第二次世界大戦から間もない頃、イタリアでは共産系の人々・組織の手によって、貧しい南部の子どもたちを比較的裕福な北部の家庭が受け入れるということがあった。その子どもたちが北へ移動する際に乗った列車が「幸せの列車」などと呼ばれた。
そんな話は聞いたことがあるような気もするし、初耳でもさもありなんという取
...続きを読むり組みだ。それにしてもこういう南北の格差ってわりと古今東西あるもので、なぜか南のほうが貧しいパターンが多いのはなぜだろう。
この本の主人公アメリーゴも「幸せの列車」に乗って北部の家庭でしばらく暮らす。そして片親の母親のもとに戻ってくるのだが、母親とのすれ違いがあったりして、家出同然に世話になった北部の家庭に再び世話になり、そのまま大人になる。時がたって母親が亡くなったことで故郷の街を初老になったアメリーゴが訪れるという物語。
生き抜くために子が親を捨てるという、自己決定をするのはいい。アメリーゴもそのおかげでけっこう著名なヴァイオリニストになった。一方で、母親に対してかたくな過ぎただろうとも思う。かたくなに母親を、故郷を拒否しなければ生きていくことができなかったのかもしれない。そもそも母親とのすれ違いというのも、アメリーゴが北部の家庭で贈ってもらったヴァイオリンを隠してしまったり、北部で世話になった人たちから来ていた手紙を隠していたことによるもので、それはひどいよと思うけど、そこに端を発して母親を拒否したが、最後には初老のアメリーゴにとっての悔いのようになってしまったことが気の毒だ。
子どものほうがかつての親への思いを悔いるって物語の定石のようなところがあるけど、それって親の深謀を賛美する社会的呪縛のような気もする。