Posted by ブクログ
2021年04月21日
●イラッとするのは外的刺激に対する自動防御反応。イライラはその感情を手放さず内にもち続けることからくる。我慢すると膨張する。
●「なんで?」「べき」論からくるイライラは、現実を受け入れられず、コントロールできない無力感。困っている感情。
●なんで?には「現実とはこんなもの」などとさっさと自分で答えて...続きを読むしまい、無力感を手放し自分主体でコントロールし自由になることもできる。
●自分に衝撃を与えた人を要警戒人物として扱うことは、ストレスを自ら生み出していることになる。
●決めつけは領域の侵害。人にはそれぞれ事情がある。それを無視し踏み越えてくのはイライラの原因。
●イライラは自分が損していることを表す感情だから、手放すと損するという思い違い。最大の損は自分自身の力が奪われる事
●「〜のせいで」という被害者モードは相手が主役。何よりも自分を中心に据えていたわり、被害を取り除き癒すことの方が最優先。
●現実に対し、なんで?と問い続けることは、分厚い壁に、変われ変われと自分の身体をぶつけてるのと同じ。いつか壁が動く前に、自分が傷んでしまう。常に満身創痍な損する体質。イライラして現実が変わることはない。
●相手から自分を主役にするには、無力な被害者をやめ、力ある主役になること。被害者返上。
●イライラは相手問題として考えているので、自分が主役でなくなり、無力な存在にし、自分の幸せを別の何かに委ねているとき。イライラしない方を選ぶ。
●相手を主語にして注意するより、私が困っているのでお願いと言った方が聞いてくれる。
●イライラは自分が困っている状態。何に困っているのか、被害について考え、解決のため主体的に動く。むずかる子供ではなく、自分の面倒を見る力ある問題解決能力の高い大人になる
●なんで?や自分のべきを客観視する。気温は暑過ぎるべきでない笑
●立ち直りに必要なのは自分の感じ方をまず肯定すること。とにかく全部肯定。それから善後策。
●衝撃に対する強さは、そもそも驚かないこと、本来あるべき状態の幅が広いといちいち驚かない。ま、色んな人がいるね。
もう一つは受けた時の対応上手。衝撃を認知し、自分を手当てできる人。
●相手のしたことは不適切。でもこれが現実ということは、そうなるに至った事情があるなだろうと、現実を受け入れるならなんで?のイライラはおさまる。
●大きな視野を持ち全体を見ることで、「本来あるべき状態」の幅を広げ、自分を守れる。「本来あるべき状態」を修正していくなかで、ま、これも一つの必然かな、色んな事情の人がいると考えられ、寛大にどんなことでも受け入れられるようになっていける。
●べきは、不安からくる。これ以上不安になりたくないから、物事はこの範囲内に収まって欲しいという願望。しかし、べきは、自分を守るどころか自分に損をさせる
●イライラは過去と未来にしかない。今に集中するなら、余裕が生まれイライラから解放される。人生は今の連続。
●相手の態度が失礼だと感じた時、そらは自分が失礼な扱いを受けたのではなく、相手が無愛想だっただけ。自分が侮辱されたと意味付けするその思い出し方によって、勝手に被害を拡大させない
●許せない相手には。
許せない!と思い続けることは、酷いことをした相手が去り際に、一生許さないボタンを押していっで、自分ではリセットできなくなっているロボットになってるのと同じ。相手がやっぱ許しでいいというボタンを押す=相手が反省して心から謝るなど、それまで許せない!とイライラして生きていくのは完全に相手に依存した無力な存在に徹していること。ただでさえ酷いことをさらたのに!つまり、許せない!という気持ちは、自分にとって踏んだり蹴ったりを強いていることになる。
●どうせ…も決めつけ。過去の衝撃からの防御反応。でも長い目で見た時に、そのどうせが自分のメリットになることをも遠ざけてしまうことになるなら、今に合わせて少しずつ修正をした方が得。
●やらされてる感はイライラのもと。自分がしたいからやるという目的をもてば主役になれる。我慢ではなく美意識を持つ。
自分はやりたいからやっているという感覚を持つとら自分で選んでいることになり、相手の反応がどうであれ、感謝されなくて衝撃を受けたとしても自分をいたわりつつ、イライラしなくなる。私はやりたいからやっただけ。やはり大人として、こういうふうに生きていきたいという清々しさは自分に安定した大地となる。
●自分が住む環境を自分好みにコントロールしたいくのは可能。
●イライラを手放すのは中毒になるほど快感。イライラをどうすべきかという次元ではなく、なんだ、自分を縛り付けるものなんて何もなかったと、自分を解放しのびのび広がる人生を感じるられるのは力ある主役。
●口論になった時、目的は戦って勝つことではなく、違う事情を持った者同士の折り合いの場と考え、うまく折り合いをつけることに集中する。謝ることは、綱引きから自分がまず手を引くこと。相手は勝負にならない。張り詰めた綱引きから自分からスッと手を離すのは快感。過去やどうせに支配されず.今と目の前の相手に気持ちを伝えれば成果がある。
●どちらが正しいかを決めることには意味がない。人にはそれぞれの正しさがあるから、決着をつける必要はない。
●謝って相手が許してくれなくても、それは相手の問題。回復に必要なプロセス。そもそも許してもらうために謝るのではなく、自分のこととして謝りたいという気持ちから。それを許してと相手に迫って相手の許しのペースをみどしたり、許してもらうために自己正当化をしたり、許してくれない相手にイライラしたり…お互いに被害者モードを加速するなら未来はない。まず自分がそのモードから抜け出すこと。
●べきは百害あって一利なし。
●寛大な人ほど、現実に対して強い人はいない。
●イライラで相手をコントロールするのではなく、私が困っているので助けてと言える方が幸福。