちゃんをどうしたんだろう、お乳をあげないといけないのに」と言う。
ファーロングは娘を修道院に連れて行く。一瞬警戒されるが修道院長に迎え入れられる。ここで威圧的で、本人たちは善きことと思っていて、この町では絶対に怒らせてないけない修道院長に、庶民ファーロングがついつい本音を漏らす。
修道院長は女性でありながら「あなたのところは息子がいなくて残念ですね」とか「あなたは外国人を雇って国に入れて良いと思っているのですか」という白人男性至上主義的な事をいう。ファーロングは「母も、あなた(修道院長)も女性です」とか「イエスだって外国人ですよ」などと言う。退出時にはさっきの娘に「何かあったら言いなさい」とも声を掛ける。
この噂はどうやらあっという間に広がったらしい。町の人達から「娘たちのこともあるのだから、修道院とはやり合うな」と警告される。
…この「母子収容施設(マグダレン洗濯所)」は実際にアイルランドで数か所あって1996年まで運営されていた。当時は慈善団体として政府からも補助金が出され、厳格なカトリックの教の元に経営されていたのだが、何千人もの乳幼児・母親が命を落とし、政府が公式に謝罪したのは2013年とかなり最近のことだ。時代劇とか中世が舞台の文学読んでいると出てくる「尼寺に行け!」の尼寺であり、一家の中で外に出せない娘を閉じ込める修道院やらお寺やらがありますが、まさにそれだ。
数日後、なんとなく心配になったファーロングは石炭小屋に行く。またまたこの前の娘がボロ着でいた。ファーロングは自分の家に連れて帰る。すれ違う町の人たちは非難の目で彼を見て、だが誰も娘のことは触れない。
クリスマスの日。ファーロングは自分の母を救ってくれた人に、今度は自分がならなければいけないと思った。クリスマスの日に、自分がキリスト教徒としてやらなければならない「ほんのささやかなこと」をしたのだ。
これからどうなるのかはわからない。町の人々から警告されている通りになってしまう可能性が高い。だが彼は自分たちなら乗り越えられると信じた。ただの楽観でも、愚かでもなく、自分の人生の積み重ねたもの全てで、自分のしたことを、それを乗り越えることを信じた。
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小説としては、一人の人間が決意するまでの育ち方とか今の生活とか気持ちとかを丁寧に書いていって、その「時」に自然に繋がる。ファーロングの「ささやかなこと」の積み重ねがこの世を良くしていくのだろう。
しかし現実的にはこのあとどうなるのよ(-_-;) 文句なしに素晴らしい、と言い切れないのは、では自分だったら何の準備もなくできるか?自分の家族が家族に被害が及ぶ「正しいこと」をしたら家族と一緒に立ち向かえるか?とういう疑問に答えられないので、自分がこの小説を称賛する資格がない気がするの。 -
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今年公開された新たな映画版「嵐が丘」を観たので、原作が気になり読んでみた。
映画はかなり改変されていると聞いたが思った以上に全然違ってびっくり!違うというか、原作の要素をかいつまんでまとめるとああなったというか。
みんな性格に難ありだな〜と思っていたけど、原作は映画の倍くらい難ある登場人物が出てくる(笑)
キャサリンは新旧どちらもヒステリーすぎてマジで一回ちょっと落ち着けよと思うし、ヒースクリフはサイコパスすぎるし、ジョウゼフも気狂いジジイだし、淡々と喋ってるネリーも絶対自分では語らないヤバい部分山ほどありそうだし、一行も気が抜けなくて楽しめた。 -
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ネタバレ初めはすごく好きだったスカーレット、戦争の中メラニーの出産を助け、その後のヤンキーたちからタラを守る姿はカッコ良すぎて痺れた。だが、そこからのスカーレットには感情移入できる部分が少なかった。特にレットと結婚した後のスカーレットに対しては作中で最も嫌いなキャラになってしまった。
ラストシーンではレットのスカーレットへの愛情とレッド以外を失ったスカーレットの対話は素晴らしかった。
最後の1日はメラニーとアシュリ、レットの最愛の人3人を失ってもまだ明日にはなんとかなると考える。
スカーレットはきっとこれからも自分を支えてくれた人や自分が愛した人がどんどんいなくなってもそれに気づくことなく人生を歩んでいくのだろう。
ずっと違和感みたいなのがあって、スカーレットの他者の死への感覚が薄れすぎている。レットのように最愛の娘が死んだ時は酒を飲んで忘れようとしたり、するのが普通なのでは?メラニーが死んだ後もすぐにレットのことを考えている。母親や父親が死んだ時もフランクが死んだ時も、立ち直るのが早すぎる。ヤンキーを1人殺したことが死への考えを薄めてしまったのか?これは戦争の影響も大きい。
誰よりも大人のようでいつまで経っても子供のままのスカーレットの恐ろしさのようなものを感じてとっても面白かった。 -
Posted by ブクログ
解説入れてほぼ700ページ!「侍女の物語」の15年後を描く続編。前作の重々しい感じからはだいぶタッチが変わって軽めのノリで、残酷な拷問場面や女性リーダーによる国家転覆を目論んだ復讐劇や狂信国からのハラハラする脱出劇などのスリルとサスペンス感も多分に加わって意外と読み進めやすかった。アメリカの女性が現実に感じてる違和感や恐怖、もちろんイスラム圏での女性蔑視など世界中、過去現在未来の全ての時制で女性が晒さられる危機をアトウッドはその筆に込めている。人ごととしてではなく自分ごととして考え、注視していかなければ。自分を取り巻く世界なんて簡単にひっくり返るかもしれないのだから。
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北海道恵庭市で元市会議員が経営する牧場で3人の知的障害者が、長い人では40年近く食事もまともに与えられない劣悪な環境で奴隷のように無給で働かされていた。恵庭市はことを荒立てないために虐待事案としての申し立てを無視し続けた。この人たちが解放されたのはなんと2022年のことだ。全く同じ話だし、昔の話ではない。この短い小説は社会の問題を外側から糾弾しているのではない。そんな社会のなかで生きていく中で、どうやって己の倫理を守り通せるのかということだ。そのための行動は確かに未来において大きな難題を産むかもしれない。でも、少なくともいまその倫理や徳を守るための行動はささやかなことなのだ。
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柚木麻子さんの『Butter』、王谷晶さんの『ババヤガの夜』でダガー賞の翻訳部門にノミネート、のち王谷さんが受賞となったあたりから翻訳系の出版関係の人たちが日本のおもに女性作家がよく読まれているというのを聞いて「なんで!?」と思っていたらまんまのタイトルの本が出版された
読んでいくと日本の小説が翻訳、出版される歴史やきっかけとなった要因などが細かに解説される
それにあたり翻訳されている小説が挙げられるのだが「この作品も?」というものがたくさんあり、片っ端から読みたくなってくるからだめだ
本に関する本というのはたいてい読みたい本が増えて、どうしよう…となる、いつものこと。
そのなかで英語圏とそのほかの言語のパワー関係なども解説されており、日本で海外の翻訳小説をよく見るけどそれはこういうことかあと翻訳文化の土壌を認識したりとその点も興味深かった
鴻巣さんが翻訳とは批評と言っていたことも、そのテクストと内容を読み、原典の文化と翻訳する側の文化を照らし合わせて、最適な言葉でつづる。そういう行為はたしかに批評だ。
また謝辞の部分でこの情勢の中で翻訳文学を読むということは排外主義への抗いだという鴻巣さんの言葉がとても心強く、またブームであることに希望が持てた -
Posted by ブクログ
日本の小説が海外で読まれる、といえば村上春樹、というのが定番だった。
が、どっこい今は違うフェーズに来つつある。
女性作家が大いに読まれている。
代表は「コンビニ人間」の村田沙耶香。
その他続々女性が進出している。
その背景には若い翻訳家の登場も大きく影響している、というのがこの新書の見立て
なるほどねえ。
柚木麻子のバター、も取り上げられている。
読んだことはおろか聞いたこともない要チェックだ。
ひところクールジャパンといえばマンガ、アニメだったが、
どっこい文学も頑張ってる、というのはすばらしいことだ。
はじめに 日本文学になにが起きているのか?
第1章 海外に進出する日本の作家たち──村上春樹以後の新たな潮流
第2章 女性作家の躍進と世界の文学潮流──筆をもって闘うということ
第3章 日本文学は英米読者にどう読まれているか──村上春樹、村田沙耶香、柚木麻子の書評を読む
第4章 日本文学をプレゼンする出版社と翻訳家たち──世界に向けて「推し」を叫ぶ
第5章 翻訳をとりまく世界文学の状況──なぜ若者に支持されるのか?
おわりに 翻訳という世界文学ネットワーク