中山元のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ルソー著『人間不平等起源論』
1755年に刊行され、7年後に刊行される『社会契約論』の元になる思想のエッセンスといえる書。
1789年から始まりルイ16世が処刑され99年に終結したフランス革命の思想の元となったといえるルソーの書。
ルソーは、教育学や恋愛小説や自伝など様々なタイプの書を世に出しているが、このルソーの政治哲学の刮目すべき点は、
それまでの政治哲学のホッブズやロックなどが提唱した人間の自然状態への考察を、それは現代を生きる人間による枠組みから見た状態であり、結局は原始状態に遡って見極めることは誰もできなかったと喝破し、さらに遡って人間の自然状態から論考を進めて、その上で人間の在り方を説くことだ。
「人間は邪悪である。しかし人間の本性は善であり、これはすでに証明した」
人間とは?をより深く洞察できる一冊 -
Posted by ブクログ
最近、ジュディス・バトラーの「ジェンダートラブル」と「自分自身を説明すること」を読んで、すごくフーコーの影響を感じた。
フェミニズム系の論者の間では、フーコーはあまり人気がないと思っていたので、個人的にはなんとなく意外であった。
というのは、私の個人的な偏見かもしれないが、アメリカの大学で政治哲学を学んだ2人の教授が、ともにフェミニズム系の女性で、一人は、「フーコーは女性のためになる哲学か?」みたいなエッセイを書いていたりしたことを思い出したりもするからだ。
さて、そのフーコーだが、その知識と権力に関する緻密な分析は、圧倒的なのだが、読んでいて、なんだか元気がでないんですよね。
だって、権力というのは、自分の外部に抑圧的な支配構造としてあるというわけではなくて、個人の内面に制度化されていて、それに対抗するという行為自体が、権力に取り込まれて行くみたいな話しで、ちょっと救いがない感じがするわけ。
そういうニュアンスでフーコーを読んでいたので、バトラーがフーコー的にジェンダー概念の社会的な構築を指摘しつつも、その秩序に対するパフォーマティブな攪乱を目指すという戦略につなげて行くロジックがいまいち分からなかったのだ。
で、「自分自身を説明すること」で、フーコーの「自己への配慮」への言及があったので、「そうか、バトラーが踏まえているのは、晩年のフーコーなんだ」と思い、フーコーへの再入門を行うべく本書を読んでみたという流れ。
で、とってもすっきりしましたよ。
あの難解なフーコーがこんなに分かって良いのかという感じ。
これは、まさにフーコーの主な著作だけでなく、講義録やインタビュー、小論文などなどが整理されて読む事ができるようになって始めて可能となった入門書だな。
ある意味、フーコーが最後にたどり着いた境地から逆算しながら、その思想の変遷を物語化している、という印象もなくもないが、フーコーの思想の一貫性がとてもよく分かる。
つまり、フーコーが、過去の権力のあり方を分析したのは、決定論的な社会的構築を述べるためでなく、私たちが今生きている社会を変革するためである、と。(途中、かなり悲観的なニュアンスが強くなる時期があるのだけど。)
フーコーが、晩年にたどり着いたのは、「実存の美学」という主体の問題。これは実存主義的な主体という概念に対して批判的だったフーコーにとって、一種の退行ではないか、とも批判されたところなのだが、その辺も含め、本書は一貫性をもってすっきり説明している。
あと、本書によると、フーコーの最後の境地は、「真理ゲーム」という概念で、これはウィトゲンシュタインをヒントとしたものらしい。フーコーは、このゲームのなかで、主体が、他者との関係性を変革を目指して、行動することを通じて、社会や権力が変化する可能性を見出していたとのこと。このへんは、私の最近の関心事にぴったりである。晩年のフーコーをもうちょっと勉強してみよう。
ちなみに、フーコーの個人的な社会変革に向けた実践とは、ホモセクシュアルであることを認めて、頑張ってゲイになること!
というところが、レズビアンで、それを公言しつつ、その生き方を通じて、他者との関係性の変化を志向するバトラーとフーコーはぴったりと合致していたんだ、と納得。
それにしても、ゲイの実践がたたったのか、84年に還暦前にフーコーはエイズで死んでしまったわけで、もう少し長生きして、その「実存の美学」や「真理ゲーム」の概念をちゃんと展開してほしかったと今さらながら思う。 -
Posted by ブクログ
"昨年の後半からハンナ・アーレントを集中的に読んでいる。
もともと気になる思想家だったんだけど、今、なぜアーレントかというと、世の中が全体主義的なものにむかっているのではないかという感覚的な怖れがあるのだと思う。
そして、人間の多様性と異なる人との対話とか、自分の内面の一貫性(インテグリティ)とか、人間の心の強さ(美しさ)と弱さ(悪をなす心)とか、わたしが、個人的にいろいろ悩んでいたり、考えている主題にとても関連性が高い思想家で、自分の思考に刺激を与えてくれそうな人だからかな。
わたしは、ある思想家を学ぶときに、最初に入門書は読まずに、分かろうが、分かるまいが、まず、本人の書いた本を読んでみる。できれば、2冊以上、読んだところで、入門書を読むことにしている。まずは、なんとなく「自分で読んだ感じ」というのを大切にしたうえで、他の人がどう理解したのかというのを知りたいと思う。
自分が読んだ感覚を大事にするということと同時に、ちょっとクイズみたいなところもあって、自分のここの読みはやっぱそうだったんだよな、と思ったり、分からなかったところがなるほどと思ったり、いろいろ発見がある。
さて、中山元さんの「アレント入門」は、わたしの関心にとって、ど直球な本であった。取り扱っているのは、「全体主義の起源」「人間の条件」「イェルサレムのアイヒマン」「道徳哲学のいくつかの問題」で、「全体主義はどうして起きてしまったのか」「どうして人はかんたんに巨大な悪に加担してしまったのか」「それを防ぐための方法はあるのか」みたいな問いを中心にアーレントの思想をかなり明確に説明してくれる。
あらためて、アーレントのメイン・テーマが確認できたし、それがだんだん発展していくプロセスが腑に落ちた感じ。とくに、「イェルサレムのアイヒマン」の思想的重要性が明確にされていて、ここは驚きだった。「アイヒマン」は、もともと雑誌に投稿されたルポで、他の入門書では、それが巻き起こした騒ぎを中心に紹介されることが多いのだが、この「入門」では、アーレントの思想の一つの到達点として扱われている。自分が、なんとなく読み飛ばしてしまったところに大事な論点があったんだな、と目から鱗がたくさんおちた。
あらためて、この「入門」を読むと、アーレントという人は、自分にとって本当に切実な問いを本気で考え続けた人だったんだなと思う。
彼女の本を読んでいると、難解なんだけど、「な〜んだ、そんな当たり前のことをそんなに難しく考えていたんだ」と思ったり、「ちょっと、そこ論理の飛躍があるんじゃない」とか、「最初になんとなくの答えがあって、それを正当化するロジックを古典からもってきてない」みたいに思うことがある。
ある意味、そうやって揚げ足をとりたくなるのは、彼女が、論理的な一貫性や体系性を求めていないからだと思う。彼女は、自分にとって切実な問いを徹底的に考えて、自分なりに納得できたことだけを書いているのだと思う。
わたしは、その彼女の思考プロセスと結論にかなり共感を感じるのだが、そこに波長があわない人にはきっと穴だらけの議論なんだろうと思ったりする。
彼女は、哲学、思想、古典の教養の分厚さは普通ではないのだけど、ある意味、アマチュアの哲学者なんだろうと思う。
反論しようと思えば、いろいろできるだろう。
が、アーレントの魅力は、自分の意見だけが正しい訳ではないという前提があって、そういう反論に対して、オープンなところかな。
「入門」という位置づけだけど、1冊目に読むには、やや難しいかもしれない。入門書のなかでは、矢野さんの「ハンナ・アーレント」が一番分かりやすいかな?" -
Posted by ブクログ
ネタバレ人は欲望を満たすために社会を形成したが、その社会によって人は欲望を抑制されることとなった。社会における善は、自己肯定から辛抱強さへとその価値観を奴隷により逆転された。良心は自分の自由な本能を外ではなく内に向けざるを得なくなり、疚しい良心、として成長した。その良心は、禁欲的な生に高い価値があると解釈し体現する司牧者によって点検される。学問もまた価値を生み出す権力を必要とし、自らは価値を創造することが出来ないため、禁欲的な理想を求めるものである。禁欲的な理想の果実たる、真理の価値を問い直そう、というのがニーチェの主張だ。
神に罪を被せたギリシアと神に罰を背負わせたキリスト教との対比が興味深かった。また、純粋な理性、への批判。見るとは能動的な力が無ければ出来ないという指摘。統計など科学的なデータの裏にも意図があることを忘れてはならない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレニーチェ以前の哲学を批判し、あるべき哲学者像を呈示した書。哲学の理論とはその創始者の自己認識であり、道徳的な意図を持って成長したものだと言う。道徳には主人の道徳と奴隷の道徳との2種ある。以前の哲学者が依った道徳は後者であった。真理への意志とは力の意志なのだから前者に依って哲学すべし、というのがニーチェの主張である。後者の道徳の欺瞞性は我々も無意識的にでも勘付いているはずだ。例えば例えば「いい人、なんだけどね・・・。」などと評する時だ。その台詞にはニーチェが指摘した善と愚の接近がある。なお、本書は寄り道が多い。稲妻に撃たれるようなものもあれば、女性やユダヤ人に対する読むに耐えないものまで。そんな訳でか、道徳についての詳細は『道徳の系譜』に譲られる。
-
Posted by ブクログ
ニーチェは初読。新訳かつ、原文では自明であろうが訳すと何を指しているかわかりにくくなる箇所は本文中で補足されているので読みやすい。用語や人物の注は巻末にまとめて。もう少し解説が欲しいところもあったが、1冊の文庫にまとめるのであればこれくらいが限度か。
序盤はニーチェの姿勢をわかっていなかった為、本音なのか皮肉で言っているのか掴めないまま読み進めたが、アフォリズムという断章を積み重ねる形式で記述されているが故、個々の内容の意を汲むのはそれ程難しくはなかった。ただ後書きにあるように断章間を紡いで真意を読み取ることまでできたかは甚だ怪しい。
上辺のみの理解で感想を語ることになるが、選民的貴族主義的な傾向はその後訪れる20世紀を知る者からすれば危うく感じる。それでも畜群道徳(本文中ではこの訳としては出てこない)に関するくだりは、21世紀の今も余りに低次な同調圧力として残存していることを思いださせて身にしみる。キリスト教批判、デカルト、カントらの哲学をも独断論的と評したことは当時どれほどの衝撃だったのだろう -
Posted by ブクログ
カントの晩年の著作を集めたもの。
カントの中では、短くてわかりやすい。
抽象化された一言一言は、現代の諸問題、例えばイスラム国とかトランプさんとか、イギリスのEU離脱とか、そういったものも痛烈に批判しているようにも感じる。
学ぶことがなぜ必要か?
戦争はなぜ起きるのか?
反社会的思想はなぜ必要なのか?
道徳だけではなぜ平和にならないのか?
国家とはなにか?
そんな問いに、明確に答えてくれていて、気持ちが良い。
人間は、矛盾した存在だからこそ、進歩してきた。
それをきちんと認めた上で、より高い次元に哲学的に考察することが必要なのではないか。 -
Posted by ブクログ
三批判書を「自由」を軸に読み解くことも新鮮であったが、自分にとっては9章の宗教論が一番、読み応えがあった。そりゃここまで、人間を隷属化しているキリスト教に鋭く切り込めば、当時のキリスト教から睨まれるわ。
・人間が自由でなければ道徳は存在することができない。自由は道徳的な法則の存在根拠。人間が自由であることを認識しうるのは、人間が道徳的法則にしたがって行動しうるという事実によって。その意味で、道徳的な法則は自由の認識根拠。
・カントの戒め:独特の義勇兵のように思い上がる人々と道徳的な狂信に陥る人々。
・カントは美というものがそれを感受する人間の側にあるものであること、社会の共通感覚が人間に美という感覚を生み出させるものであることを明確に示した。
・カントはアダムとイブの物語は悪への道であると同時に、本能に従う動物の隷属状態から人間を離脱させる自由の道でもあることを指摘した。
・見えざる教会と見える教会:純粋に道徳的な宗教と神に奉仕する宗教。
・ルソー:人間の宗教、国家の宗教、司祭の宗教