佐藤優のレビュー一覧

  • イスラエル戦争の嘘 第三次世界大戦を回避せよ

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    マッドマンセオリーと、アンチテーゼ。

    サイクスピコ協定、パレスチナの地区向け。
    フサインマクモホン協定、アラブ民族向け。
    バルフォア宣言、ユダヤ人向け。

    超大国を率いる者にある、資質。アメリカ民主主義に対する揺るぎない信念を有すること。

    他の価値は全て無効なのか。これは、AI時代と、とても相性がいいよな。

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    2024年06月30日
  • 子どもの教養の育て方

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    近年、詰め込み式の教育スタイルや、学歴主義的な面が批判されていて、勉強一辺倒ではなくコミュニケーションであったり身体性であったり自然や社会との繋がりの方が注目されている印象である。また同時に、学校教育は洗脳であったり即効性のない不要な学問まで押し付けられるという批判から、ホリエモンなど多くのインフルエンサーが学校教育を否定的に論じている。
    そんな昨今なので、しっかり机に向かって勉強することを推奨する点に面食らった。
    しかし「教養」という視点でも、また思考力を身につけて人生を豊かにするという視点でも、よく精査された「基盤」となる知識を体系的に学べる学校教育は確かに非常に有効だと私も実感している。
    どちらかというと問題なのは教員の量と質であったり、画一的過ぎるカリキュラムの方なのだろう。
    教養にも一般教育にも、また即効性のあるノウハウに対しても、読書は欠かせない。
    お薦めの本も随所に紹介されているので、一読の価値があるだろう。

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    2024年06月27日
  • 「悪」の進化論 ダーウィニズムはいかに悪用されてきたか

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    同志社大学での講義録。
    筆者の知識、経験、見識の深さには舌を巻く。
    ただし講義というスタイルもあって、話がかなり飛ぶ割に細かい論証もないので、なぜそう言えるのかや、論点に漏れがあるのでは?などモヤモヤする。
    結局、脱線や枝葉が多く本筋が見えづらい内容。500ページ超もあるがあまり頭に残るものがなく、半分ほど読んでやめた。

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    2024年06月18日
  • ウクライナ戦争の嘘 米露中北の打算・野望・本音

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    この本を読むと、岸田政権の偏りが、気になります。戦争終結の落としどころはどこか、考えているとは、思えない。自民党の党是であるアメリカ追従でどこまで行けるのか、難しいところだ。

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    2024年06月16日
  • 世界の〝巨匠〟の失敗に学べ! 組織で生き延びる45の秘策

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    『組織で生き延びる秘策について』
    国内外のレジェンドからの人生の成功と失敗から、参考になるノウハウについての対談本

    参考になる部分は、正直難しい笑
    ただ、私は池上さんと佐藤さんが対談しているのが好きなので、話は面白かったです。

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    2024年06月11日
  • 世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊

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    佐高信は丸山真男に連なる講座派(明治維新をブルジョワ革命とも認めず否定的な評価の立場)だから、権力を常に危険視する、からこそ「オウム真理教教団への破防法適用」裁判に反対意見を証言したりしたが、丸山には「宗教者は未開という思い上がりがある」と佐藤優は言う。無神論も一つの宗教で。国家(片々の領土問題で何故激昂するのか)、貨幣(金本位制が崩壊して何の裏付けもない)さえ信仰する者あっての存在。まして憲法など。
     政治は血の流れる現実、安倍政権が保守という常識路線ではなく「あらゆる力を動員しようとする」危険で両者は一致。

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    2024年06月07日
  • 交渉術

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     『文藝春秋』で連載。交渉方法の解説ではなく、かつて日露間で北方領土交渉(「二島返還、残りは保留で交渉成立寸前)が行われていたときの政府や外務省の裏話を中心に、実際の外交官や官僚がどんな方法で情報を集め、政治的な駆け引きをするのかが赤裸々に書かれている。ハニトラや酒は穏健な方で盗聴器は知ってても摘発しないのが作法‥流石に暴力的な手段はちょっとグレーなゾーンのことを「合法的な疑い」ということで警察が踏み込んで、「不問にした」を恩を売ってというようなことがよくあるらしい。
     それにしても、嘘か真か「(あるアピールのために赤の広場で焼身自殺しろと言われれば/『一晩考えさせてください』と言って、たぶん受け入れる」忠誠心が日頃から試されている。日本の政治家や官僚や外交官って(世襲が多いだけに)意外と優秀なんだなぁと驚く、ただし「公金効果的使用と私的流用の区別がつかない」悪い面も見えてくる。しかし国際外交は継続性が命脈なので彼らに頼らざるを得ない。
     日本の首相(橋本・小渕・森)やロシアの大統領(エリツィン・プーチン)などの素顔は、国家を握る責任の重みに耐える怪物といっていいいか。
     佐藤は、自分の存在が「ぎりぎり領土返還交渉継続の余地を残した」とする。

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    2024年05月29日
  • 野中広務 差別と権力

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    ネタバレ

    野中広務 差別と権力

    著者:魚住昭
    発行:2006年5月15日
    講談社文庫
    初出:月刊現代2003-2004年
    単行本:2004年6月、講談社

    2001年、KSD事件や「えひめ丸」沈没を聞きながらゴルフを続けたことなどから、森喜朗総理が退陣表明。後継首相に野中を推す声が高まり、総裁選に出れば圧倒的有利と見られていたが、「たとえ推薦されても、受けることは200%ない」と出馬を固辞。これに対し、総裁選に立候補した元経企庁長官の麻生太郎は、党大会の前日に開かれた大勇会(河野グループ)の会合で野中の名前を挙げながら、「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と言い放った。

    2003年9月、政界引退を表明し、最後の自民党総務会において、総裁の小泉はもちろん、政調会長の麻生を前に、野中は上記の発言を指摘し、「君のような人間がわか党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」と野中。激しい言葉に空気は凍りつき、麻生は顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。

    こんな差別主義者が、今も自民党ナンバー2として君臨し、時期大統領に返り咲くかも知れないトランプに総理大臣の名代として会いに行く。

    それでも、まだ自民党に入れますか?

    僕は、野中広務が出身者だと知ったのは、比較的最近でここ20年になるかならないかのことだと思われる。周囲の多くの人も知らなかったと思う。この本を読んで分かったが、それを広く知らしめたのは、著者が2003年の月刊現代に書いた、本書の元になった原稿だったそうだ。著者が野中から涙目で抗議を受けた一幕が書かれている。しかし、その報道は筋が通っているためか、それ以降はなにも言われていないようだ。文庫版の特典として、最後に佐藤優と著者の対談があるが、佐藤優もそう評価している。

    ただし、本人が隠していたことを著者がアウティングしたわけではない。著者が調べた限りにおいて、公開の場で一度だけ自分の出自について野中は語っていた。それをもとにリポートしているといってもいいのかもしれない。1973年3月7日、京都府議会本会議場で府会議員として大鉄局を辞めた経緯を語った時のことだった。抜群に仕事のできた野中は、大卒でも9年以上かかる給与ランクに、旧制中学卒7年で到達していた。その妬みもあってつらい差別体験があり、それを語ったのだった。

    ただ、それを知った僕は、どうもしっくりこなかった。野中のイメージは強権的ではあったし、裏では威張っている風な印象もあったが、俗に囁かれる〝同和利権〟的なものでのし上がった人物のようには思えなかったからである。本書を読むと、実際、そうだったようだ。むしろ〝同和利権〟的なものに反対し、解消していく動きをした政治家だったようである。とはいえ、自らが差別された体験から、弱者には優しかった。

    政敵たちを震え上がらせる恐ろしさと、弱者への限りなく優しい眼差し。これがどこから来るのか、著者はジャーナリストとしてそれを探ってく。

    野中の世代だと、部落青年の生き方は三つに分かれた。
    1.解放運動にのめり込んでいく者
    2.ほどほどに生きていければそれでいいと消極的になる者
    3.誰の力も借りずに自力で差別を乗り越えようとする者
    野中は三番目のタイプだという。

    京都府の園部町(現在は南丹市)の「大村」という被差別部落に生まれた。
    そんな話から始まり、この本は僕らが目撃してきたこの30数年ぐらいの政界の激動、その裏にあった事情を次々とバラしてくれている。何気なく古本で買った本だったが、ものすごい一冊だった。

    ・NHKの島桂次会長が辞任に追い込まれたのは、小沢一郎が強引に磯村尚徳を都知事選に引っ張りだし、大敗した責任をなすりつけた格好になったため
    ・公明代表の藤井富雄が指定暴力団後藤組の組長と密談しているビデオを入手した野中は、亀井静香などと一緒に住専問題で妥協しろと迫ったが、小沢一郎は譲らなかった。この問題は本書のスクープ。公明党と指定暴力団との密着ぶり
    ・公明党を解散して新進党に合流した後、「静穏規制法」という法律を盾に脅しをかけた野中は、神崎代表に公明再建を決断させる。
    ・細川護熙が総理を辞任した「もう一つの問題」とは、個人資産をヤミ金融に高利で貸していた過去が自民党側にバレたから。時効だったが道議責任を口実に辞任
    ・「自自連立」を実現したのは野中。以後、犬猿の仲だった小沢一郎ともうまくやる。そして、今日までつづく「自公」を作ったのも野中だった。

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    (以下、読書メモ。上記の詳細)

    「大村」はかわた集団のひとつ。但馬国(兵庫県)出石藩主だった小出吉親(よしちか)は元和5(1619)年の国替えで園部に入り、初代園部藩主に。その時に国元から連れて来た「かわた」たちを城の南側に住まわせた。よろいや兜、膠の原材料をつくる彼らに特権を与え、皮革の納入などを義務づけた。

    小出氏は和泉国の岸和田城(大阪府岸和田市)を本拠にする一族だった。始祖で城主の秀政は豊臣秀吉の側近で、長男の吉政は文禄4(1595)年に出石藩6万石の領主に抜擢された。岸和田と出石は本藩・支藩の関係で、後に岸和田3万石、出石6万石、合わせて9万石と称するようになった。豊臣が滅び、徳川により吉政二男の吉親が園部に移封された。

    「大村」の祖先も岸和田が故郷となる。大村の年寄りたちの言葉は、丹波地方の方言とは少し異なる泉州なまりがあるという。「○○ですか?」ではなく「○○け?」。

    野中が公開の場で自らの被差別体験を語ったのは、著者が調べた範囲では1973年3月7日、京都府議会本会議場で府会議員として大鉄局を辞めた経緯を語った時のみ。下記がその概要。

    1943年春、京都府立園部中学(旧制中学)を卒業し、大阪鉄道局の職員に。仕事が非常に出来た。局長は佐藤栄作だった。戦後、1950年に審査部審査課主査の時、ずば抜けた能力で給与ランクもトップに。主査や係長といった身分とは別に、一職から十職までの職階制(十職の上は課長補佐以上の指定職があり、野中は十職だった。20年勤続の先輩が九職なのに。十職は、旧制中学卒なら18年以上、大卒でも9年以上が内規。野中は7年足らず。上司が内規を無視して昇級させていた。

    ある日、更衣室で着替えていると、棚を隔てた向こう側から聞き覚えのある声。「野中さんは、大阪におれば飛ぶ鳥を落とす勢いでやっているけれども、園部は帰れば部落の人だ」。野中が被差別部落出身であることはあっという間に局内に広がった。なんであいつをあんな高いポストにつけたのか、という抗議の声も。野中は退職を申し出た。1951年4月、野中は園部町議に当選。

    野中は権力者になればなるほど、権力維持に役立つこと以外を排除するようになった。(80-81P)

    1959年8月と60年8月、2年連続で水害。園部町長の野中は復旧工事の査定に来た建設省の役人をそのたびに助役や議長と一緒に町一番の料亭「三亀楼」で接待した。賭け麻雀をして役人たちに20万円ぐらい負けてやった。すると役人たちは翌日に現地をろくに身もしないで、こちらの目論み通りの査定をして次に行った。

    野中園部町長は蜷川京都府知事を支持してやってきたが(うまく取り込んで園部の道路や施設を整備、周辺の町村の恨みを買っていた)、1966年、蜷川が5選を目指すときから変化。共産党の影響力が強くなった1962年ごろから町村長に対して「踏み絵」をさせるようになり、それに反発した。

    京都新聞政経部デスクの笹井は社長の指示で京都ホテルへ行く。そこにいたのは田中角栄自民幹事長。選挙情勢を聞かれ、厳しいと答え、蜷川支持を決めている町村会の動向がポイントだとも。「明日、キミところのオヤジ(社長)を訪ねるが、土産はなにがいいか?」と問われ、テレビです、と答えた。

    京都新聞を訪れた角栄は、テレビの開局許可を臭わせた。そこから京都新聞は蜷川の一騎打ち相手である自民・民社推薦の浜田正を当選させるべく、反蜷川キャンペーンを張った。しかし、蜷川の勝利に。

    野中は被差別部落の人たちからは人気があったが、部落外の人への人気取りもうまかった。適度に解放同盟批判をして人気を得ていた。部落の人たちの前では決して批判をしないのに。

    野中は、戦時中、園部町周辺の鉱山で酷使される朝鮮人たちの姿を見ながら育ってきた。朝鮮総連京都支部元幹部の李明哲は、日朝交渉の舞台裏に長年関わってきたが、彼は言う。「京都の在日同胞は養豚をやってきたが、周囲の生活レベルが上がるにつれて異臭などのトラブルが頻発するようになり、社会問題化。その解決のため、府と交渉した時の相手が副知事をしていた野中だった。自身が差別を受けてきたから我々の痛みもよく分かってくれて問題解決に尽力、今の養豚団地ができた」

    1994年4月、東京都知事選が行われ、鈴木都知事が4選を果たした。前年の12月、自民党の小沢一郎はNHK会長の島桂次を呼び出し、磯村尚徳を出馬させると了承を求めた。島は消極的な返事をした。小沢は強引に磯村を口説いて出馬させたが、85万票の差で負けた。竹下派を中心に、「小沢に磯村を推薦した島がそのままいるのはなにごとだ」という声が上がり、島桂次は首を取られた。島はBS用の放送衛星打ち上げ失敗2回と、その時にロサンゼルスのホテルに女といたという疑いで追及されていた。

    野中は橋本政権時代に決まった郵政の公社化に関して「それを決められたとおりに実践する」と言っただけだが、小泉政権時代に「抵抗勢力」と決めつけられて敵視された。野中は無茶を言わず、流れをみて判断するタイプ。それがうまい人だった。世の中がそういう雰囲気になったときにバンと言うのがうまかった。

    細川(護熙)事務所は、1981年から数年間、細川の個人資金を1千万円単位で「ヤミ金融」に出資して高利回りで運用していた。時効とはいえ、出資法や貸金業法違反の疑いがあり、国会で明らかになれば進退はきわまる。数日後の4月8日、細川は「(佐川からの借金とNTT株購入)とは違う新たな問題があると分かった。事務所に任せていた個人資金の運用で法的に問題があった。道義に関することなので辞職する」

    羽田政権に社会党が加わらなかったのは、新たな統一会派「改新」が届けられたため。細川辞任の際、7党1派の連立ではだめだ、統一会派をつくらないと改革はできない、と言ったのが始まり。問題は社会党が了解するかどうか。民社党の大内委員長が村山の了解を取ったと小沢一郎に報告した。小沢は非常に真面目で他人の言葉をその通りに信じて疑わない。しかし、届を出した後で村山が「了解した覚えがない」と怒りだした。

    強行採決の乱闘騒ぎは、常に野党を含めて事前に打ち合わせ済みの「話し合い強行採決」。国鉄の値上げ法案で、社会党の中島英夫が8時と18時を間違えてこなかった。自民党の坪川信三が委員長で採決。1人事情の分からん者がどーっと来た。乱闘スタイルがあり、坪川はネクタイを緩め、バンドは危ないので外していた。ズボンが落ちて褌ひとつになって医務室に担ぎ込まれた。

    1997年4月11日の衆議院許雄会議。加藤紘一の説得で沖縄特措法の委員長を受諾した野中は採決前の委員長報告で「ひとこと発言を許してください」と前置きした上で、35年前の出来事を語りだした。初めて沖縄を訪問したときに運転手が宜野湾に入ったところで急にブレーキをかけ。「あの田んぼの畦道で私の妹は殺された。アメリカ軍にじゃないんです」と泣き叫んだ・・・その光景が忘れられない。どうぞこの法律が、沖縄県民を軍靴で踏みにじるような結果にならないよう、そして今回の審議が再び大政翼賛会のような形にならないよう若い皆さんにお願いしたい。
    小沢と手を結んで改正案を成立させた梶山静六に対する強烈な当てつけでもあった。

    1996年3月、公明代表の藤井富雄が指定暴力団後藤組の組長と会ったところをビデオに撮られたらしい。テープを自民党側に届けた者がいるということだ・・・野中はその情報を握っていて、村上正邦、亀井静香も一緒になって、問題を表に出したくなければ住専で妥協しろと言ってきた。しかし、小沢党首は譲らない。

    藤井が後藤組と接触するようになったのは、学会本部が右翼・暴力団の街宣車に悩み、藤井が元警視総監らの仲介で組長にあってパイプを作ってから。

    創価学会は野中を恐れていた。例えば、学会発行の「聖教ブラフ」には、池田大作と外国要人などとの会見場面の写真がたびたび掲載されたが、バックには学会施設にあるルノワールやマチスなど有名画家の高価な絵が写っており、野中はそれを創刊号から全部調べ上げて、学会が届け出ている資産リストと付き合わせていた。園結果、届け出のない絵がいろいろと分かった。野中は直接それを言ってくるわけではないが、耳に入るようにして恐がらせる。

    1988年に「静穏保持法」が成立した。外国公館および政党事務所周辺での拡声器使用を規制する法律。それまで悩まされてきた学会本部や池田の私邸周辺での右翼の街宣活動はピタリとやんだ。どちらも「政党事務所」である公明党本部の周辺規制区域内にあるため。

    旧公明党がなくなり、衆議院が「新進党」になった。参議院もその方が票の稼げる公明党は同じ道を決めようとしていたが、切り崩しにかかったのは野中だった。公明党がなくなれば、公明党本部は政党事務所ではなくなるため、規制から外れ、再び右翼の街宣車の餌食になる。票か静穏か、どちらを取るのか?選択を迫る野中。小沢に反発を徐々に感じていた神崎が決断をしたのは後者だった。

    1998年、野中が「自自連立」に動いたのは、学会・旧公明党側から「いきなり自民党と組むのは学会婦人部などの反発が強すぎて無理だ。ワンクッション置いて欲しい」と強い要望があったため。11月19日に小渕・小沢会談で合意、99年1月に正式発足。

    1993年10月、野党として野中は本格的な解放同盟批判を繰り広げる。国税当局と解放同盟の間で交わされた「秘密覚書」を衆議院予算委員会で取り上げた。「秘密覚書」は1968年に大阪国税局長と解放同盟の間で交わされたもので、同盟とその関連団体である企業連合会に加盟している会社の税務申告は一切の検査をせず、自主申告ですべて認めるという内容だった。70年にはこの確認事項が国税長官名で全国の税務署に通達され、「同和控除」といわれる特別扱いが全国に広がった。

    1997年3月に延長されてきた同和対策事業特別措置法がいよいよ期限切れになることに。社会党の小森はもう一度延長を野中に頼んだ。1996年10月、園部町で解放同盟京都府連が野中の激励集会を開いた。約1000人の同盟員が集まり、野中代議士を再度国会へ」と訴えた。社民党の野坂浩賢も出席予定だったが、新幹線が台風でストップしたため、電話でのメッセージがスピーカーで流れた。解放同盟が自民党代議士の選挙を公然と支援した全国で初めてのケースとなった。

    2001年、KSD事件や「えひめ丸」沈没を聞きながらゴルフを続けたことなどから、森喜朗総理が退陣表明。後継首相に野中を推す声が高まり、総裁選に出れば圧倒的有利と見られていたが、「たとえ推薦されても、受けることは200%ない」と出馬を固辞した。これに対し、総裁選に立候補した元経企庁長官の麻生太郎は党大会の前日に開かれた大勇会(河野グループ)の会合で野中の名前を挙げながら、「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と言い放った。

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    2024年05月24日
  • イスラエルとユダヤ人 考察ノート

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    私自身の基礎知識が無さすぎて、理解できなかったことも多かった。しかし、日本ではメディアの影響もあるかと思うが、どちらかというとイスラエルをあまり良く思わない見方の方が多勢に思われる中、はっきりとイスラエル側につくスタンスをとり続けている佐藤氏に敬意を表したい。

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    2024年05月11日
  • 僕らが毎日やっている最強の読み方 ―新聞・雑誌・ネット・書籍から「知識と教養」を身につける70の極意

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    お二人が凄すぎて、全てを真似することは難しいが、読むことの重要性について考えさせられる本。

    池上さんも本の中で、「真似をするのではなく、自分流のスタイルを構築すること。」と述べているので、まずは毎日読書時間を確保することから始めたい。

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    2024年05月11日
  • 天才たちのインテリジェンス

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    雑誌の企画で行われた、佐藤さんとの対談集です。

    1つの対談自体は10ページもなく、さわり程度といったところです。そのため、深い知見などを得るのは難しいとは思います。

    ただ、時々出てくる言葉は実によく刺さりました。

    ・心の健康は「受け取ってもらえた感じ」「わかってもらえた感じ」に支えられている。
    ・食文化の違いで相手を排除することがファシズムの原型である。
    ・現代社会は、問題を解決する際に、1対1で問題と解を結びつける社会になっている。
    ・人は2~3m以内に近づくと、深い話をしやすくなる。
    ・1つのリスクに注目すると、全体のリスクが見えにくくなる。
    ・一人では意思決定できないシステムをつくる。
    ・きちんと発信すべきときに発信しないとなると、何のため目の学びなのか。

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    2024年04月29日
  • グローバルサウスの逆襲

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    池上さん、佐藤さんの対談本は出版されるたびに読んでいます。

    タイトルは「グローバルサウス」ですが、基本的にはこのシリーズは世界の「今」起きていることの背景の解説となっており、知的好奇心を刺激されるものとなっています。

    いわゆるニュース解説型なので、早めに読むことをお勧めします。

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    2024年04月21日
  • 天才たちのインテリジェンス

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    如何せん寄せ集め過ぎるし、1篇の内容が薄すぎて読んだ気にならない。藤原辰史氏との食の話が一番面白かったが、何せ中途半端過ぎる本。

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    2024年04月13日
  • 天才たちのインテリジェンス

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    佐藤優さんが各界をリードする「最先端の知」12人と対話した本。

    12の対談を読むことで、現代社会の状況を理解できます。

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    2024年04月13日
  • 僕らが毎日やっている最強の読み方 ―新聞・雑誌・ネット・書籍から「知識と教養」を身につける70の極意

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    情報を取る、調べる、考える、ということだ。保存場所はコンピュータ なのか・紙なのか、それぞれで あるが、基的な考えるスタイル、基礎は、 同じなのだろうと思った。紹介されている本も何故選ばれるのかなどの理由も明確に分かる。1つのことが出来てしまうと、2つ目3つ目 は、楽になるのだろう。この人たちも、分から ないことがあったら、原点に返って、

    ネット依存は時間のムダ使い。

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    2024年03月28日
  • 宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか

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    背景、歴史があって奥が深いなと思いました。また日本人は無宗教というわけでもないんだなということもわかりました。一部の新興宗教等によって宗教という言葉のイメージが歪められているように思います。それは信じることの力がものすごく強いからだろうな。

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    2024年03月25日
  • 対決! 日本史 戦国から鎖国篇

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    この頃、新規市場開拓の意図か佐藤の創価リスペクトが著しく、会員のなかの知識層は「創価学会は大石寺と訣別して世界宗教となった」という語を好んでいる。だが、ある創価の人は「日蓮大聖人は御本仏として経文によって日本はさておき仏教の滅びるのを予見し諫暁したのであって『何らかの情報を得て、蒙古の侵攻を予測して幕閣に警告した』との見方は不遜と言っていた。

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    2024年06月07日
  • 人生に必要な教養は中学校教科書ですべて身につく 12社54冊 読み比べ

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    "差がつく読書術"から。とりあえず同書の著者は、この2名がかなり好きなようですな。教科書を読み直したいっていう気持ちは、自分も前からずっと持っているんだけど、ただ、実践できていないという。子どもの成長に合わせて、自分も読んでいけば良いと考えていたけど、それもちょっと滞りがちかも…。本書を読んで、その思いを新たにした次第。さすがに小学低学年のものとかは、読みごたえが無さ過ぎたんだけど、高学年から中学生にかけてくらいのものは、改めて向き合っていかなあかん。頑張ろ。

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    2024年03月13日
  • 天才たちのインテリジェンス

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    対話形式なのでサラリと読み終えてしまいましたが、それぞれについて理解はしきれてはいないです。しかし、生き方や考え方のヒントはもらえたと思います。多面的に情報を得ながら、自分だけ良ければと思わないで生きていきたいと思います。

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    2024年03月10日
  • それからの帝国

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    ネタバレ

    2022年2月のロシアのウクライナ侵攻は、日本において政治的な発言をする人々に対する自分の幻想を打ち破るリトマス試験紙になった。
    自分の中では、あれだけ正論的な言論を述べていた橋下徹は地に落ちた。そして小泉、田中真紀子全盛時には悪の権化だった鈴木宗男は、その後の一連のできごと 自分の中で特に大きのは、佐藤優の一連の著作を通して、完全に復権し、自分の信念を通す一流の見識と実行力をもつ政治家との認識していた、が、ウクライナ侵攻時のロシアべったりの言動でこりゃだめだ、と認識を再度改めた。
    そして本書の佐藤優、国家の罠からの一連の著作には驚愕し、日本国は、類まれなる外交官を失ったが、それ以上にわかりやすく、すばらしい経験見識を持つ佐藤優を得たとまで、思っていた。
    しかし、ウクライナ侵攻の原因はすべてゼレンスキーにあるとか、の理由のわからない論述は、今までの幻想を打ち破って、このひとはダメだな、と自分の中では判断せざる得なかった。
    これまでも、キリスト教を信仰していると言いつつ、新左翼運動にのめり込み、神皇正統記を愛読する南朝支持者で、また創価学会や池田大作を高く評価するなど、矛盾に満ちたあり方を、自身のもつ博学な知識と、驚異的な記憶力で正当化してきておりその著作の迫力にうなずかざる得ない面があったのだが。
    さて、本書、ミーシャなる人物の回想的やり取り、とその後の生き方、そして再会について記述されている。
    相変わらず、何十年の前に行ったレストランの場所名前から一緒に食事した人やその時の会話だけでなく、出てきたメニューなどを逐一憶えている脅威の記憶力には感嘆する。またミーシャは格別に頭が良く、ある程度自分の政治的野望エストニアの独立の実現に寄与しているが、反ナショナリズムから、ロシアナショナリズムの信仰に鞍替えし、ウクライナを侵略しているプーチンを支持し、支えている。頭が良い人が、必ずしも正しい判断・選択・価値観を持つものではない、ということがよくわかった。
    またあとがきの情報メモはひどい内容だ、ロシアプロパガンダそのもの。

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    2024年03月03日