あらすじ
カントが普通の言葉で語り始めた! 本書で繰り返し説くのは、自分の頭で考えることの困難と重要性。「永遠平和のために」は常備軍の廃止、国際連合の設立を唱え、「啓蒙とは何か」は、他人の意見をあたかも自分のもののように思いこむ弊害を指摘している。他に「世界市民という視点からみた普遍史の理念」「人類の歴史の憶測的な起源」「万物の終焉」を収録。現在でも輝きを失わないカントの現実的な問題意識に貫かれた論文集。
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カント『永遠平和のために』は,フランスとプロイセンがバーゼルの和約を締結した1795年にケーニヒスベルクで出版された。この著作において,カントはバーゼルの和約を戦争の戦果を調整する一時的な講和条約と位置づけ,永続的な平和の実現には不十分であると批判している。そして,永遠平和の実現可能性を追求するために必要な予備条項および決定条項を提示し,法的・道徳的観点から永続的な平和の構築の枠組みを論じた。
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最初に──
本書の後ろにある訳者の解説を参照すると良い。というか必須だ。時代背景や地域背景、歴史の流れの中でこそ普遍性のあるメッセージが見えてくるのだから。
私たちは常に考えなくてはならない。
カントは、いまだ未解決のテーマへの挑戦を力強くエンカレッジしてくる。
不思議に東洋思想との融合感を感じるのは、自らの認識論に『コペルニクス的転回』とキャッチコピーを付したカントならではの大きな世界観・統合感のためかもしれない。カントの時空を物ともしない視点の広さ(寛容さ)に感動してほしい。と私が思うのは、おこがましいかもしれないが ....。
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カントの晩年の著作を集めたもの。
カントの中では、短くてわかりやすい。
抽象化された一言一言は、現代の諸問題、例えばイスラム国とかトランプさんとか、イギリスのEU離脱とか、そういったものも痛烈に批判しているようにも感じる。
学ぶことがなぜ必要か?
戦争はなぜ起きるのか?
反社会的思想はなぜ必要なのか?
道徳だけではなぜ平和にならないのか?
国家とはなにか?
そんな問いに、明確に答えてくれていて、気持ちが良い。
人間は、矛盾した存在だからこそ、進歩してきた。
それをきちんと認めた上で、より高い次元に哲学的に考察することが必要なのではないか。
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名著・名作と呼ばれる本の中で一番人に薦めやすい、そんな一冊。とにかく読みやすい。これを若い内に読めないのは不幸だし、先に解説書や他人の説明から入ってしまうなら更に不幸だ。
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啓蒙とは、ごくごく簡単にいえば「自分の頭で考え、行動する。」ことである。
理性の公的な使用と、理性の私的な利用の違いは、私的なことは「生きるために働いてることについては、当然のように従うべき。」であり、公的なことは「その働いてることについて、自分のことで考え、批判し、世の中に対して問うこと。」である。
以下は、訳者の中山元氏の解説を元に記述する。
そのことをカントが実行する上で重視する政体は、「共和政」である。市民は常に戦争を求めることはないだろうし、実行することが理性に叶うことはないだろう・・・とする。ただしカントは、革命が起きて新しい政体が起きたとしても、新たな秩序で以て強権的な支配が行われるのであれば、意味が無いのだ。その意味では、国民投票ばかり行って政権の座についたヒトラーやナポレオンは、およそカントの肯定しないところであろう。「共和国」の名を借りながら、戦争が起きた。
ではどうすればいいのか?彼は立法と行政が分離している状況を、理想とする。共和政の反対は専制であるとカントは云うが、古代ギリシャの国家の分類法は「君主制・貴族制・民主制」であるが、それぞれが堕落した形が「僭主政治・寡頭政治・衆愚政治」である。カントは「共和政が実行できるのは、君主制と貴族制だけだ。」という。民主制は立法しそれを行うのが一緒であるから、カントは、共和政とはその2つが分離しているのが理想であるからだ。
なんとも逆説的である。カントは伝統的な為政者の人数に依らない分類法を採用している。むしろカントは、「行政」と「立法」が分離している政体が理想であり、その意味では「大統領制」がより理想に近いのかもしれない。国民が理性で選んだ国家は(議会があることが前提)、戦争のような大博奕はしないだろう、という発想のもとである。その意味では今の日本は、とりあえず戦争は起きていない。これから、「自分の頭で考えない国民」が増えると、戦争への萌芽が起きるのかもしれないが・・・・。その意味では、司法府の機能が重要であろう。
ちなみにヒトラーが共和政体から独裁が発生したのは、当時の憲法は国政の収拾がつかなくなったときに大統領に「非常大権」が大きく認められていたことがその理由であるともされる。やはり「民意」を得るだけでは、独裁への道が開かれていることの証左でもある。
当たり前のことをつらつらと書いているようにも見えるが、その理性の使用が許される「自由」も当然の前提とされる。民主制で共和政であるわけだから、その「行政」と「立法」が分離している体制であれば、何でもいいと言えるのであろう。もちろん代議制が必要であるとするから、そもそも「民主制」が最善であると云わざるをえないのも、また当然である。
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世界平和実現のために
私たちは良心の声に耳をかたむけねばならないのですね、わかります
カントの人間学読んだあとだと あんまぐっとこないwwww
空想論だとか批判もあるけど
いや、ほんとに、これ、名著
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未成年状態から脱し、汝の悟性を用いる勇気を持て。聖職者をはじめとする他人の判断に身をゆだね自分の頭で考えることを恐れる同時代人に対して、カントが頭上に下した鉄槌。ほかに宗教的寛容の大切さや平和論など、現代に直結するアクチュアルな問題意識が全編を貫く。するめと同じで、かめばかむほど味が出るすばらしい本。
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自分の頭で考え、道徳的に善く進歩していくことが自分が社会に対してできることだと思いたい。
自己の考えを他者と交わして、高めあえると尚良いと。
現代の在り方にも通ずる提言がたくさんあった。
カントの言う、周囲を啓蒙できる哲学者って現代にどれだけいるのだろう。
過去の哲学者を研究して、解釈について思考を巡らすのが哲学者といえるのか。
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☆「知る勇気をもて」「自分の理性を使う勇気をもて」(p10)
☆「自分の理性を公的に使用せよ」(p14)
「啓蒙とは何か」におけるこの2点は、自由な言論の必要を訴えるもので、本書が公共哲学のスタート地点に位置付けられる(「齋藤純一ほか「公共哲学入門」)のもうなずける。巻末解説にあるように、カント思想はいまなお、アクチュアルである。これを楽観主義とか理想論だとかたずけるのはたやすい。そうではなく、あえて、ベタに、ここをスタート地点としたい。
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本書が国際連合の理論的根拠にされているのは有名だ。
その骨子は、永遠平和を実現するための6つの予備条項と3原則を柱としている。
本書を手にとって把握できたのはそれくらいのもので「100分de名著」などの入門紹介本でもそれくらいのことはしっかり解説されている。
つまり結論としては、「問い」を用意していたり、筆者や本の主張に「特別な関心」を持っていない場合においては、数十年以上前の名著については要約された入門書で十分だと思った。
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人間が思考するのは、他者に考えた内容を伝達するためである。そして他者に思想を伝達するためには、他者の立場から考えることが必要なのである。完全な独語には、だれも耳を傾けようがないのである。アーレントが指摘するように「我々は他者の立場から思考することができる場合にのみ、自分の考えを伝達することができる。さもなければ、他者に出会うこともなければ、他者が理解する仕方で話すこともなであろう」。
このことは、他者の存在こそが人間が思考するための条件を構成しているということである。他者との交わりのうちでしか、思考は形成されないし、刺激も荒れないのである。文化と文明の発達において、他者はその可能性の条件を構築する重要な役割を果たしているのであり、この問題は次の論文「世界市民という視点からみた普遍史の理念」でsらに掘り下げられることになる。
ケーキ好きな悪魔たちを集めて、その中のどの悪魔も、最後の一切れをうけとるという条件でケーキを切らせてみよう。不公平にケーキを切ったならば、最後にうけとる悪魔は、もっとも小さなケーキを甘受せざるをえなくなる。だからその悪魔は可能なかぎり公平にケーキを切るだろう。これは悪魔が道徳的に判断をしたからではない。理性的に考えれば、理解できることだからだ。
だから悪魔が、ほかの悪魔も自分だけは法律の適用を免れたいと願っているのを知っていながら、たがいに平和と自由を維持できる共同体を設立しようとしたら、外的な法律によって、どの悪魔も特権的な権利を行使することのできない自由で平等な共同体を設立することだろう。ほかの天使の利益のことばかり考える天使の国があったとしても、これと同じ国になるだろう。そこには道徳性はまったく関与しないのである。
ここで求められているのは、人間を道徳的に改善することではなく、自然のメカニズムを機能させることだからだ」(二〇六ページ)。欲望についての洞察と、利己心という「自然のメカニズム」を行使することで、悪魔たちが「たがいに強制的な法に服させ、法が効力を発揮できるような平和な状態をもたらす」(同)には、このような社会でなければならないはずなのである。
このようにカントのこの論文は、永遠平和を目指すための提案でありながら、平和そのものが人間の間に実現することは想定しておらず、反対に戦争こそが人間をたえず進歩させると考えているかのようである。カントは戦争を憎むが、戦争なしの完全な平和状態では、人間gな進歩する原動力が失われると考えるのである。
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イマヌエル・カント(1724~1804年)は、プロイセン王国に生まれ、『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、認識論における所謂「コペルニクス的転回」をもたらした。ヘーゲルへと続くドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされ、彼による超越論哲学の枠組みは、以後の西洋哲学全体に強い影響を及ぼしている。
本書には、カントの政治哲学、歴史哲学に関連した重要な論考である、「啓蒙とは何か」、「永遠平和にために」のほか、「世界市民という視点からみた普遍史の理念」、「人類の歴史の憶測的な起源」、「万物の終焉」が収められている。
「啓蒙とは何か」のエッセンスは、冒頭の一段落に集約されている。「啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。」
本稿が発表されたのは1784年、近世から近代の転換点と言われるフランス革命(1789年)の直前で、「啓蒙」という概念がイギリス、フランスからプロイセンに入ってきて、一般市民にも教育の関心が高まってきた時代で、その時代の要請に応える形で書かれたと言える。しかし、それから2世紀以上を経た現在、我々は「自分の理性を使う勇気」を持ち得たのだろうか? 第二次大戦のファシズムは言うに及ばず、現在世界を席巻するポピュリズムも、「自分の理性を使う勇気」を放棄した結果の現象なのではないだろうか。。。今こそ読み返す価値のある短著である。
また、「永遠平和のために」は1795年に発表された。同年はフランスとプロイセンがバーゼルの和約を締結した年であるが、同和約は将来の戦争を防止するものではなく、戦争の戦果を調整する一時的な講和条約に過ぎず、こうした条約では永遠平和の樹立はできないと考え、カントには永遠平和の実現のための具体的な計画を示す必要があった。
そして本稿では、永遠平和を実現するための予備条項と確定条項が示されている。予備条約では、①将来の戦争の原因を含む平和条約、②継承・交換・売却・贈与等による国家の所有、③常備軍、④国家間の紛争を理由とした国債の発行、➄他国に対する暴力による内政干渉、⑥相互信頼を不可能にするような敵対行為、を禁止するとしている。また、確定条項では、平和の条件として、①各国の政治体制が共和的なものであること、②国際法は自由な国家の連合が基礎となること、③世界市民法は普遍的な歓待の条件に制限されるべきこと、が定められている。
しかし、カントは、永遠平和の実現は容易ではないとし、本書を「公法の状態を実現することは義務であり、同時に根拠のある希望でもある。これが実現されるのが、たとえ無限に遠い将来のことであり、その実現に向けてたえず進んでいくだけとしてもである。だから永遠平和は、これまでは誤って平和条約と呼ばれてきたものの後につづくものではないし(これはたんなる戦争の休止にすぎない)、たんなる空虚な理念でもなく、実現すべき課題である。この課題が次第に実現され、つねにその目標に近づいてゆくこと、そして進歩を実現するために必要な時間がますます短縮されることを期待したい。」と結んでいる。第二次世界大戦の後、(現代しか知らない我々には)未来永劫続くとさえ思われた東西冷戦は20世紀末に終結したが、その後の世界は、文明・宗教間の衝突の渦の中におり、解決は到底不可能なようにも思える。しかし、「永遠平和」は、カントの言うように、義務であり、根拠のある希望であり、実現すべき課題であり、人類として諦めることは許されないのだ。
今こそ、18世紀にカントが希求した啓蒙への夢とヨーロッパ的な共和国(=永遠平和)への夢を、改めて考えるべきときなのだと思う。
(2019年12月了)
Posted by ブクログ
「永遠平和のために」を読むにあたり、これか岩波かで迷ったが、こちらにして正解だった。さすがは後世に名を残すだけの事はある。キリスト教が支配する地域と時代ながら、一部のカソリックに対して批判するところがあったり、なかなか面白く読めた。二百数十年前も、偉大な人が考えてる事は同じだった。
読んでいたら、安藤昌益のいう法世のことを想起した。
昨日読んだ岩波版純粋理性批判は訳が古かったのか、或いは訳者の理解が不十分だったのかも知れない。古典新訳文庫で読み直してみるか。
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哲学は、文章が文字化けしてるぜ!
と感じる人にお勧めの本。
ただし、結構言い換えている部分も
あったりするので、
これらの作品を完全に汲み取りたい場合は
堅めの訳のを読まないと難しいかも。
生きていくうえで、
大命題になるであろう
「平穏に暮らすには」という命題に
答えたもの。
ただし、これは答えを知らないほうが
ある意味、幸せと言えましょうか。
そう、そうなった場合を考えると。
私はいまだに、未成年のままですな。
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カントの論文『永遠の平和のために』『啓蒙とはなにか』などの論文をまとめた文庫本。
啓蒙とはなにか、またなぜ啓蒙が必要なのか。
平和のためになにがなされるべきなのか。
人類にとって大きなテーマであるこれらの問いに様々な意見を加えてゆく。
Posted by ブクログ
深い。
啓蒙とは自らがまねいた未成年の状態から抜け出ること。
いったいどの位の人が啓蒙されてることになるのだろう。
啓蒙も正しいものと正しくないものとあるのではないか。
永遠平和のために
常備軍を放棄、と言ってみたり、互いに競わせて連合を作って均衡を保てと言ってみたり矛盾をはらみながらも、第一時対戦も起こる前からこのようなことを論じてるなんて。
200年以上経って、進歩したところもあれば前より複雑化したこともあるし変わらないこともある。
永遠平和が実現されるためには、牧歌的生活に戻るしかないのか、それとも相互牽制による表面的なものなのか。
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表題作2作含む5編入り。「啓蒙とは何か」は最近読んだオルテガの大衆の定義を思い出す。教えられたことを覚えてそれに囲まれているだけじゃなく、ちゃんと考えろってことなんだけど。学ぶのは哲学ではなく哲学的に考えることが哲学です、みたいなこと。
「永遠平和のために」は平和条約は単なる休戦に過ぎない、真に平和な世界になるために、「国際法」「世界市民法」「公法」の成立する条件などを道徳的な政治と政治的な道徳を軸に掘り下げた論文。
「万物の終焉」が私にはとてもおもしろく感じた。
どこを切ってもカントだなあという感じ。
Posted by ブクログ
・啓蒙とは何か
・世界市民という視点からみた普遍史の理念
・人類の歴史の憶測的な起源
・万物の終焉
・永遠平和のために
本書には、これら5つの論文が収録されています。そして巻末には、カント年譜や訳者中山元氏による100ページにもおよぶ解説が収められています。
訳文は読みやすく、丁寧な解説も付いていますので、なんとなく難しそうだからという理由でカントの著書を敬遠していた人は、ぜひ本書を手にとってみてほしいです。
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「啓蒙とは、みずから招いた未成年の状態から抜け出ること」
「未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということ」
本書で印象に残った言葉。
近年、自分の頭で考えろという類の本が多く出てる中、そのことは何百年も前から言われてたことなんだなと認識した。
自分の理性を使う勇気がない人は未成年か。
なんか納得した。
自分はまだまだ「成年」になりきれてないな。
そう気づかせてくれた本。
あとは難しくてあまり理解できなかった。
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難解といわれるカントの文章だけれど、光文社の新訳でとても読みやすくなった一冊。
本書は、カントの政治哲学、歴史哲学に関する著作5編が収められている。それらを通じて語られるのは、人が自立し理性的であることの重要性。そしてそれを実現させるための自由が社会にあることの重要性。人間は本来、平穏で安楽な生活を営みたい本能がある一方で、社会を形成して生きていかざるを得ず、そのため他社との競争が必然的に生まれる。そのことこそが、人間の成長、そして長い目でみると人類の進歩につながる。
これだけでカントの思想の全体像を語ることは到底できないだろうけど、単なる宗教を超え、かつ人類としての運命論的な宿命を超えて、個々人の理性の重要性を説くカントの思想の一端に触れ、元気をもらえる一冊だと思います。
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『啓蒙とは何か』。フリードリヒ大王(啓蒙専制君主と言われる)時代1784年に書かれた短い論文。フリードリヒ大王は国王に服従することを条件として議論の自由を許し、啓蒙主義的改革を実行したプロイセン国王である。カントによるこの文章は、啓蒙を「人間が、みずから招いた未成年の状態から抜け出ること」と定義し時代の空気を論じた文章ではないかと、私には感じられた。
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個々の人間がいかにして国際的な連帯を築くことが可能なのか。この本に治められた一連の著作を通じて、カントの政治哲学と歴史哲学を一望することができる。「啓蒙」の持つ可能性に絶対的信頼を寄せているあたりに時代の雰囲気も感じるのだが、カントが決して楽観的に「永遠平和」を唱えているのではなく、人間性がかかえる「非社交的な社交性」を冷徹に見つめ、それを与えた「自然」によって人間達が国際的な連帯へと導かれていくと考えるロジックが面白かった。中山元の解説にも大いに助けられ、カント入門には良い一冊。カントってとても真摯に人間の限界と可能性を見つめ、現実に向き合い、その改良を目指した思想家なのだと好感を持った。
それにしてもホッブズ、ロック、スミス、そしてこのカントら啓蒙思想家の著作を読むと、彼らがみな人間の本性をしっかり見つめ、そこから人間の連帯(共同体)の成立について論じていくことにある種の感銘を受ける。人間とは何か、という問いが、全ての根底にあるのだなあ。
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第一に読みやすさを意図した本になっていて看板に偽りなしといったところ。「感性」に対して「悟性」(本書では「理性」)とか、基本概念をおさえておけばすいすい読め、その整理も、訳者が訳注でしてくれているので言うことないです。より深く正確な理解は、たくさん読んでからでもいいかなと思える。
Posted by ブクログ
「啓蒙とは何か」は、明快に理性の自律を促す。他の章も、解説が丁寧で何とか読み進めることができた。「永遠平和のために」は、決して易しくはないが、いいたいことは伝わる。なるほど理想主義的な論文だが、空疎ではない。特に「国家」とか「戦争」を考える上で多くの示唆がある。理解を深めるために、何度か再読すべし。
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読書会の課題本。国連やEUのバックボーンにあるものとして有名な表題作を含む短い論文をまとめたもの。巻末の解説もとても詳しいもので、カント入門としてふさわしい一冊であると思った。
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自立(自律)、公開性、道徳、自然の導き、SDGSのような、現代の潮流の源泉であるような考えがたくさん書いてある。
よくもそんな時代にかけたなというよりそれだけカントの影響力が大きいんだろう。
悪が無ければ人類に進歩はないとは恐れ入りました。
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飜訳は分かりやすかったけれども、内容そのものが難しかったので、ついて行けませんでした。
翻訳者である中山元氏の平易で丁寧な解説のおかげで、すこしは分かった気になったけど。この解説だけ読んでおけばいいような気もする。本末転倒だけど。それぐらい解説は素晴らしかった。
Posted by ブクログ
古典新訳シリーズ、確かに岩波より読みやすい。永遠平和のためにだけ読んでいるとどうしてそんな呑気に希望的なことを言えるのか分からないのだけど、人間(個々のではなく人間という類自体)の進化に対する信頼というか確信というかが基底にあることも、他に収められている短編の文で分かって面白い。