中山元のレビュー一覧
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自然状態から社会状態へ移行し、利己心を持ってしまった人間たち。そこから、社会の成員全員の自由と正義が守られる理想政体を作ることは可能なのか? 前著の『人間不平等起源論』を受けて、この『社会契約論』ではその可能性が探られる。前著に引き続く壮大な思考実験だが、国家の規模や風土に応じて望ましい政体の幅を持つなど、現実を見据えた議論でもある。
さて、ここで理想政体を作るための鍵概念となるのが、「全員の、全権譲渡による社会契約」であり、「一般意志」(一個の精神的存在としての政体の意志)に基づいた徹底的な人民主権だ。高校の公民レベルの知識しかない僕には、これまでこの「一般意志」がひどく全体主義的なものに思えて仕方なかったのだが、初めて本書を手にとり、いくつか学んだことがある。
第一に、ルソーがこれによって「一人の成員も犠牲にしない」「正義と幸福が一致する」「存在と幸福を同胞と分かち合うことで、存在も幸福も強まる」社会を目指していたこと。第二に、その「一般意志」が形成されるためには、個人の多様な意見の違いが必要であるとすること。特に後者は意外だった。多様性に基づいてこそ一般意志が生まれるとは! 残念なことにそのプロセスがよくわからないのだが、少なくともルソーが僕のイメージしていたような全体主義者でないことは確実だ。
なるほど、利己心や個人の多様性からスタートして社会全員の自由・幸福・平等を追求するルソーの社会は、確かに美しい理想であるに違いない。しかし、まだ僕には釈然としない点も多い。例えば、一般意志を無謬とするルソーは、自分の個人的意志と一般意志が齟齬を来した場合に、自分の個人的意志が正しいということはありえないとする。
「もしもわたしの個人的な意志が、一般意志よりも優位に立つならば、それはわたしが自分の望んでいなかったことをしたことになる。その場合にはわたしは自由ではなかったのである」(215ページ)
これは、本当にそうなのだろうか? 僕はここには強い抵抗を覚える。この場合の「自由」とは何なのだろうか?これは拘束からの自由ではなく、アイザィア・バーリンの言う「積極的自由」なのかもしれないが、そうだとすると、僕たちが守るべき「自由」はそれなのだろうか? もやもやが残る。
と、まあ、自分の力不足で、まだ「読めた!」という感じにはならない本。しかし、ルソーの理想の美しさへの共感と、にもかかわらず僕の中に残った大きな違和感。これは大事にしていきたい。 -
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個々の人間がいかにして国際的な連帯を築くことが可能なのか。この本に治められた一連の著作を通じて、カントの政治哲学と歴史哲学を一望することができる。「啓蒙」の持つ可能性に絶対的信頼を寄せているあたりに時代の雰囲気も感じるのだが、カントが決して楽観的に「永遠平和」を唱えているのではなく、人間性がかかえる「非社交的な社交性」を冷徹に見つめ、それを与えた「自然」によって人間達が国際的な連帯へと導かれていくと考えるロジックが面白かった。中山元の解説にも大いに助けられ、カント入門には良い一冊。カントってとても真摯に人間の限界と可能性を見つめ、現実に向き合い、その改良を目指した思想家なのだと好感を持った。
それにしてもホッブズ、ロック、スミス、そしてこのカントら啓蒙思想家の著作を読むと、彼らがみな人間の本性をしっかり見つめ、そこから人間の連帯(共同体)の成立について論じていくことにある種の感銘を受ける。人間とは何か、という問いが、全ての根底にあるのだなあ。 -
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ちくま新書には、他にもカントやデカルト、ハイデガー等の哲学者や思想家の入門本があるので、それを読んでみたいと思った。自分は本来そういった分かった気になるようなものを読むのは好きでないのだが、思想の流れのようなものを大まかに掴んでみたいし、一人ひとり丁寧に作品を読んでいったのではかなりの時間がかかり疲れる。
以上の理由から本書を読んでみた。以前にバタイユ入門を読んだが、それよりも非常に分かりやすく、内容も自分にとって興味深かった。フーコーの造語であるエスピテーメー、エノンセ等の概念が理解しづらかったがそれ以外は問題なかった。以下に、自分が考えさせられたところを箇条書きで記す。
「人間学の罠」
人間を研究するということ自体が根本に矛盾を孕んでいるということが説明される。研究の対象それ自体が研究の主体になるという点で、新に科学的にはなりえない。
心理学の矛盾についても触れられる。精神学や心理学は精神病患者をとらえられている何かから解放することを目的としているが、精神病患者というくくりそれ自体が、人間は本来このようにあるべきという「人間性」を前提としている。このような人間性を用いている限りで、人間を解放するのではなく、実際には人間の抑圧を強化する可能性があるとフーコーは考える。
「知の考古学」
この章では狂気や精神病院や監獄やまなざしといったことが取り上げられる。読んでから時間がたっているのでその内容はうろ覚えなので、ここには詳しく書かない。概要は理性が信頼され全盛の時代に第二次世界大戦などの大きな戦争があり、大量の殺人がなされたことからなぜ有史以来最も理性的であった国家がこのような大量殺人を巣に至ったか、それをどのように合理化していったのか。また、これまで信じてきた理性について疑いを抱き、理性は必ずしも万能ではなく、理性以外の人間の原始的な欲望も重要であると考えられ、研究され始めるという流れが説明される。
「監視と処罰」パノプティコン・訓練・従順な身体
パノプティコンの概念は、フロイト心理学の超自我の概念に似ていた。
学校などの機関においての勉学の奨励、または罰則などの訓練によって、社会にとって都合のよい存在「従順な身体」を作っているということは私人も考えていたことで、面白かった。特に興味深いのは、社会における訓練が監獄に利用されたのではなく、監獄や精神病院において発展してきた訓練の概念が社会に利用されているという指摘だった。
レヴィストロース「構造主義」
社会を構造的に解析することによって、一見無意味に見えることも実は大きな意味があるというもの。レヴィストロースの思想は全く触れたことがなかったので、新しい発見だった。例として近親相姦の禁止というのは、遺伝子的な問題ではなく、女性の交換を通して集団を開いたものとするという目的があるという。これだけで説明できるとは考えられないが、親族結婚では子供に遺伝子異常が生じる可能性が高まるというのは、実は何の科学的根拠がないと、何かの本で読んだことがあるので、科学的な根拠がないと、社会・人文的問題であり、この説明が最も有力なのかなあと思える。
フーコーは全ての思考の過程で共通して、本書にも書いてあるように、「人々が真理だと信じているものが、実は歴史的な根拠から作り上げられたものにすぎず、普遍的なものでも、絶対的に正しいものでもないということを示すことによって、自明で見慣れたものと考えていたものを覆すこと」を目標としていた。私自身もこの世の中の道徳や規則など、納得できなかったり、あまりにも手前勝手なものであるように感じられることが多い。日ごろからこのようなことを感じているので、フーコーの思考は自分にとっても分かりやすく、共感できるところが多かった。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
「真理」「ヒューマニズム」「セクシュアリティ」といった様々の知の「権力」の鎖を解きはなち、「別の仕方」で考えることの可能性を提起した哲学者、フーコー。
われわれの思考を規定する諸思想の枠組みを掘り起こす「考古学」においても、われわれという主体の根拠と条件を問う「系譜学」においても、フーコーが一貫して追求したのは「思考のエチカ」であった。
変容しつつ持続するその歩みを明快に描きだす、新鮮な人門書。
[ 目次 ]
序 現在の診断
第1章 人間学の「罠」
第2章 狂気の逆説
第3章 知の考古学の方法
第4章 真理への意志
第5章 生を与える権力
第6章 近代国家と司牧者権力
第7章 実存の美学
第8章 真理のゲーム
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
やっと読めました。1755年!?本当に革命以前で貴族がいた時代とは思えない思想。神様です。現代に甦ってほしい本当に。今なお古さを感じない思想です。本当に素晴らしい。
関係無いですが翻訳本に星をつけるのはとても難しいです。特にこういう既に翻訳されている本の再訳。私はフランス語はできないのでもちろんこの本を原文で読むことはできないからルソーの書いた文章そのものを評価することはできないし、翻訳されると翻訳家の技術を通してこの本を読むことになるので果たしてこの評価はルソー自身についてなのか翻訳家を通じてなのか自分でも分からなくなります。少なくともこの翻訳では真っ直ぐにルソーの文章を受け取った感じはしなかったので星4つは翻訳家の分厚いフィルターを通じてのこの本への評価です。(別に翻訳が悪いとは言ってません。むしろ読みやすかったけど。) -
Posted by ブクログ
ここでは、カントの哲学書について述べるのではなく、本書の構成を中心に話を進めてみたい。
本書には5編が収められている。タイトルに含まれる『永遠平和のために』、『啓蒙とは何か』以外の「他3編」の題名は下記のとおりである。
『世界市民という視点からみた普遍史の理念』
『人類の歴史の臆測的起源』
『万物の終焉』
このなかで一番短いのは、『啓蒙とは何か』である。これはわずか17ページの論考であった。『永遠平和のために』が、一番長くて128ページ。他の3篇は30ページ前後である。ほかにはカント年譜が6ページ。訳者の中山元氏による解説が充実しており、105ページある。以上が本書の構成である。
ここからは個人的な感想を書いてみよう。
この中で私が読みたかったのは、『啓蒙とは何か』である。『カント』と『啓蒙』という2つの言葉を聞いてすぐに思い浮かぶのは、ベートーヴェンである。ほとんどのベートーヴェンの評伝には、啓蒙思想という言葉が出てくるからだ。ベートーヴェンはボン大学時代に、啓蒙思想に触れた。当時流行し始めていたカント哲学にも、影響を受けている。いくつかの評伝には、そのようなことが書いてある。しかし、本書に収められている『啓蒙とは何か』を読んでみると、カントの啓蒙は政治哲学であり、ベートーヴェンの思想の間には関連性はないように感じた。
『啓蒙とは何か』は「啓蒙の定義」から始まる。その全文は下記のとおりである。
啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。(p10)
ここだけを読むと、ベートーヴェンが影響を受けた感じがしないでもない。だが、全体を読むとそうでもないのだ。
中山氏の解説には、次のように書いてある。
この「啓蒙とは何か」という文章は、カントが発言の自由という一点に焦点をしぼって、自立した思考の重要性を考察したものであった。(p292)
ベートーヴェンは、「自分自身で考えること」を思想の中心として持っていたわけではない。フランス革命の「自由・平等・博愛」という思想が中心であろう。ベートーヴェン像からは、「カント」と「啓蒙」という言葉は抜いた方が、より正確なイメージをつかむことができそうだ。 -
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1巻と違い、こちらはざっと読み飛ばした。自分の浅い理解であるものの、本書では純粋知性概念について述べている。つまり、アプリオリな知性は何かということ。
その際、カントが拠り所としたのは、論理学の判断表。例えば、量に関しては単称判断(このAはBである)、性質に関しては肯定判断(AはBである)など。
これらの判断表は、人間がアポステリオリに作ったわけではなく、人間のアプリオリに備わる知性であるとカントは考えた。
その正しさについて、ひたすら論じているものの、別にその正しさに関心はないため割愛。
アプリオリな知性は何か?という問いに対して、論理学から判断形式を持ち出し、これこそがカテゴリーであると考えた発想が良い。
アリストテレスのカテゴリーは、帰納的な方法であり欠陥もあるものの、カントの場合は網羅性を担保できていると思われる。ただし、全称判断と単称判断が独立して含まれており、重複感は否めないものの、あくまでこれは一般の論理学ではなく、超越論的な論理学ということである。
何が問いとしてあり、そのための手段をどのようにしたのかがわかれば、カント研究者でもないため、十分であると考えている。 -
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「主権者とは、例外状態について決定を下す者のことである。」
非常に印象的な一文から本書は始まる。「例外状況とは、現行の法律では規定されていない状況であり、極端な緊急状況とか、国家の存立が危ぶまれる状況などとして示すことができるだけであ」る(14頁)として、正にそのような例外状況に国家の本質が示されるとして、以下、主権の問題について、これまでの主要学説を紹介しながら論じていく。
ケルゼンくらいは主要著作を何冊か読んだことはあるのだが、ケルゼンのほか、クラッベ、ヴォルツェンドルフ、カウフマン、メルクルなどの説とそれに対する著者の考えが説かれている第二章「法の形式および決定の問題としての主権の問題」のところは、一読したくらいでは十分理解ができなかった。
第三章「政治神学」は、「現代の国家論の重要な概念は、すべて世俗化された神学概念である」という、これまた印象的な文章で始まり、神の概念と君主の概念、さらに主権者の概念の関係について論じられ、第四章「反革命の国家哲学について」に続いていく。
各章の叙述は何とか追いかけていったのだが、本書の構成、展開の意味合いが良く分からなかったので、消化不良の状態で終わってしまったのが残念。
付録の「中性化と脱政治化の時代」では、次のような考察がなされる。我々の精神生活において、中心領域の交替が起こってきたこと、すなわち神学(16世紀)→形而上学(17世紀)→道徳(18世紀)→経済(19世紀)という段階を経て、様々な領域の中性化が進んできた。そして現在はさらに、もっと中性度の高い技術(20世紀)の段階になってきているが、果たしてそれにより脱政治化(対立がなく、協調が進み平和となること)となるのか、とシュミットは問う。
シュミットはナチとの関係により毀誉褒貶が激しいが、危機の時代について真剣に考えた人間であったことは、本書を読んでも感得できた。 -
Posted by ブクログ
◯ 宗教改革のもたらしたもの、とくにルターの業績のうちで後世に最大の影響をもたらしたものの一つが、世俗の職業生活にこのような道徳的な性格をあたえたことである(150p)
◯ 神から目に見える形で祝福を与えられているという意識をもって、営利活動に従事することができたし、そうすべきだったのである。(480p)
◯ かつては修道院の小さな房のうちで行われていた禁欲が、現世の職業生活のうちに持ち込まれ、世俗内的な倫理を支配するようになった。(492p)
★各所で名著として紹介されている本書だが、私には難しすぎた。カルヴァン派、敬虔派、ルター派など、キリスト教の宗派に関する知識が必要だし、文章も難解だった。
★宗教に対する解釈によって、欧米の経済の発展のあり方も大きく変わったのだ、ということだけはわかった笑