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アインシュタインだってエジソンだって、学校の成績は下から数えたほうが早かった。 学校の枠からはみ出して、いつも余計なことを考えていた。だから、世界を変えるような 理論や発明を生み出せたのですね。 学校の勉強がよくできるタイプの人は、「答えのある問題」の正解をすばやくみつける ことに慣れすぎているのかもしれない。学校ではほめられる。でもそういう能力は、「答 えのない問題」でいっぱいの実社会では、じつはあまり役に立ちません。上司からふられ た仕事を要領よく終わらせることはできるかもしれない。でも、斬新なアイデアを出すこ とは難しい。 そもそも世の中には、「答えのない問題」のほうが、ずっと多い。およそ問題は、答え がない、と覚悟しなければいけない。
マルクス経済学は、たったひとつの「正解」があると考えました。それに、疑問符がつ けられました。この疑問が力をもてば、マルクス経済学の基礎が崩れます。そこで、ソ連 は崩壊してしまった。 中国は、ソ連の影響で社会主義国家となり、共産党の一党独裁を続けています。でも経 は、資本主義になっている。マルクス経済学はやめてしまった。だか。 党かどうかよくわからない。
戦後、朝日新聞は、これを深く反省した。そこで、つとめて良心的な新聞になのだので す。何かにつけ政府に噛み付くのは、それはそれでバイアスではある。 これは責められるべきものではない。各紙に「編集方針」があるでしょう。朝日には朝 日の、読売には読売の編集方針。それだってバイアスです。 そこで当然、何が紙面に書かれているかにはずいぶんと違いが出てくる。 つまり、新聞に書かれているものは「事実」ではあるが、それをどう報じるか、どう評 価するかには、各社それぞれの考え(バイアス)がある。そう思って新聞に接するのが正 しい姿勢です。 たとえば朝日新聞。良心的な紙面づくりで、信頼をえている全国紙です。 その朝日新聞が、戦前は、戦争行け行けドンドンの新聞だった。戦争の旗振り役だっ た。今からは想像もつきませんけれど。 まあ、朝日だけでなく、当時の新聞はおしなべてそうだった。
本は基本的に、一人の著者が書いている。ということは、その本は、その著者のバイア スに従って書かれていると思って読むのが正しい。個性的な本に、どんなバイアスがある かを発見することが、読書の醍醐味のひとつと言ってもいいでしょう。 いろんな本を読むごとに、いろんなバイアスを知っていく。こんなバイアス、あんなバ イアス、⋯。完全にバイアスフリーになることはできないけれども、いろんなバイアスを 知れば知るほど、いろんなものの見方ができるようになって、そこから自分なりの考え方
歴史は、大事です。 自分が生まれるまえの出来事について知らないと、自分の家族や、大事な人たちのこと がわからない。自分たちが生まれる前の出来事について知らないと、この社会のなりたち ほの世代の人びとがどんな苦労をしたのか、わからない
過去のことがらは、多すぎる。細かすぎる。すべてを語ることなどできない。すべてを 知ることなどできない。だから、大事なことを語る。当時の人びとにとって大事なことを 語り、いまの人びとにとって大事なことを語る。 すると、政治が大事です。政治は、その時代の人びと全体に関わることを、決めるから 。
文学とは何かというと、人間の心の機微や人生の奥深さを描くものでした。 主人公がいて、そのほかの人物がいて、何か出来事が起こって、物語が進んでいく、と いうのはロールプレイングゲームに似ているけれども、ゲームには人間の内面が描かれて いない。描かれていたとしても、キャラクターがワンパターンだ。 その点、文学はフィクションだけれど、そこに描かれている人間の姿、心の動きや行動 は実社会のそれとおなじです。だから文学は、人間というものを、その本質から理解する 手助けになる。
そうなると、相手を理解するためには何かしら「補助線」が必要だ。数学の図形問題で は、補助線一本引いただけで答えが見えてくることがありますね。それと似た役割を、人 間関係において果たすのが文学なんです。
本の学びを深めるために大事なのは、正解はなんだろうか、でなく、自分はどう読む か。そして、ひとはどう読むだろうかと、ほかの解釈に関心を持ち、それを突き合わせる ことです。ほかの読み方に触れると、そうか、自分の読み方と違うのか、と軌道修正する こともある。なるほど、そういう視点を加えることもできるのかと、自分の読み方が発展 することもある。 こういう試行錯誤の繰り返しが、本の学びを深めることなのです。
速く読む必要なんてない 学びの基本は「本による学び」です。 人に学ぶ、ネットを駆使して学ぶ、などもありますが、まず、本を読まないで「学ぶ は始まりません。 ところが、読書が苦手です、というひとがよくいる。 どうしたらよいでしょう。 まず、読書(とくに、大人になってからの読書)と、学校の勉強とは、まったく別物だ とわかってください。教科書もない。誰に言われるでもない。ただ自分の興味で、読みた いから読む。いやなら、読まない。宿題もない。作文もない。テストもない。まったくの 自由。それが、大人の読書です。
実用書は、教養書ではありません。 実用書は、すぐ役に立つ。教養書は、いつ何の役に立つのか、まるではっきりしない。 教養書は、読むために読む本なのですね。 ということは、教養書は、読んで楽しく、面白いほうがいい。面白くない本は、続かな い。ほかのひとが何と言おうが、自分が楽しく、面白く読めることが大事です。よって、 楽しくも面白くもない本は、読まなくていい! これが、結論です。 でもちょっと、フォローしておこう。 どんな本を「楽しくて面白い」と思うかは、年齢とともに、そして、読書の経験ととも に、変化して行きます。子どものころ食べられなかったピーマンやニンジンが大きくなっ て食べられるように、昔だめだった本が、なんだ、こんなに面白いのか、と思うことがあ るのです。だから、あきらめないように。
もうひとつは、いろいろな分野の本を読む。本は、食べ物の栄養と同じで、パランスが あるのです。文学、歴史、哲学、美術、⋯。科学、ノンフィクション、伝記、⋯。ライフ スタイル、ファッション、子育て、⋯。どの分野にも、よい本がいっぱいです。 それから、逆のようだが、ある方向を掘り下げる。哲学の本をいろいろ読むとか、特定 の著者をまとめ読みするとか。興味の向くままに、深追いします。 そうなると次第に、本を読む動機が「そこに書かれていることによってプラスを得たい
教養を正しく学ぶ 教養の3条件 教養を学ぶのには、目の前の目的がない。「この問題を解決するので、この本を読む」 というものではない。とにかく、何でも読む、何でも知る、のが教養かもしれない。 だからと言って、巨大な教養の森にいきなり分け入るのは、無謀というものです。 では、どうしたらいい?道しるべが必要です。ポイントは3つ。これを、今後のガイ ドにするといいでしょう。 1、バランスよく学ぶ 2、「ほんもの」に触れる 3、納得して、楽しむ
教養に触れるのは、まず、楽しいから。楽しいから学んでいるうちに、結果的に、答え のない問題に自分なりの答えを出す準備が整うのです。要するに教養は、どこまでも自分 のもの。自分が納得して、楽しめれば、それでいいものなんです。 ちょっと教養がついたかな、と思うと、そのことを誰かに認めてもらいたい、という心 理になるひとがいます。けれどもそれは、やめておこう。みっともない。それに、その程 度ではまだまだ教養が足りないことは、まる見えです。教養は自然ににじみ出るもの。そ うでなければ尊敬されません。