関口英子のレビュー一覧
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原著1951年発表。
私が高校生の頃、アルベルト・モラヴィアの作品がハヤカワ文庫NVで何冊もラインナップされていたが、今は全部絶版で、邦訳は光文社古典新訳文庫の2冊以外は古書で入手するしかないようだ。1990年に物故するまでは20世紀の巨匠として賞賛されていたのに、死後は本国イタリアにおいてすらほとんど忘れられている作家。
本作もなかなかに重厚な小説である。人間の心の機微にぐっと入ってゆく描写は緻密で見事。描写がそのように濃厚であるため、ストーリーは波乱のある「面白い」話なのに、ゆっくりとずっしりとした時間が流れてゆくような小説「時間」が呈示される。そのため多忙な情報化社会の現在から見ると、「まったりしすぎている」と思われ忌避されてしまう傾向はあるのかもしれない。
三人称形式の小説だが、主人公マルチェッロの心の綾に非常に深く根ざしたまま描写が続き、彼が自分自身のことをいかに意識し、「規定する」かが重要な文学要素となっている。そのような自己意識によって、彼の人生の方向は定まってゆく。
そのような重いリアリズムが小説読みの快楽として提供される、優れた作品である。
ちなみに邦題の「同調者」というのは原語でIl Conformista、ムッソリーニのファシズム政権時代に、主人公自身が、思春期に殺人を犯した自己像として刻印する「異常性」からのがれるために「正常性」「ふつう」を求めた結果、当時の人びとの動向に「同調」してファシズム側に身を寄せていくという姿を意味しているようだ。 -
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おもしろい
「竜退治」が特にいい
この話の恐ろしさは竜を殺した人間に与えられる罰(死)ではなく
むしろ罰を受けずに済んでしまうこと
竜の叫びに対して沈黙で返す世界に向けられていると思った
未知の存在を徹底的に狩り尽くしてしまう人間の習性はこの地上の支配者としてふさわしくそしてとても醜い
列車とか行進とか、何かを目指して走り続けている話が多い
しかしそれらはすべて進路を間違えていて、今どこにいるのかさえわからない
このままでは目的地に辿り着かない、でも引き返すことも止まることもできない
そういう不安が強い人だったんだなブッツァーティは
「聖者たち」もよかった。
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友人からオススメされたショートムービー「ザ・シンプルインタビュー」を見て心を掴まれた!スーツに蝶ネクタイ姿で就職活動するジョヴァンニ。アタッシュケースを開けたらぬいぐるみが出てきて笑い、家でうたた寝しているお母さんに毛布を掛けてあげる優しさに涙。ジョヴァンニはダウン症だ。ジャコモは、待望の弟が思っていたのと違っていたことに戸惑い、思春期になると親友にさえ弟の存在を隠すようになる。しかし、そんな兄の思いとは関係なく、好奇心に満ちた、楽しいことでいっぱいのジョヴァンニの世界はキラキラ輝いて魅力的で、周りの人を笑顔にする。やがてありのままで良いと気付き自由になったジャコモ。「一人ひとりの内側にかけがえのない世界がある。自分の視点だけで他人を判断しないで。ありのままに素直に。シンプルな目で真実を見極めよう。」愛が溢れる本。
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ジャコモはダウン症の弟ジョバンニと出会わないなんて残念だと言う。ジョバンニには周りを笑顔にする特別な力がある。ジョバンニといると毎日が違って楽しくなる。ただ、ジャコモはそう思えない時も経験していた。しかし、家族や友達の大きな愛によってジョバンニは見守られ、さらに学校などの社会的な関わりも区別されることなく過ごすことで、大切なものを見落とさなかった。
日本ではそもそもハンディキャップを持つ人と過ごす機会が少なく、ここまで明るくユーモアたっぷりに描かれる姿に驚いた。多くの人に読んで欲しい作品。映画も見たい。
ジャコモの描く草食のティラノサウルスがかわいい。ジャコモの優しさを感じる。
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アンナ・ポリトコフスカヤ
ロシアにおいてプーチンのチェチェン紛争を取材し、プーチンを痛烈に批判していた女性ジャーナリスト。
80年代、ソ連のペレストロイカの進む中でジャーナリストとなったアンナは、ソ連が崩壊し、ゴルバチョフ、そしてエリツィンへと引き継がれた民主化の動きが、プーチンの登場によって、国民の不満を封殺しながら徐々に引き戻されていく中で、危機感を感じ、第二次チェチェン紛争では命の危険に晒されながらチェチェンに潜入して、ロシア国内には明らかにされていないロシア軍の蛮行と政府の欺瞞を暴いてきた。
それは、ロシア国内においてさえ、彼女を危険に晒す生き方だった。
そして、2006年10月7日、自宅アパートのエレベーターの中で射殺死体となって発見される。
これは、アンナの娘であり、放送局に勤めて、反体制的な報道番組を担当していたヴェーラが、家族としての母アンナ、そして同じジャーナリストとしてのアンナについて、書いたもの。
そこ、ここに、自由が保障されない国で、国を批判する事の危うさ、権力の恐ろしさを感じとれる話が出てくる。
一方で、その権力に、自分が見た事を報道するという方法で対抗していた女性の強さ、意志の強さに驚く。
ヴェーラが母の言葉として挙げているフレーズが、ジャーナリストとしての真髄であり、アンナという人の生き方そのものだと感じる。
「勇敢でありなさい。そしてすべての物事を然るべき名前で呼ぶのです。『独裁者』は『独裁者』と。」 -
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テレビで紹介されていた映画が面白そうだなと思っていたところ、原作本があったので読んでみました。
ジャコモと特別な弟、ジョバンニを中心に、家族や友人との生活を、飾ることなく等身大で綴られていました。ジャコモがジョバンニについて、苦悩や葛藤を抱える中で、家族や友人との関わりを通して成長する姿がとても爽やかで、優しい気持ちになれるお話でした。
共感したフレーズはたくさんあるのですが、3つ挙げるとしたら、
・兄弟を愛するということは、愛すべき誰かを選ぶことではなく、ふと気づいたら自分で選んだわけではない誰がが隣にいて、その人をそのまま愛すること
・作者は僕たち自身のはずだ。そして、僕らの物語がどんな結末を迎えるのかを決める責任は、僕自身にあるはずだ。他人にどう見られるかという恐怖は、何者かが僕の心の中にこっそり注ぎこんでいるわけではなく、僕自身がつくりだしているだけなのだ
・連中は、みんなと違うと言って僕らを笑いものにする。だったら僕らは、みんなとおなじだと言って連中を笑いものにしてやろう
映画も観たかったな〜 -
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『タタール人の砂漠』で有名なイタリアの作家であり画家でもあるブッツァーティの短編集。『タタール人の砂漠』と同様、幻想的と評される作風で不条理さや不安感、安定のなさ、不思議、奇跡などを描く。それは現実的ではないがゆえに逆説的にリアリティをともなっている。本人はカフカ的と呼ばれることを嫌がっていたようだけれど、作風的にはカフカのようで、この世の何ともならなさを描くことに卓越している。
映画監督フェリーニとの映画制作も構想されていたようだけれど、実現はしなかったとのこと。フェリーニの作風も夢や幻想に仮託しながら無意識や奇跡などを描くものであり、親和性はあると思われるだけに実現しなかったのが残念。同時代人のモラヴィアが実存主義文学的作風だったのに対抗することを意識していたようで、その対立も興味深い。
光文社古典新訳文庫がブッツァーティを改めて世に出してくれたことに感謝。 -
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方程式を理解すれば、物理学の美しい世界とやらが見られるのね。そうですかそうですか、という話ではない。物理学はちょっと…と苦手意識たっぷりでも突き放されることなくわかりやすく面白いエピソードにどんどんページをめくってしまう。その面白いと思う好奇心についても、物理学として最終章で語られている。宇宙の話は言わずがな面白い、時間と熱の関係など日常で考えたことなどなかったけれど、これからは頭の片隅で意識してしまうであろう。最初に触れる物理学の入口がこうだったら、もっと早くに違う世界が見えていたんだろうな。これを期に少しず物理学に触れていこうと思う。
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幼少期に殺人を犯してしまい「普通」であることに取り憑かれた男の話。
サイコパスな人になり暗殺任務をこなす話みたいな頭で読んだのですが、そうではなかった。
見知らぬ男から性的な悪戯を受けそうになり殺してしまったことをきっかけに人生の全てを「普通」になろうと意識をして全てを決めるようになったマルチェッロ
「真の愛を求めている」のに、婚約者からの愛には応えずただ冷静に分析し続ける。婚約者の愛を肯定したり打ち消したり波があるまま暗殺対象の調査任務も新婚旅行の裏で進めていく。
やっと救いを見つけたかと思いきや、旅行中の暗殺対象の妻への恋…彼女に一目惚れだった人物を重ねて嫌悪されながらも「愛して欲しい」と思いをぶつけていく(最低)
本人は気づいてないがその様が自分を苦しめている過去の小児性愛者の求愛の姿にも重なり、側から見ると「信じているもの」も「救い」も可哀想なくらい滑稽に見えてしまう。
「普通」と言うものがあると信じて、ずっと合わさることのない座標を探している。
やがて信じていたものが崩れ去り、自分を呪っていたものも幻想だと解ったときに全てが間違っていて全てが正しくありのままで良くて、滑稽に見えてても真剣で信じたものを貫いたり。(真剣なほどそう見えるものなのかも)呪っているものも幻想と思えれば幸福なのかなと考えさせられた。
タイトルの意味
主人公の中では野心のない農夫のように何も考えずに日々を過ごすことは許せないのに、自身は体制の中で思想を持たずに暗殺の仕事に関わり"意味のあること"と言い聞かせて"流されていく"姿のことと理解した。(解説を読む前) -
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ネタバレ友達に「ルシア・ベルリンにちょっと似ている」と教えてもらった作家で読んでみたんだけど、確かに後半の狂気と死、悲惨な運命をからからしたユーモアで書いていくあたりはちょっと似ているかも。面白かった。好きなのは「使徒書簡朗誦係」「フローラ夫人とその娘婿のポンツァ氏」あたり。何が狂っているのか、おかしいのは何なのか、分からない。でも、悲惨を滑稽にすり替え、何が正しいのかとか、正しくあることに意味なんてないだろう?と言わんばかりの堂々とした書きぶりは好感を持ってしまう。
最後の解説によると作者自身の人生も恵まれた生まれながら相当残酷な目にあっており、そこからこの作品群の凄みが生まれてくるのだなあと思った。悲惨だから、なんだというのか。現実がそのようにあるとして、笑うしかないじゃないか、と。他の作品も読んでみたくなる。 -
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第二次世界大戦から間もない頃、イタリアでは共産系の人々・組織の手によって、貧しい南部の子どもたちを比較的裕福な北部の家庭が受け入れるということがあった。その子どもたちが北へ移動する際に乗った列車が「幸せの列車」などと呼ばれた。
そんな話は聞いたことがあるような気もするし、初耳でもさもありなんという取り組みだ。それにしてもこういう南北の格差ってわりと古今東西あるもので、なぜか南のほうが貧しいパターンが多いのはなぜだろう。
この本の主人公アメリーゴも「幸せの列車」に乗って北部の家庭でしばらく暮らす。そして片親の母親のもとに戻ってくるのだが、母親とのすれ違いがあったりして、家出同然に世話になった北部の家庭に再び世話になり、そのまま大人になる。時がたって母親が亡くなったことで故郷の街を初老になったアメリーゴが訪れるという物語。
生き抜くために子が親を捨てるという、自己決定をするのはいい。アメリーゴもそのおかげでけっこう著名なヴァイオリニストになった。一方で、母親に対してかたくな過ぎただろうとも思う。かたくなに母親を、故郷を拒否しなければ生きていくことができなかったのかもしれない。そもそも母親とのすれ違いというのも、アメリーゴが北部の家庭で贈ってもらったヴァイオリンを隠してしまったり、北部で世話になった人たちから来ていた手紙を隠していたことによるもので、それはひどいよと思うけど、そこに端を発して母親を拒否したが、最後には初老のアメリーゴにとっての悔いのようになってしまったことが気の毒だ。
子どものほうがかつての親への思いを悔いるって物語の定石のようなところがあるけど、それって親の深謀を賛美する社会的呪縛のような気もする。 -
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奇妙な物語、奇妙な人たちがたくさん。
先日読んだ『作者を探す六人の登場人物』の作者・ピランデッロ(ピランデルロ)の短編小説を集めた本。
戯曲のモチーフになったであろう短編も色々あり、面白い。
出てくる人たちが結構、妙な追い詰められ方をした妙な人たちが多くて、変人列伝みたいな趣がある。
お気に入りは
どちらかが狂人である、という二人が、町の人々に「あの人が狂人です」と主張し合う
『フローラ夫人とその娘婿のポンツァ氏』
急に女性に向かって「バカヤロー!」と怒鳴りつけた男が決闘をする羽目になる、その繊細な動機を描いた優しい短篇
『使徒書簡朗誦係』
どっちも設定が攻めてる。 -
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「この本は、子どもの本なのでしょうか?若者むけの本?それとも、大人むけの本?」
ー作者による解説より
「マルコヴァルドさんの四季」というタイトルと表紙を見て、どんな内容のお話だと思いましたか?
私はマルコヴァルドさんという男性が四季おりおりの情景の中で何か素敵なものを見つけ、小さな幸福とふれあう物語を想像しました。
…これが遠からずも当たらず。
この本はマルコヴァルドさんとその一家が過ごす四季×5年分の20話を収めた短編集。
マルコヴァルドさんは、イタリアのどこか知らないけど都会の街で8人家族を養う大黒柱。
そしてどんな仕事をしているのかさっぱり分からないけど、低賃金労働者で家計は苦しい。
ひもじくて野生で生えてるキノコを採りまくろうとしたり、寒さに震えながら薪を買うお金がないから森で薪を調達してきたり、スーパーで他の客がパンパンにカートに商品を詰め込んでいるのが心底羨ましくて買う気はないけどカートを品物でパンパンにしてみたり。
そんなこんなで田舎から出てきたマルコヴァルドさんは、田舎の自然に思いを馳せ、都会の汚らしさにため息をつきながらも、その街で家族と暮らしていきます。
さて、その短編一話一話の展開なのですが、どれも一話ごとに起承転結がしっかりしていて皮肉と哀愁とちょっとした希望に富み、面白いのです。
ただ悲しいかな、物語の最初に街の中でマルコヴァルドさんが小さな幸せや生きがいを見つけることは、読む前の想像通りなのですが、ラストはいつも悲しい結末に突き落とされ、こちらは読みながら呆然とします。
…ええっ!?ここみんなで笑ってハッピーエンドじゃないんだ!!?
救いようがないとまではいかないけど、ちょっとつらい。
割と毎回、そんな感じ。シビアな終わり方も。
どんな展開でそうなるのかは読んでのお楽しみということにして…。
この、何かいいことを見つける→なんやかんや盛り上がりの展開がある→切ないラスト、という展開は、どうやら作者のカルヴィーノが意図的に織り成していたらしい。
完全に術中にハマる。
けれどあまり悲壮感なくページをめくり読み進めてしまうのは、マルコヴァルドさん含めマルコヴァルドさんの子どもたちがめちゃくちゃ逞しくて、次みつけた希望に目を輝かせられるガッツがあるから。
そしていつもマルコヴァルドさんが幸せだ、素敵だと思い焦点を当てるのは、街中のネオンでも喧騒でもなく、植木鉢でぐんと背を伸ばしている植物や、星が輝く夜空、きれいでおいしい空気。
そんなマルコヴァルドさんの感性は、「都会の暮らしにふさわしくない目」と解説などで表現されています。
なるほど、ふさわしくない。
たしかにそうかも。
でもそれと合わせて印象深かったのは、田舎から出てきたばかりのマルコヴァルドさんには都会の街の風景がキラキラして見えたということ。
これも対比として表現しているのかな。
個人の感想だけど、マルコヴァルドさんはちょっとなよっとした感じがあるけど、その子どもたちはめちゃくちゃパワフル。
自分たちは食うに困る生活を送っているのに、裕福だけど日々をつまらなさそうに送っている男の子を見て「恵まれない子どもだ」と感じるというタフネス。
一連の物語で輝いて主人公然としていたのは、案外子どもたちの方なのかも。
あとはこれが書かれたのは1950〜60年代初期というのに、古びた感じが一切しない。
つい去年書かれたばかりですよと言われても納得してしまいそうな新鮮さ。
マルコヴァルドさんが過ごす四季は、はちゃめちゃな展開もあるけれど、今の私たちの生活と照らし合わせて共感を呼ぶものだと思いました。
なんだかついまた読みたくなる、そんな本。
ちなみに特に好きだなーと思ったのが、
「高速道路ぞいの森」「牛とすごした夏休み」「毒入りウサギ」「月と《ニャック》」「けむりと風とシャボンの泡」「がんこなネコたちの住む庭」「サンタクロースの子どもたち」
です。
以下備忘録がてら目次をば。
春 都会のキノコ
夏 別荘は公園のベンチ
秋 町のハト
冬 雪に消えた町
春 ハチ療法
夏 土曜の午後、太陽と、砂と、まどろみと
秋 お弁当箱
冬 高速道路ぞいの森
春 おいしい空気
夏 牛とすごした夏休み
秋 毒入りウサギ
冬 まちがった停留所
春 川のいちばん青いところ
夏 月と《ニャック》
秋 雨と葉っぱ
冬 スーパーマーケットへ行ったマルコヴァルドさん
春 けむりと風とシャボンの泡
夏 都会に残ったマルコヴァルドさん
秋 がんこなネコたちの住む庭
冬 サンタクロースの子どもたち
作者による解説
訳者あとがき