立花隆のレビュー一覧
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立花隆の著作から人間とは?死とは?なぜ生きる?どう生きる?考えること、これからの人へといったテーマに沿って抜き出した「立花隆思想抜書」です。出典が50冊以上に及ぶので、全て読んでる人はいないはず。知識に基づいた見識が染みました。小学生にはまだまだ難しい知見だとは思いましたが、評論読みの勉強にもなるし、少しずつ読み聞かせで興味を持たせる方法もアリだと思います。基本は中学からかなぁ。
私が読みたいと思った本は『未来をつくる君へ』『二十歳の君へ』。『脳死』『サル学の現在』『臨死体験』あたりは確か読んだはず。そちらももう一度パラパラ読みたいと思いました。
『サピエンスの未来』からの抜粋で、ヒトは染色体 -
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Posted by ブクログ
面白かった。全体を通して、神を信じたくなるほど美しい惑星・地球の話と、完璧でスーパーヒーローに思える宇宙飛行士も人間であるという話が主だったと思うのですが、限られた人間しか未だ行くことが許されない宇宙での各宇宙飛行士の体験やコンテクストに関して、丁寧なインタビューを踏まえて言語化されていて非常にわくわくした。(宇宙ホタルの話、ウケました)
特に、宇宙に行って信仰に目覚めたという話が面白くて、確かに、人間の進化の一番最初に関しては科学的に説明できないというのもわかるし、創造したのは神であると思う他ないほど美しいという青い地球を私も見てみたくなった。(視野を広くもつと、様々な宗教の様々な神も恐らく -
Posted by ブクログ
古生物学者であり、イエズス会神父でもあったテイヤール・ド・シャルダン。その進化論について解説された良著。地圏という無生物の物質世界、生物圏という生物による物質世界。地球はこの二つで網羅はできず、非物質世界が存在する。これが精神圏。ヌースフィアとも呼ばれるが、ユヴァルノアハラリのいうサピエンスが生きる共同幻想に通ずる思想だ。人類の進化と共にこの精神圏は広がり、やがて超人類が誕生する。ホモ・プログレッシヴス。
超人類とは何か。一人一人の人類が精神圏ではよりエレメント化し、つまり構成単位になり、必要に応じて複合化する事で目的を遂げる世界。サピエンスが集団で外敵から身を守る結集行動と変わらぬ気がする -
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本書に登場する人々に共通するのは、自分の仕事にとことん熱中していることだ。写真家の方の章などを読んでいると、その働き方は完全に人間の限界を超えているとしか思えない。が、仕事に対する熱意がそれを可能にしているのだろう。
好きなことが大事だとか学歴なんか関係ないとか無理やり一般論を導こうとする議論はどうでもいいとして、彼らの仕事ぶりを一つの事実として知ることが大切だと感じた。そこからこんなのは嫌だとかかっこいいとか思うことが個々人であるだろう。
ちなみに、私はかっこいいと思った。彼らの底知れない熱意に憧れた。
また、筆者のあとがきが非常に秀逸である。 -
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戦前の共産党が壊滅にいたるまでの経緯について、克明な調査をおこない、その歴史を記した本です。第一巻では、世界革命をめざすコミンテルンの指導のもとでの日本共産党の活動の軌跡を追い、田中清玄と佐野博の二人による「武装共産党」時代までをたどっています。
戦前の共産党の歴史における最大の理論的な争点となったのは、山川イズムと福本イズムの対立ですが、本書ではインテリ優位の分離結合論が現場からの乖離という欠点をもっていたことが指摘され、いわゆる講座派がかかえる重要な問題としてその傾向が継承されていったことを指摘するとともに、この問題が「内なる天皇制」へと回帰することになった佐野学・鍋山貞親の転向の布石と -
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第二巻は、「スパイM」が暗躍した「非常時共産党時代」と、熱海事件以降の野呂栄太郎および山本正美を中心とする共産党再建の試みがえがかれます。
スパイMこと飯塚盈延について著者は、関係者への取材を通してスパイとしての活動を終えたあとの彼のすがたについても明らかにし、このたぐいまれな活動をおこなった人物の陥った人間的な苦悩をのぞき込むような叙述も見られます。本作の主要なテーマは日本共産党の歴史ですが、その歴史を動かしてきた人間たちの素顔にせまってみたいというのも、著者の関心のひとつにあったのかもしれません。
また本書の最後では、佐野・鍋山の獄中転向声明がとりあげられます。彼らの転向も、人間に対す -
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Posted by ブクログ
彼らによりすぎ/批判的すぎる立場の記述が多すぎて、70年代の壮絶なまでの内ゲバの正体はなかなか見えてこない。連合赤軍に比べて、関連書籍も明らかに少ない。
そんな中、歴史的経緯を踏まえ、情報を精査し、極めて客観的な視点で革マル•中核派の歴史を素描する本著は他に類を見ない優れた歴史書であり、彼らの正体を捉える上でこれ以上の記述はないのではないかと思う。
なぜ「革命」という一点では同じなはずの彼らが血で血を洗う構想に辿り着くのか。
不可避であったようにも、避けられたようにも思う絶妙なところを突き進み続ける力学に、社会活動を志す自分も自己批判を強いられる。