富安陽子のレビュー一覧
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シノダファミリーシリーズ。うーんやっぱいいなあ、大好きだ!ある日送られてきた泊まった覚えのないホテルからの招待状。ホギおばさんのいつもながらな不吉な予言を背に向かってみれば、食事もおいしい!お風呂も素敵なちょーゴージャスなホテル!だけど人魚の腕やら河童の腕伝説、なーんか変なことがあるみたいで・・・・。まあ、夜叉丸おじさんの名前がでた時点でなにかやったな、とは思っていましたが、相変わらず人騒がせな人、いや狐だなあ。パパがあいつ呼ばわりしたくなる気持ちよっくわかりますよ〜。親戚にはしたくないねえ。人魚の肉。どんな味するのかなあ。いやー不老はいいけど不死はやだなあ。でも人魚の肉を食べると不老不死になるってゆーのはよく聞く話だけど、そーすると人魚も不老不死なのかしら?人魚ってゆーとどうしても人魚姫あたりをイメージしてしまうけど、外国でも不老不死伝説あったっけ?にしても800年は長い。約束の力が、いまよりずっと大きく強大だった時代があったのです、ってゆー言葉が沁みたなあ。でも呪いはとけても不老不死は変わらないわけで、そーゆーのを運命と受け入れるにはどのくらいかかるのかな。異類の集う島。うん、不思議で楽しくて、ちょっとヒヤリとするお休みでしたね。さあ、次はどんな騒動がおきますやら。
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私、ついに怖そうな児童書にまで手を出しました。
やだもうなんなのこの怖いもの見たさが勝る今日この頃。
富安陽子さんの別の児童書を探してたんですよ。
でもね、お目当ての本はなくてなんとなく目に止まってしまった。
ちょっと不気味で怖い短編集。
ん?ちょっと?
普通に怖いのも混ざってたな。
猫谷とか、よらず池とか。
でも好きだったのは「ピアノ」。
みんな帰ったはずの学校でポロンとピアノの音がする。
不思議に思った先生は音のする方へ行ってみる。
音が聞こえてくるのは今は使われていない教室。
思い切ってドアを開けるとそこにいたのは…
ゾウ!!!
ゾウ⁉︎ってなるじゃん。
ゾウなんだよ。
ゾウなの。
とか言ってる場合じゃなくてね。
なんかちょっぴり切な怖いお話で好きだったなぁ。 -
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富安陽子先生の『日本全国ふしぎ案内』シリーズには、謎の転校生「菜の子ちゃん」がクラスメイトの子と一緒に、一見堅苦しそうな印象を受けがちな日本全国各地の不思議な歴史や伝承について楽しく触れつつ、それらにまつわる謎にも挑戦することで『ふしぎなものたち』への親しみが増していく、そんな素晴らしさがあるのです。
前作は奈良県の天川村でしたが、今作は山口県の下関が舞台となり、百五十年ぶりにやって来るカッパたちが悪さをする前に本物の『カッパ石』を探してこなければいけない、という物語で登場する、青山、四王司山、赤間神宮は全て実在する上に、カッパ石自体の伝説もそのまま物語に反映されていて、これは地元の子どもたちにはたまらないものがあるでしょう。
そんなリアル感満載の物語に於ける、富安先生流のエンタテインメントがまた楽しく、それはイノシシに乗りながら移動することや、多聞天とも呼ばれる神様の設定が短歌好きであることに加え、今どき蓑なんて誰も着ないからと『ほっかむり』を用意した菜の子ちゃんが、「世の中進歩してるんだよ」と言う可笑しさもありつつ、『人間が勝手にいろんな名前をつけるけど、ほんとうの名前は知らない』や、『礼儀正しく作法を守っておねがいしたら、みんな答えてくれる』等、思わずハッとさせられるようなメッセージも潜まれております。
また、富安先生といえば文章で表す自然描写の素晴らしさも印象に残り、それは本書の始まりの中にある、『ほやほやと暖かくなった海風が、山をこえ、この町まで、潮のかおりを運んでくるようでした』や、『学校の裏山のところどころにはまだ、遅咲きのヤマザクラが、ぽっぽっと、雪洞でもともしたように咲きのこっているのが見えました』を読むだけで思わず想像してみたくなる、ほのぼのとした雰囲気の中にも漂う美しさがまた、YUJIさんの素朴さや美しさの中に時折漂う、愛嬌のある絵とも優しく溶け合っていて、物語を更に盛り上げてくれます。
そして巻末の「作者解説」では、富安先生ご自身による、平氏の亡霊が乗り移ったという伝説のあるヘイケガニのイラストに、赤間神宮の建立には安徳天皇を偲ぶ、当時の人々の思いがあったこと等、大人が楽しめる要素も満載です(2016年作)。 -
Posted by ブクログ
そりゃあね、私だっていろんな児童文学作家の作品を読みたい気持ちはありますよ。あるんだけれども、時が経てば経つほど、折角読み始めた多くのシリーズものの内容を忘れてしまいそうになるから、そうなる前に読まなきゃって気持ちになることで、どうしても富安陽子先生の作品が多くなってしまうし、そもそも内容がつまらなければ、これだけ同じ作家の作品をたくさん読もうとは思いませんよ。
それでは、なぜ富安先生の作品に夢中になるのかというと、不思議な要素にワクワクドキドキする物語の面白さは勿論なんだけれども、それ以上に私が惹かれるのは、生きていて良かったと思えるような明日への希望や元気をいただけることで、こうした要素って、児童書なんだから当たり前にあるだろと思われそうで、意外と少ないのではと私は感じていて、なぜかというと、こうした要素には作家が児童書を通して何を伝えたいのかという部分が大きく、更にそこには作家の人柄のようなものが如実に表れやすいと思っているからなのです。
というわけで、パパが人間、ママがキツネの一家に起こるドタバタや困難を描いた物語と、大庭賢哉さんの親しみやすい絵が見事にマッチした「シノダ!」シリーズ2作目ですが(2004年作)、前作は現実の世界に不思議なものがやって来た展開だったのに対して、今作では異世界に於ける危機一髪の大冒険が待っていたのです。
それは『まっ暗だった心の中に、ぽつりと希望の灯がともった気分』になったかと思えば、『黒い闇の中をぬけたら、なんにも見えない白い闇』が待ち受けていたりと、小5の長女「ユイ」、小3の長男「タクミ」、3歳の次女「モエ」が乗り越えるには、中々緊迫したハードな展開ではあるのだが、だからこそ前作以上に3人の子どもたちをメインとしながら、それぞれが持つキツネのママから受け継いだ特殊能力も本格的に始動してと、まさに児童書としては子どもたちの成長を追いかける胸熱な展開となっていくのです。
彼女が悪いわけではないのだけれど、それでも異世界に引き込まれて石像と化してしまった友だちを見捨てる訳にはいかないと頑張るユイは、その責任感の強さ故にイライラが募り、ついそれを周囲にぶつけてしまうことや、冷静な一面と頑固な一面が同居するタクミと、子どもたちそれぞれの個性もしっかりと描かれていて…えっ、モエはどうなんだって? なんといっても3歳だから自由きままに振る舞っているだけで充分なんだけれど、実は3人の中で最も洞察力というか、何気ない気付きに優れているのかもしれないね。
異世界で出会う男の子「テト」や、記憶を無くしているように見える逞しい男との出会いを経ながら、敵らしき恐ろしいものとの戦いに謎解きと、様々な要素で楽しませてくれる今回の物語ではあるものの、そうした中で、『名前っていうのは、世の中でいちばん最初の、いちばん短い呪文』であることの持つ大切な意味合いが、他の誰でもない自分でいることが大好きなんだということに気付かせてくれることへと繋がることや、『物語やマンガとちがって、現実っていうのは、そこでおしまいになっちゃったりしないんだね』に込められたメッセージは、大人の私にとってもジンワリと沁み入るものがあって、人の尊厳を踏みにじる争いばかりが引き起こされる、こんな世の中だけれど、子どもたちよ、未来に生きる自分の晴れ晴れとした姿を夢見て幸せになるんだよ!! -
Posted by ブクログ
富安陽子先生の数あるシリーズものの中の一つである、この「小さなスズナ姫」シリーズは小学校中学年~高学年向けの、神さまを主役としながらもシンプルで親しみやすい物語の楽しさがありながら、そこには子どもたちにとって、これからの人生を歩む上での温かな励みを得ることに留まらず、大人が読んでも大切なことに気付かせてくれる作品なのだと思い、単に楽しいだけで終わるわけではない点に、富安先生の子どもたちへの思いが込められているのだと思います。
前回、喜仙山脈をおさめる山神さま「喜仙大巌尊(きせんおおいわおのみこと)」から、三百歳(人間でいうところの六歳)の誕生日を機に、喜仙山脈の南の外れにある「スズナ山」をおさめること、いわゆる親からのひとり立ちの許可を頂いた、娘「スズナ姫」の新しい山神さまとしての第一日目を描いたシリーズ二作目は、スズナ山の「涸れ沼」と呼ばれる、水の無い沼に水を呼び戻すべく奮闘するのだが、これが中々上手くいかないことに加え、元々スズナ山の動物たちは、新しい山神さまが幼い娘っ子であることに不安を抱いていたのもあって、その風当りは強く、スズナ姫の山神としての道は前途多難とも思われました。
しかし、そうした状況下に於いて、前作でスズナ姫の行動に惚れ込んだ、スズナ山に住むキツネたちの大将「モッコウギツネ」は、『仕事のでき、ふできなんてものは、さいごまでみてみなきゃ、わかるもんじゃないのさ』と彼女をかばう姿に好感を持つ一方で、彼女自身の『いいのよ』、『みんな、ほんとうのことだもの』と現状を受け入れる素直さにも好感を持った、そうスズナ姫には『心の中にある、きえることのない、あかるい輝き』があり、それは『まけん気の火』という、ある意味山神さまにはそぐわないようなものと思われそうだけれども、それこそが『父は父、娘は娘』という個の大切さを高らかに唱えたスズナ姫のあっぱれな一面なのであり、それが『ぜんぜん、偉大でも、りっぱでもないから、なんだって、じぶんの思いどおりにやれるんだ』という文にも、確かな説得力を持たせてくれるのではないかと思った、そんな物事の視点を柔軟に変えてみることの大切さには、自分のあり方や立ち位置の自由さを感じることができました。
スズナ姫の昔からの友だちで、いたずらな風の神「志那都比古(しなとひこ)」が『古事記』や『日本書紀』にも登場することや、日本では昔々から『空に輝く星ぼしが竜宮の使いだといわれている』ことなどの、興味深い歴史的不思議浪漫の要素も富安先生ならではと思いながら、私が本書を読んで最も心に響いたのは単純なんだけれども、悲しむことをしてはいけないよねということなのだと思い、そこには『人間たちは山のルールをわすれてしまっている』というメッセージを含みながら、それでも決して消えて無くなることのないものは存在するのだということを教えてくれて、それは朴訥さと愛らしさの同居した飯野和好さんの裏表紙の絵にもよく表れていたのではないかと、私は思ったのです。