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Posted by ブクログ
20世紀初頭のミュンヘン。著名な作家グスタフ・フォン・アッシェンバッハは、執筆に疲れてあることがきっかけで旅への憧憬をかきたてられる。いったんアドリア海沿岸の保養地に出かけたが、嫌気がさしてヴェネツィアに足を向ける。ホテルには長期滞在している上流階級のポーランド人家族がおり、その10代はじめと思われる息子タジオの美しさにアッシェンバッハは魅せられてしまう。
映画でストーリーを知る者が多いので、粗筋はいまさら蛇足かもしれない。
原作を読んでみると、タジオに逢うまでに若干溜めがある。まず彼はミュンヘンで、異様な風采の男を見かけて後を着けている。ちなみに美少年の類ではない。容貌の描写が続くが、むしろ逆である。目が合ってしまいその場を去るが、その時アッシェンバッハに起こったのは
「ある種のあてどなくさまよう不安、若々しく飢えた異郷への渇望、それは実に活発で、実に新鮮なのに、とっくの昔に捨て去って忘れ果てた感情」
これだけでは何のことかわからないのでもう少し続けると
「それは旅への欲求だった。それ以上ではなかったが、実に発作的に現れ、情熱となり、幻覚にまで高まった。」
とある。要は、“そうだ、京都、いこう”の類―旅への郷愁である。
著名な作家なので旅行費用はある。問題は彼の心情にあった。
「人生がゆっくりと傾き始め、完成できないという芸術家としての恐れ―自分の仕事を果たし、完全に自分を出し尽くす前に時計が止まってしまうのではないかという心配が、単なる気まぐれとして、もはや払いのけることができなくなっ」
たから、故郷の街を一歩たりとも離れる事は考えていなかった。そんなに苦しい思いから逃れればいいのではないか、と第三者は思うが
「自分のしぶとく誇り高い、繰り返し実証されてきた意思の力と、次第に募ってくるこの疲労感との間の、神経を磨り減らす日々新たな戦いも嫌ではなかった。この疲労感は人に知られてはならなかったし、作品に淀みや弛みが現れて人に悟られてもならなかった。」
生みの苦しみもまた人生に必要であった。
その均衡を破ったのが、特に美しくもない男性との出会いだったが、その旅先に―後に危険になる―留まることになったのは、間違いなく美少年との出会いであった。
文中にもはっきりタジオへの愛が述べられているが、直接告げることはない。また、いずれ彼の美が失われることも、アッシェンバッハはわかっているし、彼自身の美が完璧でないこともわかっている。映画では、タジオに一目ぼれし、何もかもわからなくなっている状態で、ただただ逃げ遅れて亡くなる、という印象だったが、原作ではもう少し理性的であった。なぜなら彼についての散文を書いているからだ。作家であることに満足し、時に苦しみながらも、最後はやはり書くことに戻ってきた、というのは作家の生涯としては幸福だったように思われる。
Posted by ブクログ
トーマス・マンの傑作。
20代の頃は、若者に恋する年寄りって、身の程知らずだし醜いよなぁと思っていたけど、30代になって、少し気持ちがわかる。
若い身体、美しさってそれだけですごく輝いていて(まじで光輝いてる)、眩しくて、憧れてしまうし、自分の若い時代を振り返り、みすみす無駄にしたと悔やんでしまうものだ。
きっともっとしわくちゃになれば、更に思うのだろう。
最近、老いを受け入れる等の考えが急に増えているし、30代でも若いと言われ、公共交通機関を見渡すと、確かに40代以上ばかりで、さすが高齢化社会だと思うことも多いが、反面トルコに行って、若い人の多さに驚いた。
若い、というだけでエネルギーが溢れ出し、醜いものはそれなりに、それなりなものは美しく、美しいものはカリスマのように輝いてみえる。
何が言いたいか分からなくなってきたけど、恋焦がれて、最後にスペイン風邪かなんかで死んでしまう小説家は、幸せだったのかだけを判断したい。
最後に強烈な生を愛することができ、幸せだったと思いたい。
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