中山元のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
第1巻-Ⅱまでの1000ページを読破した。1-Ⅱでは、利益である増殖価値についてと労働について書かれている。機械化工業の創世記は労働時間が長く、労働者が酷使されていたことがわかる。子供であっても15時間以上の労働が強いられ、資本家と労働者間での争いにより、次第に労働環境が改善されていった時代背景を理解できた。
「資本家はたんに使用価値を生産するだけでなく、商品を生産することを、使用価値だけでなく「価値」を生産することを、たんに「価値」だけでなく増殖価値を生産することを強く望んでいるのである」p36
「資本家としての彼は、人間の姿をとった資本にすぎない。資本家の魂は、資本の魂である。そして資本の生の衝動はただ1つである。自らの価値を増殖すること、増殖価値を作り出すこと、資本の不変部分である生産手段を利用して、できるかぎり多くの増殖価値を吸い取ること、それが資本の唯一の衝動である」p153
「資本には、労働力の寿命には関心がない。資本が関心をいだくのはただ1つのこと、すなわち1日の労働日のうちで、労働力をいかにして最大限に活用できるかということだけである。資本は労働力の寿命を短縮させることで、この目標を実現する」p239
「熱帯地域の栽培農場では、1年で農場の総資本の額に匹敵するような収益をあげることができるため、黒人の生命はまったく容赦なく犠牲にされる。西インドの農業は、過去何世紀にもわたって、夢のような巨万の富を生み出してきたが、これこそがアフリカの数百万人もの民を食い尽くしてきた元凶である」p241
「スイスのチューリッヒ州では10歳以上の児童の労働時間は12時間に制限されている。アールガウ州では1862年に13歳から16歳までの青少年の労働時間が12時間半から12時間に短縮された。オーストリアでも1860年に、14歳から16歳までの青少年の労働時間は12時間に短縮されている。なんとすばらしい「1770年以来の進歩だろう」とマコーリーなら「感極まって」叫んだかもしれない」p255
「最初は極端なまでの違法行為(労働時間の過多)が発生するが、それが逆にきっかけとなって、労働日と休憩時間を法的に制限し、規制し、統一しようとする社会的規制が生まれることになる」p324
「標準労働日が定められたのは、資本家階級と労働者階級のあいだの長い闘争の結果としてであり、この闘争は多かれ少なかれ、潜在的な内乱として闘われたのである。この闘争は近代産業の領域で闘われるものであるから、最初の舞台となったのは、近代産業の母国であるイギリスである」p325
「量と交換価値を重視するこれら経済学者とは対照的に、古典古代の人々は質と使用価値だけに注目していた」p488 -
Posted by ブクログ
アインシュタインに問いに対して、なぜ人間は戦争をするのか考察した書簡。
支配者が持っている権力を暴力と言い切る。支配者は最終的には被支配者に対して暴力をふるうからだ。
それに対して被支配者は団結して権利を得る。
なのでお互いに利害関係が一致しないので争い続ける。
また、欲動(欲求のようなもの)には生の欲動と破壊の欲動(死の欲動)の2種類がある。
同じ共同体の中では、生の欲動に訴えて争いを無くす方法がある。1つは愛すること。もう1つは同一化すること。
戦争を確実に防止するには、人類が1つの中央集権的な政府を設立することに合意すること、そして、すべての利害の対立を調定する権利を、この中央政府に委ねる必要がある。今の国連に全ての国、民族が参加し、権力を委ねるイメージ。現実的にはできない。
最後にフロイトは、文化の発展により人々は戦争を嫌悪し、反戦する平和主義者になると述べている。誰もが平和主義者になれば戦争はなくなると。
なお、アインシュタインの書簡は掲載されていない。
戦争が無くならない理由を追求したい人にオススメです。 -
Posted by ブクログ
ルソーの意識は、マルクスと同様、今ここの社会の悲惨な現状がいかにして興ったのかを知ることにある。
そのために、社会への成り立ちを、自然状態から説明する。
ルソーは、現代が自己の外=他律的にしか自己の価値が定まらないという、吉本隆明が言うところの〈関係の絶対性〉を問題視するために、
社会状態に移行する前の自然状態では、
誰ともかかわりをもたない「孤独な生活者」として人間を描く。
人に備わっているものは、次の3つ。
自己改善能力、自由意志、憐みの情。
だが、社会性のある生活ではないので、最後の項はほぼ潜伏している状態でしかない。
そこから社会への移行は、天変地異が起らなければありえない、という事態になる。
人類学的な知が進歩しはじめた18世紀ならではの、記述は面白いが、
やはりそれでもロマンチックといわねばならない。
ただ、こういった物事の想定は、寸部たがわず事実である必要はないので、
こういったやり方しかできないことも確認しておくべきである。
人とかかわりだした社会状態こそ、戦争や悪徳などの悲惨さを生んだ原因であると、ルソーは設定する。
裏を返していうと、彼は人間の源型自身を救おうとしているのだ。
さて、この論文は、主な目的は自然状態を描くことにあったから、
〈社会契約〉の具体的記述は『社会契約論』を待たねばならないし、
また関係の絶対性に関しての処方箋も出されていない。
ただ分かるのは、自然状態に戻ればいいというのではないということ、
大きな現代の悲惨さの隅に、一部、哲学や理性が残っていると言っていることから、
この哲学や理性が如何にして、他律中心の社会から自律をちょうどいい場所まで回復させるのか、といったことが私たちに投げ返されているということだ。