立花隆のレビュー一覧
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田中真紀子を描く本。2005年。田中真紀子研究という単行本が、文庫化するにあたり本タイトルとなった。旧タイトルどおりに序章と結末では田中真紀子をメインに話を進めているものの、中盤のほとんどの部分では父である田中角栄を中心にストーリーを展開している。良くも悪くも父親の影響を受けている娘について語るときに、このような展開になるのは当然であり、タイトルを変更しているのにも納得する。金権政治を壮大なスケールで確立した角栄の政治手法を、真紀子が前面から否定している点が面白い。彼女の主張する政策はごくごくまっとうなものが多く、角栄の築いた土壌に慣らされている旧来の政治家たちは真紀子の主張を受け入れない。こ
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職選び、人生の歩み方に参考になる本。
平凡な職業を選ばず、自分の選択で手に特別な技術を身につけた人たちが紹介されている。紹介されている人たちに共通する点は、発想が非凡で、それを開花させるべく突き進んでいる点である。その道を極めようと思ったら、その道の最も優れた人や土地を訪ねている。その過程には、経済的なハングリー精神が見られる。
<エピローグより>
自分の人生を自分以外の何者かに賭けてしまう人がどれほど多いことか。他者の側に自分の人生を賭ける人が世の大半である。
自分の人生を自分に賭けられるようになるまでは、それに相応しい自分を作るために、自分を鍛えぬくプロセスが必要なのだ。それは必ずし -
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全三巻中の二巻。白眉とされているリンチ事件の記述などなど。別に僕は日本共産党やマルクス主義自体というよりもそれらの歴史的経緯、さらには歴史の"おおまかな"構造、そしてそこから何を自分の糧にできるかということに興味があるのでリンチ事件は別にどうでもよかった。内ゲバの一種としてね、理解して。それよりもラディカルな転向というものの重さ、人間らしさ、合理性、非合理性云々。うまく表現できない。人間が変わるということ、それは僕の中では重たく、理解しきれていない。転向と聞いて思い返すのは自己の変遷以外では遠藤周作の「沈黙」ぐらいだ。自分がラディカルに変わってきたこと、それに対応するものが
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戦前は組織としてぐだぐだ、戦後は二枚舌。1975年時点での日本共産党を断罪するために書かれた本。この巻では日本共産党の戦前の歴史について莫大な資料(と筆者自身が書くのはどうかとは思うが)をもとにして書かれている。
ぐだぐだと書いたが、それは組織運営自体のことである。リンチによる党員殺害、粛清の嵐など局所局所を見ていくとオゾマシイ暴走しているのが戦前の日本共産党なのである。戦後はそれを隠ぺいし、生き残るために社会に適合したふりをしているのであろう、などなどのイメージは立花隆の文章のうまさに騙されているだけだと云う人もあるかもしれない。確かにそのようなところはある。立花隆が自身、もしくは自己の職 -
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私は、『臨死体験研究読本―脳内幻覚説を徹底検証』を書くにあたって立花隆氏のこの本から、とくにその豊富なデータから多くを学んだ。その意味で、この本 が出版されていなければ、私自身が自分の研究をまとめることができたかどうか疑 わしいと思うほどだ。
立花氏の本を読んで何よりも感銘を受けたのは、「脳内現象」説にも「死後生命」 説にも偏らず、ジャーナリストの目で両者の説をあくまでも公平に、事実に即して 徹底的に追っていく姿勢だった。多くの研究者は、どちらかの説に傾いて、その立場に有利な事実や理論を集めて、不利な事実や理論は無視したり歪めたりする。こ れは人間の性(さが)だろう。
しかし立花氏のこ -
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文字通り東大生(特に法学部生)を「バカ」だと言い切る著者。では何を持って「バカ」だと断じているのか。それは「教養がないから」だと言う。では「教養」とは何なのか、そしてなぜ「教養」と身につけなければいけないのか。現代社会を生きていくために必要な能力は、試験問題のように与えられた課題にこなすことではない。自分で問題を発見し、自分で調べ、自分で表現・発信する力が必要なのだ。単に東大法学部を叩いて面白がっている本ではない。これは日本式受験勉強に染まった我々全員に当てはまることなのだ。知的亡国論を唱え、日本の将来を真剣に憂える筆者渾身の「教養論」。まずは「調べて・書く」ことから始めよう。
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100冊目の更新が終わったので今の自分に大きな影響を与えた1冊を。いわゆるターニングポイントになった出会いです。
大学入試が終わった2004年3月の春休みにふと本屋でタイトルに惹かれて買ったのが本書でした。当時は立花隆さんがどんな人かも知りませんでした。
読んで驚いたのは今、教養というものが大学の場から崩壊しているだけでなく人々からも失われつつあるということ。そして自分がいかにものを知らずにここまで来たのかということを思い知ることになりました。立花さんは教養というのを次世代に受け継いでいくべき知の総体という風に定義していました。
この本は自体は2001年に単行本としてだされていたの -
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立花さんが、入社してから現在までに読んだ本を大量に紹介している本。しかも凄く読みやすい。この中に自分が読みたい本が必ず見つかるはず。
ノンフィクションしか読まないという著者。私も殆どがノンフィクション中心なので、その点は共通している。しかし違う点は、私は千円台の本に対して、本書で紹介している本は三千円台の本が殆どを占めている。
はやりこれからは、内容のあるきちんとした本を読み、知恵をつけなくてはいけないと感じた。この本をきっかけに、私が読む本の方向性が少し変わってくるのではないか。いやそうなりたい。
本書の中で、まず読んでみたいと思った本は、
・『ヒトラー・コード』
・『 -
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東大なんて私には足元にも及びませんが、その東大生(特に法学部生)が無教養なバカになっていると立花氏は指摘します。自分から自発的に学べない詰め込み秀才はいつの時代も少数派だったが、現在ではそのような人間が多数派になっている、教養がなくては近視眼的なものの見方しかできなくなる。と、この国のゆく末を憂います。「教養というものは、別にひけらかさなくても、その有無が、ほんのちょっとした発言とか会話のレスポンス、日常の何気ない行動などの中に自然ににじみ出すようにしてあらわれてしまうものなのである。…教養は付け焼刃で身につけることはできないということを文科?類生は肝に銘じて欲しい。それは学校の成績にも、国家
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あと数年生きていたらノーベル賞を受けていたはずの物理学者の闘病記録。小柴氏の一番弟子のようだ。小柴氏の作ったスーパーカミオカンデでニュートリノの質量を発見した。小柴氏より先にノーベル賞という話もあったようだがそれはないだろう。
科学者として当然の何でもデータ記録し、グラフ化する。その徹底は素晴らしい。血液数値、マーカーの記録、薬摂取の記録までは私もやっている。腫瘍の数と大きさの記録、これはやっていない。写真をもらえるかどうか不明だが私も記録したい。
ただそこから分かったことが以下だけというのは寂しい。
ーマーカー値の増大と腫瘍サイズの増大に比例関係はない。従って抗がん剤の効果の判定にはマーカー -
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かなり前に読んでたの完全に記憶からなかった笑
定期的にメンタルやばくなる。
特に先月から今月まで入札とかいろいろ、忙しすぎた。ホンマにやばかった。涙出てたしな…
何とか耐えた?というより過ぎたという感じ。
死に対しての恐怖ははっきり言って全くない。
いつ死んでも良い。
死にたいと思った事なんて何度もある。
でもそれも珍しいことではなく、むしろ普通。
人生の先輩はすごいなー
しんどいことがあっても生きることを辞めてない。
今25歳。
人間はやりたいことをやらないと楽しくない。
そのために生きているまである。
じゃあ特にやりたいことが無い人はどうすれば…
教えてくれ!
そういう時に何かあっ -
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買った当時に紙の本で買って、読んだ。出たのは2009年とのことだから、もう15年くらい前になるのか。歳をとると、感覚がおかしくなるなぁ。つい2、3年に読んだくらいのつもりだった。
そんな昔に読んだ本だから、ほぼ忘れている。
今回、読み返して次のところにラインを引いた。
「
知的な基礎訓練を受けた人たちが、物語を読み解き、また場合によっては物語ができるようになる必要があります。そうじゃないと、世の中で流通していることの物語性がわからなくなってしまう。物語だからいいかげんなところがあるのは当然なのに、人々が物語を唯一の真実と信じてしまうようになると、社会も国家もとんでもない方向に行って