上田惇生のレビュー一覧
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社会生態学者といわれる、はじめて読むドラッガーの社会編の本。
ドラッガーは組織のマネジメントの著作も多いが、社会の分析から始まっている面も大きいので、その意味ではドラッガーらしい論文ばかり。新しいものは、ドラッガー「ネクスト・ソサエティ」の本になるので、それ以前の話が多い。
具体的には、]社会が転換期であること、経済至上主義、20世紀の変化の本質や今後の社会の流れから論じたり、経済や政治がグローバリズムの中で歴史的に変化することも指摘している。そのうえで、知識と教育の在り方が変わるであることを指摘している。
マネジメント関係もよいが、自己実現、社会編の方がドラッガーらしいと感じた。あまり社会編は売れていないとも聞くが、一読の価値はあると思う。 -
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この間、ドラッカーの著作をたくさん読んできた。マネジメント系のもの、社会系のもの。自伝である「傍観者の時代」は、ドラッカーその人を知る上でも、20世紀の歴史を知る上でも実に面白い本だった。しかし、この「すでに起こった未来」は、他のいずれの著作とも違う。
時代的な幅は40年にも及んでおり、内容も一見、関連性に乏しいと思われる13本の論文からなっている。
例えば、マネジメントへの傾倒がなければ上梓していたという「アメリカ論」や、技術に焦点を当てた「仕事の歴史」にまつわる論文は、他ではあまり見かけないものだった。その他、シュンペーターとケインズに言及した経済に関する論文や、ドラッカーの独特の利益に対する考え方について述べた「利益の幻想」も、コンパクトにまとまっており分かりやすい。
しかし、最も印象深かったのが、日本画から日本人を論じた「日本画に見る日本」と、「もう一人のキルケゴール」だ。
ドラッカーが日本画をコレクションしていたのは有名な話だが、日本画に関する知識は半端ではない。そして単に日本画に詳しいだけではなく、日本画を題材に、日本固有の文化の卓越性を論じている。
たとえば、外国から技術をとり込んだ後に、それを昇華させオリジナリティーを築き上げる能力。また、日本画における空間認識が西洋絵画のものと全く異なっており、知覚能力の独自性は他に類を見ないものだと語っている。この点については、現代における電子メディアの登場が、世界の見方を分析的思考から、知覚的なものの見方に変化させたというマクルーハンを引き合いに出し、日本の文化が持つ知覚能力の特性は、本質を把握して再構成する能力であるとして、これが近代的な経済活動の発展を導いたという興味深い指摘をしている。
「もう一人のキルケゴール」は、1949年に書かれたものだ。ちょうど第2次大戦後で、第1次大戦からナチスがヨーロッパを支配するという、不条理の目撃者となったドラッカーの、人間と社会に対する絶望が窺い知れた。
哲学の文脈でいえば、ヘーゲルやマルクスが問う「社会はいかにして可能か」や彼らの歴史観が、実存の忘却に導くとし、「人間の実存はいかにして可能か」という問いの重要性を語り、その答えを導いた唯一の思想家としてキルケゴールを取り上げている。
ドラッカーは社会や組織について多くを語ったが、やはりその中心には人間が、客観的・抽象的な存在としてではなく、実体的、実存的な存在としてなければならなかったことがよく分かった。
これら、何の脈絡もないような13篇の論文集のタイトルが、「すでに起こった未来」となっている。
終章の唯一書き下ろしである「ある社会生態学者の回想」の中で、ドラッカーは、自身の造語である「社会生態学」の仕事について、「すでに起こってしまった変化を確認すること」と言っている。
ここに集められた13篇の論文の全てが、すでに後戻りできない変化であり、大きな影響力をもちながら、いまだ広く認識されてはいない変化について書いているというわけだ。
これらの論文から、主要な著作からは知り得ないドラッカーの一側面が知れるというだけでなく、ドラッカーの求めたものが何なのかということを知るうえで、本当に貴重な一冊だということができる。 -
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1985年初版。当時は「企業家精神」で出版されたが、途中選書で「起業家精神」になり、最新訳の本著では「企業家精神」に直されています。読んだ感想では、やはり企業家ですね。起業というと事業を起こす作業にフォーカスされていて違和感があります。企業活動は永続的なものなので。
古今東西のイノベーションの実話をふんだんに織り交ぜながら、精神論である企業家精神とイノベーションの原理を方法論として体系付けされているのが秀逸です。
引用されている実話がとても面白いのでスイスイと読み進められます。読みにくいドラッカーの本の中では読み易い部類にはいるのではないでしょうか。
以下印象に残った文章。
・予期せぬ成功をマネジメントが認めないのは、人間だれしも長く続いてきたものが正常であって、永久に続くべきものと考えるからである。自然の法則のように受け入れてきたものに反するものは、すべて以上、不健全、不健康として拒否してしまう。
・予期せぬ失敗の直面すると、一層の検討と分析を指示する。しかしそれは間違った反応である。予期せぬ失敗が要求することは、トップマネジメント自身が外へ出て、よく見、よく聞くことである。予期せぬ失敗は、常にイノベーションの機会の兆候としてとらえなければならない。
・コップに「半分入っている」と「半分空である」とは、量的に同じである。だが、意味は全く違う。とるべき行動も違う。世の中の認識が「半分入っている」から「半分空である」に変わるとき、イノベーションの機会が生まれる。
・「成功した人たちの共通点はただ一つ、それはリスクを冒さないということです。彼らはみな、冒してはならないリスクを明らかにし、それを最小限にしようとしています。そうでなければ成功はおぼつきません」
・企業家精神は生まれつきのものではない。創造でもない。それは仕事である。ただしそのためには意識的な努力が必要である。学ぶことが必要である。企業家的な既存の企業は、企業家精神の発揮を自らの責務とする。そのために自らに規律を課す。そのために働く。それを実践する。
・企業家的な企業では二つの会議を開く。一つは問題に集中する会議であり、もう一つは機会に集中する会議である。実際に経営会議で見つけた機会の一つひとつよりも、そこで培われた機会を探す癖がもたらした企業家的な姿勢のほうが大きな意味をもつ。
・成長には栄養が必要である。成長するということは、資金の余剰ではなく不足を意味する。成長にはキャッシュが必要である。利益は虚構である。バランスシートの一項目に過ぎない。だが、この虚構に対しほとんどの国が税金をかけている。成長は余剰の発生ではなく債務の発生と現金の流出をもたらす。
・ワンマンによるマネジメントが失敗する前に、そのワンマン自身が、同僚と協力すること、人を信頼すること、さらには人に責任を持たせることを学ばなければならない。創業者は、付き人をもつスターではなく、チームのリーダーになることを学ばなければならない。
・そもそも取締役会なるものの多くは創業者が本当に必要とされる相談相手にはなれない。しかし創業者は基本的な意思決定について話し合い、耳を傾けることのできる相談相手を必要とする。ただしそのような人間は社内ではめったに見つからない。
・すでに地位を確立している企業によく見られ、かつ必ず凋落につながるものとして、多機能の追求がある。それは製品やサービスの最適化ではなく最大化を求めることである。
・顧客が製品に対して支払うものは、われわれにYドルをもたらさなければならない。しかし、顧客がどれだけ支払うかは顧客次第である。製品が顧客のためにできること次第である。顧客の事情に合うもの次第である。顧客が価値とするもの次第である。
・顧客に満足を与え、顧客が買いたいものを提供したこと、彼らの支払う額に見合うものを提供したことによって大きな利益は得る。
・企業家社会は継続学習を必然のものとする。これまでの社会では、学習は、青年期あるいは少なくとも社会人になったとき完了するものと想定できたし、事実その通りだった。企業家社会では(中略)二一歳までに学んだことは五年から十年で陳腐化し、新たな理論、技能、知識と代えるか、少なくとも磨かなければならなくなる。そのため、一人ひとりの人間が、自らの継続学習、自己啓発、キャリアについて責任を持たねばならなくなる。もはや少年期や青年期に学んだことが一生の基盤になることを前提することはできない。 -
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ネタバレそもそも非営利組織といわれると日本ではNPO(以前ではNGO)を思い出してしまいます。それはつまり、大義のためのボランティア団体というイメージでした。
本著の非営利組織とはそうした狭小な定義ではなく「企業以外の組織」としています。学校、病院、協会、組合など、およそ思いつく営利目的でない団体におけるマネジメントを懇切丁寧に説いています。
営利と非営利で分けていますが、根本的なマネジメントは同一です。違うのは、非営利組織のほうが大義だったり自己実現といった精神的な分野をミッションの上位に置いているところでしょうか。
本著では非営利組織のミッションや成果、戦略、イノベーションに合わせて、さらに非営利な団体の理事会、ボランティア、ステークホルダーとの関係、資金の調達に焦点を合わせて述べられていました。
マズローによれば自己実現欲求や承認欲求などの成長欲求は、所属欲求、安全欲求、生理欲求よりも上位に位置するといっています。
欠乏欲求という下位欲求が満足させられると上位の成長欲求を求める先が非営利組織になります。
非営利組織というコミュニティこそ成長欲求を満たすことができるとして、そのマネジメントのために本著を書かれています。
非常に参考になる個所が多く、何度も読み返しました。
真意を理解するために、もっと読み込む必要があります。
要再読。
以下、印象に残った文章。
・非営利組織のリーダーとなった者には、さほどの時間は与えられない。(略)この短い間に成果をあげるには、リーダーは組織のミッションと価値観に沿った役割を果たさなければならない。
・すぐれたリーダーは「私」とは言わない。意識して言わないのではない。「私」を考えないのである。いつも「われわれ」と考える。チームを考える。
・最初に考えるべきものはリーダーシップではない。ミッションである。非営利組織はミッションのために存在する。それは社会を変え人を変えるために存在する。
・リーダーシップとは行動である。思索にとどまってはならない。それはカリスマでもない。演技でもない。行動である。行動とはミッションを書き替え、焦点をあわせ直し、そのうえに新しいものを築き、組織することである。そして廃棄することである。知っているべきことをすべて知っていて、なおそれを行うかを自問することである。
・非営利組織は内部志向になりがちである。あまりに大義にコミットし、正しいことを行っていると信じるがゆえに、組織自体を目的と錯覚する。それでは単なる官僚主義である。「ミッションに貢献するか」を考えずに、「内規に合っているか」を考える。
・非営利組織全体の目線、ビジョン、期待、基準を上げるには、スターを活用する必要がある。仕事のできるものに脚光を当てる。しかも彼らを認めプライドをもたせる最善の方法が教師役に起用することである。したもスター本人にもインパクトがある。これ以上に誇らしい認められ方はない。
・争いをなくすには、意見の対立を利用することが一つの方法である。反対意見を求めるならば、意見を聞いてもらえるとの確信を植え付けることができる。同時に、反対意見の者がどこにいて、何に反対しているかがわかる。そして多くの場合、反対者が受け入れてくれるような調整を行うこともできる。
反対者のほうも、意思決定の論拠を理解できる。全面的に納得するまではいかなくとも、主張を通した側が馬鹿でも悪者でもないことを理解できる。意見が違っただけである。争いはこのようにしてなくことができる。意見の対立は防げなくても、争いはなくすことができる。
争いをなくすには、敬意をもたれている声高な対立者二人を選び、別室で調整してもらうという方法もある。
論点を一つひとつつぶしていくという方法もある。やがて対立点が重要でないことが明らかになる。本質的なところでは意見が一致している。
・意思決定とは行動へのコミットである。ところがあまりに多くの決定が立派な意図に終わっている。
・決定はいつでも撤回できるようにしておかなければならない。そのためには、第一には代替案を用意しておくことである。第二に撤回の責任者を決めておくことである。こうして責任追及に時間をとられないようにしておかなければならない。
・「なすべきことをしているか。活動は正しいか。ニーズに応えているか」。「優れた人材に見合う成果をあげているか」を考えてようやく次に大切なこととして「われわれは今も正しい分野にいるか。変えるべきではないか。今やっていることは廃棄すべきではないか」を考えることができる。
・プランだけでは仕事は行われない。方針だけでも行われない。仕事として行ってはじめて行われる。期限を切られたものが行って、初めて行われる。トレーニングを受けたものが行って初めて行われる。評価されるものによって行われて初めて行われる。成果に責任を持つ者が行って初めて行われる。
・非営利組織に働くあらゆる者が何度も何度も繰り返すべき究極の問いは、「自分はいかなる成果について責任をもつべきか、この組織はいかなる成果について責任をもつべきか、自分の組織は何をもって憶えられたいか」である。
・上司、同僚、部下に対し、「こうしてもらえれば助かる。これは困る。私が役に立っていることは何か。邪魔になっていることは何か」と聞いて回ることである。これで八割方はうまくいく。ただしメモで聞いてはならない。直接会って聞かなければならない。
・理事会を開催する会議室には「理事とは地位ではなく責任である」と大書しておきたい。
・自らの成長につながる最も効果的な方法は、自らの予期せぬ成功を見つけ、その予期せぬ成功を追及することである。ところが、ほとんどの人が問題ばかりに気を取られ成功の証しを無視する。
・最高の自己開発は、他人の自己開発に力を貸すことだと思っています。間違ったり、強引すぎたり、せかし過ぎたりすると指摘してくれます。 -
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邦題、『「経済人」の終わり』は、原題 ”The End of Economic Man” の直訳。
「経済人」とは、人間を「自らの経済的利益に従って行動するもの」とする、アダム・スミスに由来する規定。
資本主義も社会主義も、人間の本性をそのように捉えた上に成り立っており、ここでいう「経済人」の終わりとは、資本主義及び社会主義の破綻を意味している。
本書が世に出たのは1939年4月。ドラッカー29歳の処女作で、ドイツのポーランド侵攻(同年9月)の直前、まさに第二次大戦前夜に出版された。
この時代、急速に勢力を伸ばしてきたファシズムを分析し、いち早く自由主義の立場から反論を投げかけている。
なぜ大衆がファシズムを受け入れたのかという社会背景を探っていく中で、まず資本主義とそれを克服すべく現れた社会主義が、立ち行かなくなった理由を分析する。
「ブルジョア資本主義とマルクス社会主義の信条と秩序は、いずれも個人による経済的自由を実現すれば自由と平等が自動的にもたらされるという目論みが誤っていたために失敗した。(P.43)」
資本主義は1929年の大恐慌もあり、失業などの深刻な問題を解決できずにいた。またマルクス主義も階級のない社会を実現できず、理論的にも破綻していた。
そんな閉塞した状況のなか、ファシズム全体主義はそれらに替わるものとして登場した。
経済政策の上では、脱経済至上主義社会。まがいなりにも完全雇用を目指し、軍国主義のための軍事的自足を図る。そのめたに軍拡を続け、それゆえ次々と敵を作り上げた。
また、社会政策では、組織を自己目的化することによって、社会の維持を図ろうとした。こちらも、ブルジョア資本主義と自由主義という敵を設定し、その象徴としてユダヤ人を迫害した。
今から考えると、大衆はなぜこのようなファシズムを選択したのか理解に苦しむが、それほど経済的、社会的な困窮が激しく、先の見えない状況に陥っていた。
結果的には、ファシズム全体主義側の敗北で終わったが、「経済人」に替わる人間観、価値観はいまだないままで、ファシズムに突き進んだ根本原因は未解決のままである。
「経済人」の社会が崩壊したあとに現れる新しい社会の条件は、経済的な平等が実現され、社会の中心には別の価値観が据えられなければならない。
本書が出版されてから70年余り、まだまだ「経済人」が中心の社会から変わっていないことを実感する。 -
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ネタバレ自分の仕事にこれほどリンクさせながら読める本は珍しいというほど具体的でわかりやすい本!!
[個の貢献こそがチームの成果を生む]
・貢献するために自分がすべきことを明確化
・それに必要な知識、スキルを明確化
・具体的なアクションプラン作成→行動
⇨貢献へのプロセス
[チームの目標、ミッションを共有]
⇨全体としての目標を共有してこそ、「誰が」「いつまでに」「何を」「何のために」行動すべきかを定めることができる。
うちの拠点でも、全員の共通目標を定めることで一つの方向に向かってモチベーションを挙げながら取り組むことができると思う。チームの目標が意識されなければ、自分が何のために頑張ればいいのかわからないし、どう行動すればいいのかもわからない。ただただわけもわからず自分に与えられた数字のみを追うよりも、チームの共通目標のもとに与えられた数字、ミッションに向かって動く方が絶対頑張れると思う。
自分の仕事に関してヒントが詰まった1冊でした! -
Posted by ブクログ
1日1頁。1月1日から12月31日まで1年分。
聖書のように、毎日少しずつ読んで、短い文章から真実の言葉に触れる。
ドラッカーの様々な本から集められた、正しいマネジメントへのヒント。
地味と言えば地味な本だが、これを使って今年はフルに活用させていただいた。
買ったきっかけは、原書である The Daily Drucker をテキストとした英語の学習の和訳の参考書として。しかし、上田先生の訳がぶっ飛び過ぎていて、あまり参考にならなかった部分もあった。
それから、これをネタに、1週間に1頁、学習個所を決めて、みんなでSkype上で議論するという勉強会。6月にはじめて、半年続いている。
そんなわけで、いろいろと思い出深い1冊となった。
各ページに、アクションポイントなる、本文を反映した質問もついていて、これを毎日こつこつやっていれば、かなりのドラッカリアンになれること間違いなし。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ【書評】
自由と平等を達成し、大衆の福祉を向上するために経済的満足を最優先に希求するという社会的教義—経済至上主義たる「経済人」の秩序。それは「魔物」を退治出来なかったがゆえに大衆の支持を失った。ファシズムはそのような「経済人」秩序に引導を渡すことに成功した。脱経済至上主義を目指し、新しい人間観として組織に至高の価値置く「英雄人」を打ち出した。大衆は絶望から理性を放棄し、「不可能を可能にする奇跡」をファシズムに期待した。ファシズム全体主義に不満であるがゆえにそれを支持する宗教的信仰をみせた。しかし、ファシズム全体主義の提示した、人間の犠牲を正当化する概念は社会と相容れず、自己矛盾を抱えた観念であった。
この矛盾、旧秩序への否定がファシズム全体主義の本質であった。ファシズムは矛盾を隠し自らを合理化するべく、「目に見える魔物」をつくり出した。ファシズムにとってのこの魔物は「和解不能の敵」である。そしてこの「敵」こそが西欧のブルジョア資本主義である。
ドラッカーは、「なぜ民主主義勢力は自らの信条全てを脅かす脅威を抑制出来ないのか?」と問い、肯定的信条に基づく新しい秩序を作るため、ファシズム全体主義を正しく認識することが不可欠であるという。ファシズム全体主義への見立てを通じ、ドラッカーが本書で提示するものは、西欧の歴史が、いかに自由と平等を叶える秩序への動的な願望によって動かされ、いかに人間が社会における自らの役割を求めるかである。
ドラッガーがじかに見聞きしたファシズム全体主義を理解することは、彼の思想の原点を理解する王道である。ドラッカー29歳のときの衝撃のデビュー作。
【コメント】
ドラッカーはブルジョア資本主義とマルクス社会主義が信奉した「経済人」秩序—個人の経済的自由を自由と平等を達成するために最優先する経済至上主義—の崩壊とそれに変わる秩序の不在との虚を衝いて、ファシズム全体主義が断ち現れたと喝破する。そしてファシズムは、矛盾や否定に立脚するため、大衆には夢を見させる程度のことしか提供出来ず、本質的には脆弱性を有していると考えている。むしろ、ファシズムがヨーロッパの信条を脅かすにも関わらず、正しくそれを認識出来ていないことがヨーロッパの民主主義を弱め、ファシズムの提供する虚構を真実だとみなす風潮をつくり出すという認識を軸に本書は書かれている。
なぜファシズム全体主義が生まれたのかいついて理解することがドラッカーの世界観をみるのに一番都合がいいのではないか。ドラッカーはファシズム全体主義の登場を西洋文明の文脈で捉え、「西洋の歴史に特有の動的な性格」(p223)が生んだとしている。つまりヨーロッパには、人間本性における、ある領域—精神、知識、政治、経済など—を社会の中心として位置づける秩序が常に存在し、その領域を通して自由と平等を追及して来たという歴史的プロセスがある。このダイナミックなプロセスは「動的な性格」であり、ヨーロッパの大衆が新しい秩序が不在である、静的な現状に耐えられなかったがためにファシズムに向かったと捉える点は、筆者特有の理解である非常に面白い。
本書では、1995年版のまえがきで述べられているように、社会を分析するために、政治や経済でない第三の方法を採用している。すなわち「社会における緊張、圧力、潮流、転換、変動の分析」をとおして「特異な動物たる人間の環境として社会」を分析するアプローチである。マックスウェーバーに準じているように、読者には非常に説得力があった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ本著が名著といわれ優れた古典といわれている意味が読んでみて初めて分かりました。
面白いうえに非常に役に立つ!
時代を越えても物事を企画運営して管理していく「マネジメント」は普遍のものです。
それを優れた「社会生態学者」である著者の視点を通して喝破されているのだから、本著が名著であるのは自明のことでした。
ユニクロの柳井さんいわく、20代のうちにドラッカーは読んでおくべきだそうですが、こういった著書はある程度の人間経験がないうちに読んでも身に付かないと思います。
経験なくして本著を読んでも、字面をなぞるだけのような気がします。
ある人が先日「オレ、ドラッカーハ、ガクセイノコロ、ゼンブヨンダヨ」と自慢していましたが、会社が傾きっぱなしになっているのが身についてない証拠です。柳井さんは繰り返し繰り返しドラッカーを読み込んでいるからその真髄に触れ、またそのときの経営課題に悩んでいるからこそ、ドラッカーの言わんとしていることが身につまされて理解できるのだと思います。
若い頃は小難しい経営論よりも、人に何を伝えどうやって伝えるか勉強しておいたほうがいいですね。
いみじくもドラッカー自身が「大学で教えている科目のうち、経営管理者の準備として最も有効な職業教育は、詩を書くことと短編小説を書くことである。自らの考えを表現する方法、言葉とその意味、文章を書くことを教えることである」といっています。
以下、印象に残った文章
・成果こそが企業内のあらゆる活動の目的である。組織はあらゆる活動を成果へと伝道するトランスミッションである。組織は直接的かつ単純であるほど効率的である。
・組織の構造は、必要とされるマネジメントの階層の数を最小限にし、命令系統を最短にするものでなければならない。
・組織の不完全さの症状の一つが、マネジメントの階層の増加である。あるいは、目標の低さ、無能の放置、権限の集中、活動分析の欠如である。あるいは、摩擦回避のための間接費の増大である。
・一般従業員とトップマネジメントの間に六つないし七つ以上の階層を持つ企業は大きすぎる。軍の階級は七つである(少尉と中尉、中佐と大佐は給与の違いであって機能は同じである)。そして軍の経験が教えるように、七つの階級は多すぎる。
・(中小企業は)マネジメントの視野を広げるために、気に入らないかもしれないが外部の視点を導入することである。第二に、同族企業においては、一族の者に、実力に基づかずに仕事を与えてはならないということを鉄則とすることである。
・企業が成長すると、トップマネジメントの仕事は新しい時間的次元に移行する。すなわち、事業が大きくなるほど長い将来を考えて行動しなければいけなくなる。また目標の設定と、その遂行のための活動の仕事量の割合も変わる。事業が大きくなれば、目標の実現のための段階よりも、目標の設定そのものにより多くの関心を向けなければならない。
・個人の強み、主体性、責任、卓越性が、集団全体の強みと仕事ぶりの源泉となるよう仕事を組織する必要がある。これは組織に関わる第一の原則である。事実上これが組織の目的である。
・企業が働く人たちに対して第二に要求すべきは、変化を進んで受け入れることである。企業にとってイノベーションは不可欠の機能である。それは重大な社会的責任のひとつである。しかし、そのためには人も変わらなければならない。
・働く人はマネジメント的な視点をもつときにのみ、すなわち企業全体の成功と存続に責任をもつ経営管理者のように企業を見るときにのみ、最高の仕事を目指して自らの責任を果たすことができる。そのような視点は、参画を通じてのみ獲得できる。
・教育とは特権を与えるものではなく、義務を課すものであるとの私の信念。
・専門職を監督しようとしてはならない。彼らには厳格な基準と高い目標を持たせる必要がある。彼らに対しては常に多くを要求すべきである。彼らがいかに自らの仕事を行うかは、彼ら自身の責任として彼ら自身に決定させる必要がある。
・経営管理者は第一に目標を設定する。第二に組織する。第三に動機づけを行いコミュニケーションを行う。第四に評価測定を行う。第五に部下を育成する。 -
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非営利組織においても、企業においても、組織にとって必要なことは同じだ。
正しくマネジメントされなければ、組織がその機能を果たすことはできない。
だから、本書で言っていることは、主著「マネジメント」と変わるところがない。
さらに、非営利組織で業績のあった人たちとの対話も収録されているので、ずい分読みやすい。
だから、ドラッカーのマネジメントを学ぶ上では、入門書としてもいいのかもしれない。
ドラッカーは現代の世の中を、無数の組織が絡みあって成り立つ、新種の多元社会と定義している。
その中で、最も身近なものが企業である。しかし、企業は本来の目的からしても、そこに集う者どうしのコミュニティーたりえない。
社会での人のつながりが希薄になってゆく中、NPO等の非営利組織の重要性が増している。
ドラッカーがテーマとする「人の幸せ」を考えるとき、企業のみならず、コミュニティーの場としての非営利組織の発展なくして、人々の幸せがないとの思いから、この本を書く必要があったのだと思う。 -
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本著は経営学の最高の古典、経営の原点、経営の常識と言われています。経営のために必ず読まなければならない本を一冊あげるならば本著だといわれています。
確かに原理原則が丁寧に説明されてあって、どの章も考え深く構成されています。
本著は一回読んだだけでは真髄に触れるまでいかないでしょう。経営者であるなら自分自身の自己啓発というか成長や改革改善につれて、感銘を受ける箇所が変わってくるように思えます。
今読み終わって印象に残った部分はおそらく二回目読んだときは輝きを失い、別の箇所が輝いている、といった書です。だからこそ古典といわれるのでしょう。要再読。
以下印象に残った文章。
・企業の目的は、それぞれ企業の外にある。事実、企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的として有効な定義は一つしかない。すなわち、顧客の創造である。
・企業経済学の指導原理は利益の最大化ではない。損失の回避である。企業は事業に伴うリスクに備えるために、余剰を生み出さなければならない。リスクに備えるべき余剰の源泉は一つしかない。利益である。
・目標なるものは鉄道の時刻表ではない。それは航海のための羅針盤である。それは目的地にいたる航路を指し示す。
・ほとんどの企業において、経営管理者は最も高価な資源である。最も早く陳腐化する資源であって、最も補充を要する資源である。彼らのチームを築くには数年を要する。しかし、それはわずかの間の失敗によって破壊される。
・ヘンリー・フォードの失敗の根因は、10億ドル規模の巨大企業を経営管理者抜きにマネジメントしようとしたところにあった。彼はその秘密警察のおかげで、他の役員が行おうとする決定をすべて知ることができた。彼が必要としていたのは技術者だけだった。
・組織の文化は、それを最初に形成した人たちがいなくなったはるか後においても生き続ける。それは、新しく入ってくる者の姿勢と行動を規定する。組織の中で成功する者を決める。組織が卓越性として認め報いるべき者を決める。また凡庸として無視すべきものを決める。さらに組織内の人間が成長するか、いじけるかを左右する。健全に育つか、育ち損なうかを左右する。組織の卑しい文化は卑しい経営管理者をつくり、偉大な文化は偉大な経営管理者をつくる。
・マネジメントのセミナーでよく取り上げられる話に、何をしているのかを聞かれた三人の石工の話がある。一人は「これで食べている」と答え、一人は「国で一番の仕事をしている」と答え、一人は「教会を建てている」と答えたという。もちろん、第三の男があるべき姿である。第一の男は、一応の仕事をする。報酬に見合った仕事をする。問題は第二の男である。
・経営管理者に与えられる決定権限については一つの簡単なルールがある。GEの電灯事業部の経営憲章は、アメリカ合衆国をもじって、「明確かつ成文をもって上位のマネジメントに留保されていない権限は、すべて下位のマネジメントに属する」と定めている。
・「重要なことは、できないことではなく、できることである」。自己管理による目標管理は、何をなすべきか教える。適切に仕事を組織するならば、誰でもそのなすべきことをなしうるようになる。しかし、それを実際になさしめるものは組織の文化である。
・一度も間違いをしたことのない者、それも大きな間違いをしたことのない者をトップマネジメントの仕事につかせてはならない。間違いをしたことのない者は凡庸である。そのうえ、いかにして間違いを発見し、いかにしてそれを早く直すかを知らない。
・ナポレオンに抵抗する唯一の国を率いて、国民に勇気と決意とリーダーシップを示した小ピットは、私生活でも高潔な人だった。公正だった。誠実な夫であり父だった。彼が若くして天国の門をくぐろうとしたとき、聖ペテロが「天国に入れると思うのか」と聞いた。小ピットは「賄賂も受けず、愛人も持たなかった」と答えた。しかし聖ペテロは「しなかったことには興味がない。何をしたのか」と再び聞いた。
・組織の文化はトップから形成されていく。士気の高い組織はトップの士気が高い組織である。組織の文化が腐るのはトップが腐るからである。木は梢から枯れる。 -
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ネタバレドラッカーさんの自伝書。
ドラッカー好きにとってはたまらない一冊だと思う。
ドラッカーさんは数多くの名著・名言を残しているが、どのような人生の中でそのような考えに至ったかを知ることができる。
その中でも最も印象的だったのは、ナチズムの中で悪について考えたとき「無関心が最大の悪」だという結論に至った点である。
接点があったかどうかわからないが同じ時代を生きたマザー・テレサも同じことを言っている。
<注目した箇所>
■ドラッカーが中年の将校の職案内をした時の話。プライドを傷つけることになったとしても、真実を受け入れなければならないことを示している。それが長い信頼関係につながる。p43
■少なくとも私にとって正しい学び方とはうまくいっているものを探し、成果を上げる人を探すことだということを知った。成功から学ばなければならないと思った。p71
■教えることは一種の才能である。技能や習慣によって得るものではなく、生まれつきの個性である。;p76
■ソクラテスは教えることのできるのは学ぶことについてであり、何かを学ぶのは生徒であるとして。p79
■公の世界では、芸術や研究活動と異なり、今年手の成果だけでは不足である。継続性が必要である。すると大物の後には大物が必要ということになる。ところが通常大物の後には空白が生じる。p176
■最大の悪は無関心。p200
■最も優れたビジネスマンは最も個別的、最も具体的なことから出発して一般化に達する。p238
■私のマネジメントと産業秩序についての仕事の中では職場コミュニティと責任ある従業員という考えが最も独特でありかつ最も重要だったと思う。p325