橋爪大三郎のレビュー一覧
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【未知満ちた国の成り立ち】『不思議なキリスト教』でも対談を行った東京工業大学名誉教授の橋爪大三郎と社会学者の大澤真幸が,ずばりアメリカをテーマとして対談した作品。知っているようで知らないその国の根幹を,キリスト教やプラグマティズムを軸として語り明かしていきます。
あとがきに記されているとおり,アメリカの「急所」を知る上で大変参考になる一冊だと思います。目に見えないものとしてどうしても取っ付きづらさが伴う宗教・哲学面に光を当てることで,多くの方にとって新鮮なアメリカ像が浮かんでくるのではないかと思います。
~プラグマティズムは、宗教のことを考えている。さまざまなキリスト教の宗派(教会)と自然科学とを考え、これが調和し共存する、アメリカという空間をどう設計すればよいかと考えているのです。それは、宗教であって宗教でなく、哲学であって哲学でなく、科学であって科学でない。ひとつのアメリカ的生き方の提案なんです。~
対談ものは言葉が読みやすいのも☆5つ -
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アメリカ合衆国は物理的な距離が遠い国にもかかわらず、日本国内あっては存在が水や空気のように当たり前の存在である。だから、DA PUMPがUSAを熱唱していることについて、誰も違和感を覚えない。しかし本書は日本が普段意識しないアメリカ像を啓蒙している。
日本人は宗教心の深化と世俗法の発展は背反することのように捉えがちだ。しかし、個人の信仰と他者の信仰の緊張関係があればこそ、仲裁者としての世俗法が重視される。自己にとっての信仰心は、他者の視点で社会化されると良心と呼ばれるものである。
経済的成功者の寄付行為について、本書では宗教的な脅迫観念の裏返しだというが、意味がよくわからない。ウェーバーのプロ倫的な考えとも少し違うらしい。日本でいう寺社における賽銭みたいなものだろうか。信じてないけど習慣づいているみたいな。
プラグマティズムは、多様な価値観それぞれをつなぐ廊下のようなものだという。廊下の色は解釈により異なる。意外にもカントの実践理性からの派生していることが指摘されている。
対米従属についてのスタンスに対談する両者の間でグラデーションがある。大澤は、対米従属の嫌悪感を述べて現状否定を繰り返す。現状に不満がありつつも、根本解決の方法の提示には歯切れの悪いリベラルっぽさがでている。
橋爪は、政治、軍事、外交を自力で判断することの重要性を説き、保守特有の論理的帰結を明確にする。対談のため、よりはっきり両者の違いが出ている。
そんな両者であるが、いわゆる永続敗戦の体制への批判は共通している。そして多くの人々が永続敗戦の体制に違和感を感じないことも嘆いている。現代の我々が1941年の末裔であることについて、対談の両者とも肯定できないという。そして、その1941年の末裔を破ったアメリカ支配も肯定できずにいる。
しかし、DA PUMPのUSAを空気とした心情を持った大多数の人々はそんなことを考える必要性を感じていない。つまり、1941年の末裔であることを肯定するとともに、戦後のアメリカ支配をも肯定しているのではないか。それは、明治維新の末裔であることを肯定することと同じように、また、戦後の平和で豊かな時代を謳歌した20世紀後半の末裔であることを肯定することと同じように。
現代に影響をおよぼしている近代日本の様々な出来事のうち、アメリカ支配をことさら否定するイデオロギー的な理由がうすれている。現在に影響をもつ出来事のひとつとして、すっかり歴史化されているのかもしれない。 -
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タイトルにあるほど『だめだし』はされていないが、やはり橋本氏と橋爪氏の日本語に対するスタンスの違いが際立つ対談になっている。どちらが正しいというものでもないだろうが、自分としては橋本氏の『複雑なものは複雑なまま理解すべき』というスタンスの方に共感する。
この対談で何か結論めいたものを期待する向きにとっては期待外れに終わるが、日本語の成り立ちにまつわる雑多な知識、トリビアを学ぶ目的には持ってこいである。大いに楽しめた。特に日本語は音が基本の話し言葉と、漢文をベースにした書き言葉が2重螺旋のように絡み合いながら発展してきたとの解説には目から鱗が落ちた。
それにしても橋本氏は頭の回転が速いだけではなく、歴史や文化、風俗に関する造詣にも深くて(良い意味で)あきれた。 -
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201605/
経済の専門家は、データやモデルをいじくるばかりで、未来を語ることを忘れている。政治のプロは、将来のビジョンを語るパワーを失っている。人びとは、ソーシャルメディアのじょうほうの洪水に溺れている。データや情報は、過去に何が起こったかを教えるだけの、足かせになっている。専門知識は、これまでのパターンに思考を閉じ込める、思考停止の言い訳になっている。誰もが、自分の目で未来を見ることをができるのを忘れている。いま必要なのは、これからこうしたい、こうすべきだ、という構想である。提案である。勇気である。/
アップルのスティーブ・ジョブスが、マーケティングなんか、私は関心ないとのべた。マーケティングは、消費者に「いま、何が欲しいですか」と質問して、売れそうな商品をつくること。消費者に質問して、それを追いかける時点で、時代に遅れている。ほんとうに新しいアイディアは、消費者も気がつかない、その先にある。それをあなたは、まず考えなさい。そう、言いたかったのではないか。/
外国人労働者受け入れ積極派と、受け入れ慎重派。この論争は、いまのかたちでいくら議論しても、決着がつかないと思う。それは、積極派も慎重派も、日本の経済や社会についてのプラス、マイナスばかり議論していて、日本にやってくる外国人の、当事者の立場にたっていないからだ。/
日本はとてもまずいことになっている。経済が落ち込んだせいだと、人びとは思っている。わたしの見方は違う。それは、経済以外のことを考える力が、衰えたせいである。江戸時代の日本人は真剣に、政治や道徳や国防のことを考えた。明治になってもその伝統が残っていた。けれども戦後、人びとは、そういうことは後回しでよい。経済のことばかり考えて何がわるい、と居直るようになった。その結果、外交や軍事が苦手になった。政治が稚拙になった。哲学ができなくなった。言論で他者とぶつかりあい、言葉で公共の場を組み立てることが出来なくなった。経済がどこへ向かうべきか、言葉で提案し、ビジョンを共有できなければ、日本は足踏みを続けるほかはない。経済が落ち込んでいるだけではない。もっと不快ところで、日本社会は深刻な病気になっているのである。この病気が、すぐよくなる特効薬はない。一歩一歩、足慣らしをして、前に進むしかない。 -
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中国はすぐ隣にあり、歴史的にも深いつながりがあるのに、実の姿をほとんど知らないし、謎に思う側面が多い。でもこの本を読んで、おぼろげながらも全体が見えた気になった。
そもそも中国とは国家なのか。二千年以上前に統一され、トップが変わってもあれだけ広い土地と国民が、漢字の表記は一緒でも発音は様々というのに、長く国家という認識をもっているのは外からは不思議なことに見える。だがこれが中国の人々には不思議ではないことを理解しないと、中国がわからない。政治的統一を第一に考えること、中華思想や幇、儒教の考え方を知らなければいけない。
そうして少しずつ歴史と考え方を紐解くと、なぜ歴史問題でこれだけすれ違いが生じてきたのかが薄っすら見えてくる。
中国と日本との間にあった文脈、日本が伝統的にどう見られていたのか、日本が大東亜戦争と言いながら矛盾した態度をとっていたことがどう見られていたのか、暗黙の了解的なものにより、本来戦争や靖国神社、尖閣諸島をどうすり合わせしていたのかが分断されてしまい、現在のようになってしまったのではないか。
色々な困難も感じるが、中国の人びとの考え方などへのスケールの大きさも感動する。とても面白い国だ。尊敬する。こんなに合理的な選択をする人たちには日本はそうそう勝てない。共産党一党独裁は続くのか、というセコイ話では、きっと理解が及ばないのだろう。
日本は中国を嫌うムードになってしまっているが、それよりもまずは中国をもっと知ることが必要ではないかと思った。