伊東潤のレビュー一覧
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歴史小説。
安土城を築城した、父が本能寺の変で安土城と共に命を落とし、嫡男・藤九郎は残された築城の秘伝書を携え新しく肥後の国主となった加藤清正の家臣となり民を守るために隈本城を築城するまでの城取り一代記。
冒頭から肥後の治水から始まり、秀吉の朝鮮出兵の足掛かりとなる名護屋城、朝鮮での築城などを越え、隈本城の築城に至る苦難の連続の物語。
読む前はもっこすの城とは=隈本城の事だと思っていましたが、肥後もっこすが命を掛けて作った城たちのことでした。
「無駄に長く生きるなら、己の才知を使いきって早死にしたほうがまし
し」という台詞には同感しました。才知があればそうしたいものです。 -
Posted by ブクログ
内容が面白いので一々感心しながら読み進めたが、同時に“日本史”のキーパーソンと言って差し支えないかもしれない人物達の話題を読み易い形で紹介してくれる、非常に価値在る一冊になっている。或いは、「“時代モノ”の作家として作品化してみたい人達を列記」という面も在るかもしれない。作者の作品に関しては意外に好きで、色々と読んでいるので益々そう思った側面も在るが…
「勝敗」というようなモノは、「一定のルール」の下に争われる、例えば野球、サッカー、バスケットボールというようなモノの試合でもない限りは、些か抽象的で、同時に相対的ということになってしまうかもしれない。そういう意味で、本書で取上げられる人物達の中には「或る意味で勝者」という人達も多く挙がっているような気もする。が、それでもそういう「或る意味で勝者」という人達も含めて本書では「敗者」と位置付け、「“敗因”というようなモノ?」を考えようとしているのである。それが酷く面白く、なかなかに読ませるのだ。
「歴史を学ぶ」とでも言えば、何やら人名、地名、事件名、年号というような「無駄!!」な何かを「無理に覚える」というように、勝手に貶められているような気がする。「歴史を学ぶ」というのは、過去の人達が紡いだ物語の中から、自身の人生や社会の在り方、自身を含む社会の未来を考える材料を探り出すということなのではないであろうか?この『敗者烈伝』は、そういう「歴史を学ぶ」ということに意義に即した内容であると思う。
小才子であるだけでは足りない?大人(たいじん)であるだけでも足りない?真直ぐ過ぎるのも足りない?ブレ過ぎるのも足りない?色々と「“敗因”というようなモノ?」は上がるであろう…或いは、本書に挙がる人達のような、その時代の政権を担うとか、領国等での覇権を賭して争うとか、そういう次元のこと等「無関係!」という人が読者の圧倒的多数かもしれない。が、本書で示される「敗者」の物語は、多くの「普通の人達」にとっても「人生の在り様」とでも呼ぶべき様々なことを示唆してくれると思う。
多くの皆さんに御薦めしたい感の一冊だ。 -
購入済み
戦後はまだ終わっていない
伊東潤氏の現代ものを初めて読んだ。横浜が舞台の警察小説ということで、はじめは
森詠の「横浜狼犬シリーズ」みたいな作品を想像していたが、全然違っていた。
伊東氏の文章は読みやすく、また多くの史実を丹念に調査して書かれているものが
多いので殆どハズレがない。本作はオリンピック直前の横浜で発生する連続女性殺人
事件を追って、ハーフの日本人警官(ソニー沢田)とアメリカ軍のSP(ショーン坂口)
が活躍するという筋立てだが、戦後約20年を経過しても日本に駐留を続けるアメリ
カ軍兵士に、日本人がどのように映っていたのかがよくわかった。そして、その傾向
はおそらく今も変わっていない。アメリカ人(とくに白人)の根底にあるのは、有色人種
に対する優越感と差別感情。終戦を境に手のひらを返したように占領軍に平身低頭の日本
人は御しやすい反面、節操なく信条を変える不気味な民族と思われたことだろう。
日本人特有の事なかれ主義の悪弊である。
昔から対外戦争によって領土や権益を拡大してきたアメリカにとって、戦争はなかば
公共事業のようなもの。太平洋戦争もその1つ。国粋主義や軍国主義にはもちろん反対
だが、いつまでも対米従属を続けることが本当に正しいことなのかどうか。日本人の
意識が変わらない限り、アメリカに支配されたままの戦後は残念ながら、永遠に続く
だろう。
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所謂「北条五代」(早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直)の中、二代目の氏綱の頃から、豊臣秀吉との戦いに敗れる五代目の氏直の時代までを背景に6つの挿話で構成されている物語である。
6つの挿話を通読すると、北条家が勢威を拡大し、関東の覇者となり、そして滅ぼされてしまうまでの経過が視えるのだが、本作はそういう経過を少し変わった視点で描いている。代々の北条家に仕え続けて独特な活動を展開していたという大藤家の人達を主要視点人物に据えて各挿話が綴られているのだ。
最初の挿話の冒頭は「城をひとつ、お取りすればよろしいか」という台詞で始まる。この『城をひとつ』が最初の挿話の題名であり、同時に本作全般の題名ともなっている。
この「城をひとつ、お取りすればよろしいか」という台詞を口にする男、大藤信基(だいとう のぶもと)が挿話の主人公で、やや先走ればその息子達、孫、曾孫が各挿話の主人公となって行くのだ。
紀州の根来から北条氏綱を訪ねて現れた大藤信基は北条早雲と交流が在り、北条早雲に仕えると約束していたが、身辺整理に手間を要していた間に北条早雲が逝去してしまったので、後継者である北条氏綱を訪ねて仕官を願い出ているということだった。その仕官を願い出る場面の描写が物語の冒頭で、「城をひとつ、お取りすればよろしいか」という台詞が出て来る。
“城”というのは、軍勢が拠る場所で、諸勢力が争う場合の拠点となる場所であり、時代が下ると一帯を差配する領主の権威の象徴となって行く場所である。その“城”を「取る」というのは、正しく「言うは易く、行うは難し」というものである。戦国時代には方々に“城”と呼ばれるモノは夥しい数が在った。戦いの焦点となった“城”も多い訳だが、「お取りすればよろしいか」と簡単に陣営が切り替わった例が多々在るのでもない。
この「城をひとつ、お取りすればよろしいか」という台詞を口にした大藤信基という男…何をどうしようというのか?
この「何をどうしようと?」が最初の挿話の顛末であり、以降は大藤信基の一族が北条家の下で展開する「独自の戦い」の有様が綴られる挿話が折り重なっている。
“戦国時代”というモノの中には、勇壮な合戦譚も多々在る訳だが、そればかりでもない色々な要素が在る訳だ。本作はそういう方面に光を当てるような物語である。
何れにしても、本作は夢中になってしまうものが在る。「城をひとつ、お取りすればよろしいか」と言い出して、何がどうなるのか?是非、本作で!! -
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2022-06-17
「修羅の都」(伊東 潤)を読んだ。
約三年ぶりに再読。
伊東潤氏の"してやったり"という顔が目に浮かぶようだ。
我々読者はもはや抵抗する術もなくがっちりとハートを鷲掴みにされて、はやる気持ちを抑えつつページを繰るのであった。
『永井版 政子』も悪くはないのだが、私はこちらに軍配を。
2019-09-24
「修羅の都」(伊東 潤)を読んだ。
透徹した視線で頼朝と政子の生き様を見事に描ききる。
抑え気味の筆致がクライマックスにおいて一気に極限の高みに駆け上る。
嗚呼、痺れる!
これは伊東潤氏の代表作のひとつになるかもしれない。 -
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本作は「米国人の風貌を持つ日本人」(=ソニー沢田)と「日本人の風貌を持つ米国人」(=ショーン坂口)という“境界”に在るような、やや複雑な背景の視点人物達を設定している。そして物語が、「戦後から高度成長の真っただ中へ」、「オリンピックを経て大きく踏み出そうとする前夜」という時代の“境界”という状況下に在る1963年の横浜で展開するのだ。
“境界”に在るような、やや複雑な背景の視点人物達が、警察官や憲兵という「正義を貫く職分」で「正義を貫きたい」とする強い想いを抱きながら、「色々な事情」の下で苦闘する、“境界”を蠢くというような感もした物語だ。全般として、各々の社会で「やや異質?」な者達が自身と社会との“境界”で強い想いを貫こうとする物語である。そして1963年という時期の横浜、日米関係を見詰めているような物語である。なかなかに読み応えが在る。
作者自身による<あとがき>に、御自身が横浜出身で現在に至るまで住み続けているという思い入れが示されているのだが…本作の読後に一寸気になる「ソニーやショーンのその後」を絡めて、“横浜シリーズ”でも展開して頂きたいものだ… -
Posted by ブクログ
ネタバレ鎌倉時代の終焉から建武の新政、南北朝、室町幕府が勃興するあたりの時代には疎く、この作品の主人公「高師直」も名前ぐらいしか知らなかったが…。伊東潤の筆のおかげもあるんだろうが、思ってたよりずっとオモロい小説だった。
高師直といえば、名前しか知らない俺でも、日本史の中では名だたる悪役だと知ってるくらいのワル。主人公に持ってくる人物がシブいよなぁ。
彼には「実力主義で野心と栄達に強欲」という一本まっすぐな信念が貫かれている。そのためには既得権益や情やそんなものは一切無用、皆が仲良く平和に暮らす世界などクソくらえだと豪語する。いやーワルい、潔い。ワルの信念を貫き、主君足利尊氏に天下をとらせるため東奔西走大活躍するさまを読むことの幸せ。
楠正成やその息子正行(彼らとて河内のヤクザ、悪党と呼ばれているのだが)の武辺才能を認めつつ、善人っぷりを憎悪し、湊川や四条畷で合戦し、最終的に勝利する描写。ここって太平記では真逆の読ませどころお涙頂戴のシーンなのに、師直目線ではこうも違ってくるのか、と感動する。
そして終盤、師直が恋愛を意識し、一族を贔屓し、主君にとってかわることを拒否する、つまり、ワルな彼の生き方が善い方にブレてしまう。優しさ、人間らしさをもった師直の可愛いこと、弱いこと。
勧善懲悪、正義の味方、仁義を守る…そういう考えもストレートでよいが、そればっかりだと飽きてくるし、そういう思想ってそれこそワルい政治家に利用される弱さがあるねんなぁ。その点、あくまで「ワルい奴が最後に勝つ」を貫く本書のようなピカレスクはしたたかに強い。
あとがきの対談にあったように、歴史の勉強になったり、自己啓発になったり、歴史小説ってのは紆余曲折を経て一時は衰退すらしかけたのだが、そんな余禄なんかうっちゃといて、「小説としてオモロい」という本来の志向を追いかけたら、この本のように、魅力的な読ませる小説ができあがるのである。