無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
旧約聖書から、創世記、出エジプト記、申命記、
新訳聖書から、マルコ福音書、ローマ人への手紙、ヨハネ黙示録、の6つに絞った聖書講義録。
申命記の講義中のユダヤの律法に関する説明が滅法面白い。
• 隣人の畑《あなたが隣人の葡萄畑に入るとき、あなたは思う存分葡萄を飽きるまで食べてもよい。しかし、あなたの器のなかに取り入れてはならない。隣人の麦畑に入るとき、あなたはあなたの手で麦の穂を摘んで食べてもよい。しかし鎌を入れてはならない。》
• 挽臼質入れの禁止《挽臼、あるいは上石を質にとることがあってはならない。それは生命を質にとることになるからである。》
前者は、生存権の原型であり、後者は、年金債権を差し押さえてはならない、という現代ルールの原型と思われ、ユダヤ教のコンセプトはキリスト教を経由して、近代西洋ルールとして受け継がれているんだなあ、と感心した。
Posted by ブクログ
本書は、著者の『聖書』に関する連続講義を本にまとめたものである。比較的生徒とからの質問を講義途中で受ける形になっていてインタラクティブな感じで進められる。多くの書物からなる聖書の構成から出来上がった経緯、それぞれの内容と相互関係などをやさしく説明した本である。
【概要】
取上げられるのは、旧約聖書から『創世記』、『出エジプト記』、『申命記』新約聖書から『マルコ福音書』、『ローマ人への手紙』、『ヨハネ黙示録』 の六つの書物。これらの内容を生ととのやりとりの形で説明することで、聖書全体の構成や位置づけなどを解説していく。
まず、『創世記』は、「光あれ」から始まる世界創生の物語。原罪の概念のもとになったエデンの園追放の物語やカインとアベルの話、ノアの箱舟の話、アブラハムとその息子イサクの話、イスラエルの民とヤコブ・ヨセフの話もここに含まれる。
『出エジプト記』は、エジプトから出立してイスラエルに入植する物語。紅海が割れて道ができる話もここに書かれている。著者はこれらの話をフィクションとし、モーセも実在の人物ではなかったのではないかという。それはそうだろう。モーセがシナイ山で聞く十戒もここに記されている。これらの戒律が西洋社会に受け継がれてきたことは、現代社会の成り立ちを語る上では結果として重要であった。
『申命記』は、多くの従うべき律法について記載したもので、偶像崇拝禁止、食生活、婚姻、民法、刑法、戦争など細かい規定が明文化されている。これもまた多くの影響を後世に与えた。
新約聖書の『マルコ福音書』は複数ある福音書のひとつで、イエスの物語である。有名な最後の晩餐、ペテロの躓き、十字架と復活、など有名な話がここに含まれている。
『ローマ人への手紙』は、パウロの書いた書簡のひとつ。パウロは実在の人物で、ユダヤ教からキリスト教に回心し、この『ローマ人への手紙』を含めて『コリント人への手紙』など多くの書簡を実際に書いたと言われる。パウロにより、ユダヤ教の律法よりも隣人愛などのイエスの教えを上に置かれた。彼により人類の罪を背負ってイエスが十字架にかかって贖ったという贖罪論など普遍宗教としてのキリスト教の理論が確立されたとも言える。
『ヨハネ黙示録』は、最後の審判について書かれたもの。キリスト教の終末観を形作ったと言える。
【所感】
隣人愛、原罪、復活、最後の審判などキリスト教の教義や物語については常識の範囲では知っていたが、聖書の構造やそこでのキリスト教の教義の取り扱いに関してはほとんど知識がなかったので、勉強にはなった。
現代において非キリスト教徒として一般人が聖書について考えるとき、いくつかの観点があると思う。
① 現代のキリスト教徒にとって聖書の記載
もはや聖書の内容を真正であり、いつ何時でも従うべきものとして信じることは、キリスト教信者にとっても誠実に考えれば考えるほど難しくなると思われる。もちろん、進化論を教えることを禁止しようとするアメリカの少し信じるのが難しい主張を起こす人がいることなどは知っているが、進化論の話はそのことを端的に表しているに過ぎない。そのことは改めて本書を読んでも感じることである。著者もモーセは実在の人物ではなく『出エジプト記』はフィクションであると語っている。
すでに欧州ではキリスト教を信じる人は世代を経るに従い少なくなり、日曜にミサに出かける人は少なくなっているという。そういった世界において西洋社会での行動原理を類推するにあたって聖書に何がどのように書かれているのかを知っておくことは有益だと考える。
② 西洋社会への聖書の歴史的影響を知る
西洋社会を今あるものに形作ることとなったベースにキリスト教の影響は大きい。その西洋社会キリスト教徒のテキストとしての聖書を理解するために聖書を理解することは重要だと思う。
ユダヤ教は、著者が書くように一神教の起源である。またその神を信仰することでイスラエルの民に加わることができるという普遍宗教の素地が聖書の中に含まれている。旧約聖書の律法やそれをベースとしながらも愛や信仰に重きを置くことで普遍宗教化したキリスト教の作りを理解することは、宗教としてのキリスト教の影響力が小さくなった後も、近代人の行動や思考の基盤としてのキリスト教の影響を理解することはまた有益だと考える。
個人的には、キリスト教に限らずもはや宗教的なものを信じることができないと考えている。それは選択の問題ではなく、能力や可能性の問題である。そうであったとしても、もしくはそうであるからこそ、宗教とは何かを理解することは重要だろう。タイトルの『教養としての聖書』というのはそういうことだと思う。本書は少し踏み込んで旧約聖書と新約聖書の内容を理解するのに役立つ、ちょうどいい本だったかもしれない。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
ビジネス・実用
試し読み
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
小説・文芸