純粋理性批判 2

純粋理性批判 2

ビジネス・実用
990円 (税込)

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人間の認識を成り立たせる二つの能力、感性と知性。2巻では知性を分析。認識のために知性はどう働き、知性が用いる純粋な概念であるカテゴリーはどのように導きだされ、根拠づけされるのか。「形而上学の秘密全体を解くかぎ」の解明に取り組む。「カントはさまざまな川が合流する場所であり、そこからまた新しい川が分岐して流れ出す場所である」(訳者)。圧倒的に分かりやすい訳文で視界良好。“哲学の森”で、もう迷わない。

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純粋理性批判 の一覧

1~7巻配信中 1巻へ 最新刊へ
1~7件目 / 7件
  • 純粋理性批判 1
    990円 (税込)
    もう入門書はいらない! カントは従来の形而上学が陥った独断的なやり方を批判し、人間のもつ理性の可能性とその限界をみさだめる。空間とは何か、時間とは何か、認識はどのようにして成り立つのかを明らかにする。古代以来の哲学の難問を解決しようとした意欲的な試みを再現する! 難解とされる多くの用語を、ごく一般的な用語に置き換えて分かりやすさを徹底した画期的な新訳(全7巻)。詳細な解説つき。
  • 純粋理性批判 2
    990円 (税込)
    人間の認識を成り立たせる二つの能力、感性と知性。2巻では知性を分析。認識のために知性はどう働き、知性が用いる純粋な概念であるカテゴリーはどのように導きだされ、根拠づけされるのか。「形而上学の秘密全体を解くかぎ」の解明に取り組む。「カントはさまざまな川が合流する場所であり、そこからまた新しい川が分岐して流れ出す場所である」(訳者)。圧倒的に分かりやすい訳文で視界良好。“哲学の森”で、もう迷わない。
  • 純粋理性批判 3
    1,188円 (税込)
    3巻の「図式論」と「原則論」では、カテゴリーの根拠づけが対象にどのように機能するのか、それと時間がどのように関係するのかが解明される。イギリス経験論(ヒューム)を根本的に批判し、認識の主体と対象の相互の関係を論じた観念論も批判する。大胆かつ適切な訳語と段落すべてにつけたタイトル、初心者にも理解できる詳細な解説で準備万端。哲学の最高峰への登攀は続く。
  • 純粋理性批判 4
    990円 (税込)
    超越論的な分析論を終え、いよいよ超越論的な弁証論が始まる。この巻では、理性の誤謬推論として、心が実体(存在するもの)で、単純(分割できない)であり、破壊できないものであり、不死のものとして身体の死後も滅びることがないという伝統的な形而上学の霊魂論が批判され、解体される。そして真の形而上学を構築する試みが始まる! 『実践理性批判』『判断力批判』へと至る重要な道標!
  • 純粋理性批判 5
    1,056円 (税込)
    世界には時間的な始まりがあるか、空間的な限界はあるか。世界は無限に分割できるか、それ以上は分割できなくなるのか。人間に自由はあるか、それとも必然的な自然法則にしたがうだけなのか。そして、世界には必然的な存在者[=神]が存在するのかどうか。この四つの「二律背反」を考察。これまで多くの読者の前に立ちはだかってきたこの難関を、カントの思考の流れがみえるクリアな訳文と詳細な解説で、完全理解へ。
  • 純粋理性批判 6
    990円 (税込)
    第6巻は「超越論的な弁証論」の第三章「純粋理性の理想」を扱う。ここでは神の現実存在の議論が検討され、デカルト以来の伝統的な近代哲学の神の存在証明が分類され、すべて批判される。そしてこの存在証明に基づく神学の考察と批判が展開されることになる。存在が証明できない理念としての神を、なぜ理性は作りあげたのか? なぜ必要としたのか? 理性にとってどう役立つのか? 超越論的な弁証論の最後の難関に挑む。
  • 純粋理性批判 7
    990円 (税込)
    「わたしたちは神が命じたから、道徳的に行動する義務があると考えるべきではない。わたしたちは、道徳的に行為すべきことを、みずから〈内的な〉義務として考えるからこそ、こうした法則が神の命令とみなされるようになったのである」。本書の課題であった存在の領域、「あるもの」の認識からはなれて、当為の領域、「あるべし」の認識へ。最高善と「恩寵の王国」の思想をもとに、カントは理性の道徳的な使用へと考察を向ける。

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純粋理性批判 2 のユーザーレビュー

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    Posted by ブクログ

    皆さんは物事の理解が、自分の中にある特定の法則に従って行われているのではないか、と疑問に思ったことはないだろうか。
    カントはこの『純粋理性批判』の二巻によって、そのような法則の正体を明らかにしようとする。

    すなわち感性で思い描いた現象の像(表象)は、知性(悟性)によってカテゴリーに分類された上で、規則に従って総合される。そして自己統合の意識(統覚)でその総合された概念を統一的に理解する。これらの作用によって物事を認識できるというのである。

    何を言っているのかわからない方もいらっしゃると思われるので、少しわかりやすく言い換えよう。

    物事を認識するには、物事を五感による現象としてイメージ(像, 表象)にし、それをまず自分の内に取り込む必要がある。この働きが直観であり、それを行うものが感性である。

    そしてその像を様々なカテゴリーに仕分けする。さらにその仕分けしたものから一定の規則を見出し、互いに関連性を持つように結びつける(総合による概念化)。
    この働きは知性によって行われる。また、この総合の働きをする力こそが想像力(構想力)であると、カントは言う。(想像力が感性に属することには注意が必要だ)

    そうして最後にそれを全体で統一された概念として把握し、理解し納得するのである。
    この一連の過程をカントは経験と言い、経験によって得られたものを認識と呼ぶ。

    カントによれば、このカテゴリーや、概念を統一する働き(自己統合の意識)は人類にとって普遍的なもののようである。

    普遍的ということはあらゆる人間に当てはまるということだ。それゆえ、そこには心理学(応用論理学)などの経験的な学問の入り込む余地はない。
    それは例えば、人間が感性で像を思い描くための形式が空間と時間という、人類にとって普遍的なものに由来することに似ている(この辺りは一巻で述べられる)。

    こうして普遍的な認識も成り立つ。そしてそこから例えばすべての自然科学の法則が生まれる、とカントは言うのである。

    自己統合の意識はこの二巻のキーワードだ。
    私たちはまず私たち自身を過去・現在・未来において一貫性のある統一体として認識している。
    この自己認識が自分の中にあまねく及んでいることにより、他の対象にその統一を広げて、それを現象として直観し、概念化して、統合的に認識することができるのである。

    例えば対象が自分にとってバラバラなものとして直観され、概念化されたとしても、自分の直観や概念に統一性が生まれなければそれを認識することはできないだろう。
    この統一性を生み出すのが自己統合の意識だ、というわけである。

    また、例えば他者が何かの現象を見て、それを認識したとしても、それはあくまで他者の認識であり、経験であって、自分自身の認識にはなり得ない。
    自分が対象を(現象として)認識するには、まさに自分が自分自身として、時系列にそってその物事を経験するより他にはない。言い換えると自分が自分であり続けているという意識が大事なのである。

    終わりに僕の個人的感想を述べる。僕は心理学的にはおそらく感性優位の人間であり、知性を軽んじている節がある。
    実際、この二巻が自己統合の意識を含む知性を論じていると聞いて、読むのが退屈ではないかと躊躇ったほどだ。

    けれども、読んでいるうちに知的好奇心が刺激され、熱中して読み進んでいった自分がいたことも事実だった。
    それはある種のアイデンティティの新発見だった。自己統合の意識とはまた違う話になるが、僕はある程度の知的議論にも耐えることもできるらしいことが分かったのである。
    それが理解できただけでも、この書籍を読んだことは大きな収穫だったと言えるのではないだろうか。

    0
    2025年11月01日

    Posted by ブクログ

    先に入門書を読み過ぎたか、、、

    大凡で色々理解しちゃったあと、こっちを読むと、入門書ではぼんやりしてたところがクッキリして気持ちいい!というのはあるのだけど、どうしても超越論的とか、アプリオリとかにだんだんと辟易してきて、あーもー鬱陶しい!という気持ちになってくるというか、そして眠くなってくるというか、、、

    理論の厳密さは入門書では得難いけども、なんとなくつかんじゃうと、この延々との厳密さについていけなくなりました、、、

    こうなるのでは、と、予想してましたよ、自分のことなんでね、、、

    入門書を3冊も読んだせいで、書いてあることの衝撃的な発見はあまりなく、論理の厳密さはとうぜん、こちらのほうがあるものの、カントをゴールにしてるわけではないので、これ以上、カントの論理の厳密さのために時間を費やすのがもったいない、という気分になってきて、モチベーション保てなくなってきたので、2巻の途中で断念。
    7巻まで買っちゃってるのに、、、。
    また、人生でカントに戻りたくなっなら読もう、、、。
    複数巻ある作品を読み通すという能力が欠如してる、、、。
    どんなに分厚くても、一冊になってないと読めないんだよなぁ、、、。

    てか、この翻訳の解説がめちゃくちゃ良いので、最初からこれだけ買って解説で読めばよかった、、、。

    ロックは人の知性を、タブララサ、真っ白な紙みたいなもんとし、経験がそこに全てを書き込むとした。
    でも、カントは違う、と。真っ白な紙にもいろんな性質があるんだよ、真っ白な紙に色々書き込まれる前から、滲みやすさとか、ザラザラ具合とか、そういうアプリオリな性質があるんだよ、と。
    アプリオリな性質ってどんなんがあるんだよ、というと、感性の意味では、空間とか時間は、真っ白な紙に書き込まれることではなく、真っ白な紙がもってる性質なんだよ、と。
    で、知性の意味では、量・質・関係・様態という4つのカテゴリーがあって、要するに白い紙になんでも自由に書けるんではなく、僕らが白い紙に書けるのは、量・質・関係・様態ってものしかないんだよ、だから、そういう経験しか与えられないんだよ、と。

    つまりは、経験が人に概念を教えるんではなく、アプリオリな概念に従って経験は与えられるんだよ、みたいなのがコペルニクス 的展開ですよね。

    神とか世界の始めとか世界の外とかいうのは、そういう人間のアプリオリな感性や知性を超えたものなので、結論は出せない。なので、「世界の始めはある」と言えば矛盾がうまれるし、「ない」と言っても矛盾がうまれるみたいなアンチノミーが発生する。
    人間は、人間の感性や知性の届く範囲のものに理性を用いるべきではない。

    超雑に言えばそういうことですよね。
    ちょっと違うかもだけど、取り敢えず次にいこう!

    ちょっと人生にも限りがあるので、次にいかせてください、、、。この後ろの5冊が棚で悲しいけども仕方ない、、、。お金より時間が大事。

    0
    2020年08月04日

    Posted by ブクログ

    ジュンク堂書店池袋本店で購入しました。
    (2013年2月3日)

    読み始めました。
    (2013年2月7日)

    読みます。
    (2013年4月18日)

    読み終えました。
    (2013年5月9日)

    0
    2013年05月09日

    Posted by ブクログ

    人がどのようなプロセスでセカイを認識しているかが示されいるのかな。カテゴリーの部分はしっかり覚えたい。
    しかしまだ、七分の二…

    0
    2013年02月01日

    Posted by ブクログ

    この本で強調されていた2つの事項の対比ー感性と知性、分析と総合、アプリオリとアポステリオリ、主体と客体、原因と結果だ。世の中の多くの事は2つの比較で考えられることが多いからだ。超越論的認識、形而上学、ロック、ヒューム、自己統合、カテゴリー、弁証法、実体の根拠付け、親和性、ものごとを抽象化して考えるくせを付けないといけない。

    0
    2023年01月21日

    Posted by ブクログ

     感性を扱った第1分冊に続く本書では、主に人間の認識における知性の役割に焦点が当てられる。ちなみにこの中山訳では「悟性」ではなく一貫して「知性」が使用されている。
     哲学というものは往々にしてそうなのだろうが、用語の使用が一般のそれと全く乖離しているために用語を見ただけではそれが意味するところを把握しづらいところがあるが、本分冊では特にこれが目白押し。何度読んでも「判断力」と「想像力」の違いや、「総合」とか「統覚」の関係性が頭に定着せず、その度に定義を確認する羽目になる。
     極め付けは頻発する「根拠づけ」という言葉。流石にわかりづらいと考えたのか、訳者も解説に多くの紙面を割いているがそれでもピンとこない。訳者によれば、ここで行われているのは直訳の「演繹」ではなく「権利問題」、つまりカテゴリーにより生ずる客観認識の場合ならば、感性・知性・理性のどれがその認識を生じさせるかについての「権利」=「権限」を有しているのかが論じられているのだという。これは直感的には極めて理解しにくい。それならもっと字面から意味がはっきりわかる言葉にしてくれればいいのだが…。

     なお本分冊の「純粋理性批判」全体の中の守備範囲はさほど広くない割には、解説の記述量が多く丁寧な説明がされている。やはり経験に基づく判断によりカテゴリーが理解されるのではなく「カテゴリーを用いた経験の統合が客観的判断そのものを可能する」という例の転回が、「批判」の前半の大きな山場となるからだろう。ここのところは多くの例示を用いられていることもあり割と理解しやすかった。ロックやヒューム的な経験論との対照も鮮明でわかりやすい。

    0
    2021年07月11日

    Posted by ブクログ

     前巻で「感性」を扱ったので、この巻からテーマは「知性」(悟性)。
    「判断表」「カテゴリー表」なるものが出てくる。これらが「完全なもの」とはまったく思えないのだが、その後に続く思考が素晴らしい。
    「[現象において観察される]諸法則は、こうした現象そのもののうちに存在しているわけではない。たんに知性をそなえて[観察して]いる主体にたいして存在しているのであり、これらの現象はこの主体のうちに宿っているだけなのである。」(P.170)
     こうしたカントの認識論は、まっすぐ20世紀のメルロ=ポンティまでつながっていくものであり、実に重要である。
    「わたしたちは、いつかわたしたちの認識のうちに登場する可能性があるすべての像について、わたしたち自身がつねに同一であることを、アプリオリに認識している。
     この[自己同一性の]意識はすべての像を可能にするための必然的な条件として意識されるのである。」(P219, 初版の文章)
     ここで言われる統覚、同一性は、20世紀個人心理学でいう「アイデンティティ」のことではなく、つまり個体としての自我ということでなく、自己と共に存在している「世界」との「あいだ」、その刹那に「ともにある」すべての事象が直面する知覚の「パースペクティヴ」の同一性(統合性)と解釈する限りで、正しいと思う。
     それにしても、巻末の訳者の長大な解説は、今回も余計なものに感じた。そう思っているのは私だけなのだろうか・・・

    0
    2012年02月25日

    Posted by ブクログ

    1巻と違い、こちらはざっと読み飛ばした。自分の浅い理解であるものの、本書では純粋知性概念について述べている。つまり、アプリオリな知性は何かということ。

    その際、カントが拠り所としたのは、論理学の判断表。例えば、量に関しては単称判断(このAはBである)、性質に関しては肯定判断(AはBである)など。

    これらの判断表は、人間がアポステリオリに作ったわけではなく、人間のアプリオリに備わる知性であるとカントは考えた。

    その正しさについて、ひたすら論じているものの、別にその正しさに関心はないため割愛。

    アプリオリな知性は何か?という問いに対して、論理学から判断形式を持ち出し、これこそがカテゴリーであると考えた発想が良い。

    アリストテレスのカテゴリーは、帰納的な方法であり欠陥もあるものの、カントの場合は網羅性を担保できていると思われる。ただし、全称判断と単称判断が独立して含まれており、重複感は否めないものの、あくまでこれは一般の論理学ではなく、超越論的な論理学ということである。

    何が問いとしてあり、そのための手段をどのようにしたのかがわかれば、カント研究者でもないため、十分であると考えている。

    0
    2025年06月12日

    Posted by ブクログ

    非常に難しい。
    理解できたことはほんのわずかだった。

    カントは時間と空間をアプリオリなものとして前提しているが、この前提がまず納得できていな。人間はうまれたときから時間と空間を認識しているのだろうか。成長過程において認識するのではなかろうか。
    今回も書籍の半分程度を中山元による解説が占めている。
    これがなければ、理解は難しい。この解説があっても、ほとんど理解できないのだから。
    人間は、連続した時間を認識して生きている。過去と現在がつながっているものだと認識している。それがなければ、音楽は理解できない。今聴いた音が、次の瞬間には過去になる。その音を記憶したうえで、その次に来る音とのつながりを理解する。その繰り返しによって、人間は音楽を理解する。つまり、人間がなにかを理解するためには、過去・現在・未来という時間の流れを認識している必要がある。
    カントが述べるところによると、三段論法は、個別の事象を説明するだけで、普遍的な物事を説明することができない。アリストテレスは人間である。人間は必ず死ぬ。だからアリストテレスは死ぬ。のように。アリストテレスについて語ることはできても、人間全体について語ることはできない。
    また、たとえば、庭を眺めていて、そこにケヤキがあることを認識するためには、木という概念をしらなければ、目の前には緑の塊があるだけで、地面とケヤキを区別することもできない。など。
    要するに、人間がなにかを認識する際に、人間の中でなにが起きているのか、ということを分析していくのが、本書なのだろう。
    難解であるとはいえ、こういう思考の流れに触れることで、頭を使う。自分なりに理解しようとする。カントはなにを考えているのかとか、この理論は果たして正しいのだろうかとか、そういう風に考えることで、読者も成長していく。それが哲学の面白さだ。

    0
    2021年12月18日

    Posted by ブクログ

    カント。
    昔大嫌いだった。
    でも、今は好き!
    こんなふうに物事を考える彼の後ろ姿をみたかった。
    恐らくその光景はどんな文章でも表現できないだろう。
    カント。孤独の哲学者。
    合理的なリズムで踊る文体。
    こんなふうに私の感性と知性が絡み合うのです。

    0
    2018年04月03日

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