猪瀬直樹のレビュー一覧
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「公」という言葉を中心に考えを述べた後、自らの取り組みを自伝的に記した本。『昭和16年夏の敗戦』で述べた総力戦研究所の取組を現在のコロナ対応に当てはめ、同じような過ちを犯していることを説明し、その後、「公」と「私」の観点から近代文学を分析している。そして最後に、主として全共闘運動の議長としての活動から、東京都知事を辞職するまでの取り組みを自伝的に述べている。道路公団民営化や参議院宿舎建設阻止に真剣に取り組む熱意に感銘を受けた。抵抗勢力と闘いながら改革を推進していく難しさがよくわかった。
「(コロナ禍)あたりまえだと思っていた日常生活が正面から否定されるなど考えてもみなかったのではないか。だがそういうときにこそ、変革のチャンスが訪れているのだ」p1
「対策本部会合では野党から質問が飛ぶわけではない。自分たちが疑問をぶつけ合い、それを官僚たちに指示すればよいのだ。ところが官僚はとんでもない宿題を負わされるのを避けるため先に台本を作ってしまう。政府の審議会など、往々にして官僚主導で行われている。審議会の事務局がシナリオを作って運営するのだ。だから御用審議会などと批判される」p21
「小泉進次郎環境大臣が対策会議に1度だけ欠席した。2月16日、日曜日に開かれた地元の後援会の新年会に出ていた、と共産党議員に追及されメディアでも批判された。脇が甘い面があったのは事実だが、この日の会議はわずか11分だった。発言の機会もなく意思決定に関わりのないものであれば時間の無駄ではないかと思ってしまう、それもあながち否定できない」p24
「菅官房長官は「連絡会議」が事前に開かれたことは認めたが、すでに連絡会議より以前に今井秘書官ら側近の官邸官僚の進言で一斉休校が決められていたことは伏せた。菅官房長官は、重大決定に自分が外されていたことを隠した。このあたりから、コロナ禍の対策は、今井秘書官ら官邸官僚の主導で進み始め、しだいに世情からかけ離れていくのである」p33
「(太平洋戦争)日本国民の310万人が死んだ。(一次大戦は、双方の死者1700万人)」p41
「日本がアメリカと戦争をはじめた昭和16年末より、原子爆弾を落とされて戦争に負けた昭和20年までの4年間を、ダルマ落としのようにスコーンと抜くと、風俗やライフスタイルは、ほぼそのままつながるのである。進駐軍と呼ばれたアメリカの占領部隊が現れたからアメリカナイゼーションがはじまったわけではなく、戦前からアメリカ文化は洪水のごとく押し寄せていた」p47
「日本は戦争に負けてアメリカの属国になったことで確かに国民の生活は楽になった」p49
「日本人は歴史の一過程のなかにある役割をもって自分が存在しているとの意識が希薄である。ステレオタイプの歴史観では、戦前は悪・狂信的、天皇主権、戦後は善・民主主義、国民主権との図式でしか考えない。それでは教訓を得ることはできない。戦前も官僚主権、戦後も官僚主権と連続している部分も気づかなければいけない」p67
「戦争はしない・できないという憲法の下では「有事」という発想は消滅する。有事には私権が制限される。「有事」のない日本では国家が国民を強制するという法律はないのだ。世界中探しても「有事」を想定していない国家は存在しない。だから「ディズニーランド」であり、入口の門番はアメリカ兵に任せ、圏内は架空の平和に満ちている」p94
「(2017年にノーベル賞受賞の)カズオ・イシグロの作品に比べると、日本の文学はひたすら「私の営み」だけを追い求めている」p103
「冗談半分に言うのだけれど、僕は結核に憧れた。作家になるための資格のように思われたからだ。多くの作家が結核・肺病によって夭折している」p152
「戦後に消えたものは貧乏と結核だったと書いた。もうひとつは戦争である」p155
「戦後の一般的な感覚は、戦争が終わった1945年に線を引き、戦前と戦後を分けるのが当たり前になっている。しかし、その考え方が歴史認識を曇らせてしまうのであり、戦前と戦後の連続性、共通するところを捉えないと「近代」というカテゴリーにならない。例えば、天皇主権から国民主権に転換したと学校の教科書は説く。しかし実態は、戦前も戦後も「官僚主権」であった」p178
「(戦前は)軍部と内閣との統合機能は元老たちが人治でカバーしていた」p180 -
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タイトルに示された「公」という概念を巡って、作家そして政治家である猪瀬直樹がそれぞれのこれまでの活動を振り返りつつ、今の社会で求められる「公」とは何なのかを論じた論考。
新型コロナウイルスの対応で結果として諸外国のような膨大な死者数を出すことは防いだものの、そのマネジメントには批判されるべき点が多々あったのも事実。そうしたマネジメント並びにリーダーシップの不在を出発点として、その不在の源流を探る旅は、日本の近代文学に着地する。日本特有の”私小説”である。日本の”私小説”は得てして一切、公的な世界を切り離された自身の世界観の耽溺に陥る。もちろん、海外文学においても当然、自身の内面という世界観を描く作品は多々あるが、そこでは常に公的な世界との関係性の中で自身を位置づける工夫が見られるという点で、公的なるものからの離脱が見出される。一方で、戦後の政治体制を紐解いていきながら、官僚主導の政治体制の問題や、実際に猪瀬直樹が政治に世界に飛び込むきっかけとなった道路公団の民営化の話題などが語られていきつつ、目指すべき”公”の在り方を示す。
猪瀬直樹という極めて優れた作家及び高い実務能力を持つ政治家が何を考えてこれまで活動を続けてきたのかという点をこれ一冊でほぼ掴むことができる。そんな彼の”公”を巡る問題意識は極めてその通りだと思うし、読み物としても十分に面白い。 -
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猪瀬氏というと東京オリンピックの誘致を頑張ったけど不祥事があって退いたという印象と夏の敗戦の印象しかなかったんだけど、小泉内閣で行政改革をやってたり今は大阪府と市の特別顧問をやってたりで力のある実務家だった。
日本では意思決定が密室でなされているから過程が不明でファクトとロジックに基づいているのか検証できない。というよりムードに沿うかたちでファクトもロジックも歪められていったことを総力戦研究所を例に説明している。また、官僚主権の国であることも戦前と変わらない。
公の時間に私の営みがあるという文学だが、三島の自決以降の日本文学は私だけの空間になった。
全共闘時代にマネジメントを学んだ著者。その後小泉内閣で道路公団民営化に尽力し、東京都の副知事となり、五輪招致で宮内庁とのやりとりとか、辞任までの話とか。
というわけで猪瀬氏が何者かというのが本人の言葉で理解することができた。 -
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日本は行政機関がシンクタンクと執行機関を兼ね、国家ビジョンを官僚機構が作っている。
本来であれば、独自で多様なメディア界が「公」であり、クリエイティブな人々がビジョンを作り、その下請けが行政機関であるべき。
国のビジョンは文化の世界からつくられるものであり、行政はビジョンを執行する場。
ビジョンをつくるのは、行政や官僚ではなく、アーティストやフリーランサー、さまざまなジャンルのクリエイターであるべき。
なぜなら、「クリエイティブな人びとのクリエイティブな勇気」にこそ「公」が宿っているからである。
独自で多様な文化および(独自で多様な)メディア界が担う「公」こそが、行政・官僚への抑止力になる。
新型コロナウイルス対策本部という最高意思決定機関は、討議ではなくただの発表の場であった。
一斉休校は全閣僚が出席する対策本部ではなく、今井秘書官ら側近の連絡会議だけで決められており、ここからコロナ禍の対策は、今井秘書官ら官僚官邸の主導で進んでいく。
国家の意思決定のプロセスは、歴史的な検証に耐えられるものでなければならないが、意思決定のための会議は、議事概要すら作られない有様だ。
第二次世界大戦中の総力戦研究所は、自給率と国力の差の明確なデータを打ち出し、「日米開戦は無謀」という結論を出すも、現実の内閣はそうではなかった。
経済閣僚が開戦に異議を申し立てたのは、仮にインドネシアを占領して石油を確保しても、フィリピン、マレーシアからアメリカ軍とイギリス軍に包囲され、石油の本国への輸送ができないからだ。
日米開戦をめぐる意思決定は、根拠があやふやだった。戦前・戦後を通してこの意思決定のちぐはぐさは断絶されたわけではない。
総力戦研究所の研究生が「日本必敗」の結論に到達できたのは、ファクトとロジックの力であったが、そうしたものはムードに沿う形で曲げられてしまった。
政治的リーダーの役割は、ファクトとロジックに基づきながら新型コロナウイルスの対策をし、それを自らの言葉で国民に説明し、工程表を示しながら主体的に働きかけることではないのか。
困窮世帯30万円給付の真相…もともとは自民も公明も野党も一律10万円で進めていたが、いつの間にか困窮世帯30万に変わっていた。今井秘書官が発案との見方で一致している。
自衛隊の存在に代表されるように、日本は存在しているものを「ない」としてきた国だ。戦争をするとかしないとか右翼や左翼といったことは関係なく、憲法改正で「軍隊である」と書き込み、存在することを認めれば、諸制度の齟齬が少し弱まるだけなのに、それをして来なかった。
第二次世界大戦と現在の自分たちは連続する形で存在しているのに、日本では大戦そのものを置き去りにし、戦前を無かったことにしている。
福沢諭吉は、社会においては男だけでなく女の活躍も重要だとして「男女交際」の概念を説いたが、それはいずれ「男女の恋愛交際」に変質してしまう。
もともと小説は時代と個人を描いたノンフィクションの記録であり、そこには「公」と「私」の葛藤が描かれていたが、日本独自の「私小説」の隆盛はマーケットの中で市民権を得て、「文学」は「公」から離れていった。
日本は、戦争を通じて天皇主権から国民主権に転換したと言われているが、実態はずっと「官僚主権」である。
その官僚構造には2つの歪さがあり、1つ目は、一つのポスト(事務次官)を4人で分け、それぞれが恩恵に浴すように一年交代で任期を全うしていること。これにより、リスクをとらず、組織をただ生かすことが目的になる。
2つ目は、天下り先の公益法人に無駄が蔓延ろうとも、経営に責任が無いため、事業をひたすら拡大しつつげて効率の悪い経営が生まれること。
財政投融資のシステムにより、一般会計の税金に頼らず、郵便貯金や厚生年金を原資とする財投資金が、特殊法人や道路公団に注ぎ込まれた。
こうした歪な構造を解消するため、
郵政3事業(郵便貯金、郵便事業、簡易保険)というお金の元と、特殊法人や公益法人というお金の出口を一体となって民営化を進めたのが小泉政権であり、猪瀬直樹はその民営化推進委員であった。
「諮問機関の存在理由は、満場一致で承認された答申を出し、法案の直接の原案を用意することではない。審議過程の公開を通じて、問題のありかを広く明らかにし、選択肢を少数に絞り込むことである。」
要は、民営化推進委員会の議事を原則公開し、意思決定機関を外部から見える化したのだ。外部から見えるようにして議論すれば、勝つのはファクトとロジックなのだ。
メディアは間違えるが訂正をしない、そのあり方に対して猪瀬は異議を唱えた。メディアが弱者を踏み潰すようであってはいけない。メディアは内部に自浄作用の仕組みがないとならず、当事者に負けないくらいの情報を集めた上で、「もし自分が当事者であればどう決断するだろう」と考えるのが大切なのだ。
【感想】
本書の作者は、東京都知事として行政に携わった猪瀬直樹だ。
猪瀬は、本書の主題である「公」が、日本においては官僚主導で作られてきたことと、
行政組織の非合理性が太平洋戦争から存在し続けてきた事実を、作家ならではの洞察力とファクトに基いて、分かりやすく説明している。
第二次世界大戦中の「総力戦研究所」は、アメリカとの開戦の是非を、「最初は善戦する可能性はあるも、国力の差で次第に戦況を返されるため、最終的に勝ち目は無い」と、綿密なファクトとロジックに基づいて結論付けた。
これを東條英機ら当時の内閣に進言するも、その場を支配していた「空気」に押され、結果的に真珠湾攻撃を強行してしまい、勝ち目のない戦いに突き進んでいった。
このような、「ムード」に支配された上層部の独断による、非合理的な意思決定という枠組みは、終戦後綺麗に解消したわけではなく、未だ官僚機構に太い根を張っている。
その代表例がコロナ禍における休校決定と、後世において政策を検証するための議事録が、「不要」と切り捨てられたことである。
普段の行政においても、緊急事態宣言化においても、大切なことは意思決定機関を外部から見える化することであり、そこではファクトとロジックにより論理的な判断をすることが、リソースの無駄遣いを防ぎ、硬直化した行政組織にメスを入れることにつながる。
作者はまた、現在のメディアの体たらくさにも喝を入れている。
メディアは間違えるが訂正をしない。行政にメスを入れるのも一度きりであり、効果検証を継続して行わない。メディアは自分が蒔いた種を回収しようとせず、大衆へのポピュリズム的報道に注力している。
猪瀬は、本書のタイトルにもなっている「公」について、「国のビジョンは文化の世界からつくられるものであり、行政はビジョンを執行する場である。」と述べている。
アーティストやフリーランサー、メディアというクリエイティブな人間が担う「公」こそが、行政への抑止力になり、行政は本来、彼らのビジョンを執行する場にすぎないのだ。
現在の日本は、官僚組織によって作られている。
国会議員達における立法の成立件数は、官僚主導の内閣提出法案に比べればわずかなものであり、国民も行政の庇護下に置かれ活動をしている点で、全ては行政の傘下にあると言える。
政府は、「ムード」によって非合理な戦争をしていた時代から、何も変わっていない。
そして国民も、大本営発表と戦時統制に従いながら生活していた時代と、何も変わっていない。
独断と受け身の構造は、あの戦争の時代で一区切りついたわけではなく、いまだに国中に蔓延っている。
その構造を変えるには、メディアと国民が一丸となり、行政組織に力を加えていくしかない。
そして行政を丸裸にし、事実とデータに基づいた透明性のある行動を促していくことで、この国の未来を変えられるのだ。 -
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担当業務がこれまでの領域とあまりにも異なったので、ハウツーばかり読んでいて、最近古典など読めていなかったが、久しぶりに読もうという気持ちになれた。
しかし、まだまだ学ぶべきことが多いと自分の無学を恥ずかしく思う。がんばらねば。
経営の意思決定をする際に、例えばオプションA、B、Cがあったとする。当たり前の話ですが、どの選択肢が一番優れているかは事前には分からない。どんなに分析して予測しても、実際にやってみなければ分からない面がある。だとすれば、事前に最も強固な拠りどころとなるのは、その人の中にある「論理的な確信」しかない。
それは、具体的なレベルで仮定に仮定を重ねて、各オプションの期待値を計算してくような作業ではなく、物事を単純化して「要するにこういうことだ」と本質をつかみ、自らの確信に基づいて決断するということです。
この「論理的な確信」の淵源となるものが教養なのだと思います。教養のない人には重大な意思決定は任せられません。 -
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思考を止めずに未来を構想し、実践すること。
◯視点を変える、という経験がなければ本質は見えてこない。結果として、日本全体や世界の中から自分自身の存在も見えてこないんだということをわかってほしいのです。
・共通事項としてのテクノロジー
・規制撤廃
・遊休資産活用とブロックチェーン→イノベーションが生まれる土台となるもの、視点はあるか?
・ドラえもんに描かれていないもので近代を超える心象風景をつくる
→コンビニ、ショッピングモール、スマホ(ソフトウェアプラットフォーム)
→「空虚な中心」として残る緑の空間
→沿線開発としての横の開発、タワーマンションの縦の開発、シェアハウス
◯ポリテックという発想と既存の問題設定、分担を超える -
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ネタバレ<総論>
平成は「失われた30年」と言われているが、元号が改まったとしても明るい未来が見えているわけではない。人口減少と超高齢化社会の到来によって、日本の社会課題はますます複雑化、深刻化する。この状況は第二次世界大戦以来の「国難」ともいえる。
社会課題の根底には、古くは明治時代から変化しなかった社会構造があるが、これらの多くは現状にそぐわないものになっている。目的に適わない制度やルールをUPDATEすることで、2021年以降の日本が進むべき方向、すなわち失われた30年から再成長する方途が見えてくるはずである。
同様に、日本人が描く日本に対する心象風景も明治以降に作られたものであったり、マスメディアによって作り上げられたいびつなイメージであることが多い。日本人の価値観を形成するこれらの心象風景を問い直すことで、日本のイメージの再定義を行う。
<各論>
■人口・産業
GDPの7割はローカルから生み出されるので、地方の成長は必須。
東京と地方をテクノロジーでつなぎ、地方の産業をテクノロジー再成長させる。
変化を恐れない思考が重要
■風景
日本人の心象風景は未だにドラえもん=高度経済成長とその完成形を夢見ているから
日本らしさ「富士山、松、輝く海」などは明治政府が国家を統一するシンボルとして使った
→それまでは三百余藩の連邦国家だった
これまでにない風景を深堀していく必要がある
日本は伝統とモダンが共存している
→東京の中心に皇居がある
→伝統とテクノロジーの融合は可能
■統治構造
明治以降、官僚による省益優先の統治機構が支配しているが、今の課題はどの省の領域でもないところにある。官僚の思考は昨日と同じ今日が続くことなので、課題解決が難しい。
これからは前例のない取り組みに価値を置く。そして政治とテクノロジーの融合(ポリテック)による解決を考えることが必要。
■人材
与えられた課題をこなす人材はAIによって置き換えられる。正規分布の中に収まらない「外れ値」を出すのが人間の魅力になる。
これからの能力差は経験の差。経験の差はモチベーションの差から生まれる。モチベーションを価値に落とし込むには「言語化する力」「論理力」「リスクを取る力」「専門性」が必要。
言葉の力を磨き、自らのアイディアを問う「プランナー」になることが大事 -
Posted by ブクログ
明治以降の近現代史を俯瞰できる。明治14年の政変、大正デモクラシーの挫折、1940年体制といった節目が現代につながっていることがわかる。
明治14年の政変では、薩長藩閥の伊藤博文や井上馨がプロシャ風の専制君主国家をつくると主張し、佐賀藩出身の大隈重信が中津藩出身の福沢諭吉と共にイギリス風の立憲君主国家をつくることを目指して国会開設の意見書を提出して対立したが、大隈が失脚して下野した。
1911年に関税自主権を回復し、不平等条約の改正を達成したという意味では、日清・日露戦争は日本の独立戦争だった。
第一次世界大戦では、日本は特需景気で経済規模が3倍くらいに膨らんだ。その頃の大正デモクラシーの時代は、旧体制の崩壊の流れの中にある。大正時代の半ばにサラリーマンという言葉が生まれ、日給から月給になり、私鉄が通勤線を敷設して郊外に住宅が建てられ始めた。夏目漱石や森鴎外などの読者や雑誌も増えて、政党が人々の欲求を吸収するようになった。原内閣は、藩閥の影響を受けない初めての政党内閣だった。原敬は、出世がコネによる抜擢だった官僚機構を壊して、優秀な人材を評価して任命していった。原敬が暗殺され、藩閥時代のコネがなくなっただけでなく、抜擢人事もなくなり、成績だけが評価の尺度になった。その結果、意思決定を先送りしていくシステムができあがってしまった。
岸信介は、官僚時代に1年間の外遊を経験し、ソ連で始まった第一次五か年計画に大きな影響を受けた。1931年に重要産業統制法を成立させると、日本は自由経済から統制経済へと舵を切り、政府の指導の下に企業をカルテル化させることで生産量の増大を図った。1940年には、終身雇用・年功序列の賃金体系が整い、直接税中心の税制を採用して財源を集中化し、源泉徴収制度が導入され、国家目的の達成を使命とした日本銀行法が制定されて、株式市場からの資金調達ではなく、銀行中心の間接金融が行われ、業界団体がつくられ、営団や金庫が生まれた(1940年体制)。戦後の高度経済成長も、岸が立てた生産力倍増十か年計画を基にした官僚主導の国家社会主義的な政策によるものだった。
総理大臣になった岸が取り組んだ日米安保条約の改定のポイントは、アメリカが新しい基地をつくるときは事前に日本側と協議すること、日本が危機に陥った時はアメリカが救うことで、日米地位協定は改定できなかった。
田中角栄は、世界の石油を完全に牛耳っていたオイルメジャーに対抗して、和製メジャーを作ろうとし、ブラジルやオーストラリアなどに働きかけたことが、アメリカに大反対されて命取りとなった。
立法は国会の専権と憲法で規定されながら、実際には官僚が法律をつくっている。戦前は天皇主権、戦後は国民主権が名目だが、実際には戦前も戦後も官僚主権である。冷戦が崩壊した1990年頃までは、田中角栄を例外として、官僚出身の政治家が総理大臣を務めた。官僚機構には、省庁間の権限争いなどが起きた時、それを国家意思としてまとめる能力はない。平時はどうにかなるが、国難ではそうはいかなかった。