<ポイント>
・頑張らなければ、心がボロボロになったりしない。まずはよくがんばってきた自分をねぎらう。
・頑張りすぎは、どれほど頑張っても足りないと感じてしまう心。これを手放すことである。うつ病は、頑張りすぎのひとつの結果。
・あらゆることには必然性がある、と思えば、楽になる。
・「全ての人が、できるだけのことをやっている」、つまり「今できていないことは、今はできないこと」という理解はとても重要で、心をボロボロにしないための鍵。
・「今の自分はこれでよいのだ」と思えると前進する。
・病気になるということは結果として自分を守る方向に働く。「頑張りすぎない」ことを学ぶ。病気になってもなお「これは病気などではなく自分が怠けているだけ」「薬に頼るなんて自分が弱い証拠」というって、自分の限界を認めようとしない人もいるが、そんな姿勢では病気を治すことはできない。自分の限界を向き合うことが必要である。
・自己否定したがる自分を手放すことは自分次第。人間はその時にできることはやっているので、心身には限界があるのですから、それを否定することはマイナスの作用しかない。必要なのは「ネガティブな自分」の否定ではなく、癒しである。自分をいじめない。
・衝撃からの回復の目標はが、「まあ、なんとかなるだろう」という感覚を取り戻すこと。この感覚は、無意識のうちに私たちの日常生活を支えている。
・裏切りがあると、何を基準に人を信じたらよいかわからなくなる。新たな基準を作る必要がある。他人をコントロールすることはできない。どんな人にもそれぞれの事情がある。
・「自分の問題なのか、相手の問題なのか」という視点を常に持っていれば、少なくとも自分側の姿勢は固めることができる。「私の人間関係のスタイルは、この通り。これは常識的なもので、普通の人に対しては問題なく通用するもの。それが通用しない場合は、相手側に難しい事情があるのであって、私が『足りない』というわけではない」と割り切ることも大切である。
・他人に否定されたとき、衝撃を受ける。自分に「なぜ?」を問い続けると、心をボロボロにするエネルギーが生み出される。衝撃は衝撃のため、衝撃への反応は「今は仕方がない」と思って受け入れる。上司の限界を認め、自分が成長する可能性があれば、それを見つけていく。
・会社が自分を一方的に評価するのではなく、こちらからも、「会社のためにこんなに頑張って身体まで壊した自分を、会社はどう遇するのか」という点を評価してよい。
・自分ではコントロールできないものに幸せを委ねてしまうと、運命の奴隷になってしまう。
・幸せな「現在」が、幸せな「未来」を作る。人生の幸せ感を決める因子は、仕事(再就職)だけではない。それよりも確実なのは、幸せな一瞬一瞬を積み重ねていくこと。
・どんな環境にいても自分の価値は自分が一番よく知っている、という姿勢を身につけていくことは、社会情勢に左右されずに充実して生きていくための大きな力になる。自分の最終的な価値を決めるのは自分自身なのだということだけは見失わないようにしながら、人生の質は、一瞬一瞬の質の積み重ねだという視点も重要である。自分に「よく頑張った」と言ってあげられるのは自分自身。
・「何をするか」ではなく「どうあるか」である。私たちひとりひとりにはかけがえのない価値があり、それは「何をするか」によって評価されるような性質のものではない。自分の人生の質を決めるのは、一瞬一瞬の質の積み重ね。この一瞬に自分が安らかで満たされていれば、そしてそれを積み重ねていけば、人生全体が安らかで満たされるもの。よって、自分を大切にしていこうと思えば、そこで必要なのは「何をするか」ではなく「どうあるか」ということ。まさに、「評価される対象」としての自分から、「感じる主体」としての自分への転換でもある。
<ピックアップ>
〇頑張らなければ、心がボロボロになったりしない。まずはよくがんばってきた自分をねぎらう。自分は頑張りが十分でなかったからボロボロになってしまったのだと感じる人もいるかもしれない。確かに形として「頑張った成果」は出せなていないかもしれません。でもそれは、自分の努力が足りなかったからではなく、環境との相性によるもの。自分自身を「頑張りが足りない」と感じているのは、まさに頑張ってきた証拠である。心がボロボロになっている方は、例外なく、頑張ってきたひと。
〇自分がベストを尽くしてきた結果が現状だというところからまずはスタートする。本当によく頑張った。
〇その上で、ボロボロな心をそのままにしてしまうと、心身を病んでいくことになりかねない。
〇心をボロボロにしながら、なんとかゴールまで走り抜ける人生ではなく、もっと温かく生きていく豊かな生き方がある。せっかく生まれてきたのだから、のびのびと、人のつながりや、自分自身の力を感じながら、「ああ、生まれてきてよかった」と思えるような人生を歩んでいこう。
〇今まで頑張ってきたからこそ、生き方を変えられる。今までのやり方ではとても自分がもたないということを、身にしみて感じたからこそ、本書がある。
〇人間の生き方には、持って意まれた性格や、育った環境、周りにいた人たちの性格や価値観、今までの人生で経験してきたことなど、様々な要素が反映する。心がボロボロになって、「このままではだめだ」「もう生きていけそうもない」と、切実に感じない限り、人は変わることが難しい。心がボロボロになった今は、生き方を変える時。ここまで頑張ってきた自分を認め、その上で、今の自分に必要な変化を起こしていく。
〇頑張りすぎは、どれほど頑張っても足りないと感じてしまう心。これを手放すことである。うつ病は、頑張りすぎのひとつの結果。
〇「頑張る」は自分ができるだけ頑張るということ。頑張ると、達成感を得ることができる。頑張りを十分と感じることができる。たとえ目標に達していなくても「今の時点ではこれで十分」と感じることができる。
〇今の自分にできることという観点から見れば、常に人間は「できるだけのことはやっている」。本人しかわからない事情をそれぞれの人が持っている。それぞれの事情の中で、できるだけのことをやってきた結果が現状である、つまり、「あらゆることには必然性がある」という理解をすることは重要である。後から振り返れば、よりよい選択を考えることはできる。しかし、その時のその人にとっては「それしかできなかった」「それでよいと思った」のである。
〇あらゆることには必然性がある、と思えば、楽になる。
〇「全ての人が、できるだけのことをやっている」、つまり「今できていないことは、今はできないこと」という理解はとても重要で、心をボロボロにしないための鍵。「もっとできるのではないか」と思うときに、「今できていないことは、今はできないことなのだ」と認めることは、心がボロボロになるのを防ぐとともに、実は結果として可能性を広げる効果もある。
〇「今の自分はこれでよいのだ」と思えると前進する。
〇安心していない時には、自分自身に対しても鎧を着てしまうと、「そんなことできるわけがない」と、可能性を狭めることになる。肩の力を抜く。今の自分は十分に頑張っている。
〇病気になるということは結果として自分を守る方向に働く。「頑張りすぎない」ことを学ぶ。病気になってもなお「これは病気などではなく自分が怠けているだけ」「薬に頼るなんて自分が弱い証拠」というって、自分の限界を認めようとしない人もいるが、そんな姿勢では病気を治すことはできない。自分の限界を向き合うことが必要である。
〇病気の治療を受ける結果得られるものは、単に病気が良くなるということにとどまらず、人間的成長であり、生き方の変化でもある。まずはよくがんばってきた自分をねぎらう。自分は頑張りが十分でなかったからボロボロになってしまったのだと感じる人もいるかもしれない。確かに形として「頑張った成果」は出せなていないかもしれません。でもそれは、自分の努力が足りなかったからではなく、環境との相性によるもの。自分自身を「頑張りが足りない」と感じているのは、まさに頑張ってきた証拠である。心がボロボロになっている方は、例外なく、頑張ってきたひと。
〇自分がベストを尽くしてきた結果が現状だというところからまずはスタートする。本当によく頑張った。
〇その上で、ボロボロな心をそのままにしてしまうと、心身を病んでいくことになりかねない。
〇心をボロボロにしながら、なんとかゴールまで走り抜ける人生ではなく、もっと温かく生きていく豊かな生き方がある。せっかく生まれてきたのだから、のびのびと、人のつながりや、自分自身の力を感じながら、「ああ、生まれてきてよかった」と思えるような人生を歩んでいこう。
〇今まで頑張ってきたからこそ、生き方を変えられる。今までのやり方ではとても自分がもたないということを、身にしみて感じたからこそ、本書がある。
〇人間の生き方には、持って意まれた性格や、育った環境、周りにいた人たちの性格や価値観、今までの人生で経験してきたことなど、様々な要素が反映する。心がボロボロになって、「このままではだめだ」「もう生きていけそうもない」と、切実に感じない限り、人は変わることが難しい。心がボロボロになった今は、生き方を変える時。ここまで頑張ってきた自分を認め、その上で、今の自分に必要な変化を起こしていく。
〇頑張りすぎは、どれほど頑張っても足りないと感じてしまう心。これを手放すことである。うつ病は、頑張りすぎのひとつの結果。
〇「頑張る」は自分ができるだけ頑張るということ。頑張ると、達成感を得ることができる。頑張りを十分と感じることができる。たとえ目標に達していなくても「今の時点ではこれで十分」と感じることができる。
〇今の自分にできることという観点から見れば、常に人間は「できるだけのことはやっている」。本人しかわからない事情をそれぞれの人が持っている。それぞれの事情の中で、できるだけのことをやってきた結果が現状である、つまり、「あらゆることには必然性がある」という理解をすることは重要である。後から振り返れば、よりよい選択を考えることはできる。しかし、その時のその人にとっては「それしかできなかった」「それでよいと思った」のである。
〇あらゆることには必然性がある、と思えば、楽になる。
〇「全ての人が、できるだけのことをやっている」、つまり「今できていないことは、今はできないこと」という理解はとても重要で、心をボロボロにしないための鍵。「もっとできるのではないか」と思うときに、「今できていないことは、今はできないことなのだ」と認めることは、心がボロボロになるのを防ぐとともに、実は結果として可能性を広げる効果もある。
〇「今の自分はこれでよいのだ」と思えると前進する。
〇安心していない時には、自分自身に対しても鎧を着てしまうと、「そんなことできるわけがない」と、可能性を狭めることになる。肩の力を抜く。今の自分は十分に頑張っている。
〇病気になるということは結果として自分を守る方向に働く。「頑張りすぎない」ことを学ぶ。病気になってもなお「これは病気などではなく自分が怠けているだけ」「薬に頼るなんて自分が弱い証拠」というって、自分の限界を認めようとしない人もいるが、そんな姿勢では病気を治すことはできない。自分の限界を向き合うことが必要である。
〇病気の治療を受ける結果得られるものは、病気が良くなるだけでなく、人間的成長であり、生き方の変化でもある。自分の限界を受け入れることで可能性が広がる。何が限界の受け入れを妨げているのかを知り、限界を受け入れないことでどれほどのマイナスがあるのかが分かれば、前進できる。
〇心をボロボロにする典型的な感じ方
→一人で抱え込んでいませんか?
→やらされている感が強くありませんか?
→出口が見えないと感じていませんか?
ひとつでも該当すれば、心がボロボロになってしまう。癒しが必要である。
〇「ほどほどに」は「怠けなさい」と言われていると感じるのが、「頑張りすぎ」の人である。
〇自分の心身が分かるのは自分だけである。その心身に責任を持てるのは自分だけである。一流の職人は、大切な道具を、愛をこめて丁寧に扱い、良い仕事をしていく。私たちの心身の同じように、よい人生を送っていくための大切な道具と考えることができる。よって、今のままの心身の取り扱いではいけないと理解することから、新しい生き方が始まる。
〇不安を感じる→安全が確保されていないという意味。
怒りを感じる→自分が困った状況に置かれているという意味。というこれらのネガティブな感情は、人間として当たり前の反応であり、それぞれに「自分を守るため」という意味がある。そのことを単に「今は仕方がない」と認められればいいが、「人間として未熟「」「品減として弱い証拠」などと意味づけてしまうと、心をボロボロにするエネルギーが生み出されてしまう。
〇環境が悪すぎる、周りの人からひどいストレスを受けているなど、自分ではどうしようもない条件が重なって、心をボロボロになっていくもの。「別の生き方がある」と言われても、自分ではどうしようもない条件がある以上、今以外の生き方ができるわけがない、そんなことができるのならとっくにやっている。心をボロボロになったのには、それなりの事情がある。しかし、心はこれらの外的条件だけによってボロボロになるわけではない。最終的に心をボロボロにするエネルギーを作り出すのは、実は自分の頭の中である。難しい外的条件に拍車をかけるのが、「その状況をどう見るか」という自分である。よって、心をボロボロにするかどうかは自分次第と言える。自分の頭の中を癒していくことによって、「心がボロボロ」という状態から脱することができる。
〇自分次第=ポジティブ思考ではない。この本を読む方は、ポジティブ思考をあえて避けていただきたい。
〇ポジティブ思考には、心をボロボロにするエネルギーが内包されている。ポジティブ思考とは、言い換えれば、「どうしてポジティブに考えられないの?」という自分に対する問いかけである。これは問いかけのように見えて実は「ポジティブに考えれられない自分はダメ」という自己否定である。
〇自己否定したがる自分を手放すことは自分次第。人間はその時にできることはやっているので、心身には限界があるのですから、それを否定することはマイナスの作用しかない。必要なのは「ネガティブな自分」の否定ではなく、癒しである。自分をいじめない。
〇「足りないところ」探し=自分への虐待でもある。
〇例えば仕事で失敗した、これは心に衝撃を受けたということである。衝撃からの回復には時間が必要である。いつまでたっても衝撃から立ち直れない、というときには、衝撃からの回復が何らかのカタチで妨げられてしまっている可能性が高い。まずは、衝撃を受けたという事実を認め、快復には時間がかかると自分に優しく言い聞かせる。
〇衝撃を受けたとき
→「もう2度と傷つきたくない」と傷つきそうな状況を避ける。例えば、2度と失敗しないようにと、何度もチェックする、「頑張りすぎ」と同じ精神構造になる。つまり、「どれほどチェックしても足りないと思う心」。人間に、「完璧」はありません。
→衝撃を受けると、単に仕事において失敗しないことにとどまらず、失敗してしまった自分そのものに厳しく向けられ、最終的には、「自分は人間としてダメなのではないか」というレベルにまで達することが多い。そうした絶望的な感覚がある。また、自分の判断力も信用できなくなるため、何かを決めようとしても「この選択は間違っていて、ひどい失敗をするのではないか」と考えてしまい、何ら決められなくなる。
〇失敗によってそれほど強い衝撃を受けたということ、今の感じ方が、「衝撃への反応にすぎない」と理解する。真実を反映したものでも客観的なものでもなく、衝撃を受けると単に誰でもそんな感じ方になる。今起こっていることは、自分という人間そのものが損なわれた結果ではなく、「自分が衝撃を受けたという証に過ぎない」という理解が、悪循環から抜け出す第1歩となる。
〇絶望的な感覚は、衝撃を受けた後に典型的なものとする。
〇衝撃からの回復の目標はが、「まあ、なんとかなるだろう」という感覚を取り戻すこと。この感覚は、無意識のうちに私たちの日常生活を支えている。
→今までも何とかなったのだから、まあなんとかなるだろう。
→他の人と大体同じようにやっていれば、まあ何とかなるだろう。
→仮に何があったとしても、まあ誰かが助けてくれるだろう。
〇ところが、衝撃を受けると、実際に「何とかならなかったわけで、この「なんとかなるだろう」という感覚が損なわれた。「なんとかなるだろう」という暗黙の了解の上を無意識に歩んできたところ、突然の衝撃に、その「暗黙の了解」が吹き飛んでしまう。その結果、「また〇〇になるのではないか」「もしかしたら××なのではないか」と、警戒したり、自分を強く疑ったりするようになる。この感覚が、衝撃後の生活をとても困難なものにする。例えば、「またひどい失敗をするのではないか」「などという不安が、仕事への適応を妨げ、生活の質を下げる。まず、衝撃から回復するために、一度吹き飛んでしまった「まあ、何とかなるだろう」という感覚を取り戻すことがポイントである。そのためには、自分の状態が「衝撃への反応にすぎない」と知っておく。
〇衝撃を受けたということは、ただでさえ、大きな思いをしているということ。さらに自分で自分をいじめる必要はない。今は大変なときなんだと、自分をねぎらう。
〇衝撃への反応は、回復を妨げさえしなければ、やがて乗り越えられるもの。
〇自分を責め続けるのも「衝撃」への反応。自分を責めることは、これ以上衝撃を受けないようにしようとする警戒心過剰に働いた結果の感じ方である。自分を責める思いは、回復の足を引っ張る。
〇「悲しみのプロセス」をみな乗り越えていく。「悲しみのプロセス」というのは、「信じられない!」「これが現実でなければよかったのに!」と現実を認めたくない思いから、「もうおしまいだ」「自分は二度と立ち直れない」という絶望の気持ちへ、そしてやがて「まあ現実として受け入れざるを得ない」という思いへ、と、その「喪失」を受け入れるプロセスは進んでいく。この最後の「まあ現実として受け入れざるを得ない」という気持ちこそ、「まあ、何とかなるだろう」に通じる。喪失を認めた上で生きることを受け入れる。
〇このプロセスは、人に支えてもらうことが望ましい。なぜなら、自分の頭の中だけで考えていると、どうしても「ダメな自分」という色メガネによって現実がゆがんで感じられてしまう。本当は「仕方のなかったこと」なのに、「自分がもう少し努力していけば」などと非現実的なことを考えてしまう。これは仕方のないことで、衝撃を受けているときには自分の「足りないところ」探しの状態になっているわけであり、むしろ当然のことと言える。よって、「仕方のなかったこと」なのだと考える。
〇自分に何が起こったのかをきちんと知る。そして、他人に同じことが起こったとき、自分はなんと言ってあげるだろうかと考える。「誰がやったって防ぎようがなかった。単に運が悪かっただけ」と言ってあげるのではないだろうか。もし改善点がる場合には、「次はこういうふうにすればもっとうまくできる」という点に気づくことは、衝撃からの立ち直りに明らかにプラスになる。
〇自分に優しい言葉をかけられないのも衝撃への反応。
〇人にかけてあげる言葉を、自分にもかけてあげよう。
〇自信というのは、「まずつけてから、何かに臨む」という性質のものではない。自信とは、「自分についてのよい感じ方」。
〇衝撃の影響から抜け出し、「まあ、なんとかなるだろう」という感覚が取り戻されていく中で、自信は回復してくる。自信がないということは結果であって、原因ではない。自信がないからできないのではなく、衝撃を受けたから自信がなくなっただけ。自信が持てない自分に注目してしまうと、足りないところ探しが活性化してしまう。それよりも、「今は衝撃への反応として、自分を信用できなくなっている、つまり自信がなくなる、という当たり前のことが起こっているだけ」と割り切ることが大切である。
〇失敗前の自分を思い出してみると、いつもの毎日をいつも通りに生きている。そして、心から笑い、リラックスできる時間を取り戻そう。
〇人間はだれでも失敗するもの。人から支えられているという感覚を持てると楽になる。
〇「まあ、なんとかなるだろう」という感覚を取り戻すためには、小さな達成を積み重ねることも重要である。衝撃を受けたときは、普段よりも様々なハードルを高く感じてしまう。よって、物事のハードルを下げたほうが良い。高すぎる目標は立てない。日々決まっている仕事に集中し、何らかの目標を立てるとしても1日ごとの小さなものにとどめる。この時のポイントは、「単にこなす」こと。質を求めてしまうと、「足りないところ」探しが始まってグラグラしてしまう。小さくてもできたという感カウを積み重ねると、「まあ、何とかなるだろう」という漢学を取り戻しやすくなる。
〇先を見るのではなく、これまでの道のりを振り返ることも、「まあ、何とかなるだろう」という感覚を取り戻すためには重要なことである。小さな達成点をたくさん見つけて、最悪だったころと比べていきましょう。
〇裏切りがあると、何を基準に人を信じたらよいかわからなくなる。新たな基準を作る必要がある。他人をコントロールすることはできない。どんな人にもそれぞれの事情がある。陰口をたたくというのは、何らかの難しい事情があるはずである。よって、他人の言動をコントロールすることは不可能である。目標を「心をボロボロにしないこと」「人生の豊かさを謳歌すること」に置くのであれば、「自分がどうとらえるか」である。かなり難しい事情を抱えているらしい人が不適切な言動をすることを「自分が裏切られた!」ととるのか、単に「この人は相当病んでいるな」と取るのかでは、自分についての感じ方がだいぶ変わる。
〇難しい事情を抱えた相手を変えられない以上、こちらにできることは、「自分なりの基準を作って、その中で納得しながら生きること」である。自分なりの基準を作る際には、「自分が相手からこのような態度をとってもらえれば、気持ちよく対応できる」という基準となる。気持ちよく挨拶してもらえれば、こちらも気持ちよく挨拶できる。誠実な姿勢を示してもらえればこちらも誠実に答えられる。このような態度をとっていても、相手が表裏のある姿勢を示すのであれば、それは明らかに相手側の問題である。そう認識しないと、自分の「足りないところ」探しが始まってしまう。
〇「自分の問題なのか、相手の問題なのか」という視点を常に持っていれば、少なくとも自分側の姿勢は固めることができる。「私の人間関係のスタイルは、この通り。これは常識的なもので、普通の人に対しては問題なく通用するもの。それが通用しない場合は、相手側に難しい事情があるのであって、私が『足りない』というわけではない」と割り切ることも大切である。
〇良い就職したらしい、出産するらしい、昇進したらいいということを聞くと、かなりの衝撃をもたらすことが多い。他人の幸せを喜べない自分を恥ずかしく感じ、自分の反応を嫉妬深い、未熟と断罪してします。こうした考え方が回復の足を引っ張る。これも衝撃への反応と考える。衝撃からの回復を妨げないためには、自分を否定しないこと。自分で自分を傷つけたって、何も解決しない。人は人、自分は自分。自分を否定しない。
〇人から受ける傷は本当に辛いもので、心がぼろぼろになるのももちろん当然である。しかし、さらに追い打ちをかけているのは、自分、という構造を見つけることができる。
〇傷つける相手に接した時、傷つかない方法は、相手を「困っている人」として見るということである。例えば、上司が罵声を浴びせるとき、嫌みを言うとき、嫌がらせを言うとき、全ては上司にとって「困った状況」になっているときだと言える。
〇「八つ当たりする人」は不安が強い小心者
〇「自分を否定された!」「自分が攻撃された!」わけではなく、「困った上司が目の前で悲鳴を上げている」だけだとみれば、自分が受けるストレスはぐっと減る。
〇「攻撃的な人=困っている人」と知る。
〇「こうあるべき」を通じて他人を見ない。理想は理想だが、現実はまた現実である。現実を現実として受け入れないと、自分に負担がかかる。こうあるべきというストレスを自分に加えることになる。曇ったメガネで必死に見ても、こちらの目が疲れるだけで、対象そのものを変える力は全くない。すっきりとしたメガネでありのままを見たほうがずっと楽である。
〇今は単に「こういう風にしか振る舞えない上司」という現実を認め、上司のことを「困っている人」「困っているということを自分の問題として引き受けられないくらいに困っている人」として見ることに決めるのが妥当な判断である。騒音がどこまで行っても騒音であるのと同じように、そのストレスだけはなうすことができませんが、反対に言うと、そのストレス「だけ」に減らすことは目標にできる。
〇現実を受け入れることが、ストレスを減らすコツ。
〇一般に、いじめは、「違和感のある人」に対して行われる。自分から見て「わからない要素」があると、それが不安を喚起する。何を考えているのかわからないということが人を不安にさせる。よって、もっと「わかりやすい人間」になることも一つの手。そして、「相手のメンツをつぶさない。つまり、相手が「こう扱われて当たり前」と思っていることがなされなかったというようなものである。
〇「自分は嫌われている」と考えるのと、「自分は相手を不安にさせている」と考えるのとでは、大きな違いがある。前者はどうしても自己嫌悪や自己防衛を伴うことになる。意識が「いじめられている自分」に向いていしまう。心をボロボロにするエネルギーが生まれる。後者であれば、「相手は何が不安なのだろうか」「どうすれば安心してくれるのだろうか」というふうに考えることができる。こちらが努力しても現時点では不安を手放せない場合は、あくまでも相手側の話となる。
〇相手の不適切な行為の基本には不安がある。
〇他人に否定されたとき、衝撃を受ける。自分に「なぜ?」を問い続けると、心をボロボロにするエネルギーが生み出される。衝撃は衝撃のため、衝撃への反応は「今は仕方がない」と思って受け入れる。上司の限界を認め、自分が成長する可能性があれば、それを見つけていく。
〇問題人物と付き合わなければならないとき
→自分は何を期待してとどまっているのか?
→このまま待っていても事態は悪化するだけという現実を認めて初めて、「どうするか」を考えることができる。限界を認めることが、事態の打開の第一歩である。
〇会社にも「限界」がある。会社云々よりも、間違いなく変わりがいないのは、自分自身の人生である。自分以外に自分の人生を歩める人はいない。自分は本当にかけがえのない存在である。会社が自分を一方的に評価するのではなく、こちらからも、「会社のためにこんなに頑張って身体まで壊した自分を、会社はどう遇するのか」という点を評価してよい。
〇一人では対処できないことがある。
〇自分の心身についても限界を受け入れる。頑張りすぎる人は、限界を認めたがらない人。それが自分の努力不足や敗北に感じられてしまう。現状にとどまることで何が変わりえるのかを考えてみる。
〇自分ではコントロールできないものに幸せを委ねてしまうと、運命の奴隷になってしまう。
〇不合格の繰り返し=衝撃の繰り返しである。将来が不安になり、自分が無力な存在になる。自分の「足りないところ」探しが厳しくなり、自信がなくなってしまう。
〇「再就職できない限り、自分には心の安らぎなど得られるわけがない」と感じ方をしているかもしれない。再就職できない限り、何も心から楽しめるわけがない、とい感じるくらいに、心は追い込まれていくものである。再就職のことは完全に棚に上げして、意識の外に出してください。今、目の前にある瞬間だけに心を集中させて、ちょっとほっとする。何かにに心から笑う、美味しいお茶を飲む、「空がきれいだな」と感じるだけでも十分である。人を助けることも一つの方法である。人を助けると温かい気持ちになるし、自分には人を助ける力があると知ることは、無力感から脱出するきっかけも作れる。
〇ほんの一瞬でも、自分さえその気になれればいつでもホッとする時間を持てる、ということを知ることは大きな力になる。これは運命の被害者から脱するためのひとつの方法である。
〇幸せな「現在」が、幸せな「未来」を作る。人生の幸せ感を決める因子は、仕事(再就職)だけではない。それよりも確実なのは、幸せな一瞬一瞬を積み重ねていくこと。未来は現在の延長線上にある。まだ来ない未来を重い煩って真っ暗になるのか、とりあえず現在幸せを感じてそれを次の瞬間へとつなげていくのか。視点を「未来」に置くのか、「現在」に置くのかは、自分で選択できる。未来が不安になるのは、衝撃を受けたときには人間として当然の反応である。「未来への心配を完全に手放さなければ」などと完ぺき主義的に考えてシムと、それができない自分を責めることになる。ある瞬間を選んで、「今だけは安らかな心でいよう」と決めれば、それで充分である。未来によって、現在を乗っ取られないようにする。
〇何を目指せばいいのかわからないという感じ方も、衝撃を受けたときに典型的なものである。日々をこなして足元を固める。戻るべき点は「ただ日々をこなす」。何かを目指すのではなく、とにかう足元を固める。足元を固めながら、一歩一歩進んでいけば、「とにかく前進してきた自分」にだんだんと自信がを持つことができるようになる。「まあ、何とかなるだろう」という感覚が取り戻されてくる。「先のことを考えない」「今日1日だけを生きる」ということである。
〇目標は作らない、「希望」をもつ。
〇グズグズいうことで、人は前進する。その効用は、ひとつは、自分の感情を受け入れる。変化の時の感情は、前進するための道標のようなもの。「何かを失う」というとき、丁寧に感じていくことは、やはり自分に対する丁寧なケアである。
〇「自分の希望は、他人の希望より格下」という感覚は、自己肯定感の低さを反映している。その原因は、批判や過干渉にさらされ続け、「ありのまま」の否定されてきた。
〇「頑張りすぎ」のもとには、「十分に頑張らなければ、人として認められない」という感覚がある。「ありのまま」の自分を肯定できない、自己肯定感の低さなのである。「どれほど頑張っても足りないと感じてしまう心」を手放し、「自分は十分に頑張っているのだ」と思えること、それこそが自己肯定である。自分は十分に頑張っていると認めると、自己肯定感が高まる。
〇他人からの評価を気にしてしまう心。「どれほど頑張っても足りないと感じる心」とは、「評価される対象」として感じ方である。
〇感じる主体であれば、頑張る楽しみや達成感を感じることができると、「十分頑張った」と思える。
〇「結果がどうであれ、頑張っているところを人は見てくれている。自分はこれでよいのだ」と思えることが重要である。こうやって、感じる主体を育て、自分の軸が作られる。「足りないところ」を指摘されて育ってきた人は、何かを判断する基準を「自分の感じ方」ではなく「周りの目」に置くところに特徴がある。よって、他人から理不尽な要求をされたときにも、「そんなことを引き受けたら自分がボロボロになってしまう」という感じ方よりも、「ここで断ると、冷たいと思われるのではないか」「ここで断ると、仕えないと思われるのではないか」と他人の評価を気にする。その結果、「頑張りすぎ」につながり、心をボロボロにしてしまう。周りの目ではなく、自分の目で物事を見る。
〇会社に評価されなければ自分の頑張りも報われないということになれば、理不尽な扱いに振り回されて心がボロボロになる。
〇自分の価値は自分が決めるもの。自分の価値を他人に決めさせることをしない、自分を認める力を明け渡さない。自分の事情を本当の意味で知っているのは自分だけ。自分がどれほど頑張っているかを本当に知っているのは自分だけ。
〇どんな環境にいても自分の価値は自分が一番よく知っている、という姿勢を身につけていくことは、社会情勢に左右されずに充実して生きていくための大きな力になる。自分の最終的な価値を決めるのは自分自身なのだということだけは見失わないようにしながら、人生の質は、一瞬一瞬の質の積み重ねだという視点も重要である。自分に「よく頑張った」と言ってあげられるのは自分自身。
〇「もしも〇〇できなかったらどうしよう」という恐れを手放す。そのためには、目の前の仕事に集中することである。
〇人を相手にしているときは、その相手のコトだけを考えるようにする。「自分はどう思われているだろうか」などという恐れができきたら、それを単にわきに置いて、相手に集中し直す。クレームをつけてくる相手であれば、「困っている人」として見て、「困っている大変だろうな。どういうふうにしたら安心してもらえるだろうか」というふうに考える。とにかく、自分のことを一切考えずに相手のことを集中する。
〇「何をするか」ではなく「どうあるか」である。私たちひとりひとりにはかけがえのない価値があり、それは「何をするか」によって評価されるような性質のものではない。自分の人生の質を決めるのは、一瞬一瞬の質の積み重ね。この一瞬に自分が安らかで満たされていれば、そしてそれを積み重ねていけば、人生全体が安らかで満たされるもの。よって、自分を大切にしていこうと思えば、そこで必要なのは「何をするか」ではなく「どうあるか」ということ。まさに、「評価される対象」としての自分から、「感じる主体」としての自分への転換でもある。
〇完璧主義を手放すと、丁寧な仕事ができる。
〇「何かをするか」というテーマの下では、「どれほど努力しても足りないと思う心」に容易に取りつかれる。それよりも、自分の心が「今」やすらかであること、「今」みたされていることなど、「どうあるか」に焦点を当ててみると、自分についての感じかあが全く変わってくる。
〇自分の夫や父親がこんな気持ちで追い詰められているということを知れば、家族だって、「やってあげたいこと」がある。心がボロボロになるほど、視野は狭窄して、物事の見方は一面的になってくる。まずは自分のパートナーを信頼して打ち明けて話をする。
〇つながりを大切にする。
〇うつ病は「頑張りすぎ」のなれの果ての病気。「どれほど頑張っても足りないと感じてしまう心」に囚われてしまっている人である。苦しみながら何かとゴールまでたどり着く人生とは違う、「豊かでのびのびした別の生き方」をするために、本書がある。