あらすじ
人が人を愛する。どんな相手を選び、どのような愛情、性愛関係を結ぶのか。愛する他者をどのように選ぶかについては「対象選択」という視点で考察し、ある女性の同性愛者の「心的なメカニズム」を、リビドー、エディプス・コンプレックスから解明しようと試みる。そして性愛と抑圧的な社会との関係にまで批判的に考察を進める、性と愛に関する論文集。
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Posted by ブクログ
三角形的な関係においてこそ男性の欲求が増していく。嫉妬心という人間の心的働きは予想以上に不合理。愛する人を救いたいと欲する気持ち、愛する人は不幸であってほしいという願望、全てが非常に文化的な視点からの読み解きを推進してくる。映画や小説でそのような構造的仕組みが配されているのがよく分かる。
フロイトお得意の近親相姦的な欲望とその不可能性によるリビドーの増大、そしてその解消対象の選択等、まだ前半だが非常に面白い。訳が分かりやすい。
流石に女性が抱く男根願望に関しては納得がしづらい。クリトリスの不完全性を打ち出すフロイトは今的な視点で見ると理解ができないが、男性にも女性的な側面が入り混じる両性性についての、言及があったりと簡単に古臭い男根主義と切り捨てることはできない。当時の一般的な価値観と照らし合わせるとフロイトの思考の方が進んでるのかな、と。
Posted by ブクログ
昔受験時に倫理で学んだ以来のフロイト、超自我とか懐かしい。
多少読みづらいなと思いつつも各論を読み切ったところで、訳者の中元氏の解説が一冊分通して丁寧にされていて、論文内容をよりきっちり理解するという目的であればその解説の方が有用だろう。
フロイトの主張をしっかり読み解けていたかどうかの答え合わせをした感じだ。
同性愛をまるで治すべき症状のように表現する部分に、時代の違いを感じて驚きつつも、その論の導入と後半では、結局同性愛は分析しこそすれ治すものでも治せるものでもないと述べていて、「だよね」となった。
なおその点への言及は、巻末の出版社からの注記でも明確に述べられている。
フロイトの論のベースにある、幼児期の親との関係性が以降の心理に影響するという概念は、私の興味の強い、ボウルビィから始まり岡田尊司氏が広げている愛着論に繋がっている。
エディプスコンプレックスや性愛をすべての症状に紐づけようとする試みはまだ粗く、当時の信仰、慣習、限られた知見などの中でけもの道を切り開いていった空気感を感じられてよい。
リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』のような遺伝生物学や自然淘汰による心理への影響という視点が抜けているため、今となってはそのまま使えないが、人と人との関係性という、社会学的視点に立つと問題を紐解くヒントが多くあって有用そうだ。
特に「性愛生活が多くの人によって貶められることについて」の論およびそこから発展する「『文化的な』性道徳と現代人の神経質症」が示している、社会において人が倫理的・文化的に生きるということが、本能を押さえつけることによって様々な神経症という副作用を及ぼすことは、現代でもほぼそのまま敷衍できよう。
日本においてはキリスト教の影響が極めて小さいし、他の信仰や慣習から来る貞節への圧力は現代では弱い。
しかし表現におけるコンプライアンスやフェミニズムへの配慮であるとか、より広範に法律や人権という部分にまできっちり対応すると、多かれ少なかれ性欲の抑圧は避けられない。
とりわけ結婚後の制約は大きく、これが翻って幸福度の低下に与える影響は少なくないはずだ。
ルールや慣習による社会の安定と、その犠牲となる隠れがちな個の苦しみという関係性は功利主義にもつながって来てテーマがデカい。
思想を学んでしまうと自身の幸福追求を矮小化してしまいそうだ。
これをフロイトだったら果たして「文化的貢献へ昇華する努力をしたまえ」というか、「神経症を発する前にガス抜きせよ」というか。
あくまで観察者に立つフロイトが主観的にはどのように感じるか、若かりし頃の彼に会えるのならば尋ねたいものである。
Posted by ブクログ
フロイトについては、文学、思想、哲学等様々な分野でいろいろに取り上げられ論じられてきたので、何となく分かっているような気になってしまっていた。
本書に収められている各論文によって、リビドー、エディプスコンプレックス、倒錯といった概念の意義やそれらを用いた分析について、フロイト自身の論述で理解できるのが、何と言っても収穫であった。
「『文化的な』性道徳と現代人の神経質症」では、性愛に対する西洋社会の抑圧的性格を批判する文明論にまで至っており、フロイト理論の射程の広さを実感できた。
ドイツ原文は読んだことはなく分からないが、訳文は相当平易にしているようで、大変読みやすかった。