中山元のレビュー一覧
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「正義」といえば、NHKで放映された「ハーバード白熱教室」がきっかけとなって、日本ではマイケル・サンデル氏の講義・著作が大きなブームとなりました。
本書は、古代から現代までの西洋哲学における「正義」の思想のエッセンスを、代表的な論者の著作を紹介しつつ概説したものです。登場するのは、古代ギリシャのプラトン、アリストテレスから、中世のトマス・アクィナス・マキアヴェッリ、さらには社会契約論の系譜としてホッブズ、ロック、ルソー、そしてカント。アダム・スミス、ベンサム、ヘーゲルときて、マルクスにニーチェ・・・と大思想家が目白押しです。
正直なところ、私の理解度としては20%ぐらいでしょうか。ただ、 -
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フーコーの話をずっとし続ける授業を受ける羽目になったので、とりあえず一冊入門書を読んでみようとして買ったもの。著者は最近光文社の新訳でご活躍中の中山元。
内容としては、フーコーが発表していった著作の流れに沿って、どのような問題意識によっていたのかと、その問題にどう取り組んだかが章のテーマ・著作ごとに語られる。パノプティコンなどの比較的読みやすい部分はそこそこ理解できたように感じたが、正直なところチンプンカンプンな部分も多くあった。そういった意味で「ぺらい入門書だ」という意識で読もうとすると跳ね返されるかもしれないし、実際「入門書」だからといってレベルを下げきったものではないように感じられた -
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フーコーの思想に興味を持ち斜め読みしました。筆者は下記のようにサマライズしています。
フーコーは、哲学のつとめは真理が自明なものでも普遍的なものでもなく、歴史的に作られたものであることを暴露することによって、その真理の絶対性を崩壊させることにあると考えていた。
我々が当然と思っている事項は長い歴史によって作られてきたものが多いのでしょう。
我々はそれを学校教育などを通して学んで当然のように受け入れているが、当然でもないよ、ということでしょう。フーコーはゲイだったそうです。彼は、異性愛が普通で同性愛は異常のように思われているが、それも歴史的に作られてきたものだ、というのも特に言いたかったので -
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書かれていることは比較的抽象的な国家論であって、当時の情勢を直接記している訳でない。それでも、読んでるだけで当時の市民社会の熱気が伝わってくる。市民階級が力を蓄えて、封建体制が揺らいでいた時代、市民の積極的な社会参画への希望、といったものがよくわかる。「ベルばら」で描かれていたのはこういうことだったのか。きっと、ここでルソーがもっとも重要視している一般意思というのも、そういった市民の主体的な意思を思いっきり取り込んだものなんだろう。
ただ、国家や社会制度の行く末を決める一般意思が、どのようにしたらうまく成立し機能するのか、そこのところは疑問が残る。国家としての一つの意思として国益を優先できる -
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第2巻では、感性ではなく、知性が扱われている。判断の種類やカテゴリー表が示され、これらの根底にある意識の統一が示されている。個人的には第2版より第1版の議論の方がわかりやすかった。把握・想像力・意識の統一と、時空・再生・概念による再認についてもよく分かる。しかし、カントの純粋理性批判では、人間の考え得ることが示されるはずなのだが、これはおかしな概念で他人をコントロールしようとする社会や権力への批判にもなっている。しかし、人間はフロイトのいうように無意識を抱えた存在だし、神とか三位一体とか不合理な概念を生み出して、自らそれに快を感じるところもある。そういう人間の性質はどう処理されるべきなのかなと
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読みやすい訳書である。序を後回しにしているのもよい。訳文は流れを意識していているので読みやすいのであろうが、カントの言っている内容じたいが抽象的なので、立ち止まって考えねばならない所もある。カントが純粋理性批判でやっていることは、人間に許される思考とは何かを明らかにすることで、物じたいは知り得ぬので、人間が知ることができるのは現象のみであるという観点が出発点になっているように思う。要するに現在の脳科学がやっているような人間の認識のフレームとか情報処理方法をさぐっているのである。第一巻では、感性が扱われ、空間と時間が人間の感性の先験的規則であることが示されている。
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しかしここで指摘された矛盾のうちで、とくに重視されている矛盾について考えてみよう。人間は理性的な根拠にはあまり影響をうけず、欲動の願望に完全に支配されている存在である。だとすると、人間に欲動の充足を禁じて、理性的な理由を与えようとしても、意味があるのだろうかという疑問についてである。ただしこれについては、人間はたしかにこうした存在であるが、そうでなければならないのか、人間のもっとも内的な本性からして、こうした存在であらねばならないのかは、自明なことではないことを指摘しておきたい。(p97)
(前略)たしかにわたしたちは、人間の知性の力は、欲動の生の力と比較すると弱いものだと、繰り返し強調して