【感想・ネタバレ】プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神のレビュー

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Posted by ブクログ

文句なしの名著。
前半で、ルターがべルーフという言葉を職業として使い始めたというくだりは、一体何がいいたいのだろうと思っていた。
しかし後半に入り、そうした土台も含めてプロテスタンティズム(ここでは代表としてピューリタニズム)が現代の資本主義の精神を形成していく過程では、その鮮やかすぎる分析に敬服するばかりであった。

そして、現代(当時はまだ20世紀初頭だが)になるにつれ、その宗教性が薄れたり、富の蓄積による誘惑の増加といった矛盾が現れるにつれて顕在化してくる問題についても適確に見通している。
その忠告が帯にもある、「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無にひとしい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう」という締めの言葉につながっている。

いずれにせよ、自分の性格や信条との共感も含めて、自分が今まで読んだ本の中で間違いなくトップ3に入る名著であった。

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2014年03月01日

Posted by ブクログ

古典、さらには宗教とベースとなる知識に自信がないので敬遠していましたが、大変読みやすかった。最近の下手な経済読本より分かり易いと思った。

技術、商業の教育を受けた人にプロテスタント的な性格の人が多いという著者の素朴な発見から本書はスタートする。

資本主義において生産性を向上するため古来から出来高性が導入されてきた。しかしこれは生産量の向上につながらず実際には低下した。人は従来の方法で生活を維持することを望むのである。逆に賃金を下げても、生産量の質・量とも低下する。結局、労働のモチベーションは金銭にあらず、仕事を人間の絶対的な自己目的、天職と意識することに依るのであるが、この意識付けはある特定の宗教からくるのである。

カルヴィニズムの禁欲性が生活の合理化、労働の合理化につながったというのが、かなり単純化した結論。キリスト教について基礎知識が無い読者はこのあたりで混乱すると思いますが、ようはルター派、カルヴィニズムを主に扱い、その中でカルヴィニズムの禁欲的な価値感が資本主義の発展に寄与したと理解してよいと思います。

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2013年01月10日

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キリスト教の精神について、私には共感できることは少ない。「獲得した富は、子どもたちに残してはならない。自分で働いて富を蓄積するという道徳的な善行を行う機会を奪ってしまうから」…それぐらいかも。

彼らとコミュニケーションする中で、思想の根底にあるものを感じることができるかも。それは面白そうだ。他人の考えを素直な気持ちできく柔らかな頭と、努力は惜しまずに。〝時間の浪費〟は自己責任とゆうことで、ユルシテもらうよ。

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2013年01月05日

Posted by ブクログ

資本主義の精神と言うのは功利主義的な商人気質から来るものではなく、節制と禁欲に励むプロテスタンティズムの倫理から生まれて来たのだということを解き明かした名著。自己啓発ブームにより、誰もが仕事で理想と自己実現を得ることを強いられる近年において、こうした「天職」という概念がどこから来たものなのか、かつては職業人であることを欲していたのが、なぜ今は職業人でなければならないのか、こうした観点から再考するのも面白いかもしれない。岩波文庫は解説だけ読んでおき、こちらを脚注は全て飛ばして読むのが入口として最適な方法。

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2012年05月15日

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社会学を専攻されていた皆様はご存知の「プロ倫」が、日経BPで復刊!
岩○文庫版よりも確実に読みやすくなっていると思います。

「近代の資本主義の精神を構成する本質的な要素の1つ、そして単にそれだけでなく近代の文化そのものを構成する本質的な要素の一つは、『天職』という観念を土台とした合理的な生活態度であるが、この態度は『キリスト教的な禁欲』から生まれたものだ。」

と本人が要約しているように、神の恩寵を求め、神に与えられたとされる職業を「天職」とし、神に報いるために、人々は疑うこともなく、合理的に禁欲的に働き、生活する。このプロテスタンティズムが資本主義の精神を作り上げたという仮説をウェーバーは打ち立て、カルヴァニズムやピューリタニズムなど多角的な視点から、禁欲の精神と資本主義の精神の関係を分析する。

資本主義は、その高度なシステム化のために、「『少数の』プロテスタントから発生した禁欲的精神を土台としている」という事実に立ち返り、根底に存在するはずである人間性の本質を追求する作業を放棄させてしまった。そんな社会の行く末について、ウェーバーは以下の様な痛烈な「予言」を残している。

「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無に等しい人は、自分がかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう。」

かつてゲーテも模索した、人間性の本質。
少なくとも私が生きている間に、この資本主義をベースとした社会が抜本的に変わることはないと思いますが、自分の思想や行動の理由は、常に考え続けてみたいものです。

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2011年07月31日

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この本を読むにあたり、予め「プロテスタンティズム~が分かる本」で読み方の基礎を得た上で、挑んだ本です。 翻訳も良いのか、とても読みやすい。同タイトルの文庫本を持っていますが、そちらより読みやすかった。

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2011年04月21日

Posted by ブクログ

昔、岩波文庫で読もうとして、あまりに難しさ(?)にまいって、ざっと斜め読みすることになったが、資本主義ってなんだろうと改めて考えるにあたって、再チャレンジ。

中山元さんの訳文は、圧倒的に読みやすくて、なんかやっと議論についていくことができる感じがした。

一方、この本の面倒さ、読みにくさの一つは、本文以上に膨大な注釈の存在で、これを読もうとするともともとの議論の流れがわかりにくくなることから来ている。それはもともと原著がそうなっているので、仕方がないのだが、この本をしっかり理解するためには、まずは本文を通読して、次に注も読みながら、再読、再再読する必要がある気がした。

また、キリスト教に詳しくない私にとっては、カトリックとプロテスタントの違いもあまりわかっていないところで、プロテスタントのなかのルター主義、カルバン主義、ピューリタンなどの関係もわからないし、さらにその下の宗派の違いになると頭がボーとしてくるというのも難しさの要因である。

まあ、要するにマルクス的な経済というか、生産様式として下部構造が社会の仕組みや文化などの上部構造を規定するというアイディアへのアンチテーゼとして、宗教の違いが経済に影響を与えるという話しです。

でもそんなことは、この本を読む必要もなく、資本主義に関する本を読めば、どこにでも書いてあること。

この本を実際に読んでみると、ウェーバーの議論は、単純に、マルクスの図式をひっくり返すというものではなく、わりと複雑である、という印象をうけた。

この複雑性に付き合って、なんだかよくわからないと行きつ戻りつすることに、この本を読む意味があるのかなと思った。

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2023年03月23日

Posted by ブクログ

プロテスタンティズムねは禁欲的な倫理が、資本主義におよぼした影響を考察したすごい本。
宗教と経済の関係性を考えさせられた。
このプロセスがあるから外国は大学等に寄付というのが、多いのだろうか。
よくわかんない所も多かったけど、面白かった。

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2019年11月23日

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すべてのキリスト者にたいして、できる限り多くの利益を獲得するとともに、できる限り節約するよう戒めなければならない。しかしその結果はどうなるかというと、富が蓄積されるということなのだ。

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2013年09月08日

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「ところで労働はそれ以上のものである。何よりも、神が人間の生活の自己目的として定められたものなのだ。」

カトリックやピューリタン、そしてプロテスタント等様々なキリスト教派の観点から「労働」を考察した本。
なぜ、という原因の部分から深い洞察が見受けられる。

日経BPの本は翻訳が程良く読みやすいが、それでもやはり内容を理解するのは骨が折れる。

禁欲に生きようと自律してきた当時の人々とは違い、現代では禁欲的に生きなければならない。それが分業による専門性の追求であり、そのためには何かを捨てて生きなければならない。そうすることで、富は増大し、それを他者へ使うことで、神の偉大さをより多くの人に伝えることができるので、これから先もファウスト博士のように、すべてに対する知を求めることはできないだろう。

しかし、現在では、多くのことを経験し、それらをつなぎ合わせることから新しいアイディアが生まれていることを考えると、専門分野は一つではなく、複数求めたほうがいいと思われ、すべての分野に対するスペシャリストが理想となってしまう。それはファウスト博士が求めたものだ。結局、何を放棄するべきか選ぶのは難しいが、選ばなければ、仕事として中途半端な専門性になってしまう。

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2013年06月10日

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ネタバレ

近代資本主義の成立を人々の内面から推し進めていった資本主義の精神と禁欲的にピュウリタニズムとの関係を社会学的に追求したもの。
以前に岩波文庫版も読みましたが日経BP版のほうが読みやすいです。ただ岩波文庫版は解説が充実しており、その解説と今回の日経BP版の本文を併せて読むのがよいかと。

主な内容は、、、
近代資本主義は商業に対する倫理的規制がない(営利を追求できる)地域・場所では実は生まれておらず、むしろ営利を敵視するピュウリタンの経済倫理(世俗的禁欲、労働を天職として励むという心情)こそが資本主義の精神として、近代資本主義の成立・成長に大きな貢献をした。

このピュウリタンの経済倫理は長期間の(宗教)教育の結果として育まれ、そもそも金儲けのためではなく、敬虔な思想(神への忠誠や隣人への愛)のため世俗的な職業生活への専心や無駄な消費の抑制を要請し、またこのような行動様式を身に着けた労働者が大量に生まれることで、結果として合理的産業経営を土台とする近代資本主義を作り上げていく。

そして、一旦強固に作り上げられた近代資本主義はもはやその基礎となった倫理は必要せず実際にも忘れ去られているが、その経済秩序に囚われた人々(現代の私たちも含まれるでしょう)にその行動様式を強要し、生活のスタイルを決定づけている。

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2012年10月08日

Posted by ブクログ

以前岩波文庫の難解な翻訳で挫折したため、日経BP版で再読。

冒頭第一節には、
「カトリックの支配というのは極めて穏やかで形式的な支配であったのだが、プロテスタンティズムの支配は家庭内の私的な支配から、職業的な公的な生のすべての領域にいたるまで、考えられるかぎりで最も広い範囲にわたってしんとの生活のすべてを規制するものであり、限りなく厄介で真剣な規律を伴うものだった」
とある。

宗教改革に対しては、カトリックの専制的な支配からの脱却といった間違ったイメージをもっていたため、この一文については衝撃を受けた。
宗教改革者は、カトリックの市民に対する支配が不十分であるとし、後のピューリタン的圧制につながったという。

本書の読みどころは、原罪からの救済のみを追求し、現世利益に対して関心の薄かった市民達が、利潤を追求する躍動につながることになったかという点である。

カトリックとプロテスタントの最大の違いは「予定説」であろう。

カトリックにおいては、神への奉仕によって原罪からの解放という「救済」があったが、プロテスタントにおいては「救済される人間はあらかじめ決められている」というものだ。

人々は自分が救済されるかどうかを知り得ないため、不安に駆られる。
救われた人間として自己確信を得るために、職業労働に休み無く従事することによって、宗教的疑惑を振り払い、自己確信を得ようとすると解説している。

1)「神の恩寵」を確証しようとする内面的な思考の原動力が現在に向けられるようになった。

2)身分と職業が神の意思の直接的な表れとして「天職」という考え方が広まった。

この「神の恩寵を得るための現世重視」と「天職という専門職業の重視」という2つの面から「功利主義」が生まれた。
専門的な職業について労働する者のスキルを高めることができたため、労働の生産性を質量共に改善させる方向に動かす考え方が出てきたのだ。

また、「ヨブ記」に書かれた「神が現世においてもその民を物質的な面においても祝福されるのは確実」という箇所が重用視されるようになったのも、功利主義を後押しすることにつながったとも解説している。

ヨーロッパの宗教改革を契機として、労働と現世利益に対する思想的変化を解説しているものの、具体的に資本主義成立へは明言を避けている印象ではあった。

ルターとカルヴァンをセットで宗教改革と認識していたが、本書の解説を読むことで全く別の思想であることがわかった。

また、イギリスにおいては、旧約聖書の道徳と同様の特徴から「イギリスのヘブライズム」とも呼ばれたというのも興味深かったし、ピューリタンとは、ユダヤ教の数世紀にわたって成立したタルムドールと符合する面が多く、形式主義的で立法的な側面があるというのも、目からウロコの読書体験であった。

まだまだ本書についての理解度が低いと自認しているので、「ヨブ記」や宗教改革時代の関連本を読んでみようとは思う。

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2012年05月22日

Posted by ブクログ

「生活が厳しいものとなったのは」競争に負けずに更に冨を増やそうとする人々が、消費するのではなく、利益を増やすことを望んだからであり、昔ながらの生活様式を守ろうとする人々は、節約しなければならなくなったからである。

自己確信を獲得するための優れた手段として、職業労働に休み無く従事することが教え込まれたのである。

カルヴァン派>常に、自分が選ばれているか、それとも神に見捨てられているかという二者択一の問いの前に立ちながら、みずからを絶えず吟味しつづけることで、救いを作り出す。

規律>世俗的な職業労働についての思想においても採用

「人はどのようにして自己を知りうるだろうか。観察によってではない。おそらく行為によってだろう。汝の義務をなすように努力せよ、そうすれば汝は自分が何者であるかを、すぐに知るだろう。しかし義務とは何だろうか。それは日々の生活が要求する事柄である。」ゲーテ

「働きたくないものは、食べてはならない」パウロ

禁欲的なプロテスタンティズム>資本主義の発展

禁欲的な精神が求めたのは、所有者に苦行を強いることではなく、必要で、実際に有用な物事のために所有物を利用することだった。

現在では禁欲の精神は、この鋼鉄の「檻」から抜け出してしまった。勝利を手にした資本主義は、かつては禁欲のもたらした機械的な土台の上に安らいでいたものだったが、いまではこの禁欲という支柱を必要としていない。禁欲の跡を継いだのは晴れやかな啓蒙だったが、啓蒙のばら色の雰囲気すら現在では薄れてしまったようである。そして「職業の義務」という思想が、かつての宗教的な信仰の内容の名残を示す幽霊として、私たちの生活のあちこちをさまよっている。
「職業の遂行」が、もやは文化の最高の精神的な価値と結びつけて考える事が出来なくなっても、そしてある意味ではそれが個人の主観にとって経済的な強制としてしか感じられなくなっても、今日ではだれもその意味を解釈する試みすら放棄してしまっている。営利活動がもっとも自由に解放されている場所であるアメリカ合衆国においても、営利活動は宗教的な意味も倫理的な意味も奪われて、今では純粋な競争の情熱と結びつく傾向がある。ときにはスポーツの性格をおびていることも稀ではないのである。

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2011年08月01日

Posted by ブクログ

『社会学の道はウェバーに通ず』という言葉があるか知らないが(いや、ないよ)、社会学に興味があるならば必読書なんだと思う。というか、面白いから単純におすすめできます。プロテスタントの人たちの考え方が近代の勤労精神と非常に相性がいいんだよね、っていうことを教えてくれます。

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2011年07月09日

Posted by ブクログ

ウェーバーの本を面白いと思ったことは実はなかった。しかし、中山元訳の手にかかると面白い読み物になってしまう。ウェーバーのキッパリとした物言いにも現実感があり、人柄までもが伝わって来そうだ。

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2011年01月30日

Posted by ブクログ

近代資本主義を支える心理的原動力となったものは何だったのか?その答えの一つとしてヴェーバーはプロテスタンティズムの禁欲的精神があったと考えた。禁欲とは修行僧にみられるような絶食・座禅といった修行ではなく目的のために他の欲望を一切拝するというものである。そういった精神はルターの提示した天職義務の教義と融合しつつ発展していき、こうしたカルヴァニズムが社会に浸透していった結果、意図せずして産業経営合理的な資本主義を発展させることになった。非常に逆説的ではあるが、近代資本主義というのは、マモニズムへの嫌悪、すなわち、金儲けすることを目的とした重商主義的精神からは決して生まれる事はなかったのだと、そう彼は主張しているのである。しかし、本来神の救済を求め、隣人愛を実践した結果として裕福になっていったが、次第にそれらを支えてきた精神・形式そのものが形骸化していった。と同時に資本主義というシステムそのものは残ったままである。もはやこのシステムが強制的に我々に天職たらざるをえない状況を作り出しているのである。本来であれば天職的労働者たらんとしていた者が天職たらざるをえなくなったのだ。
生活世界とシステムの相互補完的な関係は、現在においてはシステム側の避けがたい強力な力によって支配されているといっても過言ではない。バランスをとるためには、どういったことが望ましいのか答えはまだ闇の中ではあるが、いつかは考えなくてはならない急務である。

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2010年11月05日

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◯ 宗教改革のもたらしたもの、とくにルターの業績のうちで後世に最大の影響をもたらしたものの一つが、世俗の職業生活にこのような道徳的な性格をあたえたことである(150p)

◯ 神から目に見える形で祝福を与えられているという意識をもって、営利活動に従事することができたし、そうすべきだったのである。(480p)

◯ かつては修道院の小さな房のうちで行われていた禁欲が、現世の職業生活のうちに持ち込まれ、世俗内的な倫理を支配するようになった。(492p)

★各所で名著として紹介されている本書だが、私には難しすぎた。カルヴァン派、敬虔派、ルター派など、キリスト教の宗派に関する知識が必要だし、文章も難解だった。

★宗教に対する解釈によって、欧米の経済の発展のあり方も大きく変わったのだ、ということだけはわかった笑

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2024年02月04日

Posted by ブクログ

 過去に何度か挫折したが、今回やっと全てを読み通すことができた。資本主義社会を知るために、『資本論』と並行して本書を読み進めたが、高校世界史、倫理に記載されないキリスト教の宗派が次々と登場し、途中で投げ出したくなったが、そこは耐え忍んだ。とはいえ最後まで読み通せたものの、全体的に理解できたかいうと正直自信はない。ただし、自分にはあまり馴染みのない「宗教」という概念が、他国では社会全体、個人を根本的に変化させるほどの力があることが伝わってきた。キリスト教圏と日本で、仕事、職業の向き合い方が根本的に異なることがわかってきた。今後もおそらく読み返すだろうが、次に読むときには、キリスト教の歴史を詳細に知ったうえで、この本に向き合いたいと思う。

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2023年02月27日

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プロテスタンティズムの「禁欲倫理」から、近代資本主義が生まれたとする。
宗教と労働、資本主義の関係性を解説した書籍。

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ドイツでは、経済的に発達した地方でプロテスタンティズムが信仰された。
プロテスタンティズムとその信徒の特徴は以下。
・私的な生活から公的な領域まで、広く信徒の生活を規制する。
・教育熱心で、高等教育を受ける人の比率が高い。
・近代資本主義との親和性が高い。信者の大多数が商人層の出身であり、傑出した実業家も誕生している。

ベンジャミン・フランクリンは「正直であること/勤勉であることは、信用を築く上で有益だから、美徳である」とした。
こうした功利主義的な「倫理」の最高善は、あらゆる享楽を退けて「金を儲けること」にある。「利益の獲得」が人生の目的とされる。

資本主義的な実業家は、不必要な支出を嫌い、社会的な名声を誇示することも喜ばない。彼らは「天職を遂行」すべきであるという感情を持っているだけ。

「天職(ベルーフ)」という思想は、マルティン・ルターによる宗教改革の産物。
この時「職業は神から与えられた使命である。世俗的な職業に従事し、その義務を果たすことが、道徳的な実践活動そのものである」として、最高のものと評価されるようになった。

イギリスの「ピューリタニズム(清教徒主義)」では、富を得て怠惰になること、時間を浪費することは、重い罪とされる。
1時間を失うことは、神の栄光を高める仕事の時間が1時間失われたことになる。
だから、絶えず厳しい労働をすることを勧める教えが説かれる。

近代の資本主義の精神を構成する本質的な要素の1つは、「天職」という観念を土台とした合理的な生活態度。
この態度は、キリスト教的な禁欲から生まれたもの。

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2020年05月06日

Posted by ブクログ

資本主義の起源をプロテスタントの職業倫理の中に見出すという理論を展開する社会学者ウェーバーの有名な著書。著者も言及しているように、あくまで宗教的な影響が資本主義の出自にどの程度寄与しているかを考察しているに留まり、資本主義の本質の一端を明らかにしたに過ぎない。また肝腎の、当初神への信仰から産まれた資本主義の精神がその後いかにして世俗的で現世的なそれへと移行していったかについては詳らかでない。あまりにも議論されてきた理論で新鮮味に欠けるけれどやはり鋭い着眼点と意外性のある結論においては傑出している理論なのかも知れないと思った。

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2014年01月18日

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