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人間の認識を成り立たせる二つの能力、感性と知性。2巻では知性を分析。認識のために知性はどう働き、知性が用いる純粋な概念であるカテゴリーはどのように導きだされ、根拠づけされるのか。「形而上学の秘密全体を解くかぎ」の解明に取り組む。「カントはさまざまな川が合流する場所であり、そこからまた新しい川が分岐して流れ出す場所である」(訳者)。圧倒的に分かりやすい訳文で視界良好。“哲学の森”で、もう迷わない。
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Posted by ブクログ
皆さんは物事の理解が、自分の中にある特定の法則に従って行われているのではないか、と疑問に思ったことはないだろうか。 カントはこの『純粋理性批判』の二巻によって、そのような法則の正体を明らかにしようとする。 すなわち感性で思い描いた現象の像(表象)は、知性(悟性)によってカテゴリーに分類された上で、...続きを読む規則に従って総合される。そして自己統合の意識(統覚)でその総合された概念を統一的に理解する。これらの作用によって物事を認識できるというのである。 何を言っているのかわからない方もいらっしゃると思われるので、少しわかりやすく言い換えよう。 物事を認識するには、物事を五感による現象としてイメージ(像, 表象)にし、それをまず自分の内に取り込む必要がある。この働きが直観であり、それを行うものが感性である。 そしてその像を様々なカテゴリーに仕分けする。さらにその仕分けしたものから一定の規則を見出し、互いに関連性を持つように結びつける(総合による概念化)。 この働きは知性によって行われる。また、この総合の働きをする力こそが想像力(構想力)であると、カントは言う。(想像力が感性に属することには注意が必要だ) そうして最後にそれを全体で統一された概念として把握し、理解し納得するのである。 この一連の過程をカントは経験と言い、経験によって得られたものを認識と呼ぶ。 カントによれば、このカテゴリーや、概念を統一する働き(自己統合の意識)は人類にとって普遍的なもののようである。 普遍的ということはあらゆる人間に当てはまるということだ。それゆえ、そこには心理学(応用論理学)などの経験的な学問の入り込む余地はない。 それは例えば、人間が感性で像を思い描くための形式が空間と時間という、人類にとって普遍的なものに由来することに似ている(この辺りは一巻で述べられる)。 こうして普遍的な認識も成り立つ。そしてそこから例えばすべての自然科学の法則が生まれる、とカントは言うのである。 自己統合の意識はこの二巻のキーワードだ。 私たちはまず私たち自身を過去・現在・未来において一貫性のある統一体として認識している。 この自己認識が自分の中にあまねく及んでいることにより、他の対象にその統一を広げて、それを現象として直観し、概念化して、統合的に認識することができるのである。 例えば対象が自分にとってバラバラなものとして直観され、概念化されたとしても、自分の直観や概念に統一性が生まれなければそれを認識することはできないだろう。 この統一性を生み出すのが自己統合の意識だ、というわけである。 また、例えば他者が何かの現象を見て、それを認識したとしても、それはあくまで他者の認識であり、経験であって、自分自身の認識にはなり得ない。 自分が対象を(現象として)認識するには、まさに自分が自分自身として、時系列にそってその物事を経験するより他にはない。言い換えると自分が自分であり続けているという意識が大事なのである。 終わりに僕の個人的感想を述べる。僕は心理学的にはおそらく感性優位の人間であり、知性を軽んじている節がある。 実際、この二巻が自己統合の意識を含む知性を論じていると聞いて、読むのが退屈ではないかと躊躇ったほどだ。 けれども、読んでいるうちに知的好奇心が刺激され、熱中して読み進んでいった自分がいたことも事実だった。 それはある種のアイデンティティの新発見だった。自己統合の意識とはまた違う話になるが、僕はある程度の知的議論にも耐えることもできるらしいことが分かったのである。 それが理解できただけでも、この書籍を読んだことは大きな収穫だったと言えるのではないだろうか。
先に入門書を読み過ぎたか、、、 大凡で色々理解しちゃったあと、こっちを読むと、入門書ではぼんやりしてたところがクッキリして気持ちいい!というのはあるのだけど、どうしても超越論的とか、アプリオリとかにだんだんと辟易してきて、あーもー鬱陶しい!という気持ちになってくるというか、そして眠くなってくるとい...続きを読むうか、、、 理論の厳密さは入門書では得難いけども、なんとなくつかんじゃうと、この延々との厳密さについていけなくなりました、、、 こうなるのでは、と、予想してましたよ、自分のことなんでね、、、 入門書を3冊も読んだせいで、書いてあることの衝撃的な発見はあまりなく、論理の厳密さはとうぜん、こちらのほうがあるものの、カントをゴールにしてるわけではないので、これ以上、カントの論理の厳密さのために時間を費やすのがもったいない、という気分になってきて、モチベーション保てなくなってきたので、2巻の途中で断念。 7巻まで買っちゃってるのに、、、。 また、人生でカントに戻りたくなっなら読もう、、、。 複数巻ある作品を読み通すという能力が欠如してる、、、。 どんなに分厚くても、一冊になってないと読めないんだよなぁ、、、。 てか、この翻訳の解説がめちゃくちゃ良いので、最初からこれだけ買って解説で読めばよかった、、、。 ロックは人の知性を、タブララサ、真っ白な紙みたいなもんとし、経験がそこに全てを書き込むとした。 でも、カントは違う、と。真っ白な紙にもいろんな性質があるんだよ、真っ白な紙に色々書き込まれる前から、滲みやすさとか、ザラザラ具合とか、そういうアプリオリな性質があるんだよ、と。 アプリオリな性質ってどんなんがあるんだよ、というと、感性の意味では、空間とか時間は、真っ白な紙に書き込まれることではなく、真っ白な紙がもってる性質なんだよ、と。 で、知性の意味では、量・質・関係・様態という4つのカテゴリーがあって、要するに白い紙になんでも自由に書けるんではなく、僕らが白い紙に書けるのは、量・質・関係・様態ってものしかないんだよ、だから、そういう経験しか与えられないんだよ、と。 つまりは、経験が人に概念を教えるんではなく、アプリオリな概念に従って経験は与えられるんだよ、みたいなのがコペルニクス 的展開ですよね。 神とか世界の始めとか世界の外とかいうのは、そういう人間のアプリオリな感性や知性を超えたものなので、結論は出せない。なので、「世界の始めはある」と言えば矛盾がうまれるし、「ない」と言っても矛盾がうまれるみたいなアンチノミーが発生する。 人間は、人間の感性や知性の届く範囲のものに理性を用いるべきではない。 超雑に言えばそういうことですよね。 ちょっと違うかもだけど、取り敢えず次にいこう! ちょっと人生にも限りがあるので、次にいかせてください、、、。この後ろの5冊が棚で悲しいけども仕方ない、、、。お金より時間が大事。
ジュンク堂書店池袋本店で購入しました。 (2013年2月3日) 読み始めました。 (2013年2月7日) 読みます。 (2013年4月18日) 読み終えました。 (2013年5月9日)
人がどのようなプロセスでセカイを認識しているかが示されいるのかな。カテゴリーの部分はしっかり覚えたい。 しかしまだ、七分の二…
この本で強調されていた2つの事項の対比ー感性と知性、分析と総合、アプリオリとアポステリオリ、主体と客体、原因と結果だ。世の中の多くの事は2つの比較で考えられることが多いからだ。超越論的認識、形而上学、ロック、ヒューム、自己統合、カテゴリー、弁証法、実体の根拠付け、親和性、ものごとを抽象化して考えるく...続きを読むせを付けないといけない。
感性を扱った第1分冊に続く本書では、主に人間の認識における知性の役割に焦点が当てられる。ちなみにこの中山訳では「悟性」ではなく一貫して「知性」が使用されている。 哲学というものは往々にしてそうなのだろうが、用語の使用が一般のそれと全く乖離しているために用語を見ただけではそれが意味するところを把握...続きを読むしづらいところがあるが、本分冊では特にこれが目白押し。何度読んでも「判断力」と「想像力」の違いや、「総合」とか「統覚」の関係性が頭に定着せず、その度に定義を確認する羽目になる。 極め付けは頻発する「根拠づけ」という言葉。流石にわかりづらいと考えたのか、訳者も解説に多くの紙面を割いているがそれでもピンとこない。訳者によれば、ここで行われているのは直訳の「演繹」ではなく「権利問題」、つまりカテゴリーにより生ずる客観認識の場合ならば、感性・知性・理性のどれがその認識を生じさせるかについての「権利」=「権限」を有しているのかが論じられているのだという。これは直感的には極めて理解しにくい。それならもっと字面から意味がはっきりわかる言葉にしてくれればいいのだが…。 なお本分冊の「純粋理性批判」全体の中の守備範囲はさほど広くない割には、解説の記述量が多く丁寧な説明がされている。やはり経験に基づく判断によりカテゴリーが理解されるのではなく「カテゴリーを用いた経験の統合が客観的判断そのものを可能する」という例の転回が、「批判」の前半の大きな山場となるからだろう。ここのところは多くの例示を用いられていることもあり割と理解しやすかった。ロックやヒューム的な経験論との対照も鮮明でわかりやすい。
前巻で「感性」を扱ったので、この巻からテーマは「知性」(悟性)。 「判断表」「カテゴリー表」なるものが出てくる。これらが「完全なもの」とはまったく思えないのだが、その後に続く思考が素晴らしい。 「[現象において観察される]諸法則は、こうした現象そのもののうちに存在しているわけではない。たんに知性を...続きを読むそなえて[観察して]いる主体にたいして存在しているのであり、これらの現象はこの主体のうちに宿っているだけなのである。」(P.170) こうしたカントの認識論は、まっすぐ20世紀のメルロ=ポンティまでつながっていくものであり、実に重要である。 「わたしたちは、いつかわたしたちの認識のうちに登場する可能性があるすべての像について、わたしたち自身がつねに同一であることを、アプリオリに認識している。 この[自己同一性の]意識はすべての像を可能にするための必然的な条件として意識されるのである。」(P219, 初版の文章) ここで言われる統覚、同一性は、20世紀個人心理学でいう「アイデンティティ」のことではなく、つまり個体としての自我ということでなく、自己と共に存在している「世界」との「あいだ」、その刹那に「ともにある」すべての事象が直面する知覚の「パースペクティヴ」の同一性(統合性)と解釈する限りで、正しいと思う。 それにしても、巻末の訳者の長大な解説は、今回も余計なものに感じた。そう思っているのは私だけなのだろうか・・・
1巻と違い、こちらはざっと読み飛ばした。自分の浅い理解であるものの、本書では純粋知性概念について述べている。つまり、アプリオリな知性は何かということ。 その際、カントが拠り所としたのは、論理学の判断表。例えば、量に関しては単称判断(このAはBである)、性質に関しては肯定判断(AはBである)など。 ...続きを読む これらの判断表は、人間がアポステリオリに作ったわけではなく、人間のアプリオリに備わる知性であるとカントは考えた。 その正しさについて、ひたすら論じているものの、別にその正しさに関心はないため割愛。 アプリオリな知性は何か?という問いに対して、論理学から判断形式を持ち出し、これこそがカテゴリーであると考えた発想が良い。 アリストテレスのカテゴリーは、帰納的な方法であり欠陥もあるものの、カントの場合は網羅性を担保できていると思われる。ただし、全称判断と単称判断が独立して含まれており、重複感は否めないものの、あくまでこれは一般の論理学ではなく、超越論的な論理学ということである。 何が問いとしてあり、そのための手段をどのようにしたのかがわかれば、カント研究者でもないため、十分であると考えている。
非常に難しい。 理解できたことはほんのわずかだった。 カントは時間と空間をアプリオリなものとして前提しているが、この前提がまず納得できていな。人間はうまれたときから時間と空間を認識しているのだろうか。成長過程において認識するのではなかろうか。 今回も書籍の半分程度を中山元による解説が占めている。 ...続きを読むこれがなければ、理解は難しい。この解説があっても、ほとんど理解できないのだから。 人間は、連続した時間を認識して生きている。過去と現在がつながっているものだと認識している。それがなければ、音楽は理解できない。今聴いた音が、次の瞬間には過去になる。その音を記憶したうえで、その次に来る音とのつながりを理解する。その繰り返しによって、人間は音楽を理解する。つまり、人間がなにかを理解するためには、過去・現在・未来という時間の流れを認識している必要がある。 カントが述べるところによると、三段論法は、個別の事象を説明するだけで、普遍的な物事を説明することができない。アリストテレスは人間である。人間は必ず死ぬ。だからアリストテレスは死ぬ。のように。アリストテレスについて語ることはできても、人間全体について語ることはできない。 また、たとえば、庭を眺めていて、そこにケヤキがあることを認識するためには、木という概念をしらなければ、目の前には緑の塊があるだけで、地面とケヤキを区別することもできない。など。 要するに、人間がなにかを認識する際に、人間の中でなにが起きているのか、ということを分析していくのが、本書なのだろう。 難解であるとはいえ、こういう思考の流れに触れることで、頭を使う。自分なりに理解しようとする。カントはなにを考えているのかとか、この理論は果たして正しいのだろうかとか、そういう風に考えることで、読者も成長していく。それが哲学の面白さだ。
カント。 昔大嫌いだった。 でも、今は好き! こんなふうに物事を考える彼の後ろ姿をみたかった。 恐らくその光景はどんな文章でも表現できないだろう。 カント。孤独の哲学者。 合理的なリズムで踊る文体。 こんなふうに私の感性と知性が絡み合うのです。
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