上田惇生のレビュー一覧
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さすがドラッカー先生。再読だが、何度読んでも色あせない。
「自己管理による目標管理は、人間というものが、責任、貢献、成果を欲する存在であると前提する。大胆な前提であり。だが我々は、誰もがほぼ期待どおりに行動すること知っている」
「マネジメントたるものはすべて、リーダー的地位にあるものの一員として、プロフェッショナルの倫理を要求される。 それはすでに、2500年前のギリシャの名医ヒポクラテスの誓いのなかにはっきり表現されている。知りながら害をなすな、である」
「知識労働者の動機づけは、ボランティアの動機づけと同じである。ボランティアは、まさに報酬を手にしないがゆえに、仕事から満足を得る」 -
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本書はマネジメント書の中でもバイブル級に位置づけられるが、これまであえて積読状態にしていた。しかし、自分の中でようやく読むべき時がきたのを感じたので、手に取ってみた。まだ上巻を読んだだけだが、考えさせられる点が多々ある。以前にエッセンシャル版を読んでいたが、やはり原典の重みは違う。
ドラッカーの他の著作を読んでいるので既視感の高い章も多かったが、この本ならではの記述として印象に残ったのは第18章「仕事を生産的なものにする-管理手段とツール」と第25章「社会に与えるインパクトの処理と社会への貢献」だ。第18章はITが発達して様々なツールがビジネスに利用される中で、管理・ツールとはどうあるべきかを改めて考えさせられた。おそらく多くの企業で現場の生産性を落としている管理やツールが横行していると思われるが、もう一度、ドラッカーの言葉に立ち返る価値がある。また、第25章はSDGsがブームとなりつつある現代で企業が本当に何をすべきか、何をすべきでないのかを考える視点を提供している。
ドラッカーは日本についてもよく研究しているため、本書には日本の事例も多数紹介されている。その中には現代では失われてしまった旧き良きマネジメント慣行も多い。原著は1973年に出版されたものであるが、古臭いと思わずに温故知新ととらえて、組織のマネージャークラス以上の方には是非、読んでいただきたい。 -
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ネタバレ毎回思いますが、ドラッカーって凄いですね・・・。トップマネジメントからセルフマネジメントまで網羅できる所がすごい。でも、だからこそ、今まで自分は読んでは挫折を繰り返してたんだよなぁ。
気になった文章
~世界情勢~
p71. 「それにもかかわらず、今後数十年にわたって、保護主義の波が世界を覆うことになる。なぜならば、乱気流の時代における最初の反応は、外界の冷たい風から自らの庭を守るための壁づくりと相場が決まっているからである。」
p73. 「しかるに、政治的な国境はなくならない。それどころか、EU、NAFTA 、南米のメルコスールなどの地域経済共同体の成立が、国境の意味を減ずることはとうてい考えられない。国境を超越することはさらにありえない。」
2016年、英国の欧州連合離脱、米国のトランプ大統領当選を1999年の段階で見通しているかのよう。
~仕事~
p94. 「今日、ソニーがリーダーとなっている家電製品のすべてが、テープ・レコーダーの成功から始まったといって過言ではない。しかし、テープ・レコーダーを発明したのはソニーではなかった。
同社では、最初のテープ・レコーダーに新しいものを付け加えて次の製品を生み、その製品の成功にさらに何かを付け加えて、その次の製品を生んできた。一歩一歩は、それほど大きくはなかった。もちろん、すべての一歩が成功したわけではなかった。
だが成功の追及においては、一つ一つの製品が大きなリスクを伴うことはない。成功しなくとも損害は小さくてすむ。こうして成功した一つ一つの製品の積み重ねが、ソニーを世界一の、しかもつねに成功を続けていく電子機器メーカーにした。」
小さな一歩からチェンジ・リーダーへの道が拓ける。それにしても、あぁ、ソニー・・・。
p163. 「さらに最後の仕上げとして、それらの動作に必要な道具をつくり直す。仕事を分解してみれば、何千年も行なわれてきた仕事でさえ、それまでの道具がまったく適当でないことが明らかになる。テイラーが最初に研究した鋳造所で、砂をすくう仕事に使われていたシャベルがそうだった。形も大きさも不適切であり、柄も不適切であった。同じことは、外科医のメスについてもいえた。」
輝ける国鉄・JR150年の歴史の中で、戦前における蒸気機関車の投炭作業の改善は、まさにこれが当てはまります。ある機関助士が片手で投げ入れていた時、燃費が良いことが判明し、最終的には片手で投炭するのに最適な形状にスコップを変更したことがあります。当初において良好な結果を残したこの施策も、石炭の質の悪化や機関車の大型化、更には労働運動の激化により形骸化してしまいました。成功した施策こそ、常時見直しと再設計を必要とする教訓といえます。それにしても、この話、蒸気機関車ファンしか知らないのは、もったいなさすぎる。
~自己~
p227. 「第二の方法は、パラレル・キャリア(第二の仕事)、すなわちもう一つの世界をもつことである。二〇年、二五年続け、うまくいっている仕事はそのまま続ける。週に四〇時間、五〇時間を割く。あるいは、あえてパートタイムとなったり、コンサルタント的な契約社員となる。しかしもう一つの世界をパラレル・キャリアとしてもつ。多くの場合、非営利組織で働く。週一〇時間といったところである。」
期せずして、自分自身も月2回程度、地元の郷土資料館で解説ボランティアをしています。その方向へ導いてくれた母校と恩師に感謝です。ボランティアなんて、好きなことで社会に貢献するくらいに思えばよいと、私は思います。 -
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理論を構築する、知識をまとめあげるのではなく、
理論と知識を基礎とした技術をもって、
世に影響を与えるものこそがテクノロジストである。
止めどなく変化する世の中において、
変化しないことは世の進化に対しての敗退に値する。
世に負けない強い変化が必要なのである。
だが革命は一人の手で行えるわけではない。
多くの人の手が重なり、波となり、革命となりえる。
テクノロジストは革命者の一人として、
革命を先導するものとして、
日々その技術を磨き、邁進していくのである。
(以下抜粋。○:完全抜粋、●:簡略抜粋)
○デカルトは世界の本質とその秩序についての公理を定めた。
その一つの表れが、「科学とは因果関係についての知識である」とする
フランス学士院の定義だった。
端的にいうならば、それは「全体は部分によって規定される」という、
科学者でも哲学者でもない者には到底理解できない定義だった。(P.5)
○今日では、あらゆるものが因果から形態へと移行した。
あらゆる体系が、部分の総計ではない全体、部分の統計に等しくない全体、
部分では識別、認識、測定、予測、移動、理解の不可能な全体というコンセプトを、
みずからの中核に位置付けている。(P.6)
○テクノロジストの芸術の無視は、技術と科学の関係の理解を不可能にする。
なぜならば、少なくとも西洋では、ゴシック建築における数学理論、
ルネッサンス絵画における幾何学、バロック音楽における音響学に見るように、
科学は、技術と知り合うはるか前に、芸術と世帯をもっていたからである。(P.22)
○科学と技術の基本的な違いは、内容ではなく焦点にあった。
科学は哲学の一分野であり、理解にかかわることだった。
目的は知識の完成にあった。
したがって、それを利用することは、プラトンの有名な主張にあるように、
科学の乱用であり、科学の墜落だった。
これに対し、技術は利用に焦点を合わせていた。
目的は人間の能力向上にあった。(P.46)
●テイラーの手法(P.75)
テイラーが発見した生産性向上の手法は驚くほど簡単だった。
はじめに仕事を個々の動作に分解する。
次いで、それらの動作に要する時間を気k録する。
次に無駄な動作を探す。
(中略)
次に不可欠なものとして残った動作を短い時間で簡単に行えるようにする。
それらの一新された動作を組み立てなおす。
最後の仕上げとして、それらの動作に必要な道具をつくりなおす。
(中略)
簡単に見える。優れた方法というものは常にそうである。
だが、彼がこの方法確立するのに二十年を要した。
○知識労働の生産性を向上させるための条件は、大きなものだけで六つある。
第一に、仕事の目的を考える。
第二に、働く者自身が生産性向上の責任を担う。
みずからをマネジメントする。自立性をもつ。
第三に、継続してイノベーションを行う。
第四に、自ら継続して学び、人に教える。
第五に、知識労働の生産性は量よりも質の問題であることを認識する。
第六に、知識労働者は、組織にとってコストではなく資本財であることを理解する。
(P.80)
○知識労働の生産性向上は、
量ではなく質の面から取り組むべきことを意味するだけでなく、
まず仕事の質を定義すべきことを意味する。(P.81)
○ベンチャーが成功するには四つの原則がある。
第一に市場に集中すること、
第二に財務上の見通し、特にキャッシュフローと資金について計画を持つこと
第三にトップマネジメントのチームを、それが必要となるはるか前に用意しておくこと、
第四に、創業者である起業家自身みずからの役割、責任、位置づけを
決めることである。(P.96)
○チームは一夜にしてならず。機能するには時間がかかる。
相互信頼と相互理解が必要である。
そのために数年を要する。私の経験では三年以上かかる。(P.103)
○彼らは何をしたいかから考える。あるいは、自分が何に向いているかから考える。
しかし正しい問いは、客観的に見て、今後事業にとって重要なことは何かである。
創業者である起業家は、事業が大きく伸びたとき、
さらには製品、サービス、市場、あるいは必要とする人材が大きく変わったとき、
必ずこの問いをみずからに問いかけなければならない。
次に問うべきものは、みずからの強みは何か、事業にとって必要なことのうち、
みずからが貢献できるもの、他に抜きんでて貢献できるものは何かである。
これらの問いを徹底的に考えることによって、
はじめて自分が何をしたいか、何に価値をおいているか、
残りの人生すべてとまではいかなくとも、今後何をしたいか、
それは事業にとって本当に必要なことか、企保的かつ不可欠な貢献かを問うことができる。
(P.107)
○歴史は循環する。しかし、元の位置、昔の問題に戻ったかに見えても、
内容の次元はより高度になっている。歴史は螺旋状に動く。(P.156)
○経済的な機会の存在は、技術そのものの分析によっても明らかにすることができる。
スウェーデンは、技術の分析によって送電技術の世界的なリーダーになった。
彼らは原子力発電ではなく送電技術の開発に資金と労力を注ぎ込んだ。
基本的な技術は七十年前に開発されていた。
技術を分析することによって、
人材や資金の限られた小国スウェーデンが送電技術のリーダーとなった。
その間、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、ドイツ、日本のような大国は、
はるかに多くの資金を間違った分野に投入していた。(P.158)
○西洋ではスウェーデンだけが技術戦略をもっていた。
その成果の一つが送電技術だった。
さらにはスタイルと頑丈さを兼ね備えた自動車の開発であり、
小国という環境条件がもたらした短距離離着陸航空機の開発だった。
スウェーデンの技術戦略は、技術の専門家の手によるものではなかった。
三大銀行の調査陣の功績によるところが大きかった。
科学者や技術者ではなかった。
彼らは小国として、そのもてる資源を科学全般の進歩ではなく、
限られた分野のギャップを埋めることに集中すべきことを知っていた。
○既存の企業において起業家として優れた仕事をする人たちは、
通常それ以前に日常のマネジメントでも能力を示している人たちである。
イノベーションを行うことと、
既存の事業マネジメントすることの両方を行えると見てよい。(P.207)
○イノベーションの機会は、産業の内部に四つある。
第一が予期せぬこと、第二がギャップ、第三がニーズ、第四が産業構造の変化である。
イノベーションの機会は産業の外部に三つある。
すなわち、第五が人口構造の変化、第六が認識の変化、第七が新知識である。
これらの七つの機会は互いに重複する。
それぞれが、それぞのれリスク、むずかしさ、複雑さをともなう。
だがイノベーションのほとんどが、これら七つの機会から生まれている。(P.214)
○イノベーションとは分析的な作業であるとともに、知覚的な作業である。
したがって、イノベーションを行う者はみずから出かけ、
見たり、聞いたりしなければならない。
イノベーションに成功するには左脳と右脳の両方が必要である。
数字を見るとともに、人を見なければならない。
分析を行うとともに、みずから出かけ、ユーザーとなりうる人たちを観察し、
彼らの期待、価値、ニーズを把握しなければならない。(P.223)
○はじめから大がかりな試みが成功することはほとんどない。
しかし、大きな事業に育つか、ささやかなものに終わるかは予見できなくとも、
世界の基準となり先頭を走る事業を生み出そうとしなければならない。
最初からトップを目指すことなくして、イノベーションに成功することはない。
(P.223-224)
○イノベーションには、他のあらゆる仕事と同じように才能、知識、創意が必要である。
しかしそれらのものは当然としても、本当に不可欠とされるものは、
目的意識をともなう激しく集中的な仕事である。
勤勉、忍耐、決意が欠けていたならば、せっかくの才能、知識、創意も役にたたない。
(P.224)
○技術格差が生じたのは、それらの研究成果を製品化し、
マーケティングすることに失敗したためである。
技術格差とはマネジメント上の失敗である。
これこそヨーロッパにとって政府予算よりも大きな弱みである。
金はつけることができる。しかし、科学上の成果を経済的な事業に転換する能力、
すなわちマネジメントとマーケティングの能力を金で買うことはできない。(P.241)
○仕事は奴隷のすることだった。
そしてより多くを生産するための唯一の方法は、
より長く働かせるか、より激しくはたらかせるかだった。(P.264)
○第二次大戦中とその直後、私がはじめてマネジメントについて研究を始めた頃、
マネジメントは部下の仕事に対して責任をもつものだった。
言い換えると、それはボスだった。地位と権力を意味した。
今日にいたるも多くの人が、
マネジメントというとおそらく心に描くであろう定義がこれである。
しかし五十年代はじめにはすでに、
マネジメントとは他の人間の動きに責任を持つものと定義されるようになった。
しかも今日われわれは、この定義さえ狭義にすぎることを知っている。
正しくは知識の適用と知識の働きに責任を持つものである。(P.274)
○産業革命が産業革命たりえたのは、
イギリスに工具製作者というテクノロジストがすでに誕生していたためである。(P.280) -
Posted by ブクログ
ドラッカーは、実は、それほど好きではない。
なんでかというと、説教くさいというか、すごくストイックな感じがあって、「真摯であれ」みたいなところに引っ掛かりを感じている。
が、今、読んでも全く古くなく、「強み」へのフォーカスとか、世の中が、ポジティブ・アプローチ的なほうにやっと追いついたんだという感慨もある。
そういうわけで、結構、いろいろな発見があるので、ときどき思い出したみたいに、読んでいる。
というなかで、なんとなく、ドラッカーの自伝的な要素もある本書を読んでみることに。
自伝といっても、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間のオーストリア、ヨーロッパ、アメリカの話し。そして、自分というより、その時代に知り合った人々の話し。
有名な人もいれば、忘れられている人もいる。でも、それぞれがとてもユニークでイキイキと人生を生きている感じ。本当に面白いエピソードが満載。
そして、ドラッカーの周りにいた人のことをしることで、ドラッカーが生涯をかけて、マネジメントの世界でやろうとしていたことの根源が浮かび上がってくる。
ドラッカーは、「全体主義」を二度と起こさないために、企業というものの役割に期待をしていて、そのためのマネジメントを深めることになった、という話しはどこかで読んだことがあったけど、本当に、そうなんだね。
今、「全体主義」に関心をもっているので、そういう意味でも、個人的には結構ツボにハマった感じで、これを読むことで、ドラッカーが、ぐっと切実なものになってくる気がした。
ちょっとドラッカーの最初の3冊「経済人の終わり」「産業人の未来」「企業とはなにか」を読まなきゃという気になった。 -
Posted by ブクログ
"ドラッカーの処女作。
経営の話しでなくて、全体主義が、社会的、経済的、政治的になぜ出てきたかという話しと、今後の見通しとして、ナチスはソ連と手を結ぶだろうと、だれもが電撃的な不可侵条約に驚く前に、それがほとんど必然であることの予言。
1939年、ドラッカー29才のときの作品ということだが、この分析の重厚さ、鋭さ、先を見通す力はとんでもないものがある。それだけでも驚きなのだが、これは1933年、ナチスが政権をとったとき、つまり23才から書き始められたということ。
ドラッカーって、そこまで好きではないので、こういう戦前の作品は、マニアが読むものだと思っていた。ところが、これはドラッカーが書いたということを外して、全体主義の分析として古典のレベルとなっている。
ドラッカーのスタートがここにあるのかと思うと、ちょっとドラッカーの読み方が変るかもですね。
ほんとすごいよ。 -
Posted by ブクログ
ドラッカーの2作目。1942年、第2次世界大戦のさなかに、戦後の社会を構想している。
ドラッカーによると「識者と友人の多くが本書をわたしの最も優れた著作としている」らしい。
訳者の上田さんによると「本書は、ドラッカーの著作の中でも、最も面白く最も知的興奮をおぼえさせられるものである」とのこと。
1作目の「経済人の終わり」も驚いたが、こちらはさらにスゴい。
ドラッカーは、まだ経営学者ではなくて、社会経済政治の評論家(?)みたいな感じ。
近代の啓蒙主義、理性主義は、全体主義になる。つまり、「これが正しい」とすると、違う意見の人は間違っていることになる。ここには、自由はなく、善意から始まった活動は、最終的には恐怖政治につながる。
全体主義、世界大戦は、商業社会が産業社会に移行する道が分かっていないから。経済利益を中心とする社会から人間中心の社会に構造転換をしなければならない。それは戦後にやるのではなく、戦争中から始めないといけない。
みたいな本かな?
32才の人が書いたとは思えない、深い洞察。圧倒的な教養の厚み。
これは天才ということも超えているな。
個人的には、全体主義と個人の関係みたいなことを最近考えていて、それと関係してハンナ・アーレントを読んでいるのだけど、ドラッカーとアーレント、思考プロセスは違いそうなんだけど、たどり着く結論部分はかなり似ている。
この本は、アーレントの「革命について」(1963)の議論を先取りするような中身になっているな。
理性中心の啓蒙主義、これが正しいというものがあるという思想は、既存の社会を破壊すれば、歴史の必然(?)や人間の本質(?)から、自ずから正しい社会がでてくるだろう、と善意で考えて、革命を起こす。が、結果、うまくいかず、恐怖政治になっていく。
一方、人間の社会には単一の正解はないと考えれば、人間の自由が尊重された社会となる。(違う意見には、ちょっとイライラすることもあるでしょうけど)
ちょっと単純化しすぎているかもだけど、ドラッカーもアーレントも、アメリカ革命とフランス革命を比較することを通じて、こんな感じの結論にたどり着いている。
あと、フランス革命やロシア革命が、理性主義、啓蒙主義から生じて、恐怖政治になったという流れは分かり易すく、アーレントも同様の理解をしているところ。が、ナチも理性主義から出てきているというドラッカーの見解は、かなり驚き。
ナチといえば、大衆のプロパガンダがイメージされて、反理性主義という感じなんだけど、これは、心理学とか、生物学とか、つまり、身体や心を科学的に取り扱うところからでてきているということ。このへんのところは、なるほどと思うところと「?」が残ることなのだけど、いずれにせよ思考を活性化させる本ですね。
強引にまとめると、
・社会経済が産業化して、生産の自動化、大量化、効率化が進むことによって、人間の仕事の単純化や失業の増加が生じる。これらによって、いわゆる「疎外」が生じて、人間は社会における位置づけを失う。(ここまで、マルクス、アーレント、ドラッカーは同じ見解)
・しかしながら、この状態を一つの正しい理論で合理的に解決することはできない。それは全体主義、恐怖政治につながる。社会の基盤は、人間の不完全性、多数性にもとづくことが必要である。(ここまで、アーレントとドラッカーは同じ見解)
・すでに生じている産業化から昔に後戻りすることはできない。全体主義社会は、産業化の問題を、戦争という目的にむかって、統合、解決したが、これは普遍的な解決にはなりえない。産業社会を運営するポジティブな目的が必要である。そして、その解決策は、今、存在するものを活用してやっていくしかない。(これから全く新しいツールをつくることはできない)経済的利益中心の世界から人間中心の世界に変革し、人間に社会的な目的とポジションを与えていく鍵は、企業である。つまり、企業のコミュニティ化が必要である。(ドラッカーの見解)
お〜、これは「学習する組織」の考えと一緒ではないか。そして、「強み」にフォーカスするポジティブアプローチにも通じるかも。
あと、ドラッカーがマネジメント関係の本で、利益は企業存続の条件であるが、目的ではない。企業は社会、顧客に価値を提供する、貢献する存在である、という考えをよく書いているけど、その背景の思想がクリアになった感じ。
つまり、ドラッカーは、その後の経営学を先取る概念を次々と出しているのだけど、その目的は、企業が競争優位を築くことではなく、企業が人間的な社会に貢献できることだったんだ!!!
自分のやっていることが、なんか壮大な歴史的なパースペクティブのなかで、意味が通じた感じ。 -
Posted by ブクログ
チェンジリーダーの条件
ドラッカーの入門書は読んだことがあったが、実際に読んでみるのは初めてであった。
自分自身、今年の前半は自分の所属する部活の運営面に携わることが多く、以前入門書を読んだ時よりもヴィヴィッドにイメージすることが出来た。ドラッカーがいうには、組織はそれが生み出したもの、それが外部に与えた影響によってはじめて認知できる。影響を受けることや影響を与えることなど、徹底的に外部を意識した姿勢は共感できる。バレーボールなど、球技のパスの良し悪しの評価は徹底的に受け手が決めるものであるという自分のポリシーに通ずるものがある。以下、書評ではなく、(自分のために書いた)要約である。2600文字とレポートがかけそうなくらい書いてしまった。。。。
マネジメントが果たすべき三つの役割は使命を果たす、働く人を活かす、社会的責任を果たすである。働く人を活かすためには、仕事を人に合わせなければならない。仕事の棚卸は大変でこそあるがそれだけではいけない。棚卸し、分けた仕事を働く人に再適合させなければならない。これが出来なければ意味がない。
そして、マネジメントが事業を成功させるためには、事業を定義する必要がある。そして、「事業とはなにか」を問うとき、それは「顧客は誰か」という問いと同義である。なぜなら、企業の目的は顧客の創造であるからである。顧客の創造にはマーケティングとイノベーションが必要であり、顧客を知ることがマーケティングであり、顧客に新たな価値を提示することがイノベーションである。マーケティングとイノベーションによる顧客の創造が事業の使命である。
マネジメントは目標を具体化しなければならない。目標とは事業の基本戦略であり、行動のための動機づけ、基準であり、基準は資源の集中に必要である。
事業を定義するためには、3つの前提を考えなければならない。第一は外部環境としての市場(組織が何によって対価を得るか)である。そして、第二に自らの目的と使命(組織が何を意味ある成果とみなすか)、第三に自らの強みと弱み(リーダーシップを発揮するためにはいかなる分野で抜きんでなければならないか)である。
定義は4つの条件を満たさなければならない。第一に、環境、使命、強みについての前提が現実に適合しなければならない。第二に事業の定義に関する三つの前提は互いに整合性を持たなければならない。第三に事業の定義は組織に周知徹底しなければならない。定義は規律であり、行動指針であり、慣習となる。第四に事業の定義は絶えず検証していかなければならない。自己変革の能力を定義には組み込まなければならない。
定義は必ず陳腐化するため、組織的・構造的に検証しなおさなければならない。陳腐化を防ぐためには、常に外部を見なければならない。変化の兆候はまず外部に現れる。定義を感が押さなければならないときは、目標が達成されたとき、予期せぬ成功があったとき、予期せぬ失敗があったときである。大事なことは常に問題意識を持ち続けることである。
自分の属する組織(体育会の部活)に良くあてはまるものは成功しているNPOの分析であった。これは金言の集まりである。
給料のでないNPOをマネジメントするのに必要なことは、使命をもつことである。使命をもつためには、外部に目を向ける。一流のNPOは組織が成功しているかを確認するために外の世界に目を向ける。いかなる変化を外に起こすことを成果とするかを明らかにし、そこに焦点を合わせなければならない。使命の定義が外を向いていることは、使命が陳腐化せず革新的なアイデアを生むことと関連している。成功している多くのNPOは理事会がうまく機能している。理事会は、事前に設定された基準に照らし合わせ、自らの仕事ぶりを評価してくれる機関である。理事会は多くの場合、パトロンであり、部活でいえば、OBOG会がそれにあたると考える。理事会はCEOと構造的に対立する。なぜなら、すでに言ったように資金力において実権を握っていること、そして理事会自体がそのNPOに長年勤め、仕事に詳しいことである。(OBOG会と全く一緒)必要な認識は、CEO(主将・主務)と理事会(OBOG会)は共通の目的を持ち、異なる役割を持つ仲間であるということだ。そして、CEOと理事会それぞれの役割を明らかにすることはCEOの責任である。理事会を有効なものにするためには、その仕事をCEOの側から組織化することである。(これがなかなか難しそう)次は、内部のマネジメントである。NPOの人々は、無給であるために満足を求める。組織が彼らを引き付け、とどまらせるには彼らの能力や知識を活用しなければならない。意義ある成果を与える機会を提供しなければならない。そのためには、古参スタッフ(先輩)が彼ら新人と面接し、強みや適切な仕事を分析し、責任を与えなければならない。そして、新人には目標を達成するために一緒に働く助言者や監督者をつけるべきである。(チーム制・責任者―実務者制)彼らが求めているものは第一に活動の源泉となる明確な使命であり、第二に訓練であり、第三に責任である。特に、自らが目標を検討し、設定する責任を与えられることである。マネジメントはこの三つを与えなければならない。やりがいある職場環境を作るためには、使命を明らかにし、人材を的確に配置し、継続して学習をほどこし、目標によるマネジメントを行い、要求水準を高くし、責任をそれに見合うものにし、自らの仕事ぶりと成果に責任を持たせることである。
もう一つ、重要であるように考えたところは、目標と自己管理によるマネジメントである。成員は明確な目標を持つ必要があり、それらの目標は自らの部門が生み出すべき成果を明らかにしなければならない。他の部門を助けるために、自ら自らの部門が期待されている貢献を明らかにしなければならない。そして、自らの目標を達成する上で、他の部門からいかなる貢献を期待できるかを明らかにしなければならない。一人一人の目標は長期と短期の観点から明らかにすることが必要であり、事業上の定量化できる目標と共に定量化できない目標も含むことが必要である。目標は好みである、組織のニーズから始めるべきであり、「自らになにが求められ、それがなぜであるか」と「自らの成果は何によって評価されるか」を知り、理解しなければならない。マネジメントは共通の目的への方向付けだけでなく、間違った方向付けをしないかを常に検査しなければならない。
以上 -
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ドラッカーのすごさが詰まった本だと思う。
ドラッカーと聞くと、大抵の人は「ああ、マネジメントを開発した人でしょ」「ビジネス書の大家だよね」と言った返事が返ってくる。とんでもない。
ドラッカーは「人が幸せに生きるためにはどうすればいいのか?」を常に考えながら、人や社会全体を鋭い視点で洞察し続けた人だ。
これからの社会を見通したうえで「これから我々人類は、何を考え、どのように生きていくのがよいのか」を考えた結果として生み出したのが、マネジメントやイノベーションと言った概念達なのだ。この順番を決して間違えてはいけない。
第二次正解大戦前にナチスに真摯に対峙し、ナチスの本質の見抜いたこと。戦後アメリカにわたり、これからの人々の幸せのために「組織」の質を上げることが不可欠であると見抜いたこと。「組織」とは営利組織だけではなく、21世紀はむしろNPOが人々の幸せに貢献する時代になると予言したこと。
上記はすべてビジネスの枠に囚われていては決してできないことだろう。人類全体を包括する視点で物事を考えてこそ、初めてできることだと思う。 -
Posted by ブクログ
ドラッカーのイノベーション論の集大成として知られる本書は1985年に出版されたものだが、30年以上経ってから読んでも学ぶべきところが多い。クレイトン・クリステンセンの「破壊的イノベーション論」、ジェフリー・ムーアの「キャズム理論」もその原型となる考え方は本書で既に述べられている。
名著と謳われ、既に古典となりつつある本書ではあるが、第1部「イノベーションの方法」に論じられている「イノベーションの7つの機会」については、いまだに重要性を認識していない企業が多いのではないだろうか。7つの機会のうち誰もが注目する「新しい知識の出現」についてはドラッカーは最もリスクが高いと指摘し、誰もが見過ごしがちな「予期せぬこと」を積極的に活用せよと説く。もし、ドラッカーの指摘を忠実に実践していれば、苦境に陥らずに済んだ企業も多かったに違いない。
第2、3部で論じられている「企業家精神」、「企業家戦略」にも現代の経営理論の原点となった考え方が散りばめられており、経営理論に精通した人にとっても、初学者にとっても有益だろう。
昨今のイノベーションブーム(?)の影響を受けたせいか、2015年に本書のエッセンシャル版も出版されている。こちらは内容を確認していないが、本書よりもページ数がやや少ない程度のようなので、個人的には本書の方をお勧めしたい。 -
Posted by ブクログ
新進気鋭のコンサルタントでもなく、カリスマ経営者でもなく、「学者」であるドラッカーが語るイノベーションは、はっきり言って全くワクワク感がありません。
本人も言っている通り、それまでどこか神秘的な、ひらめきというか、偶然の産物のように語られていたイノベーションを、マネジメントの目的として理論化してしまったわけですから、堅くて堅くて当然ワクワク感はありません。
しかし世の経営者の多くがこの本(1985年出版のほう)を座右の書としていることから分かるように、イノベーションを神秘的な事柄からマネジメントという現実の産物に引き下ろしたドラッカーの取り組みは、たくさんの経営者を奮い立たせたことでしょう。
イノベーションの7つの機会として、ドラッカーはリスクが少なく実現可能性の高いものから優先順位をつけて語ります。最初に出てくる機会のまあなんと地味なこと。反対に新たな技術や発明に基づく一見華々しいイノベーションには、多大な時間や戦略、マネジメントを必要とすると、優先順位のお尻に持ってきて、警告します。
本書の中では、既存企業や公共機関、ベンチャーにとっても必要な心構えが説かれているのですが、書かれた内容から、つい最近著された本のように錯覚します。これが今から30年も前、インターネットも無かった1985年に書かれたことが驚きです。90年代末のネットバブルやえせイノベーション流行りの現代を見事に予見した内容で、ドラッカーが預言者と言われる所以や、時代がドラッカーに追いついたと言われる理由がよーく分かります。
彼によって書かれている一つひとつの条件は、決して難しいことではありません。ただそれを意識して普段から準備しているかどうかの違いだと思いました。彼の語る多くの企業が見過ごしている事柄を敏感に拾い上げ、より多くの顧客、新しい市場を創造し、働く人の「居場所」を確保したいものです。 -
Posted by ブクログ
タイトルには「非営利組織」とあるものの、内容については一般的な営利組織においても有用な事が多かったと感じた。
そもそも営利か非営利かということは、人間が行う組織活動の目的ではなく、あくまでも要素の一つに過ぎないということなのだろう。
いわゆる地域団体やNPO、自治体組織等をイメージして読み進めたが、規模の大小は問わず複数の人間が集まって形成される組織というものについて、改めて考えるきっかけとなった。
また個人的ではあるが、私の勤務するインフラ業界は事業形態としてバリューチェーンが長大になるため、その企業にとっての営利活動が見えにくい内部のセクションが多くある。そのようなセクションには、むしろ非営利組織に近いマネジメントが有効になるのだろうとも感じた。その点でも読み進めた価値があった本だと思う。