ラドヤード・キップリング
イギリスの小説家、詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ (ムンバイ) 生まれ。19世紀末から20世紀初頭のイギリスで最も人気のある作家の一人で、代表作に小説『ジャングル・ブック』『少年キム』、詩『マンダレー』など。「短編小説技巧の革新者」とみなされ[1]、児童向け作品は古典として愛され続けており、作品は「多彩で光り輝く物語の贈り物」と言われる[2][3]。1907年にノーベル文学賞を、41歳の史上最年少で、イギリス人としては最初に受賞[4]。他にイギリス桂冠詩人、爵位などを打診されたが辞退している[5]。キプリングの評価は時代ごとの政治的、社会的環境によって変わり[6][7]、20世紀中にも対称的な見解が見られ[8][9]、ジョージ・オーウェルは「イギリス帝国主義の伝道者」と呼んだ[10][11]。評論家のダグラス・カーは「未だ解決されない、文化と文学の歴史における心情面の距離や彼自身の位置について触発させる作家である。しかしヨーロッパ帝国主義退潮の時代では、帝国の行跡についての議論での好適な通訳者と見なされている。加えて彼の残した作品への評価の高まりが、その再認識を必要とさせている。」と述べている[12]。「東は東、西は西」East is East, West is West ( 東と西のバラード(英語版)) という言葉を遺したことでも知られる。2度ほど来日し、日本についての研究資料も残している。
キム (光文社古典新訳文庫)
by キプリング、木村 政則
多様なのは、ジャンルだけにとどまりません。作中人物たちの国籍、民族、あるいは宗教もそれぞれ異なっているのです。キム一人の素性を考えてみても、インドで生まれ育ったイギリス人という複雑さを帯びています。キムと旅をする老人は、遠くチベットからやってきた位の高い仏僧です。その一方で、しばしばローマ・カトリックとイングランド国教会の聖職者が顔をのぞかせます。インドの人間にしても、決してひと通りではありません。信仰されている宗教は、ヒンドゥー教、イスラム教、シク教、仏教、そしてジャイナ教と多岐にわたります。民族の構成にしても、ベンガル人、パターン人、あるいはラージプート人と幅が広く、「インド人」と簡単にくくれる存在では断じてありません。話されている言葉も、英語はいうまでもなく、ウルドゥー語、ヒンディー語、パンジャービー語、ヒンドゥスターニー語など、各場面で自在に変わっていきます。